本日、☜マークで示した箇所にはリンクを張っているので適宜クリックしてご覧下さい。さて、半月ほど前だが『名張人外境ブログ2.0』にて、このような記事がupされていた。
日本人のモラルの低下というか、本を作る人間がどれだけ校閲をないがしろにしているか、その見本を人外境主人・中相作はピックアップして嘆いておられる。以下、
➊ 『朝日新聞DIGITAL』2023年2月18日付記事 「人体模型に江戸川乱歩?〈大正レトロ〉な金魚カフェ、人気の秘密は」(筆者:大滝哲彰)の中で、「幽霊塔」が「幽霊棟」と誤記されている件。
➋ 教科書会社最大手の東京書籍が発行した高校地図教科書に、なんと約1,200箇所もの誤りがあった件。しかも、こんな状態なのに文部科学省は教科書検定でこれをヘーキで合格させており2022年4月から実際に高校で使われてしまっていた。中相作が記事のタイトルにしている〝雪国はいまもつらいか〟というのは、だいぶ前に新潟の「雪国はつらつ条例」を東京書籍が教科書上で「雪国はつらいよ条例」と記載し、それもまた国が堂々とスルーさせていたみっともない笑い話をオチョくったもの。版元も版元なら役人も役人で、ホントにどうなってるんでしょうな。
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不肖ワタクシめもこの『銀髪伯爵バードス島綺譚』にて、他人様の著作を本にさせてもらってるくせにテキストの校正・校閲を全くしようともせず、中にはあろうことか底本の内容を改竄までしている疑惑がある連中を糾弾する記事を書いてきた。
論創社 関連
▼『幻の探偵作家を求めて【完全版】(上)』 鮎川哲也
「鮎川哲也と幻の探偵作家達にもっとリスペクトを込めて復刊してほしかった」
▼『幻の探偵作家を求めて【完全版】(下)』 鮎川哲也
湘南探偵倶楽部 関連
▼『マヒタイ仮面』 楠田匡介
捕物出版/大陸書館 関連
▼「他人の小説を、テキストの最終チェックもせずに平気で売り捌く愚人達のこと①」☜
▼「他人の小説を、テキストの最終チェックもせずに平気で売り捌く愚人達のこと②」☜
善渡爾宗衛/小野塚力/杉山淳/盛林堂書房 関連
▼『Q夫人と猫』 鷲尾三郎 東都我刊我書房
▼『葬られた女』 鷲尾三郎 東都我刊我書房
「テキストの校正をここまで無視して発売された新刊を私は見たことがない」
▼『影を持つ女』 鷲尾三郎 東都我刊我書房
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消費者を軽んじたこのような事例は冒頭の二件以外にもあふれかえっているらしい。ここまでが長いマクラで、そろそろ今日の本題に入ろう。この一年の間に私が購入した探偵小説以外の新刊のうち、上記の例同様に、校閲がなされていなくて気分を害した二冊について述べたい。イエロー・マジック・オーケストラに関する音楽評論書、いわゆるYMOライターと世間で呼ばれている人間が書いたYMO本である。
まずCD・レコード販売会社 Disc Union 系列の出版部門DU BOOKSより2022年秋に発売された『シン・YMO』(著者:田中雄二)。この本がまた、なかなかお目にかかれないぐらいに誤字というか誤記の数がすさまじい。著者は校正費が少ないからこうなってしまったと発売後に言っていて、事実そうなのかもしれない。だからといって許されることではないし膨大なミスの中でも私がかなり気になった記述がある。初版589ページ(☟)がそれだ。
私が田中雄二を心配しているのは著書以外にtwitterでもこんな発言をしているからだ。サカモトが80年代にDJを務めていたNHK-FM『サウンドストリート』に沢田研二が出演した回があって、ジュリーも実は『戦メリ』におけるヨノイ大尉の役を打診されていたのだが、断ったので結局はサカモトに落ち着いた。その辺の裏話が語られているこの回の『サウンドストリート』を運良く私は当時エアチェックしていたから何度も聴いてきたし、また現在youtubeにこの回の音源がupされているので、興味のある方は下のリンクから入って聴いてみてもらいたい。
(32分あたりで『戦メリ』について二人が語っている)
自分が丸坊主になるのは生まれて初めてだったのでサカモトはてっきりジュリーもそうだと早合点して「坊主になるのがイヤだったから断ったの?」と質問したところ、ジュリーは「いや中学時代は野球部だったから」と坊主刈り拒否を否定、ヨノイ役を受けなかったのはスケジュールの都合だったと語っているのが確認できる。ところが田中はどういう訳かtwitterにて「『戦メリ』は沢田研二が坊主頭嫌って降板した役を教授がやった話は有名。」と発信している。単なる勘違いならともかく『シン・YMO』のミスの多さを思うと、SNSのやりすぎなのか他のYMOライターに感情的になりすぎているのか、せっかく蓄積してきた知識を混濁させたまま発言してるようで痛々しい。
長くなるから簡略に記すが、後述する吉村栄一、さらに田山三樹/佐藤公稔といったYMOオタ・ライターへの田中雄二の憎悪はとめどない。だからこそ、彼らと己の違いを明確にするためにもテキストは正確に作成すべきだった。ボリュームがあって少ない校正費ではミスを免れなかったと言いたいのかもしれないが、他のDU BOOKSの本を読むかぎり、そこまで誤字だらけになっている印象がない。吉村/田山/佐藤の作るYMO本にロクなものがないのはそのとおりで『シン・YMO』は単純にメンバー三人の歴史を追うだけでなく、各時代の潮流や人間関係などが重層的に盛り込まれ内容的には優れているだけに、なんとももったいなさすぎる。
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さてもう一方の吉村栄一による『坂本龍一 音楽の歴史』(特装版)。版元は小学館。特装版は本体の評伝+ディスコグラフィー+写真集の三冊が小ぶりな函に入っているのだけども、こちらも問題山積みで定価13,200円に見合う内容とはとても言い難い。ディスコグラフィーなどなんとも見にくい上に、YMO『テクノデリック』の副題が〈京城音楽〉と記載されていたり、サカモトが関わった郷ひろみ「美貌の都」のシングル・ヴァージョンはアルバムとは全く異なるアレンジの別ヴァージョンなのにエディット・ヴァージョンなどと書かれていたり。もともと頭も良くなさそうだし編集センスの無い吉村栄一だが、よくこれでYMOの専門家を名乗れるものだ。
余談だがYMOライターと呼ばれる者に優秀な人はいない(優秀な編集者というのは昨年惜しくも亡くなった島本脩二みたいな人のことである)。それなのにYMO関係のアルバム・リイシュー盤や蔵出しアイテム等々が発売される際、どうしてレコード会社は毎回彼らを登用するのだろう?細野/坂本/高橋だって忙しいだろうからYMOライターのやる事を逐一すべてチェックなどしていないだろうし、またやっていたとしてもそれは周りのブレーンがやる仕事でしょ。田中雄二が常々怒っているとおり、90年代以降YMOライターはYMOにパラサイトしてきたし、それを有難がる頭の悪いYMOオタというのも存在してきた。YMOのメンバー三人ほどの知性にして、なんでYMOライターを野放しにしてきたのかそれがどうにも私には理解しがたい。とどのつまり持ちつ持たれつって事か?