2020年11月21日土曜日

『村に医者あり』大坂圭吉

NEW !

盛林堂ミステリアス文庫
2020年10月発売



★★★     この肯定感はどこから



 東京から帰ってきた青年医師・倉松志氣太が実家の医院を継ぎ、村の人々の為に身を捧げるという、探偵趣味の欠片も無い長篇小説。この若先生の周りには三人の若い女性がおり、結局のところ最後まで興味を引っ張るのは、その三人娘のうちの誰が志氣太のハートを射止めるのか?という点。とはいえ実質一番彼の近くにいて、倉松医院で働いている石渡千尋が本命であるのを読み手は皆わかっているのだが。



明朗でペーソスがあるという以上に、家郷で生きてゆく事に対して愚直なまでの肯定。地元新聞からの要請とはいえ大阪圭吉は何故こんな小説を書いたか? 解説では本作のモデルケースとしてアナトール・フランス「聖母と軽業師」や池谷信三郎/龍胆寺雄あたりのモダニズム文学が指摘されている。



▼ 圭吉は本作を書き上げると上京、日本文学報国会に勤務する。日本文学報国会は「村に医者あり」が『豊橋同盟新聞』で連載されている間に設立、一言で言うと「国家の要請するところに従って、国策の周知徹底、宣伝普及に挺身し、以て国策の施行実践に協力する」のを目的とした保守派の啓蒙団体である。甲賀三郎が事務局総務部長だったので、それで圭吉にも声が掛かったか。

 

 

探偵作家の中にもその頃、国家寄りな行動をとっていた人はいて。「現在の世界情勢を熟慮し、それに見合った憲法になるように、変えるべき箇所は変えられるよう国民も考えるべき」と提言するだけで、何の考えも無く「右傾化だ! 軍国化だ!」という声が上がってくるのが今の日本だ。当時日本文学報国会に所属していた作家達を戦争協力者だと独り決めするリベラルかぶれもきっといるのだろう。彼らの全てが好戦的かつ拡大路線を望んでいた訳ではなく、故国存亡の危機を怖れ、同胞の生存を願っての動きだっただけかもしれないのに。

 

 

▼ 重苦しいところが一切無くあたかもNHK朝ドラのような展開の「村に医者あり」だが、どの登場人物の背景にも【非常時】の意識はごく自然にサラッと書き込まれている。日本文学報国会に所属するぐらいだし国に奉公する気持は強かったのだろうが、時代の趨勢に対処してやむなくこういう作品を書いた・・・・圭吉という人に探偵作家一筋であってほしいと望むのであれば、そんなちょっと内向きの執筆姿勢だったと思いたい。



ところが、冒頭に置かれた一片の曇りもない前向きな「作者の言葉」に続いて本文を読み進めてゆくと、どうもこれは探偵小説を書く事が許されないから自分を曲げて書いたとは思えぬようなポジティヴィティしか感じられないのである。

 

 

▼ 仮に戦争で命を失わなかったとしても、既にもう圭吉は探偵小説のパッションを出し尽していたのかもしれない。また、そうではないかもしれない。ここで「もし復員して創作を再開していたら、それは探偵小説ではなくユーモア小説だったであろう」という圭吉令息・鈴木壮太郎の言葉が再び浮上してくる。近年の圭吉本解説で「後年の彼は色々なジャンルを器用に書き分ける作家だった」と云われているが、それは見ようによっては「後年はもうそこまで探偵小説に執着していなかったのでは?」という風にも受け取れる。



日本の探偵作家の多くが探偵小説を長い期間追求できずに他方面へ手を出したり、あるいは書くのを止めてしまう。乱歩や正史ほどのスピリットを死ぬ迄持ち続けるのは容易じゃない。非探偵小説である本作は淀みがなさすぎて、もしかすると大阪圭吉の中で探偵小説の炎は(世情のせいもあるが)消えつつあったのかもしれない。もしそうだとすれば残念だ。

 

 

横溝正史も同時期に長篇「雪割草」を書いているが、一生探偵小説に拘り続けた正史は探偵趣味が少しも無い小説を書いたことを恥じていたのか(?)近年発掘されるまで「雪割草」の存在は生前一度たりとも言及される事が無かった。正史ほどの探偵小説への執着が圭吉にもあったかと訊かれると、私は「ウ~ム・・・」と考え込んでしまいたくなる。いずれにせよその疑問に答えられる圭吉本人はとっくにこの世の人ではなく、どこまで行っても只の推測でしかないのだが。




(銀) 「村に医者あり」というタイトルは初出連載時に実際使われていた訳ではなく、当時圭吉が案として要望していたものにすぎない。であれば本書の書名は元通り『ここに家郷あり 初出版』とでもすべきじゃなかったか。遺族に許可をもらったとはいえ、ちょいとやりすぎに思えた。


大阪圭吉の名前がなかったらこんな内容の小説は絶対読まないだろう。あの戦争さえなければ、彼の探偵作家活動期間も(きっと、あと少しは)長くなったのかもしれない。