2021年11月25日木曜日

『街の毒草』大下宇陀児

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自由出版 DS選書
1946年10月発売



★★★★★   全ての作に傑作感はなくとも
             溢れる宇陀児らしさが好ましい

 

 

90年代以降いろいろ再発されている大下宇陀児の作品だが、このDS選書に収められているものは残念ながら、いまだ新刊に収録してもらえない状態にある。あと、そんなに重要な事ではないが、この本の初版の表紙はビル街の夜景だったのに、今回紹介している再版の表紙では、女性と悪漢をイメージしたデザインへ変更されていて、どういう理由で昔の人はコロコロ装幀を変えていたのか誰か教えてくれんかな。初出誌情報は『「新青年」趣味ⅩⅦ 特集 大下宇陀児』の著作目録を引用させてもらった。




「街の毒草」(『婦人倶楽部』昭和7812月号)

(昔でいう)中學四年生になる佐村淸二郎少年は自宅二階の窓から萬年筆を落っことし、ペン先が偶然窓の下を通りかかった妖艶な美女の足に刺さってしまった小さな偶然から、謎めく異性の存在が彼の頭の中を占めてしまう。だが、その女・山路愛子には子供ごときじゃとても渡り合えぬ、蛇のような狡猾さを持った色と欲の監視が常に注がれていた。愛子の為に、やってはいけない行為をしでかしてしまう淸二郎。のっぴきならない状況へ追い込まれ二人は当てのない道行きに・・・。

 

 

宇陀児の得意とする子供目線で描かれた中篇。婦人雑誌読者の母性本能をくすぐるには恰好のストーリーだし、ですます調の文体も年上の女性に対する少年の思慕を表現するのに効果的。正木不如丘を模した淺木不如山という名前が出てきてニヤッとさせられたり、宇陀児の数少ないレギュラー・キャラクター俵巌弁護士も出演しているが、同業探偵作家の探偵キャラと違って、彼は表舞台で目立つような役割ではない。古めかしさが味わい深い一品ではあるが、ラストのセリフを読むと淸二郎の両親は楽天家っちゅうかC調っぽい。

 

 

 

「指」(『オール読物』昭和125月臨時増刊号)

神田のカフェの女給だった貞代は菓子屋・鳳月堂の主人である好漢の虎太に見染められ、老舗ゆえ親戚中から猛反対はあったけれど、無事、彼の妻になる事ができた。虎太には黙っていたが、貞代には以前僅かながら時計職人の秋田禮吉という男と同棲した嫌な過去がある。せっかく幸せな夫婦生活を送っていたのに貞代は禮吉に現状を知られてしまい、ストーカーされるかも・・・という不安が心の中に広がり始める。

 

 

ある晩、既に寝入っていた虎太が匕首のようなものでズタズタに襲われ殺されてしまう。貞代に横恋慕する禮吉こそが下手人と思われたが、事態は実に意外な方向へ。こういう肩透かしを喰わせる些細なヒネリが戦後日本探偵小説ではあまり見られなくなった。宇陀児好きの読者であってもすぐ頭に浮かんでくる作品ではないし、これも素材として古さは否めないけれども、そのちょっとした佳作っぽさがイイのである。

 

 

 

「狂氣ホテル」(『冨士』昭和13年夏の増刊号)

もうすぐ我々現代人の暮しの中で、当り前な存在になってゆくかもしれないAIロボット。それを宇陀児はこの時代にもう着想しており、ホテルの給仕用人造人間として登場させている。ゆえにSFものとして見る事もできるのだが、話の展開はいまいちSF的ではない珍作。なんてったって、ここで事件に利用されるロボットはボディ内部の精密機械をくり抜いた、といえば聞こえはいいが、単なるハリボテ状態な扱いだし全力脱力するのは必至なのだから。「狂氣ホテル」しかり本書に収録されている作品はどれも、宇陀児の健在な時代においても、こののち著書に収められる機会が無くなっていく。

 

 

 

「地底の樂園」(『奥の奥』昭和1145月号)

身寄りのない菱村家の姉妹。妹・春代は濃硫酸を大量に飲んで自殺を図り、姉の砂貴子が駆け付けた時にはすでに遅く、血を吐き苦悶するばかりの状況で、姉に何か言い残す事もできぬまま妹は断末魔を迎えた。春代の部屋からは「自分は桐澤という色魔に弄ばれ、妊娠させられたまま捨てられたゆえ、斯様な道を選ばざるをえなかった」と書かれた遺書が見つかる。S飛行機制作所の若手専務として好き放題女を食い散らかしている桐澤に鉄槌を下すべく、砂貴子は藤枝洋子なる有閑マダムに化けて桐澤に近付いてゆく。

 

 

言わずもがなの復讐譚ではあるが、砂貴子をたったひとり犯罪者にさせないあたり人情派・宇陀児の面目躍如ってとこか。それとこれはマニアックなチェック・ポイントだけど、上に記したように「地底の樂園」は戦前に書かれた作品であり、エンディングに「陸軍省」「機密圖面」なる単語が出てくるのだが、戦前の日本軍部を連想させるワードは敗戦後に出た本では軒並み削除されるのが常道なのに、本書ではなぜか生き残っている。GHQの小うるさい検閲がチェックしそこなったのか、あるいは「この程度ならOK」とスルーしたのか、どっちだろう?

 

 

 

(銀) 神奈川県大磯で実際に起きた坂田山事件(昭和75月)の悲劇に乗っかった松竹が、『天国に結ぶ恋』という映画を急ピッチで制作。それが大当たりしてメディアも騒いだものだから、この頃恋人同士の〝心中〟が流行した。発表時期を考えると「街の毒草」も、この流行の波をかぶっているのは間違いない。

 

 

片や「地底の樂園」もそうかといえば坂田山から四年の時が過ぎているし、宇陀児自身、あまりに不幸な主人公・砂貴子を救ってやりたくて、救いのあるラストにしたものと見ゆる。昭和4年の西條八十が作詞した有名なヒット曲「東京行進曲」にても、「♪ シネマ見ましょか お茶のみましょか いっそ小田急で逃げましょか」と歌われていて、たとえ心中の流行が無くっても当時の恋人達には「どこかへ逃げたい」願望があったようだ。