✪ メインの長篇「十二人の抹殺者」(昭和35年)は、隣接する邸に住む親戚同士の結城家と鬼塚家の十二人全員に禍々しい謎の年賀状が届くところから幕が上がる。矢継ぎ早に繰返される下手人に逃げ場が無い筈の殺人。トリック解明が後半でまとめて一気になされずひとつひとつの事件ごとに行われるのが、本格の定石からすれば何とも風変り。これが発表されたのは松本清張がベストセラーになり従来の探偵小説から社会派ミステリへと趨勢が変わっていく年代であるのを頭の片隅に置いて読んでほしい。要するにこの頃、探偵小説はもう時代遅れな存在だった。
ピアノの上に椅子を置く?とか、ここに書かれている施錠のからくりは本当に可能?とか、状況設定が所々気にかかる。トリックのオリジナリティもそこまで唯一無二ではない。しかし其の割には意外に丁寧な描写とフーダニット興味で存分にクライマックスまで引っ張ってくれる。本格派として名が知れているどころか、これまで素性さえよくわからなかった幻の探偵作家がこのような作品を遺していたから〈珍本ミステリ〉として再発の対象とされる機会が巡ってきた訳だ。
✪ もう一つの中篇「人間掛軸」(昭和27年/単行本初収録)、こっちはいろんな意味でヤバイ内容。「十二人の抹殺者」にエロがあるなら、本作は猟奇ムードに満ちグロもあり。「十二人の抹殺者」の中盤過ぎでわずかに感じた冗長さが「人間掛軸」にはなく、一体真犯人は誰なのか?終盤のうねりが凄まじい。二作ともジェットコースターのような連続殺人発生に対し、捜査陣と探偵・江良利久一はそれを食い止める事ができない。
少々歪な面が見られようとも ❛ 探偵小説の鬼 ❜ 達の大好物な要素がこれでもかと詰め込まれている。バッタもん・・・あ、いやカルト作には違いないが読むに値にしないと斬って捨てるほど破綻した珍作の感じはしない。本書に文句があるとすれば、内容が相変わらず自己アピールなだけの芦辺拓といつも変な日本語しか書けない若狭邦男の【月報】寄稿だけ。読者は輪堂寺耀その人についてもっとよく知りたいのに。
これは尾久木弾歩その他の別名義分も含め、輪堂寺耀のまだ残っているものを整理して出さないとダメだろ。ミステリ珍本全集は第五巻に大河内常平、第六巻は大阪圭吉が予定として控えており、今後の展開が非常に楽しみになってきた。
(銀) 輪堂寺耀はペンネームがひとつではなさそうだからまだ知られていない小説があるかもしれないけれど、現在彼の著書の中でもっとも旧いと認識されているのは輪堂寺耀名義による長篇『印度の曙』(昭和17年/啓徳社出版部)。
『印度の曙』は主人公・大島國五郎がインドを舞台に活躍する外地冒険小説で、日下三蔵は本書解題にて「推理小説的な興味は薄い」と書いている。確かにその見方は的外れではないが、日下がどこまでこの長篇を読んで発言しているのか知らんけど『桜田十九郎探偵小説選』『梅原北明探偵小説選』『中村美与子探偵小説選』、さらに全く探偵小説ではない大坂圭吉「ここに家郷あり」の初出テキスト版『村に医者あり』でさえもシレっと本になっている昨今のご時世、もしも『印度の曙』が読む必要無しと見限られているのであれば、さてそれはどうだろう?