え? さっき「三上於菟吉を知る為の手引きとなる本は無いって言ったばかりじゃん」って?いやいや、それは一般商業書籍の話であって、過去には於菟吉の故郷・埼玉県春日部方面から有志たちによる四冊の資料が世に放たれているのだ。
① 『三上於菟吉讀本 生涯編/作品編』 春日部高 文學部/庄和高 地理歴史部
ただ単純に原稿を書いているだけではなく、於菟吉著書の書影/於菟吉作品の挿絵/当時の関連記事など図版がたくさん転載されていて参考になるし、さすがに30年前のアマチュアの手になるものだからプロの編集技術には及ばないけれど、材料を収集する手掛かりも少なかったろうに、よくここまでの本を作り上げたものだと感心する。情報量だけでいうなら、この二冊を超える三上於菟吉研究文献はいまだ世に出ていない。価格が書いてないところを見ると、図書館や文学館や学校へ配布する目的で作られた非売品らしく、古書として入手するのは大変そうだから、埼玉エリアの図書館蔵書を探して読むほうが早いかもしれない。
② 『図録 三上於菟吉と長谷川時雨』 埼玉県庄和町教育委員会
③ 『生誕一三〇周年記念誌 三上於菟吉再発見』 三上於菟吉顕彰会
といった具合に、この作家の研究文献は皆無ではなく、春日部の人々がなんとかして三上於菟吉を忘れないよう尽力しているのが泣かせるじゃないの。でも残念ながら於菟吉が探偵小説に関係している部分については①~③のどれも抜けがあるのは惜しい。例えば①の『作品編』には多くの於菟吉作品がずらっと紹介されているのだけど、探偵小説として雑誌『キング』に連載された「幽霊賊」は漏れている。この長篇、戦前の初刊は大人ものとして、戦後はジュブナイル扱いとして単行本化されているが、両方ともレアでなかなか見つからないから仕方ないんだけどね。
その「幽霊賊」が③では「幽霊城」とされていたり、また探偵小説読者の間では江戸川乱歩/直木三十五ら大物作家の翻訳は名義貸しだと認識されている平凡社版「世界探偵小説全集」のドイル/三上於菟吉(訳)『シャーロック・ホームズの帰還』(1929年)『シャーロック・ホームズの記憶』(1930年)も、やはり於菟吉自身の訳ではなく代訳である可能性が大なのだが、③にて堂々と「見事な翻訳」などと書いているのはどんなもんか。もっとも、本当に於菟吉本人がドイルを翻訳したという証拠を掴んだ上で発言しているのであれば、私のほうが詫びなければならないが。
③の冒頭には於菟吉と同じ高校卒業生というので北村薫が「三上於菟吉先輩のこと」という短文を寄せており、その中で長年伝えられてきた某於菟吉作品の粉本がサッカレー「双生児の復讐」だと放言するのは恥ずかしい間違いだと指摘してくれている。①~③の中で、ある程度以上探偵小説に詳しい書き手は北村薫ただひとりだし、少なくとも③全体の監修も北村に頼んでおけば、いくつかのミスも避けられたのに。いずれにしても、そんな探偵小説に関する不備を解消するような三上於菟吉研究本が(できれば一般商業書籍の形で)いつの日か作られるといいけど、力量と熱意を持った適任者が果して存在するかどうか・・・。
(銀) 三上於菟吉の作品で探偵小説の角書きが付いた中長篇と言ったら、上記に挙げた「幽霊賊」以外に「銀座事件」がある。あと探偵小説とはいえないかもしれないが『日本幻想文学大全Ⅲ 日本幻想文学事典』(ちくま文庫)の三上於菟吉の項にて東雅夫が紹介していた「黒髪」、ミステリ専門古書店落穂舎の古書目録『落穂拾い通信』にて巻頭のカラー・ページ上に掲載されていた「美女地獄」など、探偵小説のテイストに近い作品が存在する。湯浅篤志が『三上於菟吉探偵小説集』にどんな作品を収録するつもりなのか楽しみだ。