2020年9月30日水曜日

『大坪砂男全集/①立春大吉』大坪砂男

2013年2月4日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

創元推理文庫  日下三蔵(編)
2013年1月発売



★★★★★  文体に好き嫌いがあるかもしれないが、
         このドラマツルギーには抗えない磁力がある



カミングアウトすると、私は小栗虫太郎のゴテゴテに装飾された文体がそこまで好きではない。澁澤龍彦が虫太郎と並んで偏愛する大坪砂男も、程度や質の違いこそあれ他の探偵作家がやらないような独特の装飾文体を特徴とする。戦後派五人男の一人であるこの男は明治37年の生まれ。横溝正史より2歳年下なので戦前デビューしていてもおかしくはなく、遅咲きなのだ。


 

 

第一巻となる本書は謎解き要素の強いものを集めた内容。読み始めた時はその過剰な言い回しに鬱陶しさを感じていた。ところが、冒頭の鑑識課・緒方三郎技師もの四篇を過ぎた頃には紙面に引き込まれている自分に気付く。



三代にわたり、未明の古井戸で頭部を砕かれて屍となる白無垢姿の女たち
「三月十三日午前二時」)

闇の崖から舞い上がる龍・鳴く骨壷・妖しき光を放ったその骨壷から現れた赤児
「大師誕生」)

未亡人となった嫂を娶った弟の前に出征で死んだ筈の兄が帰ってきた三角関係が起こす恐ろしき悲劇「涅槃雪」)



抗い難いそのドラマツルギーには、文体が気になる事さえ忘れてしまう。私の考える大坪砂男の上出来な作とは「チェスタトン流儀の謎・トリック」と「終戦直後における脂がのりきった時期の横溝正史が描く和の趣き」を融合した感じに仕上がったものだと思う。「黒死館殺人事件」のように埃及の古文書でも読むようなしんどさではなく、ひとつひとつの語彙や節回しを執拗に選び抜いた語り口だから、一度ハマれば抜け出せなくなる人もいることだろう。

 

 

今回の全集では薔薇十字社版全集(昭和47年)未収録分を大幅増補とのことだが、本書では「浴槽」「贋作楽屋噺」そして窪田般彌の旧全集書評の三点にとどまった。この点は第二巻以降に期待したい。『新青年』に掲載された抜打座談会事件で本格派作家(特に高木彬光)の怒りを買ったり探偵作家クラブ資金問題で文壇を追われたり、良家の出にもかかわらず非業の人生を送った大坪砂男。だが没後二度もこんな立派な全集を出してもらえるのだから、禍福は糾える縄の如しとはよく云ったものだ。




(銀) 2020年7月14日にこのBlogで取り上げた渡辺温『アンドロギュノスの裔』もこの大坪砂男全集も、元は薔薇十字社で出ていたものを拡大版として文庫化したもの。福永武彦にしても『完全犯罪 加田玲太郎全集』はこれまで出ていたものの文庫化だし、『深夜の散歩 ミステリの愉しみ』だって前に他社の文庫で流通していた訳で。

 

 

日下三蔵が選集をプレゼンした海野十三なども一応出てはいるけれど、創元推理文庫が近年出してきた日本探偵小説の企画って、既刊本のリニューアルに頼ってばかりだったようにも見える 。東京創元社の社長が長谷川晋一だった二十年間はこんな感じが長く続いたので、新社長の渋谷健太郎にはオリジナルの企画を打ち出して攻めに出てもらいたい。