■ 〝金色〟→〝こんじき〟
と読みます。江戸川乱歩の「黄金仮面」にも〝金色〟という形容が頻繁に出てきますが、あれと同じく決して〝きんいろ〟とは読まないように。
『新青年』を彩った作品の全てが探偵ものだとは限らない。今回収録された三作は探偵趣味とは無縁のユーモア小説。端から私の興味の対象外なんだが、既刊の獅子文六再発ちくま文庫に見られた訳のわからない人間の解説執筆や編纂とは異なり、神奈川近代文学館の企画展『永遠に「新青年」なるもの』のタイアップとして『新青年』研究会の浜田雄介が尽力したものだったし、「微力ながら、売上に貢献するか」と思い、旅先でつい購入してしまった。
帯を見ると「遂に解禁!!! レア過ぎるデビュー作、復刊」とある。確かにこれら三つの中篇は現行本になるのは久しぶりだが〝レア過ぎる〟ってのは言い過ぎだろ。ネットニュースを書いているライターは「~過ぎる」とか白痴過ぎる表現しか浮かばない語彙貧者ばかりだけど、ちくまの中にもこんな陳腐過ぎる売り文句を採用する人間がいるんですなあ。
■ 「金色青春譜」(昭9)。ドタバタしてばかりの粗筋でちっとも頭に入ってこない。帯にて推している〝ラブコメ〟色が一番強いのはこの作なんだが、あまりに下らなくて軽妙な文六節を楽しむところまで辿り着けん。根っから私は明朗ユーモア小説が好きではないのよ。たとえ非探偵小説でも「亜細亜の旗」「雪割草」には没頭できたし、横溝正史が博文館在籍時に書いていたコントっぽい短篇だったり大阪圭吉のユーモラスな探偵小説みたいなものなら全然OKだけど、こんな風に何のヤマ場もなくダラダラしていては・・・パロディの元ネタである「金色夜叉」を読んでるほうがまだマシだ。ただ、さっき探偵趣味とは無縁の内容だと書いたけれども、〝凡庸小説家〟と書いて〝ししぶんろく〟とルビを振ったり、言葉遊びの点では『新青年』趣味があちこちに横溢している。
それに比べると残りの二作はまだフックがあり、「浮世酒場」(昭10)はタイトルどおり、酒の家「円酔」を根城にする酔客の会話を借りて時事放談を繰り広げる。満洲進出をはじめ暗雲漂う日本の国内外事情をシニカルに風刺していて、当時流行った三原山自殺ブームをおちょくっているやりとりなど不謹慎だが笑えた。こういうのばかり書いてもいられないだろうが、小説の形に拘らず世相を斬る漫談風読物として続けていたらオモロイ本が一冊できただろうに。
最後の「楽天公子」(昭11)は人の良い三十二歳の伯爵が破産して只の一市民というかルンペンになってしまって、あちこちで騒動を起こすというもの。ラストの微笑ましい♡な結末も含め、普通の読者にとってはこれが一番小説っぽいというか物語性があるかな。巻末には文六の旧全集別巻に入っていたエッセイ「出世作のころ」も再録しているので、『新青年』にデビューする前後のことがよく解る。それと現代人の記憶から失われた当時の流行を文六が作品にしょっちゅう取り入れるのを考慮してか、旧全集に載っていた語句注記も復活。〝昭和丹次郎〟なんてのはフォローしないと何が何だが誰も理解できないが、1960年代末期の読者にわざわざ〝満洲事変〟〝ディートリッヒ〟〝鹿鳴館時代〟といったワードまで注記しなけりゃならん必要はあったのかねぇ?
■ 先行して『新青年』に連載されていた小栗虫太郎「黒死館殺人事件」を意識するが如く、「金色青春譜」においてもどことなく落語に洋行帰りインテリジェンスを練り込んだかのような装飾を施した文章が連なっているのは水谷準編集長のサゼスチョンのせい・・・・・・ではないと思う。
(銀) 本書収録作は獅子文六が亡くなる頃に配本されていた朝日新聞社版『獅子文六全集』を底本としている。好きでもない私が言うのもアレだが、『新青年』企画展に合わせて出すのだし『新青年』の初出テキストを採用すればよかったのに。語句注記も付いててギリギリ彼の生前最後となった朝日新聞社版全集は文六ファンの中でそれほど信頼度が高いのか?その辺の事情を自分はさっぱり存じ上げないのでアル。