2020年7月5日日曜日

『横溝正史研究 2 』

2010年8月10日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

戎光祥出版 江藤茂博・山口直孝・浜田知明(編)
2010年8月発売



    映像も結構だが、肝心の「作家と作品」の研究は?
 



延々遅れ続けてやっと出たのがこの映像特集号。2010年春の立教大学機関誌『大衆文化』の中で本書編集主幹の江藤茂博が「横溝正史は角川商業主義と結び付く事で永く温めていたメディアミクス戦略を体現できたのだ」と大言していたが・・・・ただ失笑。角川ブームの根深い弊害で、正史について的外れな扱いが多いのには全く閉口する。




「小説と映画は全く別物」「自作のテレビ化には非常に消極的であり懐疑的」「願わくば原作どおりにやってほしい」___これ全て『真説金田一耕助』で吐露されている正史自身の言葉だ。角川ブーム以降の映像化については気をつかって寛容に観ているけれども、遂には「もういいかげんにしてえな」と嘆いた。

 

 

そうなのだ。正史は「探偵小説一代男」とマニフェストし、小説の執筆のみに執念を燃やした人。メディアミクスを目論んだ事実なんてどこにもない。なのにこうも小説は棚上げして映像最優先ってどういうこと?金田一以外にも耽美もの/ヒネリの利いた傑作短篇/ユーモアもの/由利麟太郎・三津木俊助シリーズ/時代もの/少年もの、更に編集者/翻訳者/エッセイストとしての顔等々、正史その人と作品に焦点を合わせる、それが横溝正史研究じゃないの?

 

 

江藤茂博・山口直孝のふたりは金田一の有名長篇以外ろくに正史を読んだ経験がないのだろう。西口明弘(木魚庵)が参加するとこれだから困る。しかるべき特集で少なくとも5号ばかり出した上での本号の内容だったらまだ受け入れられたかもしれない。読みどころがない訳じゃなく正史が翻訳したアルデンの論考とか良い頁もあるだけに、正しい視点を持つリーダーの不在が致命的と言える。

 

 

正史没後30年。創刊号の参考文献目録でわかるように、真っ当なテキスト・クリティックスを取り上げた商業誌は殆どなく、外堀的な映像関連の本ばかり。まともな横溝正史文献そして正しいテキストで校訂された横溝正史全集を一体いつになったら我々は読めるのだろうか?

 

 

 

(銀) 二松学舎大学のセンセイ、特に江藤茂博は横溝正史の著作というよりも活字を読む習慣それ自体がなさそうだ。この人の著書に『オタク文化と蔓延する「ニセモノ」ビジネス』という本がある。それってまさに自分自身のことじゃないの?

 

 

ところで横溝クラスタっていうんですか? とみに映像作品がお好きらしいその手の人達に対して素朴な疑問がある。今世紀に入ってから日本の地上波で明智小五郎や金田一耕助のドラマが作られる時、他に選択肢はゼロであるかのように名探偵役にはほぼジャニーズ・タレントがキャスティングされるけど、何かTV業界でそういう決まりでもあるんですかね?

 

 

あの会社って何かあるとすぐワケわからん強権を発するでしょ。『古畑任三郎』が再放送される際、木村拓哉の回とSMAPの回はだいたいトバされる。稲垣吾郎金田一シリーズはあんなにネットでオタの人達がソフト化して!って言ってきたのに商品化どころか再放送さえしてもらえない。まして彼はジャニーズを辞めたから余計に稲垣金田一の商品化と再放送の可能性は無くなったかもしれない。そんな事されても、まだジャニーズの名探偵が見たいですか?

 

 

話が横道に逸れるが、なんでジャニーズが嫌かといえば上記のような強権しかりゴリ押しブッキングがエグいから。木村拓哉主演のドラマでも中居正広(彼もジャニーズを退社したが)のバラエティでも必ず下っ端ジャニタレがまぎれこんでいて、その内デカいツラをするようになってゆく。他にも例えば山下達郎。「僕はゲーノー人じゃない」とか言うが、どう見てもジャニーズの裏・役員だし、偽善的な発言とタイアップがらみの仕事しかしなくなって(昔は好きだったけれど)今はただ嫌悪しかない。

 

 

他の巨大芸能事務所アミューズにしてもそう。大河ドラマで福山雅治が主演をやれば翌年には同じ事務所の上野樹里が主演に選ばれる。オスカーの剛力彩芽はネット上では〝ゴリ押シアヤメ〟と揶揄されている。そのような実力も深みも無いタレントが主演になり、金もクリエイティブな才能も無いTV局(映画界もそう)が横溝正史作品を映像化したところで何がそんなに面白いのか、私にはちっとも理解できない。