2022年9月19日月曜日

書店では売られてこなかった三上於菟吉の研究文献

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三上於菟吉は埼玉県の中葛飾郡桜井村、今でいう春日部の出身。
大正から昭和初期にかけて第一線で活躍した大衆作家にもかかわらず、今では「雪之丞変化」の作者、あるいは長谷川時雨のパートナーぐらいにしか認知されていない。作品群の全体像を知ろうにも手引きとなるリファレンス・ブックがないばかりか、著書さえ二十年以上復刊されていないのが現状。

そんな於菟吉、まんざら探偵小説と無関係という訳でもなく、当Blogでは彼の短篇「嬲られる」を収録したアンソロジー『挿絵叢書 竹中英太郎(三)エロ・グロ・ナンセンス』や、長田幹彦『蒼き死の腕環』の項などで触れている。世間では於菟吉のことを気にする人は誰もいないのかといえば、さにあらず。ヒラヤマ探偵文庫『謎の無線電信』セクストン・ブレイク/森下雨村(訳)の裏表紙には、湯浅篤志が『三上於菟吉探偵小説集』なる本を準備している旨の近刊予告が載っていた。その本が於菟吉久方ぶりの新刊として無事リリースされるよう、今回は三上於菟吉をプッシュ。

 

 

 

え? さっき「三上於菟吉を知る為の手引きとなる本は無いって言ったばかりじゃん」って?いやいや、それは一般商業書籍の話であって、過去には於菟吉の故郷・埼玉県春日部方面から有志たちによる四冊の資料が世に放たれているのだ。


 

 

   『三上於菟吉讀本 生涯編/作品編』 春日部高 文學部/庄和高 地理歴史部 

 


バブル時代の1990年秋に発行されたこの二冊は、奥付に〈庄和高校地理歴史研究部 年報第四~五号〉とクレジットされている。そう、なんと高校の先生と生徒によって作られた本で、素人らしい手作り感があふれてはいるが、ペラペラのプリント用紙をホッチキスでまとめたような簡素なものではなく、ちゃんと印刷業者によって製本された、一冊あたり200ページ前後のしっかりした同人誌なり。

 

 

ただ単純に原稿を書いているだけではなく、於菟吉著書の書影/於菟吉作品の挿絵/当時の関連記事など図版がたくさん転載されていて参考になるし、さすがに30年前のアマチュアの手になるものだからプロの編集技術には及ばないけれど、材料を収集する手掛かりも少なかったろうに、よくここまでの本を作り上げたものだと感心する。情報量だけでいうなら、この二冊を超える三上於菟吉研究文献はいまだ世に出ていない。価格が書いてないところを見ると、図書館や文学館や学校へ配布する目的で作られた非売品らしく、古書として入手するのは大変そうだから、埼玉エリアの図書館蔵書を探して読むほうが早いかもしれない。

 

 

 

   『図録 三上於菟吉と長谷川時雨』 埼玉県庄和町教育委員会 


 











一方こちらは199912月から20001月にかけて、埼玉県春日部市の大凧会館にて開催された企画展「三上於菟吉と長谷川時雨」の販促物。価格は500円。庄和町は現在春日部市の一部として編入されている。30ページ強のいかにも企画展パンフレットといった内容で、庄和町いや春日部市には彼の著書や作品発表雑誌が沢山所蔵されているようだ。

 

 

 

   『生誕一三〇周年記念誌 三上於菟吉再発見』 三上於菟吉顕彰会 













そしてこれが昨年発行された最新の於菟吉研究本。136ページ。頒価1,000円と謳ってはいるが発行部数はあまり多くなさそうなので、在庫があるうちに購入しておきたい。講演録及び9つの論考、於菟吉の随筆「原稿贋札説」そして「雪之丞変化」後日譚にあたる短篇「雪之丞後日」を再録している。

 

 

 


といった具合に、この作家の研究文献は皆無ではなく、春日部の人々がなんとかして三上於菟吉を忘れないよう尽力しているのが泣かせるじゃないの。でも残念ながら於菟吉が探偵小説に関係している部分については①~のどれも抜けがあるのは惜しい。例えば①の『作品編』には多くの於菟吉作品がずらっと紹介されているのだけど、探偵小説として雑誌『キング』に連載された「幽霊賊」は漏れている。この長篇、戦前の初刊は大人ものとして、戦後はジュブナイル扱いとして単行本化されているが、両方ともレアでなかなか見つからないから仕方ないんだけどね。

 

 

 

その「幽霊賊」が③では「幽霊城」とされていたり、また探偵小説読者の間では江戸川乱歩/直木三十五ら大物作家の翻訳は名義貸しだと認識されている平凡社版「世界探偵小説全集」のドイル/三上於菟吉(訳)『シャーロック・ホームズの帰還』(1929年)『シャーロック・ホームズの記憶』(1930年)も、やはり於菟吉自身の訳ではなく代訳である可能性が大なのだが、③にて堂々と「見事な翻訳」などと書いているのはどんなもんか。もっとも、本当に於菟吉本人がドイルを翻訳したという証拠を掴んだ上で発言しているのであれば、私のほうが詫びなければならないが。

 

 

 

③の冒頭には於菟吉と同じ高校卒業生というので北村薫が「三上於菟吉先輩のこと」という短文を寄せており、その中で長年伝えられてきた某於菟吉作品の粉本がサッカレー「双生児の復讐」だと放言するのは恥ずかしい間違いだと指摘してくれている。①~③の中で、ある程度以上探偵小説に詳しい書き手は北村薫ただひとりだし、少なくとも③全体の監修も北村に頼んでおけば、いくつかのミスも避けられたのに。いずれにしても、そんな探偵小説に関する不備を解消するような三上於菟吉研究本が(できれば一般商業書籍の形で)いつの日か作られるといいけど、力量と熱意を持った適任者が果して存在するかどうか・・・。

 

 

 

(銀) 三上於菟吉の作品で探偵小説の角書きが付いた中長篇と言ったら、上記に挙げた「幽霊賊」以外に「銀座事件」がある。あと探偵小説とはいえないかもしれないが『日本幻想文学大全Ⅲ 日本幻想文学事典』(ちくま文庫)の三上於菟吉の項にて東雅夫が紹介していた「黒髪」、ミステリ専門古書店落穂舎の古書目録『落穂拾い通信』にて巻頭のカラー・ページ上に掲載されていた「美女地獄」など、探偵小説のテイストに近い作品が存在する。湯浅篤志が『三上於菟吉探偵小説集』にどんな作品を収録するつもりなのか楽しみだ。



江戸川乱歩「魔術師」に登場する〝音吉(オトキチ)じいや〟、漢字こそ違えど同じ読みのこのキャラクターのネーミング、乱歩は三上於菟吉から採ったものではないかと私はニラんでいる。