2023年10月21日土曜日

『營ロ號事件』矢留節夫

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大東亞出
1943年10月発売



★★    大東亞出版社の単行本




本書のクレジットは矢留節夫になっているが、この人の筆名は十種以上にも及び、扱いに困る。その件はまた最後に追記するけれども、さしあたり耶止説夫と呼ばせてもらおう。

 

 

ここに収められた創作八篇、その殆どにおいて探偵趣味は存在しない。冒頭の「營ロ號事件」は哈爾浜行きの定期船・營ロ號が匪賊に襲撃されるストーリーだが、これを探偵小説と呼ぶのにはいささか抵抗がある。同様に「ガラパンの街」「別離」「酋長譚」「苦しみと云へど」「霧の焦點」も、かつて日本が統治していた南洋諸島/満洲/上海租界における現地の風習を軸に据えた外地小説で、描かれているのは日本人雄飛のもたらすロマンだけども、徒(いたずら)に読者を高揚させるのではなく異国で発生するシリアスな問題を教示しているような趣き。それに対し、「春日町附近」「瞑る肢體」の二篇にはやや異なるテイストが。

 

 

満洲初夏の物語「春日町附近」は旧知の娘と再会する男性主人公の苗字が耶止になっているばかりか、彼の出身校がN大とされているので、耶止説夫が実際に卒業した日本大学とも合致する。若狭邦男は『探偵作家尋訪』で〝耶止が満洲の地で運営していた出版社・大東亞出版社は春日の浪速通りと春日町が交差するところにあった〟と書いていて、これも本作のタイトルに取り入れられている町名と合致。いつも言っているとおり、若狭の言うことを100%信用するのは非常に危険なれど、この町名の件が真実なら、幾分かのフィクションが含まれているかもしれないとはいえ「春日町附近」は作者自身の私小説の可能性アリ?

 

 

そして、自殺を図った女・ソノの体が施療病院に運ばれてくる「瞑る肢體」。これだけは内地が舞台なだけでなく本書中唯一、探偵小説の範疇に入れてもよさそうな要素を孕んでいる。そんなこんなで本書は(特に探偵趣味を望む人には)強くリコメンドできる内容ではない。むしろ気になるのは巻末に載っているこの本の版元・大東亞出版社の刊行物リスト(全ての本がちゃんと刊行されたかどうかまでは確認していない)。

 

 

『安永密訴狀』久生十蘭/『左膳捕物帖』耶止說夫/『江戸天下祭』久生十蘭

 

『都會の奇蹟』土屋光司譯/『日東選手』HWベレツト作/『靑春赤道祭』耶止說夫

 

『男の世界』耶止說夫/『南方探偵局』耶止說夫/『南の誘惑』耶止說夫

 

『香水夫人』大坂圭吉/『人間燈台』大坂圭吉/『幽靈遠島船』久生十蘭

 

『靑春遺書』矢留節夫/『靑春日記』早乙女秀/『阿呆浪士』三好季雄

 

『吉野朝殉忠記』松浦泉三郎/『異變潮流』耶止說夫

 

 


大東亞出版社の刊行物のうち、次の本だけは書名だけでなく内容紹介文も転載しておこう。 

◆ 報知新聞に連載中は帝都七百萬の市民を昂奮の坩堝に湧かせた問題の防諜探偵小説

『スパイ劇場』南澤十七

怖しいスパイの毒手は延びて不幸な女性達が次々とその犠牲となつて行く不可解な謎

B6判美裝價一圓九〇錢廿錢  

南澤十七は2000年以降の復刊ムーブメントからすっかり取りこぼされた作家。「蛭」「氷人」といった大人向け探偵小説の短篇、そしてこの「スパイ劇場」を併せて新刊で出せばいいのにね。報知新聞に連載されたという初出情報もわかっているのだから。


 

 

 (銀) この作家の筆名は多過ぎて当Blogでのラベル(=タグ)表記をどうするか躊躇ったが、探偵小説の分野で一番多く見かけるのはやはり耶止説夫名義だと思うので、その名前で登録しておいた。





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2023年10月13日金曜日

『大坂圭吉研究/第3号』

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杉浦俊彦個人誌
1976年8月頒布



★★★★★   ピュアな大阪圭吉・愛





 県立高校の図書館副部長であった杉浦俊彦は昭和45年、大阪圭吉こと鈴木福太郎の長男・壮太郎氏と面識ができたことで、不運にも早逝した三河の探偵作家顕彰に目覚める。




いくら圭吉の遺族が几帳面な資料を残していて、それらを快く提供してもらったとはいえ、大阪圭吉についてまだ誰も騒いでいない時代に個人レベルでこれほど踏み込んだ内容の本を制作した功績は誠に❛あっぱれ❜としか言いようがない。それまで杉浦がどれぐらい日本の探偵小説を読んでいたかは不明だが、地元出身の作家に対する純粋なリスペクトの気持ちが全面に出ているのは誰の目にも明らかだし、半世紀前の個人誌なら手書きやガリ版刷りが当り前だったろうに、きっちり印刷・製本されている点もポイント高し。

 

 

 『大坂圭吉研究』は全四冊発行されており、今日はその中から第三号を紹介する。巻頭特集は【中篇探偵小説「抗鬼」 雑誌『改造』への掲載をめぐって】。「抗鬼」が載った『改造』昭和125月号の状況を説明、それ以前の『改造』に発表された探偵小説作品一覧、また『改造』のライバル誌『中央公論』に発表された探偵小説作品一覧もある。名の知れた作家でもないのに『改造』の編集者・佐藤績に注目しているのは杉浦が決して探偵小説のド素人ではないか、あるいは実に注意深い人だったか、どちらにせよなかなか鋭い着眼点だとお見受けした。

 

 

雑誌『ぷろふいる』を発行していた熊谷晃一、井上良夫、圭吉の弟・鈴木圭次、佐藤績、甲賀三郎、小栗虫太郎、江戸川乱歩、九鬼澹らによる大阪圭吉宛て書簡の数々が掲載されているのが貴重(複数の書簡が残存している人も)。それらのうち特に気になった文面のひとつはさっきから名前が出ている編集者・佐藤績の、

〝編輯部一同の気持を率直に申上げますと、「これが本格探偵小説だ」といふことを一度読者に示してみたいと希望してゐるので御座います。乱歩氏、大下氏、などにはさういふことを言っても、作風から考へても一寸難しさうですし、結局それを貴方に御願い申上げ度いのです。〟

と述べているもの。『改造』がそこまで本格探偵小説に拘っていたのはなんだか意外な気がするし、本格について佐藤績は案外理解していたようにも感じられる。

 

 

もうひとつは圭吉の師匠にあたる甲賀三郎の文面。甲賀は「十九日会」と言う探偵小説研究グループを作っていて、圭吉もそのメンバーのひとりだった。ただ「十九日会」の除名ルールは厳しく【特別の理由なくして三回以上連続欠席したるとき】【特別の理由なくして二回以上連続して作品を朗読せざるとき】とあり、圭吉は『新青年』連続短篇のノルマなどで動きが取れず、連続三回欠席してしまったらしい。

 

そこで甲賀、〝極端にいへば貴兄の為にこの会は出来たといっていい。原稿が書けないから欠席するといふのは非常な心得違いです。(句読点は私=銀髪伯爵による)てな調子で圭吉を追い詰めるようなことを書いて寄越す。いつもの短気で怒りっぽい甲賀の態度だが、これだけ読むと一方的に責められちゃって圭吉が可哀そうじゃないかい?

 

 

 「抗鬼」の特集であっても大阪圭吉宛ての書簡がいろいろ読めるのは有益。昭和13年以降、日本で探偵小説を発表することが困難になっていったのを杉浦俊彦がどれほど細かく掌握していたかも微妙なれど、〝大坂圭吉以後、『改造』社の探偵小説に対する情熱は急速に冷却して行った(ママ)〟と語る杉浦の指摘は、『改造』のバックナンバーを読み込んでいない私には新鮮だった。

 

 

 

(銀) 大阪圭吉に関して杉浦俊彦が制作した小冊子はこの他に、『第1小説集「死の快走船」覚え書き』と『三河にも推理作家がいた - 大坂圭吉の復活』がある。また『改造』の編集者・佐藤績は言わずもがな、江戸川乱歩に「陰獣」「蟲」を書かせるきっかけを作った重要人物。

 

 

ネットなどない昭和時代、様々な書誌情報だって今ほど容易に入手できなかっただろうに、ここまで気の利いた研究本が作れたのは杉浦が図書館で働いていたからだろうか。これら一連の圭吉研究本を読んでいると、大阪圭吉だけでなくて杉浦俊彦の人となりも知りたい、とつい考えてしまう。




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2023年10月10日火曜日

『閑雅な殺人』大坪砂男

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東方社
1955年4月発売



★★★    兎にも角にも「天狗」




大坪砂男の代表作であり、本書にも収録されている「天狗」。あそこから仰々しいレトリックを一切合切剝ぎ取って骨格の概況だけ述べるとこうなる。

 

 

その男は避暑地の温泉宿で見知った、お高くとまっている令嬢の存在が気になっている。男は腹を下してしまい宿の便所に駆け込んだところ、件の令嬢が先に入っており扉の鍵が壊れていたため、彼女はあられもない姿をモロに男に見られてしまった。どうにかして男は詫びようとするのだが、プライドが二本足で歩いているような令嬢が示すのはにべもない対応ばかり。逆ギレした男は令嬢にとって最も屈辱的な罰を与えるべく奇天烈な罠を仕掛ける。

 

 

これだけでもよくよく考えたら十分滑稽な導入である上、フツーの人からしてみれば令嬢が見事に嵌まるあの罠というのは往年のたけしとんねるずの番組でお笑いタレントがよくやらされていたシーンそっくりだし、令嬢の末路を知って爆笑してもおかしくない。つまり笑いを誘発するほど極端な要素で構築されていたから「天狗」は珍妙な傑作になり得たのだ。

 

 

本書収録作品はこのとおり。括弧内の数字は創元推理文庫『大坪砂男全集』全四巻のうち、本書の各短篇が収められた巻を示している。

 

 

「閑雅な殺人」(➋)

「白い文化住宅」(➋)

「虛影」(➋)

「花束」(➋)

「逃避行」(➋)

 

「検事調書」(➊)

「蟋蟀の歌」(❹)

「黒子」(➊)

「雨男・雪女」(➋)

「初恋」(❸)

 

「零人」(❹)

「賓客皆秀才」(❹)

「天狗」(➋)

「外套」(❸)

「胡蝶の行方」(➊)

 

 

澁澤龍彦や都筑道夫ら大坪贔屓がどれだけ下駄を履かせようとも、本書のようなラインナップで彼の作品を読むと、研ぎ澄まされているのはやっぱり初期のごく一部分だけであって、それ以外のものには空虚な感じさえ漂う。「白い文化住宅」あたりは若妻・亜子の白骨を消失させる理化学ネタが添え物になるぐらい仁科達郎と青年とのネチネチした対決が見ものだけれど、大坪本人のねじくれた資質を受け入れられぬ読み手には、いちいち持って回った語り口が癇に障るかもしれない。

 

 

「零人」も代表作のひとつながら、植物を自分の妻だとのたまう園芸家の思考を読者がどれだけ消化できるか、其処にかかっている。文中に「いや、あなたこそ気違いだ!」と園芸家が指をさされる場面があり、いみじくもこのセリフが象徴するように、他の日本人探偵作家の奇想と比べてもかなりタガが外れている大坪砂男の本質はそう簡単に理解できる類のものに非ず。

 

 

「天狗」クラスの出来ならそれなりにキャッチーだし、探偵小説中毒者以外の人々にも受け入れられるポテンシャルはあるとは思うが、大坪の場合、自身の素行が原因で作家人生を自滅させてしまった情報が流布しているため、小説そのものだけで貴乃花光司みたく妙に偏屈な人、あるいはそれ以上に(ちょっとアタマがおかしいという意味での)異端の人だと思われかねない危うい線上を死後も浮遊している。

 

 

 

(銀) 前段にも書いたが、彼の作品で良いものは初期に片寄っているため、全集を編むとなると創元推理文庫のごとくジャンル別に各巻編集しないとどうしようもない。よくあるやり方で発表順に作品を各巻収録してゆくと、面白いのは最初の巻だけになってしまい、あとの巻は全然売れず・・・なんてことにもなりかねない。



生前の大坪は「天狗で天狗」、要するに「天狗」一作の高い評価で天狗になってしまったなんて悪口を云われたりもしたが、それだけ「天狗」という短篇の威光が目映かった証拠でもあろう。





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2023年10月8日日曜日

『狂焔の魔女』渡邊啓助

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湊書房
1948年4月発売



★★★★   啓助の描く女性偶像とは




前にupした『悪男悪女』(桃源社/推理小説名作文庫)がそうだったように、この短篇集にも「狂焔の魔女」というタイトルの作品は入っていない。〝狂焔〟の形容詞にふさわしい短篇は見当たらないが、なにゆえ『狂焔の魔女』なんて書名を付けたのだろう?本書は一年前に藤田書店から出された『壁の中の女』の紙型を流用しつつ二篇を追加収録しているとのこと。前半には戦前、後半は終戦後に発表した作品を収めている。





「壁の中の女」     『冨士』昭和151月号掲載

「出た、ポオ譲りの塗り込め芸!」と煽りたいところなれど、あまりゴシック路線を期待すると梯子を外される。詳しくは書かないでおくが、両親と死別し妹と二人で洋裁店をやっている主人公・戸田綾子が他人から頼まれた事にイヤとは言えず情にほだされやすい、言うなればゴシックテイストにはそぐわぬ性格に設定されている点を押さえておきたい。それにしても塗り込め犯の結末に目を向ければ、「初期の渡辺啓助作品には倫理観が欠落している」と指摘した権田萬治の言葉に一理あるとはいえ、昭和15年の国内状況でよくお上から「伏字にしろ」とかやいのやいの注意されなかったもんだ。

 

 

「消えた啞娘」     『新青年』昭和159月号掲載

女中・お小夜が付き添う鴻巣晃子は社長令嬢であり外見も人並み以上なのだが〝啞〟のハンデを背負っている。その晃子が行方不明になり、あたふたしているお小夜の前に靴磨きの靴墨太郎が現れ、助力を買って出る。詩集を用いた暗号や探偵役を登場させてはいるが、『新青年』へ発表した短篇にしてはいまひとつ。この頃になると以前とは打って変わって明るい作風への変化が顕著。

 

 

「面影の秘密」     『名作』昭和156月号掲載

苗字のアタマに〝小〟の字が付く家ばかりを狙って押し入る不思議なコソ泥。昭和の前半ぐらいまでは幼い子供がよく誘拐されていたもんです。

 

 

「鼠座の踊子」     『新女苑』昭和142月号掲載

素性の知れぬ舞踏団アンナ・ペトロヴエナ一座が公演しているR劇場は明治以来の名建築と謳われながら今では老朽化して「化物劇場」「ネズミ座」と呼ばれている。その千秋楽当日、朝刊に〝舞姫アンナ・ペトロヴエナは本日午後九時十分から十七分の間に変死を遂げるものとして宿命づけられているのだ〟と語る心霊学者ウイリヤム・ウイルスン博士の寄稿が掲載された。

 

突拍子もない殺人方法。この手の殺しは甲賀三郎に書かせたらもっとエンターテイメントっぽくなると思うのだが、残念ながら渡辺啓助には向いていない。

 

 

「冷い薔薇」     『オール読物』昭和148月号

本文より引用。

みたところではまだ子供つぽく、それに、いつたいが着瘦せのする方で、水兵服の肩さきなど、すんなりとなだらかすぎて、ちよつと病身じみた印象さへ與へるけれど、一皮剥いて、プールの人魚になつた水着姿の由美をみると、十九の處女として眩しい美しい緊まつた肉體を持つてゐることがわかるのだ。

(中略)
 
ジヤツクナイフ
スワロー
ハーフトウイスト

(中略)

たらたらと滴を散らしながら、鐵梯子をのぼつていつて飛込臺の上に立つ。水光りする由美の軀はゾーツとするくらい美しかつた。その軀が矢庭に空間に抛り出される。見事な姿態(フォーム)が、夕明りのする大空に黒々とラインを引いて落ちて行く。

 

探偵小説として特別語るべき長所も無いストーリーなのだけど、夕刻になればたったひとり女学校のプールの飛込台に立ち見事なスプラッシュを決める美少女・銀舘由美の魅力に不思議と引き込まれてしまう。

 

 

「小さな娼婦」     初出誌不明

二十六歳の大学生で女性経験がまだ無い旗野旗吉は悪友たちに連れられていった色街で木間スミレという娼婦を見染めてしまい、自分にとってなけなしの持ち物であるヘンドンの時計を質に入れ、スミレをものにしようとする。オリジナルは「六本指の海賊」(『新女苑』昭和137月号掲載)だそうだが、「小さな娼婦」名義で初めて単行本に入ったのは冒頭で述べた昭和22年刊の『壁の中の女』なので、戦争が終わったあと「六本指の海賊」に手を加えたのではないかと推測される。



 

 

ここから下明らかに戦後の作品と確定しているもの。

 

「盲目人魚」     『宝石』昭和211011月号掲載

本作については既に『悪男悪女』の記事にて触れているので(下段の関連記事リンクを参照)、ここでは省略。

 


些細な事だが、同じ「盲目人魚」でも昭和23年刊行の本書『狂焔の魔女』と昭和33年刊行の『悪男悪女』では旧仮名遣いから現代仮名遣いへの変更以外に、テキスト上の表現で微々たる違いが見られる。



1  谷底館第一夜

『狂焔の魔女』収録「盲目人魚」 151ページ8行目

メモによると、私は、六月日の夕刻


『悪男悪女』収録「盲目人魚」  218ページ13行目

メモによると、私は、六月日の夕刻



6  もう一匹の妖魚

『狂焔の魔女』収録「盲目人魚」  206ページ7行目

本所向島丁目といふのは

 
『悪男悪女』収録「盲目人魚」  278ページ11行目

本所向島丁目というのは

 

 

「魔女物語」     『新讀物』昭和2110月号掲載

若き日の苦い初恋の想い出を甥の青年に語ってきかせる老い先短い朝倉信吉。老人はその想い出に関係するらしい女持ちの風呂敷包みを青年に渡すが、中身を見るのは絶対自分が死んだあとにしてほしいと念押しする。渡辺啓助自身の思い入れもあって、本書の中では一番の代表作になるかもしれないが、これなんかも秘密めいた湖のヒロイン・久慈怜子の存在感がすべてであって、彼女の造形を失敗していたら箸にも棒にも掛からぬ凡作になっていた可能性も無くはない。

 

 

 

 

(銀) 渡辺啓助の作品は時に〝絵画的〟とも表現され、〈トリック〉だったり〈ストーリーのひねり〉が評価の決め手にならない場合だってある。だから本書を読んでいても作品の出来どうこうより、銀舘由美(「冷い薔薇」)久慈怜子(「魔女物語」)あるいは「盲目人魚」序盤の聖河順子夫人らが醸し出す謎を秘めた美女偶像のインパクトのほうが私には伝わってくる。






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2023年10月5日木曜日

『「関西探偵/捕物作家クラブ会報」集成-戦後占領期の大衆文化』第1~2巻

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金沢文圃閣  解題:石川巧/金子明雄/川崎賢子/小松史生子/谷口基/浜田雄介/山口直孝
2023年9月発売




★★    KTSCの会報は抱腹絶倒で面白いけど

   



今回も人柱になります。詳しくは後段で。

『「関西探偵/捕物作家クラブ会報」集成-戦後占領期の大衆文化』第一回配本の内容はこんな感じ。終戦直後に探偵小説好きな人々が集って発行した各種グループ会報の復刻影印本である。




   1巻 ■ 280ページ

『探偵小説ニュースDS news』第1号~第4

19468月~194710月)

 

『関西探偵小説新人会々報』第1

19482月)

 

『関西探偵作家クラブ会報』第2号~第39

19483月~19515月)

 

『探偵小説を愉しむ会会報』第1号~第4

19483月~19494月)

 

 

   2巻 ■ 270ページ

『関西探偵作家クラブ会報』第40号~第79

19516月~195411月)

 

『日本探偵作家クラブ関西支部会報』第1号~第14

195412月~19567月)

 

 

『探偵小説ニュースDS newsというのは戦後すぐに刊行された探偵小説叢書「DS選書」(例えばこの本)などで知られる自由出版の広報誌みたいな内容だけども、〝DS讀書會 會員名簿〟といった全国各都道府県に散らばる探偵小説シンパな人達の名前も見られ、同好の士の会報的な意味合いも持ち合わせていたと考えられる。

 

 

『探偵小説を愉しむ會會報』は讀売新聞社の白石潔主導ゆえ、後日単行本として上梓される評論『探偵小説の「郷愁」について』関連の文章が載っている。以上の二紙は東京を拠点に出されたもの。書名に表記されている捕物作家クラブ会報は今回の第1~2巻には未収録。次回配本分に入るのだろう。

 

 

▢ ▢ ▢ ▢ ▢ ▢ ▢ ▢ ▢ ▢ ▢ ▢ ▢ ▢

 

 

存続年数が長く、内容的にも一際話題性に富むのは西田政治を会長に置き関西方面在住者(広島の坪田宏なども含む)によって結成された西探偵作家クラブ(=略称KTSC)の會報。主だった作家メンバーは香住春吾/島久平/天城一/戸田巽/山本禾太郎/鷲尾三郎/島本春雄/川島郁夫/山沢晴雄/矢野徹。

 

 

世情が一変し、それまでになかった日本オリジナルの本格長篇「本陣殺人事件」「獄門島」「刺青殺人事件」が生まれ、〝戦後派五人男〟(大坪砂男/島田一男/香山滋/山田風太郎/高木彬光)の登場もあってシーンは活性化していた。そんな状況を反映してか口さがない顔ぶれが集まった関西探偵作家クラブ、笑えるぐらい言いたい事を言いまくっているのが痛快。そこへ東京の魔童子(山田風太郎+高木彬光)/大坪砂男/幽鬼太郎(白石潔)も濫入、本格派指向グループと文学派指向グループの対立は箱根の西でも火の手が上がる。

 

 

関西の連中はほぼ本格派というか江戸川乱歩・横溝正史を支持していて、この二大巨頭に対し批判や悪口が発せられることはまず無い(それも極端過ぎてどうかと思うけどね)。反対に文学派の総帥・木々高太郎には罵詈雑言の嵐。こう書くといかにもギスギスしてるように受け取られるかもしれないが、議論紛糾している時こそシーンが賑やかな証拠なのであって、次第に作品や業界への厳しい意見よりも「読みがいのある探偵小説が無い」みたいなボヤキが増えてゆく。残念ながら戦後の日本における探偵小説の上向き感はほんの一瞬だったのだ。

 

 

2巻の後半になるとKTSCは東京の日本探偵作家クラブに吸収され関西支部として再出発。この頃木々高太郎が日本探偵作家クラブの会長を務めるのだが、以前あれだけ叩きまくってきた木々や大坪砂男に対する矛を収め、微温的な接し方をするのはKTSCのメンバーも本当のところどうだったのだろう?実際会合なんかで顔を合わせたら、ばつが悪くなったりしなかったのかな?無責任な読者として言わせてもらえば、KTSC會報は常に毒が飛び交っていないとつまらない。

 

 

             

 

 

さて。以前取り上げた『探偵新聞』復刻版(下記の関連記事リンクを参照)同様、本書も金沢文圃閣の本なので函入りでもなくハードカバーでもないのに二冊で47,300円。もう一回言います、二冊で47,300円。戦後すぐの印刷物だから現物そのものが不鮮明なのは仕方ないにせよ、あまりにも文字が見にくくて二冊すべて読み終えるのに相当目が疲労困憊するのを覚悟しなければならない。しかも今回の二冊が第一回配本ってことは更に第34巻、そして別巻が(発売日は知らないが)第二回配本としてそのうち出るらしい。復刻内容そのものには非常に意義があるけれど、文字が読みにくい上に、この暴価じゃ如何ともしがたい。

 

 

1990年、柏書房が出してくれた『探偵作家クラブ会報』全四巻は各巻函入りハードカバーで一冊あたりの定価は16,000円前後だった。とかくクラブ会報というのは既存の本では得られない貴重な情報が発見できたりするので、本当なら影印本ではなくちゃんとテキストを入力し直して出してくれるのが望ましい。柏書房の復刻本から約三十年経ち物価が上がっているのを考慮しても、金沢文圃閣が制作する本の価格は到底承服できぬ。★一つおまけしたのは『関西探偵作家クラブ会報』の歯に衣着せぬ毒舌ぶりが気持ちよかったから。

 

 

 

(銀) 敗戦を迎え自由にこそなったとはいえ、殆どの日本国民が生きていくのに精一杯。精神的にも皆ささくれ立っていただろうし、探偵作家達や探偵小説シンパがグループになって集いたがった気持ちは理解できる。ただそうなると会の運営だの、なんやかんやで自分の時間が失われるデメリットが生まれたりもする訳で、KTSCの會報を読んでいると香住春吾なんていつも会の雑事に時間を取られて創作どころではなかったんじゃないかなあ。島久平に至っては愛娘が重態になっているのにKTSC例会に顔を出さなくちゃならないなんて、群れることが嫌いな私からすると「そこまで会に義理立てしなくちゃならんの?」と気の毒に思ってしまう。





■ 暴価高額物件 関連記事 ■













2023年10月3日火曜日

映画『The Abominable Snowman〈恐怖の雪男〉』(1957)

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ハピネット Blu-ray
2014年10月発売



★★★    ハマーフィルムとしては異色の作品




さとう珠緒曰く〝あざとい〟と〝ぶりっ子〟は似て非なるものだそうで。彼女に倣って言えば、当Blogにて前々回取り上げたKing Kong」(1933も本日のネタであるThe Abominable Snowman」(1957も一括りに怪獣映画と受け取られがち。秘境に棲息する未知のクリーチャーを捕獲して見世物にしようとする人間の邪(よこしま)な企みは共通しているが、それ以外のベクトルは拍子抜けするぐらい異なっている。公開当時、日本の映画会社も〈恐怖の雪男〉なんて邦題を付けるから観る側は混乱させられるのだよ。



英国ハマー・フィルム・プロダクションといえば怪奇の殿堂。となれば本作でも雪男が存分に暴れまわり、観る人を心胆寒からしめるストーリーが想像されよう。本日の記事左上にある日本盤ブルーレイのジャケットにもそのような意図が見え見えなんだが、本当はどういう映画なのか少々説明する必要あり。

 

 

【 仕 様 】

日本盤  Blu-ray

字幕:日本語

ブックレットなし

 

 

【 ストーリー 】

ジョン・ロラソン博士(ピーター・カッシング)は妻のヘレン(モーリン・コーネル)助手ピーター・フォックスと共に、植物研究のためヒマラヤ奥地の僧院に滞在している。そこへヒマラヤに棲息しているという幻の生物イエティ(雪男)を捕まえるため山師のトム・フレンド(フォレスト・タッカー)一行がやってきた。実はロラソン博士もイエティについての論文を発表した過去があり、雪山の神秘への興味には勝てず妻ヘレンの反対を押し切って博士はフレンドらとイエティ探しに出発する。



                    ⛇




ヒマラヤの話なので全編オールヒマラヤロケが理想だったんだけど、モノクロでの引きの映像が美しい白銀の山岳地帯は残念ながらピレネー山脈にて撮影されたもの。主要な役者達は現地へ行っておらず、登場人物の顔がハッキリ映る場面はスタジオのセットで撮っているのが一目瞭然。ハリウッドの大作じゃないし、そこまで予算がある訳でもないからこれはやむを得ず。





 

 





本作の困った点はポスターやタイトルで恐怖を煽っておきながら、いつものハマー・フィルムのように直球ホラー・テイストになっていないところ。よく聞かれるのが「最後の最後でしかイエティ姿を現わさないじゃないか!」「イエティちっとも狂暴じゃないやんけ!」といった批判の声。物語中盤、トム・フレンド一行の中のひとりが銃でイエティを一匹仕留めるのだけど、そのシーンしかりイエティはいつも手首から先しか映らず、雪山には何匹かのイエティが存在しているようなのだが遠吠えしか聞こえない。万人に解り易い〝More〟な演出とは対照的な〝Less〟の演出を受け入れられない人にはまったく向かない映画なのだ。



アーノルド・マルレ演じるラマ

 


そもそも脚本の方向性をもう少しピシッと定めるべきだったと私は考える。本作でのイエティは人間に害を与える存在ではなかったのに、〈忌まわしい雪男〉だの〈恐怖の雪男〉だの物々しいタイトルを無理に付けるからヘンなことになってしまった。しかしそうは言っても僧院のシーンで流れるobscureな音楽、そして僧院の長であるラマの怪しげな雰囲気、映画のストーリー用に妻ヘレンを設定したことでロラソン博士に迫り来る危機のサスペンスが一層盛り上がって、私はこの映画それほどつまらないとは思わない。ブルーレイの収録内容さえ不満が無ければもう少し良い評価にしたのに。




ついに姿を現わしたイエティ





                    ⛇





【 ソフト購入時の注意点 】

ボーナス・コンテンツが充実している北米盤ブルーレイと違って、日本盤ブルーレイは旧日本盤DVDに入っていたピーター・カッシングのハマー作品出演紹介映像はおろか、予告編さえ入っていない。何やってるんだハピネットは。

 

北米盤ブルーレイは本編が90分バージョンで収録され、日本盤ブルーレイに採用された85分バージョン(日本語字幕なし)はボーナスとして観ることが可能。ただ海外のフォーラムでは(この日本盤ブルーレイでは観られない5分間のフッテージがそうなのかは解らないが)「基本HD画質なのに一部SD画質が混在しているのが気に入らない」「なぜ全編キチンと最良のレストアをしなかったのか?」というクレームが上がっていた。

 

先日記事にしたサイレント映画「Der Hund Von Baskerville」(1929)だって、基本は35mmフィルムだけど一部失われている箇所は9.5mmパテ・ベビー・フィルムで補填していて、その部分は画質にギャップがあるんだし「The Abominable Snowman」も少々SD画質になったってかまわないのに。その他にも、向こうの人に言わせると英語字幕の付け方が手抜きらしい。日本語字幕の無い海外盤では英語字幕が頼りなのに、これではイヤだったから私は日本盤ブルーレイを買ってしまった次第。

 

 

 

(銀) アメリカでは「The Abominable Snowman of the Himalayas」のタイトルで公開されたため、北米盤でもそのタイトルが使われている。



2019年にリリースされた北米盤ブルーレイ




2023年10月1日日曜日

『横溝正史「犬神家の一族」草稿(二松学舎大学所蔵)翻刻』近藤弘子/品田亜美/山口直孝(編)

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二松学舎大学山口直孝研究室 解ブックレット〇〇Ⅲ
2023年5月頒布



★★★    犯人を誰にするか、正史は模索していた





二松学舎大学は2022年、所蔵している横溝正史旧蔵資料のうち原稿・草稿類をデジタルデータ化。『オンライン版 二松学舎大学所蔵 横溝正史旧蔵資料』と題してアーカイヴ・データを発売したのは知っていたが、なんせフィジカルな豪華文献でもないのに価格が税抜三十万円という代物。学術機関のみの販売だそうだが、希望すれば個人にも売ってくれるのかな?その辺よく解らないし、私には縁の無い話だった。




そんなアーカイヴ・データの中から、「犬神家の一族」の草稿だと確認が取れた一五七点をピックアップして小冊子にまとめたのがコレ。当然横溝家に残存していたのは最終完成形原稿ではなく、反故(=書き損じ)になったものばかり。しかも物語の序盤、犬神家の人々を前にして古舘弁護士が遺言状を読み上げるあたりまでしか草稿は残っていない。




正史は遺産を争うストーリーにしようと思い立ち、いつもの創作スタイルとは違って系図や年表を準備する。「古舘弁護士」の章に注意を向けると、最終完成形テキストにて〝若林豊一郎を殺した人物は〟と記述されている箇所が、本書52ページの草稿段階ではまだ〝若林豊一郎を殺したは〟になっていて、「犬神家」の連載終了後「殺される人間はきまっていても、さて、犯人を誰にするか、ハッキリ考えがまとまっていなかった。」とエッセイにて内幕を語っていた正史の言葉が裏付けられ、「なるほどなるほど」と思わず膝を打ってしまうのである。

 

 

34ページの草稿を見ると、犬神佐兵衛翁の三人の娘たちの名前が(峯という字を消して)松子・(竹子という字を右横に並べつつ)岸江・濱子に、84ページの草稿では青沼静馬の母の名が青沼梅代乃になっている(後者は読み取りミスで正しくは青沼梅乃じゃない?)。本書は上段に草稿図版、下段にその翻刻が記されているのだが、草稿図版だけ見て、書かれている文字を紙面上で読み取るのはなかなか難しい。オリジナルのデジタルデータだったら、くっきり見えるのだろうか?

 

 

内容からして、ここに翻刻された草稿内容は将来再発されてゆく「犬神家の一族」テキストに反映されるべきものではないが、初出誌発表に至るまでの過程を知る意味では、正史の試行錯誤がいろいろ発見できる。

 

 

 

(銀) 三十万円のアーカイヴ・データってどれぐらいのデータ量なんだろう?オンライン版と謳っているのだからユーザーはディスクなどといったメディアで入手するんじゃなくて、単なるアクセス権の購入ってこと?




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