● 尾久木弾歩名義作品のすべてが輪堂寺耀によるものではないらしい
『妖奇』は『宝石』と違ってマイナー雑誌ゆえ既発作品の再録が多かったけれど、徐々に新作も増えていった。本書にセレクトされた小説は次のとおり。
■「化け猫奇談 片目君の捕物帳」 香住春作
関西探偵作家の一人である香住の定番キャラ/片目珍作もの。ユーモア色が濃いこのシリーズは『香住春吾探偵小説選Ⅰ/Ⅱ』に纏められている。
■「初雪」 高木彬光
『妖奇』にメジャーな作家が新作を書くのは稀だった。女の一途さから法廷劇へもっていくテクニックはさすが彬光。
■「煙突綺譚」 宇桂三郎
この人も関西探偵作家だが素性はよくわからん。不倫相手の女を殺してしまった〝私〟。しかし現場を大煙突の上から見ていたと思しき守衛がいた。〝私〟はその守衛を亡き者にせんと策を弄するが・・・。
■「電話の声」 北林透馬
中村進治郎とは遊び仲間だったという戦前派の北林。一種のアリバイもの。
■「生首殺人事件」 尾久木弾歩
冒頭には二十人以上にもなる登場人物一覧があり、探偵・江良利久一の叔父として警部がいたり解決篇の直前には読者への挑戦があったり、エラリー・クイーン物真似芸やらかしてます。
切り取られた首の見つからぬ殺人が三連続で起こる度に事情聴取を連ねて・・・という感じの実直な本格風展開だが、〈トリック〉と〈積み重ねた謎〉の見せ方があまり上手くないのが痛い。ラストで全ての殺人の真相と動機を整理して見せるあたり、作者は几帳面な性格なのかもしれないけれど。
(銀) 戦後は岡山~広島を拠点に執筆活動をしたようだが、探偵小説の一作目と見られる「妖鬼」を昭和22年後半『妖奇』に発表するまで、輪堂寺耀はどこで何をしていたのだろう? 本業となる仕事は別にあったのだろうか?
そして『妖奇』での執筆は投稿からのスタートだとすると、昭和17年の『印度の曙』はどうやって刊行にこぎつけたのか? 実績の無い人がいきなり単行本を出してもらえるとは考えにくい。『印度の曙』の他にも戦前に、輪堂寺耀あるいは違ったペンネームで何か書いている可能性はある。
ちなみにミステリ珍本全集②『十二人の抹殺者』531頁を見ると、「『妖奇』に東禅寺明という名で発表した作品は貴方の手によるものか?」との若狭邦男の問いに輪堂寺は頷いたとある(実に微妙な反応だが)。それが事実なら、もうひとつの仮説を組み立てる事もできる。
『印度の曙』を出したのは啓徳社という東京の出版社なのだが、その啓徳社が昭和18年に刊行した本で『源中納言顕家卿』というのがあり(私は未見)著者の名は東禅寺龍之介という。輪堂寺が戦後に東禅寺明という別名も使っていたのなら、これは偶然の一致なんだろうか?参考までに東禅寺龍之介で検索してみると『源中納言顕家卿』の他にもう一冊、新興音楽出版社という会社から昭和17年に出ている『新田義貞』という本が見つかる(こちらも未見)。