2023年8月19日土曜日

『乱歩の軌跡~父の貼雑帖から~』平井隆太郎

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東京創元社
2008年7月発売



★★★★★  『貼雑年譜』から派生したファミリーヒストリー




この本もリリースされてから十五年。時の過ぎるのは早いもんだ。本書の解説にて『新青年』研究会の浜田雄介は、

〝ホームページ『名張人外境』で進行中の中相作「江戸川乱歩年譜集成」は、『探偵小説四十年』と『貼雑年譜』を再検討しつつ、歴史の中の乱歩を克明に描き出す試みである。〟

と紹介している。当時『名張人外境』でチラ見せこそしていたけれど、2008年といえば「江戸川乱歩年譜集成」の書籍化はまだまだ先の見えぬ状態であり、中相作は書斎に籠って粛々と作業を続けていた。




その「江戸川乱歩年譜集成」のコンセプトに影響を与えている文献のうち、筆頭クラスに値する一冊がこれ。江戸川乱歩こと平井太郎の長男・平井隆太郎が昭和53年から配本開始された第二次講談社版『江戸川乱歩全集』月報にて連載したエッセイ「乱歩の軌跡~父の貼雑帖から」を単行本化したもの。同じく東京創元社が制作した『貼雑年譜 完全復刻版』を意識したデザインになっていて、こんな所有するのが嬉しい気分にさせる造本の書物は最近めったに見かけなくなった気がする。

 

 

ブックデザインが『貼雑年譜』を思い出させるのも当然で、このエッセイは立教大学の社会学部教授だった平井隆太郎が父の遺した『貼雑年譜』を叩き台にして執筆しているのだ(平井家門外不出の『貼雑年譜』が商品化されるなんて、乱歩が他界して十年ちょっとしか経っていないあの時点ではまだ誰も考えていなかった)。氏の職業柄、その文章はくだけた感じではなく、自分の思いを過剰に吐露することも控え、ユーモア・レスでカチッとしているが、本書には写真がいっぱい収められ、ヴィジュアル面も充実。 




私は乱歩がチャランポランだったは全然思っていないけれど、若い頃の乱歩はひとつの定職に落ち着くことができずコロコロ仕事を変えたり、あるいは家族を放り出して放浪の旅に出る事も多かったから、乱歩言うところのデカダン志向に平井家の人々は迷惑を蒙っていたんだろうなあと想像していたのだが、本書113ページで平井隆太郎は、

 

〝身内から見た父は、もともと至っての正直者、掛値なしに誠実な人柄の持主であった。〟

〝父は決していわゆる怠け者でも不誠実漢でもなかったのである。〟

 

と断言している。下段はまだしも上段のこの言、いくら隆太郎氏が昔気質の人ゆえ家長であった父を尊重するのは当り前だとしても、前述のような乱歩の振る舞いを身近に見ていながらここまで肯定的に語っているのは注目に値する。どんな事があろうとも平井家の主・太郎の存在は我々が想像する以上に重いものだったようだ。

 

 

なんだかんだいって乱歩が世間に明るみにしてほしくなさそうな事は、ここでの隆太郎エッセイのみならず乱歩の妻・平井隆子も絶対口にすることはなかった。私などは鳥羽造船所以来の旧友であり最初の平凡社版『江戸川亂歩全集』が出る頃まで常に乱歩の近くにいた井上勝喜や二山久(つまり彼らが乱歩と別れた後の行く末)、あるいは平井家において最もいかがわしそうな謎に包まれた存在である乱歩の弟・平井通の人となりを詳しく知りたいのだけど、ここらへん触れてはならぬ平井家のタブーなのか、あるいはそれほど関心もなかったのか(隆太郎氏からしたら叔父なんだからそんな事はないか)、母・隆子がそうだったように隆太郎氏もエッセイの中で私が「おおっ!」と喰い付きそうな逸話は一切書き残していない。

 

 

二十一世紀に入って、乱歩に関する平井家の取材窓口は隆太郎氏からその息子・平井憲太郎氏へ引き継がれた。そしていつか憲太郎氏にも生涯を終える日が来たならば、生の江戸川乱歩を知る平井家の人は絶えるのである。

 

 

 

(銀) 本書しかり、『探偵小説四十年』にしても『貼雑年譜』にしても、江戸川乱歩とその家族が遺してくれた貴重な資料をどんな評論家やマニアとも比べものにならないほど誰よりも有効活用し、乱歩研究に役立ててきたのは中相作をおいて他にはいない。前回記事の『江戸川乱歩年譜集成』完成を祝って本書を取り上げてみた。




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