✾「街の毒草」(『婦人倶楽部』昭和7年8~12月号)
(昔でいう)中學四年生になる佐村淸二郎少年は自宅二階の窓から萬年筆を落っことし、ペン先が偶然窓の下を通りかかった妖艶な美女の足に刺さってしまった小さな偶然から、謎めく異性の存在が彼の頭の中を占めてしまう。だが、その女・山路愛子には子供ごときじゃとても渡り合えぬ、蛇のような狡猾さを持った色と欲の監視が常に注がれていた。愛子の為に、やってはいけない行為をしでかしてしまう淸二郎。のっぴきならない状況へ追い込まれ二人は当てのない道行きに・・・。
宇陀児の得意とする子供目線で描かれた中篇。婦人雑誌読者の母性本能をくすぐるには恰好のストーリーだし、ですます調の文体も年上の女性に対する少年の思慕を表現するのに効果的。正木不如丘を模した淺木不如山という名前が出てきてニヤッとさせられたり、宇陀児の数少ないレギュラー・キャラクター俵巌弁護士も出演しているが、同業探偵作家の探偵キャラと違って、彼は表舞台で目立つような役割ではない。古めかしさが味わい深い一品ではあるが、ラストのセリフを読むと淸二郎の両親は楽天家っちゅうかC調っぽい。
✾「指」(『オール読物』昭和12年5月臨時増刊号)
ある晩、既に寝入っていた虎太が匕首のようなものでズタズタに襲われ殺されてしまう。貞代に横恋慕する禮吉こそが下手人と思われたが、事態は実に意外な方向へ。こういう肩透かしを喰わせる些細なヒネリが戦後の日本探偵小説ではあまり見られなくなった。宇陀児好きの読者であってもすぐ頭に浮かんでくる作品ではないし、これも素材として古さは否めないけれども、そのちょっとした佳作っぽさがイイのである。
✾「狂氣ホテル」(『冨士』昭和13年夏の増刊号)
もうすぐ我々現代人の暮しの中で、当り前な存在になってゆくかもしれないAIロボット。それを宇陀児はこの時代にもう着想しており、ホテルの給仕用人造人間として登場させている。ゆえにSFものとして見る事もできるのだが、話の展開はいまいちSF的ではない珍作。なんてったって、ここで事件に利用されるロボットはボディ内部の精密機械をくり抜いた、といえば聞こえはいいが、単なるハリボテ状態な扱いだし全力脱力するのは必至なのだから。「狂氣ホテル」しかり本書に収録されている作品はどれも、宇陀児の健在な時代においても、こののち著書に収められる機会が無くなっていく。
✾「地底の樂園」(『奥の奥』昭和11年4~5月号)
身寄りのない菱村家の姉妹。妹・春代は濃硫酸を大量に飲んで自殺を図り、姉の砂貴子が駆け付けた時にはすでに遅く、血を吐き苦悶するばかりの状況で、姉に何か言い残す事もできぬまま妹は断末魔を迎えた。春代の部屋からは「自分は桐澤という色魔に弄ばれ、妊娠させられたまま捨てられたゆえ、斯様な道を選ばざるをえなかった」と書かれた遺書が見つかる。S飛行機制作所の若手専務として好き放題女を食い散らかしている桐澤に鉄槌を下すべく、砂貴子は藤枝洋子なる有閑マダムに化けて桐澤に近付いてゆく。
言わずもがなの復讐譚ではあるが、砂貴子をたったひとり犯罪者にさせないあたり人情派・宇陀児の面目躍如ってとこか。それとこれはマニアックなチェック・ポイントだけど、上に記したように「地底の樂園」は戦前に書かれた作品であり、エンディングに「陸軍省」「機密圖面」なる単語が出てくるのだが、戦前の日本軍部を連想させるワードは敗戦後に出た本では軒並み削除されるのが常道なのに、本書ではなぜか生き残っている。GHQの小うるさい検閲がチェックしそこなったのか、あるいは「この程度ならOK」とスルーしたのか、どっちだろう?
(銀) 神奈川県大磯で実際に起きた坂田山事件(昭和7年5月)の悲劇に乗っかった松竹が、『天国に結ぶ恋』という映画を急ピッチで制作。それが大当たりしてメディアも騒いだものだから、この頃恋人同士の〝心中〟が流行した。発表時期を考えると「街の毒草」も、この流行の波をかぶっているのは間違いない。