2023年6月1日木曜日

『密林の医師』渡辺啓助

NEW !

盛林堂ミステリアス文庫
2023年5月発売



★★★   「幻の一冊をここに復刻」って言っても、
               テキストの底本は初出誌を使用




日本が戦争に負けてしまった為、たとえ探偵作家が書いた作品であっても戦時下に発表され国策協力をベースにしている内容だと、その殆どは「今日読むに堪えない」といった物言いで冷遇され復刊の対象にもなりづらかった。良くも悪くも権田萬治『日本探偵作家論』の影響は大きかったですな。少しずつ風向きが変わってきたのは2000年を過ぎてから。ど定番級の本格・変格並みに評価を得られるポテンシャルを持った良作を望んではいけないが、「色んな作品が読めるようになったほうがいいじゃん」みたいな感じで、国策協力探偵小説(なんとも厳めしい名称なり)とて徐々に新刊本で扱われる機会が増えてきたのは決して悪い話ではない。




『密林の医師』も国策協力的内容ではあれ、この二十年に亘り渡辺啓助の新刊はチョコチョコ世に出ていたから、本書に入っている短篇のひとつやふたつぐらいはそのどれかに収録されているような気でいたが、見事にひとつも無し。渡辺啓助はまだまだ復刊されていない作品がワンサカ残っているのである。八つの短篇はいずれも、本書の元本である春陽堂文庫版『密林の医師』に先行して既に流通していた渡辺啓助著書へ収められていたもの。春陽堂文庫版『密林の医師』が初収録の場となった作品はゼロ。以下、括弧内はその短篇の初刊本を示す。



◘ 「密林の医師」(『陸鰐島の虜囚』)

◘ 「異境冒険小説 陸鰐島の囚人」(『陸鰐島の虜囚』)

◘ 「ジャガタラお春」(『陸鰐島の虜囚』)

◘ 「ビルマの桜吹雪」(『陸鰐島の虜囚』)

◘ 「冒険小説 チベットの雪豹」(『陸鰐島の虜囚』)

◘ 「伝記小説 無装荷松前」(『陸鰐島の虜囚』)

 

◘ 「沙漠のヨシツネ」(『沙漠の地下廊』)

◘ 「砂底の聖火」(『沙漠の地下廊』)

本書に見られる「砂底の聖火」の〝砂〟という字だが、ちょっと調べてみたら初刊本の『沙漠の地下廊』も初出誌の『新青年』も〝沙〟のほうを使っているみたいなのに、なぜ「砂底の聖火」と表記を?本当に『新青年』では「砂底の聖火」になってるのか?

 

 



今回の盛林堂ミステリアス文庫版『密林の医師』は日下三蔵の蔵書整理に定期的に駆り出されている盛林堂書房店主・小野純一が、春陽堂文庫版『密林の医師』を日下が所有しているのを知り新刊として出そうと決めたという。誰に尋ねてもまず間違いなく春陽堂文庫版『密林の医師』はお目にかかるチャンスのない文庫本だが、前述したとおり、ここでしか読めない作品は無い。(とはいえ『陸鰐島の虜囚』も『沙漠の地下廊』も十分に稀少本だが)



『密林の医師』を復刊するというんで、てっきり日下の持っている春陽堂文庫を底本にしたのかと思ったら、あまりにもお宝だし触りすぎて破損するのが心配だからすべて初出誌のテキストで代用したとあって思わず吹き出してしまった。本のノドを開いていちいちコピーを取るのは危険行為ゆえ気持ちはわからんでもないけれど、どうせ古本ゴロ仲間なんだからその文庫を小野個人に貸してやって、コピーを取らず現物を見ながらテキスト入力させるってのを日下は認めてやらなかったのかね。春陽堂文庫版を底本にしないのならば「幻の一冊である春陽堂文庫版『密林の医師』をここに復刻」なんて大袈裟に銘打つ必要は無い。

 

 

初出誌での発表から初刊本収録へ至る段階で作品名を微妙に調整したり、渡辺啓助が何らかの手を加えているのは明らか。だから『陸鰐島の虜囚』『沙漠の地下廊』の両方を持っている人でも初出テキストを使って制作された盛林堂ミステリアス文庫版『密林の医師』は読む価値がある。さりとて昭和20815日のほぼ一年前に刊行された春陽堂文庫版『密林の医師』については、時期的な状況を考えても春陽堂文庫用に『陸鰐島の虜囚』『沙漠の地下廊』のテキストを啓助が再びいじった可能性は限りなく低い。つまり『陸鰐島の虜囚』と『沙漠の地下廊』に収録されていた八つの短篇のテキストと、春陽堂文庫版『密林の医師』全八篇テキストはおそらくほぼ同じであろうと私は想像する。せっかく滅多に出てこない本を持っているんだから、そこんところを確認して解説に記すべきなのに、日下三蔵は春陽堂文庫版を一字一句読んではいないっぽい。

 

 

 

(銀) せっかく読みにくい作品を新刊で出す良い行いをしていながら、日下三蔵や小野純一の言動の裏に透けて見えるのは、作品の内容ではなくレアだとか稀少とかその手の価値目線のみ。実は盛林堂店主の小野純一って、古本を売る立場なのにちょっとレアな本がヤフオクに出ていると気張ってせっせと落札しているって皆さんご存知でしたか?そんな暇があったら善渡爾宗衛の本の校正でも手伝ってやるか、ろくにテキスト入力もできぬ善渡爾にあこぎな同人出版なんて即刻やめるようきっぱり宣告してやればいいものを。