2020年7月20日月曜日

『横溝正史研究 4 』

2013年2月28日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

戎光祥出版
2013年3月発売



★     横溝正史にクレバーな研究者は存在せず
     




戦争が終わり「本陣殺人事件」「蝶々殺人事件」を発表するまで横溝正史にはゴリゴリの本格長篇が何故なかったのか?「本陣」以前の正史の二十年とは?『横溝正史研究』も4号にしてやっと戦前作品が題材になった。この時代こそ最も研究を要する期間だと思う。





横溝亮一・宣子インタビューにあるように、正史が家族以外に同居者の分まで養わなければならない時期があったのは意外と重要な内情かもしれない。紀田順一郎は乱歩について「怪奇幻想=体質、本格=学習」で、正史はその真逆なのではと問う。正史の資質とはそんな単純に割切れるものだろうか?今後も検討を要するテーマだ。江戸川乱歩リファレンスの人・中相作が編集者としての正史の内面にまで迫っているのはさすがだし、倉西聡の「鬼火」の構造に本格の気配があるという指摘も悪くない。


 

(永井敦子による)谷崎潤一郎と(飯城勇三による)エラリー・クイーンからの影響論。後者は「戦前の正史はトリックの消化・装飾のみで、必然性・手掛りの設定がない」と発言。その他、手軽に読める「かひやぐら物語」と「淋しさの極みに立ちて」をわざわざここに再録する必要があるのか?引用の多い宮本和歌子と中沢弥は論旨を明確に伝えるスキルが課題。作品の表層だけでなく、もう一歩正史を取巻く時代の状況にまで深く踏み込んでほしかった。


 

いつもの事ながら読むに堪えないのが連載鼎談「観てから読む横溝正史」。「横溝さんの作品は全部、最初に出てきた綺麗な人が犯人なんだよ」とか「戦前の横溝は良いものがない」とか無知すぎて不愉快でしかない。特に鷲田小彌太。例えば正史の欠点に触れるとしても、読者が「正史をよく読み込んでいるのだな」と納得するような内容ならむしろ歓迎するが、正史の事を全く解ってない人間の与太話に45頁も使う神経が解らない。正しく正史を語れる人材は他にいるだろうに。無意味な鼎談よりも戦前作品の中から「芙蓉屋敷の秘密」「塙侯爵一家」「呪ひの塔」「覆面の佳人」あたりを掘り下げるべきではなかったか?


 

二松学舎大は横溝正史旧蔵資料を引き受けたという責任の重さの自覚を欠片も持ち合わせていなかった。ダメだ、こりゃ。



(銀) 二松学舎大学には『學』という学内誌がある。『横溝正史研究 創刊号』が発売される直前に出た『學』Vol. 2320093月号)の中には、当初予定されていた『横溝正史研究』2号以降の特集テーマが掲載されているので、その予定内容(予)及び実際刊行された内容(実)をここに並べてみた。


 

2号  (予)横溝正史ミステリーの映像

      (実)ビジュアライズ横溝正史ミステリー 20108月発売》

 

3号  (予)明智小五郎 対 金田一耕助

      (実)倉敷・岡山殺人事件 20109月発売》

 

4号  (予)横溝正史作品の漫画化

      (実)横溝正史の一九三〇年代 -「鬼火」から「真珠郎」まで
                         《20133月発売》

 

5号  (予)横溝正史の捕物帳

      (実)横溝正史旧蔵資料が語るもの 20133月発売》

 

6号  (予)横溝正史と『新青年』

      (実)横溝正史旧蔵資料が語るもの Ⅱ  20174月発売》

 

7号  (予)横溝正史ミステリーの系譜学

      (実)発売なし

 

 

これにより、次の事が見えてくる。



◇ 第3号以降、当初の予定どおり特集を組んだ号がひとつもない。結局二松学舎大のセンセイは世の横溝オタと殆ど変わらないレベルらしく、金田一耕助いや角川ブーム期に映画化された金田一の代表的な長篇(「八つ墓村」「犬神家の一族」「悪魔の手毬唄」etc)、それと小説の副産物に過ぎない映像・マンガといった洋泉社的サブカル面にしか頭にない


 

『横溝正史研究』創刊~2号を見て「なんだこれ、金田一以外は研究対象じゃないのか!」とブーイングしたのは普段から金田一以外の正史作品も読んでおり、もとより正史以外にも広く探偵小説を読んでいる読者だった。横溝クラスタと名乗るオタの人達にとって、〈緑304〉に代表される正史の旧角川文庫とは読む為のものではない。内容うんぬん以上にカバー絵の違いとかレア度に血眼になってコレクションするのが目的の、要するにカルビーの仮面ライダー・カードみたいなものなのである。


 

◇ 『民ヲ親ニス』(夢野久作と杉山一族の研究誌)も『松本清張研究』も着実に一年一冊ペースで発行されているのに対し、『横溝正史研究』の場合第23号、第45号は一気に出しているが、それ以外は次号までに34年の空白が必ず発生する。これもつまりは紙面作りを毎回場当たり的/泥縄式にしか考えていなかった証拠。何を研究すればいいのか作り手は理解できていなかったのだ。版元がバックナンバーの不良在庫を叩き売っているのを度々目にしたが、ついに7号は出ず『横溝正史研究』は終了。


 

中相作と野村恒彦の寄稿に敬意を表して、この第4号ぐらいはもう少し良い評価にしてもよかったのだが、二松学舎大と横溝オタの関心は私の関心とはかけ離れたものばかりなので『横溝正史研究』全体への失望としてやっぱり☆1つにした次第。