ここに収められている五短篇はいずれも戦後に書かれ発表されたもの。本書における収録順ではなく、初出誌発表順に見ていくとしよう。
♯ 「盲目人魚」 『宝石』昭和21年10~11月号掲載
敗戦にて悲惨な傷を負わされた者達がひっそり湯治している人里離れた奥上州温泉の風情がよく伝わってくる(もう長いこと行ってないけど、温泉はイイよね~)。
なにげに鉱毒に関する記述があって、浜田雄介は「盲目人魚」を再録した『渡辺啓助探偵小説選Ⅰ』解題の中で遠慮気味に本作を「社会派の先駆け?」と評しているが、その部分は単なる枝葉にすぎない。話の後半になると、主人公は本所向島という東京都内でも(昔は)ガラのよろしくなかった地区に探りを入れるため足を運びもするが、この作品はシンプルに〈温泉ミステリ〉と捉えて差し支えないと思う。
初出誌からテキストを起こした『渡辺啓助探偵小説選Ⅰ』では「インテリの刺青」までを前篇、「矢毒とイマジネエション」以降を後篇と銘打っているが、この『悪男悪女』では前篇後篇表記は省かれている。本作が『悪男悪女』の前にも単行本に三度収録されている点は注目していい。
♯ 「ミイラつき貸家」 『宝石』昭和24年7~8月号掲載
このタイトルを見て読者は「ハハ~ン、取り憑かれてミイラを自分で製造する奇人の話か」と想像されることであろう。なんだろうなあ、〈ミイラ製造の狂気〉それと〈美しきファム・ファタールへの執着〉、このふたつの素材は実に魅力的ながら、偏愛対象を二代にしてしまったせいで彼女たちの妖しい美のアピールが片手落ちになっていたり、芦名邸の同居人・瀬渡桂彦の動かし方がいまひとつだったりで、残念ながら満腹感は得にくい。本作は戦時下~戦後の渡辺啓助作品から良作を選りすぐったという平成13年の単行本『ネ・メ・ク・モ・ア』(東京創元社)に再録されたけれども褒め称えるにはもう一息。
♯ 「黒い扇を持つ女」 『宝石』昭和24年12月号掲載
自分の保身のため恋仲になった女を実に酷い目に遭わせる教師時代の千崎仙助はサイテーな男。しかも片輪になるぐらいの被害を受ける女性というのが、外見は美しく資産家の娘でありながら特殊部落出身の一家という理由で、周りから差別的な目で見られている不幸な娘。文中に何度か出てくる〝ちょうりんぼ〟という言葉は長吏(ちょうり)、つまり賤民を意味する。
書き方によっては前述の「盲目人魚」よりもむしろこちらのほうが社会派というか問題提起作になりそうな気がするが、渡辺啓助の美意識はそのようなシリアスなテーマをプロットの軸に選ぶことを良しとはせず、黒い扇を持つ女/女スパイ・陳萬珠の登場(?)によって話がちとゴチャゴチャしてしまった感あり。全体を俯瞰すると決して成功しているとは言えぬ内容なのに、メインキャラ千崎仙助と納戸まさ子の二人が読者に残す印象はなかなかに鮮烈で、下段にて紹介する昭和30年代の渡辺啓助作品よりもずっと心に残る。『渡辺啓助探偵小説選Ⅱ』に再録。
♯ 「素人でも殺せます」 『新生』昭和33年7~8月号掲載
2022年初夏に皆進社から発売された『空気男爵』(渡辺啓助)に再録。この新刊に収録されていた啓助作品は連作長篇「空気男爵」をはじめ殆どのものが〈コメディ〉と呼ぶレベルではないにせよ明るめの演出が施され、「盲目人魚」のようにネットリとした感触のアトモスフィアーは避け、作者自身とは年齢が離れた(1950年代以降当時の)現代的な若者(特に女性)を題材の中心にしている印象を受けた。
よくこのBlogで指摘している事だが、戦前に青春時代を送った作家からしたら(仮にその人の作家デビューが戦後であったにせよ)彼らが若さを謳歌していた時期というのは、どう足掻いても戦前という過ぎ去りし昔の話で。敗戦の混乱が徐々に落ち着き、国内の世情が明るさを取り戻してきていたとしても、戦前世代の作家達が小説の中で描く戦後の若者像には、中高年が無理して若者の素振りを真似ているようなズレが生じてしまうのが哀しい。本作を書いた昭和33年、啓助は既に58歳。昭和の58歳は令和の58歳と違ってはるかに老齢である。「ハイティーン」と書くべきところ本作で「ハイテーン」と表記しているのを見たら、昭和30年代であっても当時のティーンはやっぱり年寄り臭く感じたのではないかな。
国破れ灰燼と化すという、それまでの歴史上前例の無い悲劇が日本に降りかかってきて、昭和20年8月15日の前と後では凄まじい程の文化の分断が生まれた。敗戦前に十代~二十代を送ってきた作家が敗戦後に青春期を迎える若者像をビビッドに描こうとしたところで、そこにはPC/携帯の出現以前に青春期を迎えた今の中高年に対するどっぷりスマホに洗脳された若者世代以上の、どうにも埋め難いジェネレーション・ギャップがあったに違いないのだ。だってそれまで学校で〝白〟だと教えてきたものを、戦争に負けて天皇が玉音放送を流した途端に手のひら返しで〝黒〟だと教えるんだもの。そりゃショックで日本人の人間性も変わるわな。
戦前探偵作家が戦後に書いた作品の問題点について取り留めもなく書き連ねてしまったが、渡辺啓助だけでなくほぼ全ての戦前探偵作家にとっては1950年代から、江戸川乱歩逝去後やっと社会派ミステリが飽きられ、ディスカヴァー・ジャパンの波に乗って乱歩・横溝正史・夢野久作のリバイバルが台頭してくる1960年代半ばまでの数年間というのは、どんなカードを切ってもうまくいかない不幸な時代であり、「素人でも殺せます」のような作品もそんな時代の産物だという事を私は述べたかったのである。
♯ 「一日だけの悪魔」 『大衆読物』昭和33年10月号掲載
この作品、『悪男悪女』以降の単行本には再録されたことがないのでは?(違ってたらゴメン)某新聞にて「身の上相談」欄を担当している宇原清志のもとに、直接対面で「意見を伺いたい」と妙な男がやってきて、その男が語る強盗事件にいつのまにか宇原が巻き込まれてしまうというストーリー。『宝石』とは異なり『大衆読物』という雑誌はチープなカストリ・マガジンらしく上品ではないエロ・テイストがあり、事件発覚のオチもあるものの特段付け加えることは無い。
(銀) 皆進社版の水谷準『薔薇仮面』しかり次に出た渡辺啓助『空気男爵』も、誰でも気軽に読めるようになった事は素晴らしいが内容的には褒めたい箇所が見つからず、『空気男爵』収録作と発表時期が近いものが半分を占めているこの『悪男悪女』を取り上げた。〝悪男悪女〟というのはあくまで書名であって「悪男悪女」という作品がこの本に入っている訳ではない。ここで『悪男悪女』を★4つにしたのは矢張「盲目人魚」と「黒い扇を持つ女」が載っているからかな。
渡辺啓助は2002年永眠、101歳。もともと戦後の啓助は若い世代と接する機会が多く、「新青年」研究会の古いメンバーなどは啓助と親しい交流があった。戦前から活動していた探偵作家と会うことができたのだから、既に亡くなってしまっていた他の探偵作家に比べて、自然に彼らは啓助への親愛の情を深めたことだろう。そういう理由もあり「新青年」研究会において渡辺啓助(そして弟の渡辺温)は、他の探偵作家よりも幾分か贔屓の度合が強いような気がする。若く新しい読者はこの辺の内部事情を押さえた上で日本探偵小説の世界に踏み込んでいった方がいい。