戦時中、日本の統治下にあった台湾にて刊行された林熊生の『船中の殺人』。以前記事にしたオンデマンド出版の〈捕物出版〉が〈大陸書館〉という姉妹レーベルを立ち上げた。魔子鬼一『牟家殺人事件』に次ぎ、大陸書館が出す二冊目の本として「船中の殺人」が選ばれたので、最初はこの大陸書館版も入手するつもりでいたけれど、これまでの〈捕物出版〉の新刊よりも楽天/hontoでの発売が遅い・遅い・遅い・・・。
情報によれば、大陸書館の林熊生再発に使用される底本は2001年にゆまに書房が発売した『日本植民地文学精選集』台湾篇⑬の林熊生の巻らしい。ゆまに書房版には解説が付いていたようだが大陸書館版には無いみたいだし、初刊本と思われる1943年に東都書籍臺北支店から刊行された(パラ紙もかかっていない)『船中の殺人』を持っているので、再発ではないオリジナルのこちらをblog用に使うことにした。だから、いつもみたく再発によって変に改悪されていないテキストなのかどうかのチェックはパス。戦前の東都書籍版は結構誤植があり、ゆまに書房→大陸書館がどう処理しているのか気になるところではあるけれど。
林熊生こと金関丈夫はれっきとした日本人学者なんだが、台湾の大学に属していた時どのような経緯で探偵小説を書こうと思ったのか、さっぱり解らない。つまりこの人の再発に解説を必要とするのはそういう理由で、私はゆまに書房版を持ってないから彼の探偵小説は書下ろしなのか、それとも台湾の雑誌に発表されたものなのかが五里霧中。
✾「船中の殺人」
大陸書館版の表紙には長篇探偵小説とあるが、実際のボリュームは中篇。台湾から内地へ向かう客船の一室で発生した殺人事件に臺北南署の木暮刑事が挑む〝本格〟を意識した物語。最後の一行に「国防献金」というワードが見られるから、大日本帝国は戦争にのめり込んでいて国民への締め付けがかなり進行していた筈。とは言うものの、内地ではお上から明確な禁止令が出ていた訳ではなく、狂える自粛のせいで探偵小説が抹殺されたのを現代の私達は知っている。台湾ではその辺意外に自由というか、民衆の意識も多少違っていたのだろうか。
兇器や指紋のトリックは普通に好印象だし、この時代の探偵小説専業でもない作家でここまで書けた例は珍しい。容疑者への疑惑のアングルがクルクル変わってゆく過程も悪くないので、語り口のテクニックを持ち合わせていればもっとサスペンスが増しただろうし、せっかく船内の見取図まで用意したんだから、読者にフェアな謎解きを挑戦できるレベルにまでシチュエーション作りを突き詰められたら・・・と高望みは尽きない。ちなみに 四十二(章)に入る直前、東都書籍版でいうと159頁2行目にこういう一文がある。
木田が二十八號室に手拭を探しに入つて廊下にゐなかつた時間は、
この二十八は二十七號室の間違い。大陸書館版を買った方はここをチェックしてみて、この部屋のナンバーが正しく二十七に訂正されていれば、大陸書館もしくはゆまに書房がちゃんと内容をよく読んでテキストのチェックと校正をしている可能性が高い。
✾「指紋」
こちらは短篇。久方ぶりに金庫破りに着手した陳天籟は現場に指紋を残す致命的なミスをしてしまった。途方に暮れた陳は顔馴染みの若い医者・周混源に頼んで、自分の指に他人の指紋を移植する手術をしてもらう。これで彼の指は警察が認識している指紋ではなくなり危難を免れたかに見えたが・・・。これを読んでも林熊生はストーリーテリングが上手いとは思わないが、巧みにプロットへ捻りを利かせる点は褒めていい。
(銀) 昔、この本を買って読んだ時よりも読後の印象が良かったので、マイナス点もいろいろあるが高評価にした。但しそれは東都書籍版のことで、大陸書館版とゆまに書房版は目を通してないから何とも言えない。テキストの仕上がり次第だね。いずれにしろ、大陸書館から次に出る予定の『龍山寺の曹老人』は未読ゆえ買うつもりでいる。
でもどうして捕物出版=大陸書館はAmazonと他のサイトの新刊発売開始時期にこんなにも差を付けるのだろう? よんどころない事情があるのか、それともAmazon盲信派なのか。前者だったら仕方がないけど後者ならば困ったものだ。