本巻発売の数週間前に版元より配布された内容見本を見ると、この全集における単行本初収録作はごくごく僅か。てっきり例の雑誌『黒白』未発見バックナンバーが完全に揃ったからこその新全集だと思っていたのだが、未だに探索中という。となると今回の全集の意義は三一書房版全集+ちくま文庫版全集+葦書房版著作集+α
の小説その他をジャンルごと発表順に並べ直し、旧仮名遣いを用いたテキストという事になる。
第1巻は 【小説Ⅰ】1917-1931。『黒白』『猟奇』初出の短いものと『新青年』登場から「悪魔以上」(連作「江川蘭子」久作篇)迄を収録。初期の童話は第六巻に入る予定。解題では戦前の初出誌+著書テキストをつぶさに校異しており、とりあえずこの部分は見ごたえがあった。
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ところで当全集の配本開始後に「夢野久作と杉山3代研究会」facebook からステイトメントがあって、杉山家現当主・杉山満丸のものと思われるが、
「全集について事前に国書刊行会から話はあったけれど、諸般の事情により杉山家に遺された一切の資料(写真含む)提供を遠慮させて頂く。夢野久作の遺稿・スケッチ・書簡・日記・遺品等の提供は遺族としてお断りさせて頂いた。」
というのだ。例えば絶版になって久しい『夢野久作の日記』(葦書房)は今回絶好の復刊機会だったのに内容見本に載っていなかったのも、全集の巻頭口絵ページといえば普通は作家の在りし日の写真がふんだんに紹介されるものなのに本全集にはそれがないのも、はたまた久作研究の第一人者で本全集編集委員の西原和海が「夢野久作と杉山3代研究会」に全く不参加なのも、ずっと疑問に感じてはいたがこんな声明が出されるということは何がしかの対立が起こっているとしか考えられないではないか。
もう少し具体的な例を挙げると、同じく「夢野久作と杉山三代研究会」 facebook で杉山満丸は「❛ 夢野久作 ❜ というペンネームを〝うすらばかほどの意味〟などと書いている人が夢野久作本の編集に加わっているのを見るとかなしく、情けなくなります。ペンネームの意味も理解しないで夢野久作の作品の出版に関与し、評論を書き続けているのです。」ともコメントしている。
その原因を知る由も無いが、一冊壱万円もして〝定本〟をブチ上げた決定版ならそれに相応しいものにならなければならない。ローカルというハンデを物ともせず、空疎なブームに踊らされもせず、草の根的に大衆に浸透し過去二度も全集が編まれてきた夢野久作なら尚更。
作品数が相当に多いとはいえ、横溝正史が山田風太郎のようにカテゴリ別全集さえ出してもらえず、正しい校訂どころか改悪テキスト本のほうが多く流布している現状を思えば、久作はかなり恵まれているのだ。簡単に事が収束するとはとても思えないが、全集完結予定まで四年。誰もが納得のいく内容で終わるよう願うしかない。
(銀) この記事は当全集の配本が全て終了してから扱いたかったが、現在リリース済みなのは第7巻迄で、残すラストの第8巻発売告知はまだ出ていない。あれから事態が良くなる気配も無いまま、本来この全集を彩るべき資料は(昨日紹介した)『民ヲ親ニス』の方へごっそり行ってしまった感がある。
それまでの全集/著作集と違って、西原和海が一人で書いていた過去の解説の方が楽しめたし、今回は月報の内容がとにかくつまらない。第7巻までで印象に残っている寄稿といったら佐左木俊郎宛夢野久作書簡が発見された情報しかない有様で。