横溝正史が博文館在籍時以来の親しい友人である乾信一郎に書き送った書簡の展示を中心とした企画展『没後40年 横溝正史展 ―新発見書簡に見る探偵小説作家の素顔―』がくまもと文学・歴史館にて、令和3年7月16日から9月23日まで開催されている。この書簡目録は来場者のみに配布されるブックレット。
書簡は本来戦前のぶんからあったのだが戦災で失われてしまったそうだ。それでもようやく安寧が訪れた昭和20年から横溝正史ブーム後期となる昭和54年までの、実に34年分272通にも及ぶ正史書簡が乾信一郎のもとで大切に保管され、現在こうして我々もその御裾分けにあずかる事ができるのだから、ただただ上塚家の方々に感謝するしかない。(乾信一郎はペンネームで、彼の本名は上塚貞雄)
戦後になっても正史は相変わらず病を抱え、しかも乗物恐怖症だったから外出の機会は非常に限られる。そうなると友人とのコミュニケーションは(なにせメールの無い時代だから)手紙が中心。今回の正史書簡の中には、ストライキかなんかで郵便がスムーズに配達されない遅延を憂う様子がうかがえる文章がいくつもある。(ウンウン、わかるわかる)
この書簡目録は全272通それぞれの要旨を数行に簡略化し、日付順に一覧表の形にして載せている。34年分とはいえ正史が頻繁に書簡を書いている時期と、そうでない時期とがある。では中身を見ていこう。第一章は「岡山疎開の頃・本格探偵小説作家へ 昭和20年~昭和23年」32通。この時期は戦時中の溜め込んだ鬱憤晴らしに、それまで書きたくても書けなかったものを書いて書いて書きまくっているのだが、「仕事は多いが、約束通りの支払いがないのが痛手」と一言。悲しいかな、国破れて世情が荒れている証(あかし)。「戦後の都会が想像もつかない」とも。
第二章は「名探偵・金田一耕助の活躍 昭和24~36年」59通。ここからは東京へ戻り、横溝家は成城に居を構える。「仕事を減らして好きなものだけ書きたい」「ヤッカイな小説を書かないといけない」などと漏らす正史。できればしたくない仕事って何だろう? この辺は書簡の全文を読まなければ、正しい真意が汲み取れない。ちょうど正史が50歳を迎えて、明くる昭和28年から昭和34年の間は書簡がたった一通しか存在せず、昭和35年から再びやりとりが多くなる。
この6年の空白の期間、正史の胸中や如何に?戦後は高いテンションでのちに代表作と評価される長篇を次々と生み出してきたが、「悪魔が来りて笛を吹く」の連載が終了してピークの終わりを自分でも感じていたのだろうか。とはいうものの昭和34年には「悪魔の手毬唄」を完成させているのだから、それはそれでたいしたものなのだが。乾信一郎と渡辺啓助の初対面が昭和36年というのがなんとも意外。
第三章は「読みつがれる【人形佐七捕物帳】 昭和37年~昭和48年」83通。森下雨村や江戸川乱歩など、恩人や作家仲間が一人また一人この世から去ってゆく時代。その割りには落ち込む素振りを乾にあまり見せていない正史。講談社からの初の個人全集もさながら「人形佐七」が二度もドラマ化され、後年角川春樹が無礼にも口にした〝既にもう亡くなってしまった人だと思っていた〟という時代遅れな作家の老臭感は、この書簡目録からは不思議と漂ってこない。乱歩逝去後、大衆が次第に社会派推理小説に飽きて再び探偵小説へ回帰する雰囲気があったからかも。
第四章は「横溝正史ブーム到来 昭和49年~昭和54年」98通。正史、すでに70代。あのしょーもない角川ブームに巻き込まれて相当消耗していただろうに、乾への書簡の数は全然減っていないのだから、なんとも筆まめな性分。乾の大仕事だったクリスティ自伝翻訳完成を大変喜んでいるのがよくわかる。最後の書簡は昭和54年11月26日、近鉄バファローズ西本監督に会った報告で終わっている。
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それまでのくまもと文学・歴史館のやってきた事と比べ、横溝正史という超メジャー作家だけあって、今回はそれなりに頑張っているのは理解できた。「書簡目録は販売したほうが少しでも出費をリクープできるのでは?」との質問に「くまもと文学・歴史館は熊本県立図書館と一体になっている都合上、販売できないんですよ」という意味の返事が。ふーん、そういうものなのか。
(銀) 今回の企画展を見た人は誰しも「何故こんな272通もの横溝正史の手紙が揃っているのに書簡集を出さないの?」と訝るに違いない。その書簡集というものについて、もう10年以上私は「『江戸川乱歩~横溝正史往復書簡集』を早く出してほしい」と言い続けてきた。実際、乱歩と正史が取り交わした書簡は一冊の本ができるだけの数が残存している。2000年頃、ある人物が「そんな企画がある」と口にしたこともあった。
しかし2020年代になっても、それを実現しようとする噂はどこからも聞こえてこない。企画者(?)編纂者(?)となるべき人達の都合もあるだろうし、版元となる出版社の利権問題もあるのかもしれない。なにより著作権継承者の許可を得る事も必要となる。『江戸川乱歩~横溝正史往復書簡集』が発売されたら喜ぶ人は大勢いると思われるけれど、出版社は「書簡集なんてマニアック過ぎて売れないよ」と軽く見ているのかもしれない。
きっと過去の私なら、今回の目録を見て「是非一冊の本にしてほしい!」と言っていただろう。でも『乱歩~正史往復書簡集』でさえ出ないのだから、『乾信一郎宛横溝正史書簡集』となると実現は余計に難しい気もする。わからんけど。ただ以前とは違い、この業界内のいろいろな事に対して自分の気持が冷めてきているから、この場所で『乾信一郎宛横溝正史書簡集』を熱望するような発言はもうしないでおく。勿論出たら出たで喜んで読むけれど、所詮こちらは読ませて頂く立場でしかない。