私の手持ちの本だと平成9年の講談社文庫コレクション「大衆文学館」シリーズ『深夜の市長』が改変版になっており、元通りのテキストに戻らないものかと思っていたら、本書ではキチンと昭和11年春秋社版初刊本を底本にしていたので良かった。二ヶ月前に出た『蠅男』は〝初刊本に近いテキスト〟などという中途半端な姿勢で失望したが(書影まで紹介しておきながら初刊本を調達できなかったのか?)、今回はOK。
この長篇の舞台・T市というのは間違いなく東京だが、まだ都になる前の話。ちなみに解説で編者は「深夜の市長」をノン・シリーズ扱いとしているけれど、帆村荘六ものの準レギュラー・雁金検事は出てくるので海野作品の中では同一世界での物語となるのだろう。久生十蘭の「魔都」と並ぶ戦前最後のモダン都市東京ストーリー、二作とも『新青年』連載時の挿絵は吉田貫三郎。
市会のドン・動坂三郎はT市長を死に追い込み、更に主人公・浅間信十郎をも社会的に抹殺せんとする。謎の老人〝深夜の市長〟とは何者か?東京都政の腐敗に揺れている平成28年、奇しくも良いタイミングでこの長篇が復刊されたものだ。
他に十短篇を併録。
「空中楼閣の話」「仲々死なぬ彼奴」「人喰円鋸」「キド効果」「風」
「指紋」「吸殻」「雪山殺人譜」「幽霊消却法」「夜毎の恐怖」
小品というべきものばかりだが殆どがレア。「幽霊消却法」では敗戦で一度は死を決意するも再び筆をとった海野が「壁の中へ塗りこめちまいましょう。エドガワ先生が、よくお使いになる手よ」と戦前のような感じで笑わせてくれる。剽軽なものが多いので、二種の夫の幻影に殺意を抱いた妻を描く「夜毎の恐怖」やスプラッター・ホラー「人喰円鋸」でさえ、どこかしらユーモラスに見えてしまうのが不思議。
(銀) 『獏鸚』『火葬国風景』『蠅男』と違ってレアな作品も含みつつ、また底本のセレクトも手抜きをしていないので☆5つ。
海野が亡くなって六年後、ポプラ社が企画した子供向けのシリーズ「日本名探偵文庫」全25巻の中に『深夜の市長』も組み込まれた。ところがその内容は主人公を帆村荘六に改変したジュブナイルとしてリライトされており、既に海野はこの世の人ではないのだから、これが第三者の手による仕事なのは明らか。