2024年8月28日水曜日

映画『The Last Emperor〈ラストエンペラー〉』(1987)

NEW !

The Criterion Collection   4K UHD Blu-ray(3枚組 )
2024年8月発売



★★★★   北米盤 4K UHDコンボセット




 未だに私の部屋では、2000年代に買ったpanasonic32V型液晶テレビを使っていまして。強いて大画面にしたいとも思わないし、4K対応テレビに買い換えたところで現行の番組に面白いコンテンツなどありゃしない。まあそうは言っても旧い映画のデジタル・リマスターはなるべくハイ・クオリティーな画質で観たいのが人情。幸いハイレゾ・サウンドの音楽を聴く目的で買った4KUltra HD(UHD)対応BDプレーヤーを持っていて、テレビこそ旧式の2Kタイプだけども、4K UHDのディスクは再生可能なのをすっかり忘れていた。

 

 

✷ 正しく金を注ぎ込んで映画が作られていた最後の時代を飾る作品が例えば「愛人/ラマン」(主演ジェーン・マーチ)であり「ラストエンペラー」だったのかもしれない。公開された時には「贅沢に作られた大作だな」と感心していたものだが、天安門事件以降、中国は世界中の民族に禍をもたらす史上最悪の侵略国家になってしまって、もう昔のように無邪気な気持ちで「ラストエンペラー」を観ることはできないね。とにかく、周庭ちゃん達やウイグルの人々が少しでも無事である事を祈りつつ、本日は「ラストエンペラー」最新リマスター盤について記す。 

 

 

 

「ラストエンペラー」の日本盤ブルーレイは以前から出ていたが、あまり画質が良くないともっぱらの噂だった。昨年2023年)の春、坂本龍一が死去した直後、wowowが追悼特集を組み、「戦場のメリークリスマス」と「ラストエンペラー」を放送しているのをちょっとだけ観たけれども、前者がそこそこ合格点を与えてもいい画質だったのに比べ、後者の映像は微妙にボワ~ッとしていて、「これは最新・最良の素材で放送してないな」と首を傾げた。コントラストが綺麗に映えていないと私は満足できないのよ。

 

 

「ラストエンペラー」には本来の163分ヴァージョン、そして90年代の映画界で「ディレクターズ・カット」と称する再編集版を出すのが流行した為に発表された219分のヴァージョンが存在する。以下、本日の記事の中で163分ヴァージョンは「劇場版」、219分ヴァージョンは「長尺版」と呼ぶ。

 

 

日本のキングレコードは202311月、4KリマスターBD『ラストエンペラー』を発売した。これまたいつもの如く、特典映像がセコいばかりか、disc-14Kリマスターと旧マスター、二種の「劇場版」(5.1ch)を収録していて、旧マスターまで押し込む意味がよくわからない。

そしてdisc-2には「長尺版」(日本語字幕/5.1ch)と日本語吹替「長尺版」(2ch)、更にTV放送用だと思われる141分しかない日本語吹替「劇場版」が入っている。日本語字幕さえあれば十分な私からすると必要の無いマテリアルがいくつも入っているばかりか、それを無理矢理二枚のディスクにギューギュー詰めにした結果、画質に悪影響を与えているらしい。
なので、この4Kリマスター日本盤BDは却下。
20248月にCriterion Collectionが、4K UHDを含む三枚組コンボの『The Last Emperor』をリリースするというので、そちらを購入した。

 

 

海外のネット情報には間違いも見受けられるようだし、2024年リリースCriterion CollectionThe Last Emperor』北米盤の仕様をメモしておく。

 

 

 パッケージ:ノーマルなトールケース(デジパックではない)

 ブックレット:約40ページ

 各ディスクの字幕

~ 本編には英語字幕あり (しかし中国語・日本語のセリフは殆ど字幕が省かれている)

~ 特典映像では、英語以外の音声には英語字幕があるが、英語音声には字幕なし

 

 

 disc-14K UHD (リージョンフリーだがUHD対応プレーヤーでなければ再生できない)

 
4Kリマスター 「劇場版」

~ オーディオ・コメンタリー

By ベルナルド・ベルトルッチ(監督)/ジェレミー・トーマス(脚本)/
   マーク・ペプロー(脚本)/坂本龍一(出演&音楽)

コメンタリーの為の字幕は無し

 



 disc-22Kブルーレイ (リージョンAにて日本のBDプレーヤーで再生可能) 


リマスター「長尺版」

 



 disc-32Kブルーレイ (リージョンAにて日本のBDプレーヤーで再生可能)


リマスター「劇場版」

~ オーディオ・コメンタリー (disc-1と同じ)

 

特典映像

 

~ The Italian Travelers

「ラストエンペラー」プロジェクト開始前から撮影に至る迄のベルナルド・ベルトルッチ・ドキュメンタリー(53分)

 

~ Postcards From China

「ラストエンペラー」の中国ロケハン的なベルナルド・ベルトルッチ・ドキュメンタリー(8分)

 

~ Bernardo Bertolucci’s Chinese Adventure

メイキング(51分)

 

~ Making The Last Emperor

メイキング(45)

 

~ The Southbank Show

「ラストエンペラー」の制作・撮影模様を追った当時の英国テレビ番組(66分)

 

~ David Byrne Interview

音楽を担当したデヴィッド・バーン〈トーキング・ヘッズ〉のインタビュー(25分)

 

~ Beyond The Forbidden City

日本にも精通しているイアン・ブルマ(ジャーナリスト)による20世紀前半の中国・アジア解説(45分)

 

~ The Late Show : Face to Face

ベルナルド・ベルトルッチをゲストに招きインタビューを行った当時の英国テレビ番組(30分)

 

~ Trailer

予告編(3分)

 

 

✷ 日本盤ブルーレイの画質は自分の眼で確認していないので、どのぐらいダメなのか、ここで明言できない。一方、2023年にwowowで放送された「ラストエンペラー」も私の部屋のテレビで観た訳ではないので、全く同じ環境での比較ではないと前置きしつつ、この2024Criterion北米盤の画質の感想を述べるとするなら、下記のような感じだろうか。

(BDプレーヤーが4K UHD対応でも、私の部屋のテレビは2Kまでしか再現できないため、結局のところ2Kレベルでの画質比較となる点に注意)

 

 

・ 私の部屋のテレビは大画面でないからかもしれないが、2Kレベルでもwowowの放送ほどにコントラストの不満を覚えることはなく、綺麗。本当ならdisc-14K UHD「劇場版」が飛び抜けて画質が美しい筈なのだが、4Kテレビで観ていないため最高のクオリティーは享受できない。

 

 

・ disc-2の「長尺版」はもともとイタリアのテレビ放映用に編集されたからなのか、2024Criterion北米盤に入っている三種の本編のうち、あからさまな差ではなくとも、他の二つと比べ肉眼で観て画質が劣っているのが解る。

 

 

・ disc-32Kブルーレイ仕様「劇場版」は、ほぼdisc-14K UHD「劇場版」と同じレベルの美しさ。

UHDのアドバンテージが2Kテレビには何も反映しないのであれば、物理的にこの二つの「劇場版」は同レベルな筈。おそらく202312月に出た日本盤4KリマスターBDは、レストアもグレーディングもCriterionより質が低いせいで、評判が悪いのではなかろうか?私の観たwowow放送はかなり古いマスターを使っていると思われるし。

 

 

✷ 海外の映画マニアは〝現在「ラストエンペラー」の最も優れたソフトは、Arrow Video2023年に限定リリースした二枚組4K UHD英国盤だ〟と言っているみたいで、今回紹介している2024Criterion北米盤は「5.1chじゃないからダメだ!」とか、彼らの要求はクレイジーなほど高い。なんにせよ日本ではマルチリージョン対応プレーヤーを持っていないかぎり、欧州のブルーレイはどうせ観られないのだから、とりあえず普通のユーザーが高画質を求めるとしても、Criterionの北米盤で良しとしていいんじゃない?というのが結論。

 

 

 

 

(銀) youtubeには映画公開後にプロモーションで来日したジョン・ローンと坂本龍一が出演している「夜のヒットスタジオ」の映像がupされていて、サカモトによるテーマ曲の演奏も観ることができる。こんな日本独自のおいしい映像が存在していながら、(権利問題のクリアはもちろん大変だろうが)日本盤ブルーレイに特典映像として収録できない日本のメーカーはダメですな。

 

 

サカモトのビジネス・パートナーであり、「ラストエンペラー」にも日本人医師として出演している生田朗。「ラストエンペラー」公開の翌年、休暇中のメキシコにて車を運転していた彼は、崖から転落し33歳の若さで亡くなっている。スタジオ・ミュージシャンからYMOの一員になり、「戦メリ」で海外にも認知され、思えば昇り龍の如く続いてきたサカモトの有卦も、生田の死を境に翳りが見え始める。

 

 

このあとサカモトには、早川雪洲を主人公に据えた映画「Hollywood Zen」に出演する話があった。プロデューサーは「戦メリ」「ラストエンペラー」のジェレミー・トーマスで、監督は大島渚。完全な主役だっただけに、もし作品が完成し各国でヒットしていたら、世界のショービズ界におけるサカモトのステイタスは、我々の知っているそれとは比べものにならないぐらい巨大になっていた可能性もある。

 

 

サカモトがこの映画の準備をしていたという情報は『月刊カドカワ』を読んで知っていたので、実現せずに終って残念。なにより「Hollywood Zen」が成功していれば、ミレニアム以降に鎌首を擡げ始めた妙な左傾化もあそこまで酷くならずに済んだのかなア・・・と「テクノデリック」までのYMOが大好きだった自分としては色々考えるところが多い。

(坂本龍一は若い時分からリベラルだったとかネットで言っている人間を見かけるが、学生の頃の彼は新宿駅で「♪友よ~」と唄っている連中をひっぱたいていたと生前語っている。そもそも、ヨノイ大尉や甘粕正彦を演じさせられる奇妙な運命にあったとはいえ、実働期のYMOメンバーは三人とも右にも左にも擦り寄ったりはしなかった。)

 

 

 

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2024年8月22日木曜日

『ゴシック文学神髄』東雅夫(編)

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ちくま文庫
2020年10月発売



★★    終りのない傾き




買った新刊は長い間放置せず、その都度消化してゆく習慣だけれども、この文庫は書店のブックカバーを外しもせず、目の届かぬところにほったらかしていたため、買った事さえ忘れていた。それぐらい低いテンションで贖った一冊である。

 

 

 

「詩画集 大鴉」

エドガー・アラン・ポオ(詩)ギュスターヴ・ドレ(画)日夏耿之介(訳) 

「大鴉」

エドガー・アラン・ポオ(著)日夏耿之介(訳) 

「アッシャア屋形崩るるの記」

エドガー・アラン・ポオ(著)日夏耿之介(訳)

 

かつての学研M文庫・伝奇の7『ゴシック名訳集成~西洋伝奇物語』と全く同じオープニング。「詩画集 大鴉」はちくま文庫が使っている紙の質が学研M文庫よりチープなので、画の鮮明さが数段落ちる。巻末の【編者解説】における東雅夫の〝薔薇十字社から1972年に出た大判詩画集『大鴉』は、一見洋書と見まがうようなダンディで瀟洒な造本〟という文章まで『ゴシック名訳集成~西洋伝奇物語』そっくりそのままで、萎える。

 

 

 

「オトラント城綺譚」

ホレス・ウォルポール(著)平井呈一(訳)

 

これも『ゴシック名訳集成~西洋伝奇物語』に収録されていた古典。同じ平井呈一訳でも、あちらは「おとらんと城綺譚」タイトル表記で擬古文訳ヴァージョンを用いているのに対し、本書はタイトル表記を「オトラント城綺譚」とする現代語訳ヴァージョン。後者は平井が生粋の江戸っ子だからか、こんな語調が飛び交っている。

 

「コリャ下郎!その方、なにを申すか?」「や、南無三宝!」
「ウヌ猪口才なやつ!」「ディエゴ、下がりおろう!」
「じゃほどに、姫はおまえさまのお心の秘密をほじくり出そうとおっしゃったのでざんすぞえ」

 

・・・時代劇か?この現代語訳の圧倒的な読み易さを採るか、擬古文訳の典雅さを採るか、好みは分かれるだろうが、私は擬古文訳のほうが良い。

 

 

 

「ヴァテック」

ウィリアム・ベックフォード(著)矢野目源一(訳)

これも伝奇の匣8『ゴシック名訳集成~暴夜幻想譚』に入っていたもの。底本にも学研M文庫のテキストが使われており、「それならいっそ伝奇の匣を丸ごと再発すればいいのに」とさえ思う。

 

 

 

「死妖姫」

J・シェリダン・レ・ファニュ(著)野町 二(訳)

唯一の伝奇の匣・未収録小説。とはいっても、昔から本作は「吸血鬼カーミラ」として創元推理文庫など色々な本で出回ってきたし、2023年には南條竹則訳「カーミラ」を含む光文社古典新訳文庫が発売されている。以上のラインナップでは、さすがに新鮮味が無さすぎて、読んでも盛り上がらない。

 

 

 

昨今、同人出版で三上於菟吉の本がちょくちょく出ているが、於菟吉の読むべきおすすめ作品を早くから紹介していたのは他ならぬ東雅夫だった。東なら於菟吉の良いものをチョイスして一冊作れそうなのに、それさえ出来ないのが歯痒くて仕方がない。

 

 

 

(銀) 伝奇の匣シリーズはout of printになって古書価も高くなりがち。よって若い層・新しいユーザーを少しでも救済するために本書は企画されたのかもしれない。それはそれで意義はあるだろう。でも、彼の編纂した本を長年読んできた者からすると、藤原編集室が近年創元推理文庫から出している日本の探偵小説の本が、過去の国書刊行会〈探偵クラブ〉シリーズの焼き直しにすぎないのと同様、同じマテリアルばかり買わされるのはキツイ。





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2024年8月20日火曜日

『未来趣味/第1号』

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日本古典SF研究会
1988年3月発売



★★   善渡爾宗衛=紫門あさを=井山博之




1986年に横田順彌/會津信吾/長山靖生らが立ち上げた日本古典SF研究会。会報『未来趣味』の刊行は、稼働しているのかいないのかよくわからない位の超スローペースだが、一応存続してはいる様子。

 

 

その『未来趣味』第1号、巻頭を飾っているのは小松左京の談話【古典SF研究の意義】。要するに、会のマニフェストみたいなもんです。続く【わが心の押川春浪】では、かの明治期SF作家に対する熱い思い入れを滔滔と横田順彌が語るのかと思ったら、実態は殆ど古本にまつわる自らのエピソード。ヨコジュンに全て責任を負わせるつもりは無いけれども、この文章に充満している古本へのがっついた浅ましさが、図らずも日本古典SF研究会の行く末を暗示している。

 

 

次に加藤幹也(高原英理か?)【闇の三一致-江戸川乱歩「孤島の鬼」試論-】。古典SFを研究する集まりでありながら、いきなり第1號から乱歩を扱っているのがユニークといえばユニーク。ここで加藤は「孤島の鬼」を ❛❛最も成功した怪奇小説❜❜ として論述。その他、
長山靖生【近代科学と犯罪幻想】
松中正子【公開当時の新聞記事から見た「メトロポリス」】
會津信吾インタビュー【古典SF - 予習帳】(聞き手:長山靖生)
【押川春浪著書目録 Ⅰ 】(會津信吾・編)
といった内容。
 
 

 

ヨコジュンが旅立った2019年、
『未来趣味』は増刊として「横田順彌追悼号」を出した。
その号の192ページに、今や金の亡者と化した善渡爾宗衛が【でわ話さう 善渡爾宗衛のつくりかた ー 横田順彌さんのことども】という文を寄稿している。そこには注目すべき点が二つありましてな。以下、「横田順彌追悼号」からの善渡爾引用文は色文字で記す。


 












〝そもそも、高校生のときに近所の本屋さん仲間の兄ちゃんにそそのかされて、ちょいとばかり大きな城のある街で、月に一度ひらかれることとなった某同仁堂二階で催される「SFの集い」に、行ってしまったのが、ことのはじまりなのであった。

その集いを開催していたのは、カジオ貝印石油の若旦那、梶尾真治さんでありました。〟

 

作家・梶尾真治は根っからの熊本ネイティヴ。福岡大学在籍時、及び卒業して実家の仕事を継ぐため名古屋の石油会社に勤めた短い期間を除けば、それ以外はずっと熊本市で生活している筈。熊本市には熊本城があるし、熊本市内の繁華街に位置するアーケード街・上通りには「同仁堂」という薬局が確かに存在している。

 

これらの事を総合すると、善渡爾宗衛と梶尾真治は古くからの顔なじみだと思われる。もっとも作家として成功した梶尾とは対照的に、善渡爾は物故作家の作品を商品とは到底呼べぬレベルのテキスト入力で本にして、不当な暴価であぶく銭稼ぎに勤しんでいる底辺の存在でしかないが。

 

 

 

もうひとつはコレ。


〝そこで『未来趣味』の創刊が決まり、初代会長・長山靖生、初代編集・善渡爾宗衛で、同人誌の刊行がはじまる。一九八八年のことだ。〟
 

やっと本来の話に戻ってきた。『未来趣味』第1号の目次を見ると、「編集発行人」クレジットには長山靖生と並んで、次の四文字が印刷されている。

 

井 山 博 之

 

上段からの流れで、化けの皮を剥がしてみたら井山博之とやらも、その正体は善渡爾宗衛なり。昔、ヨコジュンの紹介で長山靖生と共に変名で少女小説を書くため作家デビューしたと善渡爾は書いているが、「横田順彌追悼号」でも平井一の名を平井一などと間違えているような人間紹介される羽目になった某社・編集氏は災難だったろうねえ。(程一は本名)

 

 

ともあれ、本日の主題は『未来趣味』どうこうではない。出版業界の方も一般ユーザーの方も、善渡爾宗衛紫門あさをと同様、もし井山博之の名を見かけたら要注意。この人物に仕事を頼んだり、この人物が販売しているボッタクリのゴミ本なんぞ決して買ってはいけませんよ、という注意喚起でした。

 

 

 

(銀) 『未来趣味』も第1号の投稿内容だけ見るなら、それは十分興味深いものである。小松左京が名誉会長を引き受けているぐらいだし、日本古典SF研究会も最初は本好きな人達の集まりだったかもしれない。

それが今じゃどーよ?「横田順彌追悼号」を開けば、日下三蔵/北原尚彦/杉山淳/小野純一をはじめ、この会は古本ですっかり頭がおかしくなってしまった人間ばかりが目立ち、ヨコジュンの追悼を肴にして自分らの古本自慢をやっているだけ。純粋なSF作品の話題なんて、果して全体の何割あるのやら。「古本」「古本」「古本」とアホのように騒いでいる記事なんてどこにも見当たらない『「新青年」趣味』と比べたら、日本古典SF研究会の卑俗さが否応無しによく解る。

 

 

今日は『未来趣味/第1号』の記事なので、せめて善渡爾宗衛、もとい井山博之さえ関わっていなければ、もっと★の数を増やしたかった。★1つではヨコジュンや會津信吾らが気の毒だもんで、これでも気を遣い★の数をひとつおまけしている。

私は断言してもいい。ミステリもSFも、現在五十代の連中(要するに日下三蔵の世代)が八十になる頃には、未来を担う若い世代なんて誰も現れず、これらの業界は腐敗したままゆっくり消滅してゆくに違いない。今日の記事で取り上げたような古本キチガヒ老人を見て、あとに続こうとする有能な人材なんて誰がいるものか(いたとしても考える頭を持たぬクルクルパーだけだろうな)。






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2024年8月15日木曜日

『朱夏No.13/特集〈探偵小説のアジア体験〉』

NEW !

せらび書房
1999年10月発売



★★★★   外地探偵小説と言えば藤田知浩




『朱夏』は満洲など旧日本領の文化を探求するせらび書房の雑誌だ。かつて年二回ペースで刊行されていたけれど、2007年に出た第二十二号が今のところ latest issue。また単行本のほうも、2010年の『外地探偵小説集/南方篇』こちらのリンク先を見よ)ではシリーズの続巻を匂わせていたのに、せらび書房自体が活動停止したような状態がずっと続いていた。

 

 

 

更新はされずとも、せらび書房の公式HPは存続していたので、そこに一縷の望みを託していたのだが、なんと先日、十数年ぶりに待望の新刊情報が公開。これは嬉しい。その探偵小説本が無事発売されたらすぐにレポートする予定なので、詳細はもう少々お待ち頂きたい。そういう訳で今回はせらび書房の復活を祝し、〈探偵小説のアジア体験〉なる特集を組んだ『朱夏』第十三号を振り返ろうと思う。もちろん責任編集は「外地探偵小説集」シリーズを手掛けてきた藤田知浩。

 

 

 

それは言うまでもなく『朱夏』のコンセプトに沿い、戦前日本の植民地周辺と探偵小説の関係性を掘り下げた内容で、渡辺啓助とモンゴル/小栗虫太郎と南洋/夢野久作と朝鮮半島をテーマにした作家論があったり、加納一朗による満洲出身探偵作家の紹介を行っている(ちなみに本号に登場する顔ぶれは戦後にデビューした作家も含む)。なんでも赤川次郎の父親・赤川孝一は満映の職員で、甘粕正彦の自殺を最初に発見した人物だそうだ。

 

 

 

他に中相作や西原和海の寄稿もあるのだが、私にとってのハイライトは大村茂の「月刊満洲社と竹中英太郎」。大村は竹中労事務所の一員だったフォトグラファー。満洲時代の竹中英太郎は謎に包まれており、竹中労の著作を読んでもハッキリしない事が多い。かつて月刊満洲社に勤めていた方の協力もあって、この記事は何度も読み返した。おまけに大庭武年「小盜児市場の殺人」を旧仮名遣い&挿絵付きで再録しているとなると、なにげに英太郎推しの感あり。

 

 

 

今では多種多様な資料が出回っているため当り前に知られている事実でも1999年の時点では貴重だった。藤田知浩の仕事にはもっと評価されてしかるべき先見性がある。何かよんどころない諸事情があって、せらび書房は長い間休眠していたのだろうが、もし可能ならば単行本の制作だけでなく『朱夏』の再開も期待したい。

 

 

 

(銀) この号は『新青年』に掲載されたアジア関連探偵小説の作品ガイド、及びそれに属する書籍紹介もあり、全体の半分を探偵小説特集に費やしている。






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2024年8月12日月曜日

『高架線の戰慄』ミニヨン・G・エバハート/長谷川修二(譯)

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代々木書房  現代大衆文學全集
1940年7月発売



★★★   エドワード・ホープ「俳優殺人事件」もなぜか収録




外装では「高架線の戰慄」のみ収録しているように見えるが、本書314ページ中142ページまでは「俳優殺人事件」という作品が鎮座。作者エドワード・ホープはどういう人なのか全く不明。表題作「高架線の戰慄」よりこっちのほうが私は好き。

 

 

ブロードウェイで名の通った劇作家ジエームス・ララミー・リスターにはセーラ(妻)・バーバラ(長女/通称ボビイ)・トレヴオア(長男/本作の語り手)・サリイ(次女)の家族があり、ジエームスとセーラがショービズ界のセレブゆえ彼らは南仏海岸へバカンスにやって来ている。ジエームスの秘書デーヴ・アーチャーはすっかりリスター家に溶け込んでいて、ボビイはデーヴから結婚を申し込まれる程の仲だった。ある邪魔者が現れるまでは・・・。

 

 

美形だが誠実さの欠片も無い人気俳優シヤーウツド・シイモアに粉をかけられたボビイはすっかりその気になってしまって、デーヴの面目は丸潰れ。トレヴオア達もシイモアのことをよく思っていない。おりしもリヴィエラ地方では、潜水して銛銃で魚を仕留めるマリン・スポーツが流行していた。その銛銃で体を貫かれたシイモアの屍が海中で発見され・・・。

 

 

立場上、疑われるのはデーヴ一人かと思いきや、容疑者は他にも出てくる。戦前の海外ミステリは抄訳が多いのだが本書もそうなのだろうか。シイモアの屍の描写について、訳文ではあっさり片付けられているものの、原文はドギツイ表現じゃなかったのかどうか気になる。避暑地の海に彩られた死体を扱ってるし、この作品、何かオリジナリティのあるトリックでも使っていれば、もっと注目度は上がったに違いない。

 

 

そしてミニヨン・G・エバハート「高架線の戰慄」。彼女のレギュラー・キャラクター/スーザン・デア登場。外出先から帰宅中、高架線にトラブルが起こり車内が真っ暗になる中、ある男によって外に連れ出されたスーザン。ところがその後、思いもよらぬ殺人事件に遭遇。高架線が急停車するまでの間、スーザンの乗っていた車両に乗車してくる奇妙な顔ぶれが肝。

 

 

こちらはなんというか、小ぶりな舞台劇に移し替えるとフィットしそうなストーリー。三谷幸喜に脚色させたら、よさげな気がする。「俳優殺人事件」のようなショッキングな死体や登場人物のアクの強さが無い代わりに、ちょっとしたトリックあり。

 

 

どういう理由でこの二作をカップリングしたのか想像も付かないけれど、営業的には「高架線の戰慄」を書名にしたほうがキャッチコピー的には目に留まりやすいのかもしれない。でも内容で比較したら、恋の嫉妬から生じる復讐の匂いをプンプン漂わせている「俳優殺人事件」のほうがウケそうだし、それでこちらをアタマに持ってきたのかな。
 
 
 

 

(銀) 「高架線の戰慄」の訳文はわりとカッチリしているのに、「俳優殺人事件」では脇役のキャラに「~でごわす」などと言わせたり、二作それぞれの訳し方には違いが見られ、「俳優殺人事件」のほうは長谷川でない別の人が訳している可能性も考えてしまった。原文からして二作とも読み易そうのは共通している。とはいえ、長谷川の訳はそこまで優れているとも言えずマアマアの出来じゃない?






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2024年8月8日木曜日

『「新青年」趣味ⅩⅩⅣ/特集ユーモアと「新青年」/この人も「新青年」!』『新青年』研究会

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新青年』趣味 編集委員会
2024年7月発売



★★    飽和点? 分岐点?




今世紀に入って以降、ずっと一人の作家を巻頭にて特集してきた『「新青年」趣味』もいよいよネタが尽きたのか、あるいは方針転換を図ったか、今号は〝ユーモアもの〟に迫ったり、『新青年』プロパーとは言えない作家達をごっそりまとめて紹介している。その二つめの特集【この人も『新青年』!】を眺めて、〝ほおー、ついに『「新青年」趣味』も戦前だけでなく、戦後作家も俎上に載せるようになったのか・・・。〟というのが最初の印象。

 

 

『新青年』プロパーではなくとも、多くの作家の短篇はなんらかの形でアンソロジーに入っているし、ビギナーの読者は「へえ~」と驚くかもしれないけれど、まあこんな感じのラインナップになるのは想像が付く。数十人に及ぶ顔ぶれの中に前田河広一郎が入っていないのは少々意外。もとより探偵小説のよき理解者って訳でもないから、『新青年』が彼に小説を書くよう積極的にアプローチしなかったとしても別に不思議じゃないが。

 

 

横井司【三橋一夫〈まぼろし部落〉考】はボリュームのある内容だけど、私は森永香代【アーカイブ雑感-小倉東個人蔵書(新宿二丁目)の目録作成の経験から】が面白かった。小倉東のことは全く存じ上げず、ドラァグクイーンにして蔵書家なだけでなく、調べてみると若い頃ヘアメイク界の大物・渡辺サブロオに付いて学んだり、父君は中国共産党のスパイだったり、波乱の人生を送ってきた人のよう。

 

 

森永香代が岩田準一の研究家だから資料整備に力を貸してほしいと声掛けされたのか、その辺はよくわからないが、一部の古本キチガヒが勘違いしそうなので一筆記しておく。小倉氏の蔵書は同性愛/占いの書物がメインだそうで、ミステリ/幻想文学のお宝が山ほどありそうとか、そういうハイエナじみた目で舌舐めずりしても無駄である。なにはともあれ新宿二丁目に足繫く通われた関係者の皆さん、お疲れさまでした。

 

 

毎回『「新青年」趣味』には感心するのだが、小さめの文字がぎっしり詰まった情報量で400ページ近い厚みがあって、価格はたった2,200円なのだから本当に良心的。薄利多売な上、結構な部数を刷らないと、この価格には設定できない。善渡爾宗衛/小野塚力/杉山淳のレーベル「綺想社」「東都我刊我書房」「えでぃしおん うみのほし」だったら間違いなく一冊20,000円ぐらいボラれてるぞ。そんな良心的な『新青年』研究会も最近は耳を疑うような発言をする人が出て来たりして、立教大学江戸川乱歩センターでなんか悪い影響でも受けたのかしらん。

 

 

石川巧(編集代表)『戦後出版文化史のなかのカストリ雑誌』(☜)という本の中で、川崎賢子御大が〝1930年代に江戸川乱歩は『猟奇倶楽部』なる雑誌を運営していた〟などと驚愕の情報をお書きになり、それのエビデンスは一体どこから来ているのか是非とも聞かせて頂きたく、正座しながら私は待っているのに、な~んも説明して下さいませんねえ。いつもなら、この種のトンデモ発言が流布されると真っ先に平山雄一がX」で反応するものなのに、今回は相手が『新青年』研究会の古株メンバーというので忖度して口を閉ざしているのかなあ。それとも「X」をやらない私が気付いてないだけなのか。

 

 

忖度といえば、『「新青年」趣味』は第19号あたりから【くぉ う゛ぁでぃす】というレビュー欄を設けているけど、これって必要?銀髪伯爵ほどストレートなツッコミはしなくていいけども、身近な人や同じ業界だからってんで気を遣い過ぎて、内輪の褒め合いになっていませんか?それに近年の号を読んでいると、『新青年』研究会員の中でも投稿するのは一部の人に限られている気がして、金属疲労みたいなものが伝わってくる。浜田雄介が編集チーフから外れたから、そう思うのかもしれない。もしも原稿が集まらなくて苦労してるんだったら、第12号までのサイズ&ページ数に戻ってスリム化するのも一つの手。【この人も『新青年』!】など、同じ人が沢山の項を執筆負担していて「これだけの量こなすの、キツかったろうな」と感じた。

 

 

 

 

(銀) 私のBlogをいつも見ておられるか分からないけれども、島田龍氏にお知らせ。岩波文庫版『左川ちか詩集』の編者・川崎賢子氏が今回の『「新青年」趣味』の近況報告欄【横道通信】(358ページ)でこんなこと言ってます。

 

〝二〇二三年度は以下のようなお仕事をしました。
とくに、左川ちかは、一九八〇年代にモダニズム研究を始めた筆者にとっては長い長い宿題となっていた対象です。複数の編集者にかねてご相談申し上げておりましたが、岩波文庫がリスクをとって出版を引き受けてくれました。こちらの進行途中で「全集」が出るというサプライズがありましたが「文庫には文庫の使命がある」と揺らがなかった担当編集者さんに感謝です。〟

 

岩波文庫版『左川ちか詩集』編者・川崎賢子に対する煩憂(☜)

 

上記のリンクを張った記事で私、「どんなに早くても岩波文庫版『左川ちか詩集』の制作がスタートしたのは令和4年になってからだろうし」と書きましたが、川崎氏の近況報告を拝見しますと「島田龍・編『左川ちか全集』(書肆侃侃房)が出る前から、自分は『左川ちか詩集』に着手していたんだ」と主張なさっているようですね。

 

以上、現場からお伝えしました。







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2024年8月6日火曜日

『ミステリと他のよもやま話/付録EQインデックス』萩巣康紀

NEW !

同人誌
2024年7月発売



★★   PCで文章を書くのは意外とタイヘンなのだ




萩巣康紀がこれまで発行してきた同人誌には『マイナー通信』『マイナー・インデックス通信』などがある。それら全てに目を通している訳ではないが、萩巣といえばCD-Rも使って熱心に雑誌のインデックスを作成・提供している人というイメージが私には強い。今回の『ミステリと他のよもやま話/付録EQインデックス』は全276ページのうち、前半部分に短めのエッセイ130本、後半部分に【作家名順】【年月順】などテーマ別に分類した、雑誌『EQ』のインデックスを掲載している

 

 

エッセイはミステリだけでなく、自分の仕事/釣り/ビリヤード等の話題も織り交ぜ、自己紹介の意味合いがそれとなく込められている様子。わりと最近の情報に触れてあるし、これまでストックしてきたもののアーカイヴではなく、本書のため新たに書き下ろしているみたい。

ちょくちょく東海地方の方言が混じっていたり、ローカルな視点に重きを置いていたり、個人誌ならではの特色が感じられてGood。一つの項の情報量がほどほどなので気軽に読める点も良い。しかしながら誤字も目立ち、全体の作りが洗練されていないところは我慢して接する必要あり。後半のインデックス・パートでは特段気にならないのに、エッセイの文章となると誤入力があちこち見つかった。

 

 

著者は吉永小百合と同世代だそうだから、結構なご高齢とお見受けする。サユリスト・エイジは若い頃からからPCに馴染んでいないハンデがある分、デジタルな作業に長けていない人の割合が高くなるのはしょうがない。ただ若狭邦男の文章などを読んでいて思うのだが、ミステリマニアやらコレクターを自称している高齢の人達って、国語力もあまり高くない傾向にあるような気がするのは私の偏見だろうか?

 

 

自分自身、愚にもつかぬ文章をいつもBlogに連ねているから解るのだが、好きな分野のことしか書いていない筈なのに、誰にでも読み易く伝わる文章を書くのは意外と難しい。書き終えてすぐの時にはそれなりにちゃんと書けてるつもりでも、後日読み返してみると独りよがりで第三者に通じにくい物言いになっていたりしてゲンナリする。

Blog記事の末尾には【関連記事】と称して既出エントリのリンクを張っている。これをやる本当の目的は、かつて書き散らかした自分の文章がどうにも見苦しいので、【関連記事】として振り返りつつ、内容そのものは変えずに読点を増やしたり、細かい修正を行っているからだ。他にプラットフォームの問題もあるのだが、それは本日の記事と無関係だし、ここでは触れない。

 

 

話が横道に逸れたので本題に戻ろう。この本の著者もインデックスを作っている時はそこにあるデータをそのままタイプしてゆけばいいのだから、ミスをする確率はそう高くはあるまい。ところがエッセイは頭の中で自らの考えを逐一文章へtransferする負荷が伴う。さらにPCに打ち込んだ文章が普通に第三者へ伝わるだろうと自分では思い込みがちだが、実はそうなっていないことが頻繁に起こり得る。

私など一度upしたBlog記事を後で見返すと、「なんちゅう下手な文章を書いたのか」と毎回イヤになる。Blogまだ後から気付いて手直しが可能だけど、紙の本は製本してしまったら、そうはいかない。他人に読ませる文章は最低でも一晩寝かせて、見直しをした上で公にするのが本当は望ましい(自戒も込めて)。

 

 

文章の上手・下手は個人差があるだろうし、こういう同人誌の場合、ある程度欠点に目をつぶってあげることも必要だろうけど(私のBlogには目をつぶらなくて結構ですがね)、本書中に散見される「置いたのではないだろうか」「ヤオフク「ビリヤード界から足を洗って」等のケアレスな表記は、一度書き終えたあと時間を空けて見直しさえすれば十分防げたミスだから、もう少し気を配ったほうがよかったのでは?





萩巣康紀もワタシも自分で思いを巡らせて書いた自分の文章ゆえ、もし不備があれば自分が恥をかけばそれで済むが、読むに堪えないテキスト入力で物故作家の作品を汚すだけ汚し、法外な価格の本で金を巻き上げる善渡爾宗衛/小野塚力/杉山淳のような手合いの罪は重く、鬼界ヶ島へ流刑にでもしなければ(俊寛僧都か)、被害に遭った作家達は浮かばれまい。

本書にて萩巣も綺想社の高すぎる価格について疑問に思う問いかけこそしているものの、「他にもミステリだけでなく、ホラーなども扱い、レアなものも時々出されている(ママ)のでファンとしては嬉しいのであるが」といった具合に、あのレーベルの酷い訳文については何も語られていないし、むしろリリースを楽しみにしているフシさえ伺える。作家を冒涜する悪質な本を未だに買い続けて、何とも思わないですか荻巣さん?






(銀) どこまで行っても高齢のミステリ・マニアやコレクターは自分の所有する蔵書、そしてそれらの古書価値について、アピールせずにはいられない衝動に絡め取られている。これもいわゆる承認欲求って奴なのかな。萩巣康紀がそこまで極端に賤しいマニア&コレクターだとは思わないが、この界隈で真っ当な人を見つけるのはジャンボ宝くじで一等を当てるぐらいに難しい。



私が幼い頃、祖父はよく本を買ってくれただけでなく、こんな事も教えてくれた。

〝年を取ると目がよく見えなくなったり、集中力が無くなったりして、本を読む体力が失われるから、いくら山のように本を持っていたって読めなきゃ何の意味も無いよ〟

この教訓が叩きこまれているので、私は読みもしない本を買い込んだり、蔵書自慢をする人間になどならず、現在に至っている。そもそも自慢できるようなレア本なんて殆ど持ってないけど。






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