2023年10月13日金曜日

『大坂圭吉研究/第3号』

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杉浦俊彦個人誌
1976年8月頒布



★★★★★   ピュアな大阪圭吉・愛





 県立高校の図書館副部長であった杉浦俊彦は昭和45年、大阪圭吉こと鈴木福太郎の長男・壮太郎氏と面識ができたことで、不運にも早逝した三河の探偵作家顕彰に目覚める。




いくら圭吉の遺族が几帳面な資料を残していて、それらを快く提供してもらったとはいえ、大阪圭吉についてまだ誰も騒いでいない時代に個人レベルでこれほど踏み込んだ内容の本を制作した功績は誠に❛あっぱれ❜としか言いようがない。それまで杉浦がどれぐらい日本の探偵小説を読んでいたかは不明だが、地元出身の作家に対する純粋なリスペクトの気持ちが全面に出ているのは誰の目にも明らかだし、半世紀前の個人誌なら手書きやガリ版刷りが当り前だったろうに、きっちり印刷・製本されている点もポイント高し。

 

 

 『大坂圭吉研究』は全四冊発行されており、今日はその中から第三号を紹介する。巻頭特集は【中篇探偵小説「抗鬼」 雑誌『改造』への掲載をめぐって】。「抗鬼」が載った『改造』昭和125月号の状況を説明、それ以前の『改造』に発表された探偵小説作品一覧、また『改造』のライバル誌『中央公論』に発表された探偵小説作品一覧もある。名の知れた作家でもないのに『改造』の編集者・佐藤績に注目しているのは杉浦が決して探偵小説のド素人ではないか、あるいは実に注意深い人だったか、どちらにせよなかなか鋭い着眼点だとお見受けした。

 

 

雑誌『ぷろふいる』を発行していた熊谷晃一、井上良夫、圭吉の弟・鈴木圭次、佐藤績、甲賀三郎、小栗虫太郎、江戸川乱歩、九鬼澹らによる大阪圭吉宛て書簡の数々が掲載されているのが貴重(複数の書簡が残存している人も)。それらのうち特に気になった文面のひとつはさっきから名前が出ている編集者・佐藤績の、

〝編輯部一同の気持を率直に申上げますと、「これが本格探偵小説だ」といふことを一度読者に示してみたいと希望してゐるので御座います。乱歩氏、大下氏、などにはさういふことを言っても、作風から考へても一寸難しさうですし、結局それを貴方に御願い申上げ度いのです。〟

と述べているもの。『改造』がそこまで本格探偵小説に拘っていたのはなんだか意外な気がするし、本格について佐藤績は案外理解していたようにも感じられる。

 

 

もうひとつは圭吉の師匠にあたる甲賀三郎の文面。甲賀は「十九日会」と言う探偵小説研究グループを作っていて、圭吉もそのメンバーのひとりだった。ただ「十九日会」の除名ルールは厳しく【特別の理由なくして三回以上連続欠席したるとき】【特別の理由なくして二回以上連続して作品を朗読せざるとき】とあり、圭吉は『新青年』連続短篇のノルマなどで動きが取れず、連続三回欠席してしまったらしい。

 

そこで甲賀、〝極端にいへば貴兄の為にこの会は出来たといっていい。原稿が書けないから欠席するといふのは非常な心得違いです。(句読点は私=銀髪伯爵による)てな調子で圭吉を追い詰めるようなことを書いて寄越す。いつもの短気で怒りっぽい甲賀の態度だが、これだけ読むと一方的に責められちゃって圭吉が可哀そうじゃないかい?

 

 

 「抗鬼」の特集であっても大阪圭吉宛ての書簡がいろいろ読めるのは有益。昭和13年以降、日本で探偵小説を発表することが困難になっていったのを杉浦俊彦がどれほど細かく掌握していたかも微妙なれど、〝大坂圭吉以後、『改造』社の探偵小説に対する情熱は急速に冷却して行った(ママ)〟と語る杉浦の指摘は、『改造』のバックナンバーを読み込んでいない私には新鮮だった。

 

 

 

(銀) 大阪圭吉に関して杉浦俊彦が制作した小冊子はこの他に、『第1小説集「死の快走船」覚え書き』と『三河にも推理作家がいた - 大坂圭吉の復活』がある。また『改造』の編集者・佐藤績は言わずもがな、江戸川乱歩に「陰獣」「蟲」を書かせるきっかけを作った重要人物。

 

 

ネットなどない昭和時代、様々な書誌情報だって今ほど容易に入手できなかっただろうに、ここまで気の利いた研究本が作れたのは杉浦が図書館で働いていたからだろうか。これら一連の圭吉研究本を読んでいると、大阪圭吉だけでなくて杉浦俊彦の人となりも知りたい、とつい考えてしまう。




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