(永井敦子による)谷崎潤一郎と(飯城勇三による)エラリー・クイーンからの影響論。後者は「戦前の正史はトリックの消化・装飾のみで、必然性・手掛りの設定がない」と発言。その他、手軽に読める「かひやぐら物語」と「淋しさの極みに立ちて」をわざわざここに再録する必要があるのか?引用の多い宮本和歌子と中沢弥は論旨を明確に伝えるスキルが課題。作品の表層だけでなく、もう一歩正史を取巻く時代の状況にまで深く踏み込んでほしかった。
いつもの事ながら読むに堪えないのが連載鼎談「観てから読む横溝正史」。「横溝さんの作品は全部、最初に出てきた綺麗な人が犯人なんだよ」とか「戦前の横溝は良いものがない」とか無知すぎて不愉快でしかない。特に鷲田小彌太。例えば正史の欠点に触れるとしても、読者が「正史をよく読み込んでいるのだな」と納得するような内容ならむしろ歓迎するが、正史の事を全く解ってない人間の与太話に45頁も使う神経が解らない。正しく正史を語れる人材は他にいるだろうに。無意味な鼎談よりも戦前作品の中から「芙蓉屋敷の秘密」「塙侯爵一家」「呪ひの塔」「覆面の佳人」あたりを掘り下げるべきではなかったか?
(銀) 二松学舎大学には『學』という学内誌がある。『横溝正史研究 創刊号』が発売される直前に出た『學』Vol. 23(2009年3月号)の中には、当初予定されていた『横溝正史研究』2号以降の特集テーマが掲載されているので、その予定内容(予)及び実際刊行された内容(実)をここに並べてみた。
第2号 (予)横溝正史ミステリーの映像
(実)ビジュアライズ横溝正史ミステリー 《2010年8月発売》
第3号 (予)明智小五郎 対 金田一耕助
(実)倉敷・岡山殺人事件 《2010年9月発売》
第4号 (予)横溝正史作品の漫画化
第5号 (予)横溝正史の捕物帳
(実)横溝正史旧蔵資料が語るもの 《2013年3月発売》
第6号 (予)横溝正史と『新青年』
(実)横溝正史旧蔵資料が語るもの Ⅱ 《2017年4月発売》
第7号 (予)横溝正史ミステリーの系譜学
(実)発売なし
これにより、次の事が見えてくる。
◇ 第3号以降、当初の予定どおり特集を組んだ号がひとつもない。結局二松学舎大のセンセイは世の横溝オタと殆ど変わらないレベルらしく、金田一耕助いや角川ブーム期に映画化された金田一の代表的な長篇(「八つ墓村」「犬神家の一族」「悪魔の手毬唄」etc)、それと小説の副産物に過ぎない映像・マンガといった洋泉社的サブカル面にしか頭にない。
『横溝正史研究』創刊~2号を見て「なんだこれ、金田一以外は研究対象じゃないのか!」とブーイングしたのは普段から金田一以外の正史作品も読んでおり、もとより正史以外にも広く探偵小説を読んでいる読者だった。横溝クラスタと名乗るオタの人達にとって、〈緑304〉に代表される正史の旧角川文庫とは読む為のものではない。内容うんぬん以上にカバー絵の違いとかレア度に血眼になってコレクションするのが目的の、要するにカルビーの仮面ライダー・カードみたいなものなのである。
◇ 『民ヲ親ニス』(夢野久作と杉山一族の研究誌)も『松本清張研究』も着実に一年一冊ペースで発行されているのに対し、『横溝正史研究』の場合第2~3号、第4~5号は一気に出しているが、それ以外は次号までに3~4年の空白が必ず発生する。これもつまりは紙面作りを毎回場当たり的/泥縄式にしか考えていなかった証拠。何を研究すればいいのか作り手は理解できていなかったのだ。版元がバックナンバーの不良在庫を叩き売っているのを度々目にしたが、ついに7号は出ず『横溝正史研究』は終了。