2024年6月24日月曜日

『丘屋敷の秘密』加納十一

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小学館  中学生の友七月号附録
1949年7月発売



★★★   「殺人呪文」をリライトしてジュブナイル化




「丘屋敷の秘密」は雑誌『中学生の友』附録の、42頁小冊子に掲載されたジュブナイルである。作者・加納十一の著書にはもう一冊、昭和22年に発表された仙花紙本『殺人呪文』(勿論こちらは大人向け作品)が存在する。

 

 

 

◆『キング』◆

「虚実の駒」(昭和1110月号)

「最後の機巧(からくり)」(昭和123月特大号)

「榎荘の秘密」(昭和128月特大号)

「運命の蜘蛛」(昭和134月爛漫号)

「羅馬の指環」(昭和137月特大号)

 

 

◆『講談倶楽部』◆

「闘ふ詭計」(昭和13年新年増刊「侠艶痛快面白づくめ号」)

 

 

   は『殺人呪文』に収録

 

 

 

現物を手に取り目を通した訳ではないので、全ての作品が探偵小説かどうかは明言できないが、戦前の大日本雄辯會講談社系雑誌に加納十一の作品が六篇掲載されている。これだけ講談社の超メジャー雑誌に短篇を発表し、大手・小学館の中学生雑誌にも「丘屋敷の秘密」を書いているのだから、それなりの来歴があっても不思議じゃないのに、幻の探偵作家と呼ばれる人達の中ではそれほど知名度が高くない。なぜだろう?それはともかく「丘屋敷の秘密」の概況をどうぞ。

 

 

 

▶ 戦国時代、関東で勢力を振るっていた「港」氏という豪族があり、その子孫は不動明王の祠や三十六体の童子像、更に神社などを建てて、先祖の御魂を祀ってきた。古くから港家が暮してきた邸は、現在の長である港邦隆が改築、その建物を人は丘屋敷と呼んでいる。

さて、事故とも他殺ともつかぬ状態で港邦隆の死体が発見されて一週間・・・。遺された邦隆の子供・邦夫とサキ子、そして邦隆の亡き親友の息子・芳雄、この三名の少年少女には邦隆の弟・邦造、若くして亡くなった邦隆の妻の実兄・石原仙助らの目が光っていて油断ならない。そんな折、相馬治作と名乗る私立探偵が港家へやってきた・・・。 ◀

 

 

 

港家に代々伝わる〝呪文〟の伝承や、ラストに用意された大どんでん返し。ジュブナイルにしては手の込んだ設定で、「マスグレーヴ家の儀式」的要素だけでなく、カーっぽい雰囲気もある。それもそのはず、この「丘屋敷の秘密」は単行本『殺人呪文』の表題作長篇「殺人呪文」をリライトしていて、主要登場人物三名の名前・年齢など若干の変更はあるが、基本的なストーリーは同じ。

 

 

 

江戸川乱歩や角田喜久雄あたりの大家には、大人を対象とした作品を児童向けにリライトした本があるけれど、加納のようなマイナー作家でこんな例は珍しい。ジュブナイルともなると(特にポプラ社の本では)作者本人ではなく第三者が筆を執り、力ずくで内容を低年齢化していることが往々にしてある。そうではなく作者自身の手で「丘屋敷の秘密」が書かれているのであれば、『殺人呪文』が刊行された昭和22年から『丘屋敷の秘密』が雑誌附録として発売された昭和24年頃まで、加納十一はまだ作家として活動を続けていたものと推測できる。

 

 

 

しかし「丘屋敷の秘密」の場合は文字のフォントが非常に小さいばかりでなく、字面や話の流れをとっても(ジュブナイルのわりには)少々読みにくいのが難点、文章がヘタに感じる。そしてせっかく大どんでん返しが仕込まれているのに、最低限必要な説明が足りないので(詳しく書きたいけどネタバレになるから書けない)、辻褄が合ってるかどうか探偵小説好きな当時の中学生諸君はいまいち承服しかねたのではないか?こういう理由があるので「丘屋敷の秘密」ではなく絶対「殺人呪文」のほうから先に読んだほうがいい。

 

 

 

 

(銀) 『殺人呪文』は楽しめるのだが、『丘屋敷の秘密』のほうは少しオマケしても★★★が精一杯だなあ。いくら中学生向きにリライトしたとはいえ、「殺人呪文」と同じ人が書いた文章には思えないのだ。近親者、もしくは編集者が代筆している可能性も無くはない?まあリライトなんてそんなもんだけど、深読みし過ぎかな。「殺人呪文」は単行本を出すために書き下ろされたのか、その辺の事情も気に掛かる。






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2024年6月21日金曜日

『荒野の秘密』甲賀三郎

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春陽堂文庫
1932年8月発売



★★★★   探偵も警察も出てこず、トリック無しで勝負




『随筆黒い手帖』(☜)にて、戦前の国内探偵小説をお化け屋敷と揶揄した松本清張。先輩作家にもかかわらず故人だからか、甲賀三郎に対する物言いはとりわけキツイ。ただ、その中で、〝「荒野の秘密」の前半は印象に残る〟と洩らしている点が私は気になった。もし清張が甲賀を評価するとしたら、その作品は無難な「支倉事件」あたりでお茶を濁しそうなものなのに「荒野の秘密」とは意外だ。もう何年も前に読んだっきりだし、粗筋はおおよそ覚えているとはいえ、ディティールまでは頭に浮かんでこない。それで、この長篇を読み返してみる気になった。

 

 

 

「荒野の秘密」は婦人層をターゲットにした月刊料理雑誌『料理の友』に昭和61月号から昭和71月号まで連載された。挿絵担当は亀井実。戦前の女性誌に載る長篇探偵小説は大抵の場合においてメロドラマ風になる傾向が高く、これなどまさにその王道路線と言えるだろう。では登場人物を見て頂こうか。

 

 

 

【町田玲子】

御多分に洩れず、清純で美人な主人公。母はいない。

 

【町田陶造】

東京に居を構える玲子の父親。会社退職後、雑誌に小説風の実業物語を執筆している。玉垂村という茨城県下の寒村にある荒地が競売に出されたので、その土地を競り落とすよう現地に玲子を差し向ける。

 

【須田男爵】

白髪長身、六十恰好の品の良い老紳士。荒地競売入札者の一人。かつてはその村の大地主だったらしい。

 

【原山繁】

やはり東京からやって来た荒地競売入札者の一人。母一人子一人で暮らしている青年画家。

 

【原山きし子】

繁の母。因循な引込み思案、昔風の女性。亡き夫の意向により、九州の片田舎で人目を避けて侘しい生活をしていたが、幾つかの理由が重なった事から東京へ移住。なぜか町田陶造は彼女の顔をスケッチした画用紙を隠し持っていた。

 

 

 

【豐沼三吉】

玉垂村に近い山田村の住人。乱暴な獣のような気質と優しい地蔵様のような気質、二面性を持つ野卑な大男。玲子を自分のものにしたがっている。

 

【おくま婆】

玲子を敵視する意地の悪い老婆。

 

【博徒の源公】

玉垂村の外れにある飯屋の主人。前科持ち。彼の妹に関して豐沼三吉と対立。

 

【お力婆】

隣村から豐沼三吉の家に呼び寄せられた老婆。産婆・看護婦の経験あり。

 

【栗田春樹】

お力婆さんの回想に出てくる、農村へやってきた男振りの好い都の青年。自称画家。

 

 

 

玉垂村の荒地に埋められている忌まわしいもの、それを取り巻く謎が本作の背骨であることは言うまでない。さしたるトリックも見当たらず、涙香調スリラー劇のいったいどの部分が清張の心の襞に引っ掛かったのか?どうも私にはピンと来ないのだが、想像を逞しくして思い当たる理由を列挙するとしたら、こんな感じになる。 

 

A レギュラー・キャラクターに限らず探偵役、いや警察さえも使っていないこと
  → なんせ庶民派の清張は名探偵キャラが嫌いだからなあ。

 

B 競売のシーンから始まるというのは、確かにユニークかも。
   しかも売りに出されているのは、お宝でもなんでもない只の土地だし。

 

C 寒村に住む田舎の人々、通り一遍でない豐沼三吉の性格、この辺がよく書けている?
  → 田舎が描けてりゃ良いってもんでもないが。

 

D 本作のクライマックスで明らかになる数々の真相は、リアリティ最優先の清張から見ると、いかにも探偵小説らしい〈力任せ〉の産物だったので、飛び道具を使わずじっくり書けていると思ったストーリーも、最期のほうになって失望させられてしまった。だから、其処に至るまでの前半だけを褒めた?

→ 結末のサプライズに強引にぶっこんだ〝成りすましの錯覚〟について、甲賀は「常に暗がりだったから」と一応説明しているものの、この部分はいくら探偵小説とはいえ、詰めが甘かったと私も思う。

 

 

 

決定的なネタバレにならぬよう肝心なところはボヤかしておいたけど、私の浅い読解力ではこれぐらいしか浮かばない。まあ清張も高飛車な言い方をした手前、ちっとは甲賀をフォローしようとして、たまたま「荒野の秘密」を持ち出したのかもしれないけどね。

 

 

 

ただ読み返してみて思ったのだが、上段にて触れた〝錯覚〟の真相に至るまでの大枠は、アクロバティックな活劇や誰も知らない特殊知識によるトリックに頼らず、ミニマムな状況設定だけで勝負できている。黒岩涙香直系のオールド・スクールな題材だけれども、読み手をグイグイ引っ張り込んでゆく甲賀三郎流ストーリーテリングの見事さが如実に表れていて、本当は★★★★★にしたいぐらいの、楽しめる内容じゃないか。探偵役のレギュラー・キャラクターや理化学トリックを使わずとも、この男は面白い小説を書けるのだ。

 

 

 

 

(銀) 甲賀の随筆集『犯罪・探偵・人生』に収められた「探偵小說家の呪文」の中から、一部引用。

〝探偵小說はいかにリアリズムを裝うてゐても、結局メロドラマに過ぎないものである、と私は思つてゐる。だから、探偵小說には少くとも一ヶ所ぐらゐは馬鹿々々しいと思はれるところがある。探偵小說家の骨の折れるところはこゝであつて、もし彼がこの點を讀者に馬鹿々々しいと感ぜられたら、それこそ肩の肉を見られた「鐵の王子」見たいに、全く致命的なのである。〟

 

 

自ら、探偵小説にはメロドラマ性が付き纏うものだと吐露してます。何にせよ、これでもし甲賀が終戦間際に病死せず、戦後も現役探偵作家としてバリバリ活躍していたら、間違いなく甲賀三郎 vs 松本清張の火花を散らす舌戦が繰り広げられただろう。

 

 

過去にこちらの記事(☜)で、横溝正史が成りすましネタに嵌まっていた事を取り上げた。齟齬無くバッチリ成功している訳ではないけれど、同時期に甲賀も本作で成りすましを扱っている。この点が成功していれば、私の中で「荒野の秘密」はもうワンランク評価が上がっていた。

 

 

 

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2024年6月17日月曜日

TSUTAYAに復刊ドットコム、いずれもCCC傘下の同じ穴の貉

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 日頃、総じて私達は「ツタヤ」と呼んでいるが、正確にはレンタル事業のほうをTSUTAYA(蔦屋)、書店ビジネスは蔦屋書店もしくはTSUTAYA BOOKSTOREというらしい。鬱陶しいので、今日の記事は全てTSUTAYAで通させてもらう。




 先日、仕事の出張で私のところに来られた知人のKさんと夕食を御一緒した際、TSUTAYAの話になった。本が好きなことでは人後に落ちないKさん、ネットより街の本屋で買うことのほうが多いとおっしゃる。実店舗書店にしてみれば、最も大切にしなければならない上客である。

 

 

そのKさん曰く、例えば版元で既に販売終了している本を欲しくなり、通販サイトではどこも売り切れだが、自分の住んでいる都道府県からかなり離れた地方のTSUTAYA店舗に、たまたまその本が一冊売れ残っていたとする。でもTSUTAYAの場合、最寄りの店舗へ取り寄せて購入したくともフランチャイズ等の区分けがあって、ジュンク堂や紀伊國屋等のように、どこの他店舗からでも取り寄せができる訳ではないそうだ。

 

 

「何のための全国展開なんでしょうね?」とKさんが口にする数々のTSUTAYA批判はことごとく的を射ており、書店としてTSUTAYAを評価していない私にも、思い当たるフシが多々ある。在庫検索システムなんて、まさにあの会社の本質を表しているのではないか。非常に使いづらく不親切だったとはいえ、以前はTSUTAYAwebサイトにて、全国どこの店舗の在庫でも、状況を確認することは可能だった。ところが最近はスマホにアプリを入れなければ、在庫検索ができない。携帯嫌いの私にとって、こんな事でアプリを強要してくる企業など下の下でしかない。

 

 

TSUTAYAの母体は、CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社)という。2000年代半ば、〈すみや〉〈新星堂〉など歴史のあるドメスティックなレコード・CDショップのみならず〈ヴァージン・メガストア・ジャパン〉まで我が物顔に吸収していった頃から、なんとなく私はCCCに対して嫌悪感を持つようになっていた。多くの日本人がCCCの本性を知るに至ったきっかけは、彼らが2013年以降、各地の公共図書館へ触手を伸ばし始め、運営受託の名のもとに図書館を次々と内部破壊していった事による。

 

 

この事業に、最初から強く異議を唱えていた人は少なくなかった。案の定、CCCを指定管理者にした結果、最も大切に保存すべき郷土史資料などは真っ先に廃棄処分され、施設本来のあり方はそっちのけ、オシャレ空間最優先のTSUTAYA図書館にされてしまっている。そればかりかCCCの傘下にあるネットオフ(これも元はブックオフの暖簾分けみたいな会社だった)によって、ダブついた不良在庫のゴミ本を押し付けられ、惨憺たる状態。佐賀の武雄市図書館や神奈川の海老名市立図書館は、今どうなっているのだろう?「地方自治体の人間がアホすぎるから」と言ってしまえば確かにそうなのだけど、綺麗ごとを並べて擦り寄ってくるCCCこそ、諸悪の根源じゃないのか?

 

 

 

 

 あと、どうしても触れておかねばならないのは、やはり復刊ドットコム(☜)何度か私のBlogで取り上げているこの会社も、スタート時は楽天と手を組んでいたが、今ではCCCグループのカルチュア・エンタテインメント100%株主。市場から姿を消してしまった作品や書籍の復刊を売りにしているのだが、作業のためにコストがかかるとはいえ、設定価格は一般ユーザーを全く無視している。その点に目をつぶったとしても、〝完全復刻!〟などと謳っておきながら、昭和ゆえの表現にいちいち余計な言葉狩りなど自主規制を行うので、高額な価格に見合わぬ欠陥商品に終わっていることが多い。



~下の画像もクリックすれば、拡大して見れます~





 









このような偽善臭漂うコンプライアンスは、親会社CCCからのお達しだと私はニラんでいるが、皆さんはどう思いますか?参考までにリンクを張っておくので、ぜひ過去の復刊ドットコム絡みの記事も読んで頂きたい。

 

 



 



 

手塚治虫作品をスポイルする自主規制の元を追ってみた  

 

 

 

 

 かつてのTSUTAYAといえば誰だか知らない女性シンガーの歌う、既存のヒット曲のボサノバ風カバー店内フロアに流し、オーガニックさをアピールする程度の雰囲気作りだった。それがCDDVDレンタルの衰退を見るや否や、カフェのスペースをこれでもかと拡張したり、書店とはまるで関係の無いものばかり売っている。書店/図書館に関わらず、うわべだけコージーに見えても中身は空っぽのTSUTAYA戦略を「おしゃれ~」とか「斬新~」とか喜ぶ田舎者がいたりするから、余計に彼らは図に乗ってくる。


 

超大型店のTSUTAYAがあるような中心部にお住まいの方は、他の大手書店も必ずそれなりの店舗を構えているだろうし、本の品揃えにストレスを感じることはあるまい。しかしそうでない地域に暮らしている方、特に本のお好きな方は、現物をあれこれ手に取って見ることができず、不便極まりないと思われる。そういう環境に置かれている方が「たとえショボい品揃えでも、自分の行動範囲にTSUTAYAが一軒あれば助かる」と考えてしまうのは仕方のないことだ。それこそ紙の本を必要としているユーザーの役に立つ企業になりうる筈なのに、あくどい真似をしてまで各方面に害を為すCCCを、私はこれっぽっちも信用していない。







(銀) 県立や市立の図書館のそばに幼児~小学生向け「こども図書館」を見つけたりすると、一見とても子供の教育に熱心なように映るけれども、その実TSUTAYA図書館と同じく、本来あるべき資料の所蔵と提供を放棄するため、ガキを隠れ蓑にしているんじゃないのか・・・と、つい詮索してしまう私である。







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図書館は郵送複写サービスがそんなにもイヤなのか?




















2024年6月13日木曜日

『怪奇探偵ルパン全集②水晶の栓・怪紳士(下)』ルブラン(原著)/保篠龍緒(譯)

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平凡社
1929年5月発売



★★★★★   保篠か 保篠以外か





『名探偵読本7/怪盗ルパン』に収録されている小林信彦+田中潤司+榊原晃三による座談会「怪盗ルパンの虚と実」。そこで小林信彦はこう語る。

 

〝ぼくの読んだ〈ルパン〉は、あくまでも保篠がつくったものでしょう。だから、そのプラスとマイナスとあると思うんだけれども、ともかくそれしか知らないわけだから。それでその後ね、もっと正しい訳だと思うけどね。読んでみても、なぜだか違うわけですわな。あのべらんめえ調じゃないと気分が出ない(笑)。〟

 

一方、若い頃中井英夫のアシスタントをしていた『新青年』研究会メンバーの村上裕徳は、『「新青年」趣味Ⅺ』にて羽根木時代を振り返り、軽装版の保篠龍緒訳ルパン全集を揃えていた中井のこんな発言を紹介。

 

〝堀口大学の訳は典雅過ぎちゃって・・・・、やはりルパンは保篠の訳じゃないと面白くない〟

 

 

 


昭和20年代まで、ルパン・シリーズを読むなら翻訳者はほぼ保篠龍緒一択といっていいぐらい彼の一人舞台だったし、アルセーヌ・ルパンを日本に根付かせた保篠の功績に異議を唱える人などいないと思う。そうは言いつつ、保篠の訳が頭に刷り込まれた小林信彦や中井英夫のような世代がいる反面、時代が下ってきて保篠以外にも様々な人がルパン翻訳を手掛けるようになると、「保篠のルパン訳はアラが多い」といった声がチラホラ出始めて。

そんな批判も併せて紹介したいのだが、それがどの本(あるいは雑誌)に載っていたか、どうしても思い出せない。とりあえずここでは、保篠のルパン訳に否定的な見方をする人も少なからずいる事のみ記しておく。

 

 

 

前にも書いたとおり、保篠龍緒の創作ものは文章に深みが感じられず、一度読めばもう十分なのに、ルパンの翻訳だとなぜかそこまでつまらなく感じないのは不思議だ。とにかく私はルブランが勝手にホームズとワトソンをダシに使っているのがイヤなので「怪人對巨人」は論外。「奇巌城」など子供の頃一番最初に読んだルパン・シリーズであり、ホームズさえ出てこなければもっと褒めたい作品なんだが、これも却下。そうなると長篇ではやっぱり「813」か「水晶の栓」がトップに来る。

813」とその敵役LMに比べ、「水晶の栓」と怪代議士ドーブレクは(本書ではこう表記しているので、ここではそれに従う)過小評価されてるような気がして、今日は「水晶の栓」を選んでみた。

 

 

 

保篠訳ルパンを一度も読んだことのない方は、いわゆる彼のべらんめえ調についてどんなイメージを持っておいでかな?捕物帳みたいな口調?では、昭和4年に刊行された本書『怪奇探偵ルパン全集②/水晶の栓・怪紳士(下)』より、ルパンがドーブレクに見得を切るシーンの一節を見て頂くとしよう。(括弧内はルビ)

 

 

ルパンはフゝンと肩を峙(そびや)かして、
「狒々野郎、默れッ」と怒鳴り付けた。「貴樣は人は誰れでも皆貴樣の樣に、獰惡、無慈悲だと思つてゐやがるんだ。オイ、俺の樣な怪賊が、道樂にドン・キホーテの眞似をして居ると思つて居るのか?貴樣は俺がそんな醜惡な野心を以て此の事件に飛び込んで居ると思つて居るのか?そんな事を捜すない。貴樣なんぞには到底俺の心意氣なんざあ解りやせんぜ、爺(おやぢ)。それよりも、俺の問題に返事をしろ・・・・どうだ、承知するか?」

 

 

同じ場面を、小林信彦と中井英夫が保篠訳との比較に挙げていた堀口大學の訳でどうぞ。使っているテキストは新潮文庫『ルパン傑作集(Ⅵ)水晶栓』(昭和3585日発行/平成5122536刷)。

 

 

ルパンが肩をすぼめてみせた。
「けだものめ!」吐き出すように彼が言った。「あんたは他人まで自分みたいに情け知らずの冷血漢だと思っている。あんたさぞ驚いているだろう。わしのような悪党がドン・キホーテの役をして時間つぶしをしているのが腑におちかねて?だからどんな下劣な動機でわしが動いているかと考え込むんだ?だが無駄だから探すのは止せ、あんたの頭じゃ解りっこない。それよりもさっさとわしに返事をしな・・・・・承知するかい?」

 

 

 

この部分は『怪奇探偵ルパン全集②水晶の栓・怪紳士(下)』において、べらんめえ調が突出して目立っているのでお目にかけた。如何だろう?漢字の使用が多い保篠訳の字面を現代人が読んだら目がチカチカするかもしれないが、雰囲気を盛り上げる熱気みたいなものはこちらのほうが確かに伝わってくるし、このセリフだけ見ればなんともバタ臭く受け取られそうだけど、全体的にはそうでもない。

後発の堀口訳はどうか?一見するとわかりやすくて読み易くなったように感じるわりに〝わしのような悪党がドン・キホーテの役をして時間つぶしをしているのが腑におちかねて?だからどんな下劣な動機でわしが動いているかと考え込むんだ?〟のところなんかクセがあって、拒否反応を示す読者もいるかも。なにより堀口はルパンに〝わし〟と言わせているのが個人的に好きじゃないね。

 

 

 

保篠がルパン・シリーズをどのぐらい正確に翻訳しているのか、フランス語原文を読めないことには判断できないから、最終的には訳された文章の好みの問題になる。かつて東京創元社が提言したように、Lupinはリュパンと発音するのが本当は正しいのだろうが、我々日本人はあまりにもルパンと呼ぶことに慣れ過ぎてしまって、今更リュパン表記を受け入れるのは非常に難しい。そういった肌感覚も含めて、少なくとも私は堀口訳より保篠訳のほうが楽しめる。保篠のルパン訳は山中峯太郎のホームズ訳に比べれば(あれはもはや訳ではなく翻案なのだろうが)、ずっとまともだし。

 

 

 

保篠訳のルパン本は大正から昭和に至るまで膨大な数に上るため、同じ作品でも翻訳された文章は時代によって微妙に変化しているのではないか?今日は保篠と堀口大學の訳を比べてみたが、同じルパン作品の保篠訳でも、版元が変わったりして本が出し直されるたびテキストに手が加えられているのか、そのうち検証してみたい。

 

 

 

 

(銀) 『怪奇探偵ルパン全集②』は「水晶の栓」だけでなく、短篇「ハートの七」「王妃の首飾」を併録。平凡社は一番最初のルパン短篇集「怪紳士」を一冊に纏めず、①と②に分散させており、こういうのは得てして各巻のページ数を調整したい目的によることが多い。そのせいで本巻のタイトルは『水晶の栓・怪紳士(下)』になっているのである。

 

 

 

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2024年6月12日水曜日

『甘美な謎』矢野徹

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あまとりあ社
1958年12月発売



★★   それほど「甘美」でないのがマイナス点




〝エロチック・サイエンス〟の角書きがある。戦後SF同人グループについて私は詳しくないが、本書の刊行は矢野徹のキャリアがスタートしてまだ間もない時期だし、あまとりあ社の方向性に合いそうなものを各種同人誌に既発だった作品の中から取り急ぎピックアップしたのかもしれない。とにかく〝エロス〟のコンセプトがノーマライズされていない不満は拭いきれず、期待外れに感じた私のファースト・インプレッションは今でも変わっていない。

 

 

 

六つの短篇のうち、初出誌が判明しているのは「そして戦は終った」のみ(『探偵実話』1957年第8巻第10号)。「下着に手を」「百五十一台目の提琴」「摩耶の指輪」には共通して竜神三郎なる登場人物が起用されているわりに、彼のキャラ設定はてんでバラバラ。単に同じ名前を主人公に与えているだけと言っても過言ではない。

 

 

 

「下着に手を」のストーリーの中で、地球人は既に宇宙への進出を果しており、竜神三郎は言うなればウルトラ警備隊のような組織の情報部に属する少佐である。銃撃を受けた彼はヘラクレスばりのマッチョなボディを蜂の巣にされるも、別の女性の肉体へ脳だけ移植する手術を受けて再生。結果、外見は肉感的なオンナだが中身は気色悪いオカマに。この種の笑いは自分の趣味じゃないし、いきなり冒頭から躓いてしまう。

 

 

 

続いて「百五十一台目の提琴」。主人公はシャーロック・ホームズを崇拝する放送局勤めのサラリーマンゆえ、読む側の私がミステリ風の趣向を待ち構えていると、アンドロメダ星からやってきた宇宙人が正体を現し・・・。そして「摩耶の指輪」。元・航空自衛隊パイロットで今は新聞記者に転職している竜神は人工衛星基地建造に駆り出され、ロケットに乗って宇宙に向かうが、そこには得体の知れない白い霧のような怪物が棲息していた・・・。二作とも悪くない着眼点はあるんだけど、それが発酵しきれていないというか、文章が簡素なのでもっとコクが欲しい。

 

 

 

そんな竜神三郎登場作に比べたら、ノンシリーズもののほうがまだ幾分か良さげ。東西冷戦下で核の脅威にさらされていた時代のSF小説らしく、原水爆の使用によって放射能まみれになった第三次大戦後の世界を舞台にしているのが「そして戦は終った」。科学者と思われる日米混血の美女・有梨沙の振りまく〝エロス〟はあまとりあ社のカラーともマッチしていて、キャラ立ちも良い。「村に来た男」にて奈良の山奥にある村落に出現する異形の男・トモの神秘性、またトモに恋する若菜、逆にトモに反感を抱く巫女と梟師を脇役に置いての寓話っぽさも悪くはない。

 

 

 

「航海士の日記」は前半、隕石のような空飛ぶ赤い火の玉を目撃してしまった航海士の心の中に悪魔が宿り、双生児の兄を殺害。後半に至っては義姉・雪子そして自分の許嫁・純子の体を両方弄ぶまでエスカレートする。ここでは江戸川乱歩「パノラマ島綺譚」がサンプリングされている訳だが、なにも「猟奇の果」みたいに前半と後半の〝いびつ〟なところまで真似する必要はなかった。

 

 

 

〝サイエンス〟はさておき、せっかく書名を『甘美な謎』としているのに〝甘美さ〟が徹底されていないのはちょっと・・・。エロチックな要素は申し訳程度というか、取って付けたぐらいにしか感じられない作品が多い。この記事の始めに「〝エロス〟のコンセプトがノーマライズされていない」と書いたのはそういう事だ。やっぱあまとりあ社から出す本なら、ベースとなるエロは効果的に見せなきゃ。

 

 

 

(銀) 私は矢野徹について語れるほどの知識を持っていないし、この先も彼の本を読む機会はまず無いだろう。「そして戦は終った」あたりは「009ノ1」(石森章太郎)を読んでるみたいですごく好みなんだが・・・。






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2024年6月5日水曜日

『随筆黒い手帖』松本清張

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中公文庫
1974年6月発売



★★   清張の「探偵小説=お化け屋敷」発言はここで読める




昭和35年(1960年)の『日本の黒い霧』に続いて、翌年松本清張は『随筆黒い手帖』を発表。本日は最初に文庫化された時の中公文庫版を使って話を進める。

 

 

「推理小説の魅力」

推理小説の読者/日本の推理小説

 

 

言葉は選んでいるものの〝タンテイ小説は過去の産物だ〟と蔑視しているフシが伺えることは、あえて私が説明しなくたって、探偵小説の読者なら大方察知している筈。ロマン小説や中間小説がつまらなくなってきたので大衆は推理小説を手に取るようになったと前置きしつつ、若い頃どんなものを読んできたか、自分の読書体験を交えて先達探偵作家を評すると共に、坂口安吾と歩調を合わせるかのごとく(☜)、清張も本格ミステリの非現実ぶりに批判を浴びせている。では戦前の作品・作家に対し、どのような見方をしているのか、拾ってみよう。

 

 

〝日本の題材に、外国の密室トリックを応用したり、ハードボイルド風の行動を持ち込んでも不自然。〟

 

森下雨村/平林初之輔  〝その名訳ほどには(創作は)面白くない。〟

 

江戸川乱歩  〝「一寸法師」あたりから、いわゆる講談社の通俗雑誌に走るようになって、私の乱歩への傾倒は消滅した。〟(銀髪伯爵・注/「一寸法師」は新聞連載作品)

 

甲賀三郎  人物が類型的だし、筋の設定もそのルパン式低俗さについていけない。〟

 

小酒井不木  〝よく言えば書斎風、悪く言うと素人臭くて閉口。「恋愛双曲線」などは悪作である。〟(銀髪伯爵・注/「恋愛双曲線」ではなくて「恋愛曲線」)

 

 

その他、夢野久作は同郷のシンパシーもあってか、「あやかしの鼓」を引き合いに出して褒めている。また、小栗虫太郎のペダントリーを坂口安吾はボロカスに批判していたが、清張は意外に好意的。虫太郎に対するこの二人の評価の違いは研究に値するテーマかもしれない。こういった論旨を経て発せられるのが例の〝探偵小説を「お化屋敷(ママ)」の掛小屋からリアリズムの外に出したかった〟発言である。

 

 

 

「推理小説の発想」

小説と素材/創作ノート(一)/創作ノート(二)

 

 

この章は2005年に光文社文庫より復刊された江戸川乱歩/松本清張(共編)『推理小説作法』にも収録されている。本書の解説で権田萬治は「この章こそ『黒い手帖』の圧巻」と書いているけれども、私は清張の創作舞台裏には全然関心を持てなくて、逆に本章以外の部分に興味がある。

 

 

 

「現代の犯罪」

黒いノート/『日本の黒い霧』について/松川事件判決の瞬間

「二つの推理」

スチュワーデス殺し事件/「下山事件白書」の謎

「推理小説の周辺」

スリラー映画/楽屋裏の話

 

 

しかし清張って、(メディアからの要望なんだろうけど)フィクションでない現実社会の犯罪にいちいち口を挟むのが好きだなあ。これもリアリズムの表れかね?「現代の犯罪」の章では小松川女高生殺し/新興宗教殺人事件/新宿柏木若妻殺し/貨車強殺事件/向島通り魔事件/三鷹ピストル事件/高見家惨殺事件/等々、当時紛糾していた数々の事件の感想が書かれている。自分の創作小説とも地続きになる部分をさりげなく読者に示したかったのか、それともTVのコメンテーター風に一言発したかっただけなのか、清張ファンじゃないので私にはわからない。

 

 

そんなアプローチの中、もっともスペースを割いていることもあってBOACスチュワーデス殺しに目が行く。そう、「黒い福音」の元ネタである。殺されたTというのは(フルネームで書かれているが、ここではイニシャル表記にしておく)少し尻軽で問題アリの女性。容疑者ベルメッシュ神父もまた、神に仕える立場のくせにやたらと女好きらしい(昔でいうところの色魔か)。




一見、情痴の果ての殺人と見えるそのウラには誰かの陰謀があるのかないのか・・・・初動捜査を失敗するわ、相変わらず日本は国際間での駆け引きに弱いわで、結果的にベルメッシュ神父は国外逃亡してしまい、あえなく迷宮入りに。神父の所属していたドン・ボスコ社の元締め・サレジオ会の信者が無条件に容疑者をかばい立てるので、清張は腹が立ってこのエッセイを書く気になったと語っている。

 

 

『日本の黒い霧』を補足する随筆もあるけれど、私みたいに「一度は読んでおきたい」と思う人以外は、そこまで重きを置く必要はない。『松本清張社会評論集』よりは読みがいがあるけど、『松本清張推理評論集 1957-1988』には遠く及ばず、そんな感じかな。

 

 

 

 

(銀) どのエッセイ集を読んでも清張に対する私のスタンスは何も変わらないのだが、甲賀三郎について〝「琥珀のパイプ」は感心したが、それ以後の氏の作品には、あまり魅力を感じなかった。ただし「荒野の秘密」の前半は印象に残る。〟とコメントしているのが気になった。「荒野の秘密」の前半に清張が褒めたくなるようなところってあったっけ?時間があったら再読してみるか。






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2024年6月2日日曜日

『あぶない刑事/港署全事件簿FILE3』

NEW !

VAP     LD-BOX
1995年7月発売



★★★★★   追いかけてヨコハマ




 たぶん、このBlogを一度も見たことの無い方がたまたま見つけてアクセスして下さっているのだろう。522日にupした『あぶない刑事インタビューズ「核心」』の記事の閲覧数が非常に多い。嬉しい気持ちは勿論だが、この反応は意外でもある。新作映画の怒濤のプロモーションによる瞬間風速現象とはいえ、「あぶない刑事」への関心がそんなに高まっているのか、エンタメ界隈をチェックする習慣の無い私にはいまいちピンとこない。1980年代のシンボルともいえる「あぶ刑事」が2024年にねえ・・・。

 

 

たくさんの方が『あぶない刑事インタビューズ「核心」』の記事を見て下さったので、御礼がてら(?)再び「あぶ刑事」ネタをupするが、今回紹介しているいにしえのLD-BOXは、今更わざわざ中古で探す必要もないアイテムだ。TVシリーズを観たいなら、それこそブルーレイBOXからデアゴスティーニが出しているお手頃価格のDVDコレクション(分売)まで様々流通しており、自分のニーズに合ったものを選ぶことができる。

 

 

レーザーディスクの時代、TV1stシリーズのLD-BOXは『あぶない刑事/港署全事件簿』FILE13の三セット、TV2ndシリーズは『もっとあぶない刑事/Yokohama Bay Box』Ⅰ~Ⅱの二セットが発売された。特典映像もブックレットも、そこまで持っておかなきゃならないものでもないし、これらはスルーして大丈夫。TV1stシリーズ全51話の中でやっぱり良いのは、好評につき放送が延長され脂の乗り切った後半。よってここでは、35話「錯覚」以降、「疑惑」「暴発」「独断」「迷走」「温情」「仰天」「恐怖」「脱線」「苦杯」「謹慎」「脱出」「報復」「無謀」「乱調」「狙撃」して最終回「悪夢」までを収録したFILE3を選んだ。


 

 

 

✈ Vシリーズ以外の「あぶ刑事」がつまらない理由のひとつに、ストーリーの中でタカとユージがいつも一緒にいすぎることが挙げられる。連ドラと違って一発勝負の映画では、主役の舘ひろしと柴田恭兵を常に見せていなければならない、そんな強迫観念がプロデューサーら制作陣にはあるのだろう。

でも、いくら「太陽にほえろ!」の前時代感を払拭するコンセプトであれ、結局「あぶ刑事」も刑事ドラマには変わりないのだし、「古畑任三郎」のように最小限の登場人物を動かして謎解きを見せるミステリとは根本から違う。本来この作品は(たとえ舘・柴田に比重を置くとしても)港署捜査課のメンバーが一体となって事件にあたる集団劇だったんじゃないか?言い換えるなら「古畑」と同様、いまいち映画には向いてないような。

 

 

TVシリーズではタカ(舘ひろし)とパパ(山西道広)のシーンは頻繁に見られる。ユージ(柴田恭兵)とトオル(仲村トオル)が組んで捜査に出ているエピソードも多い。トオルもしくは薫(浅野温子)が事件の中心になる回ばかりでなく、最初の頃は県警本部から派遣されている柴野(清水綋治)がセミ・レギュラーとして捜査課に加わってもいた。さすがに映画でそこまで枝葉を伸ばすのは無理だろうけど、内輪受けのギャグをセーブして捜査課のメンバーを上手く絡ませるぐらいのことは出来た筈。TV1stシリーズでは緊張感が一定にキープされているので、バックに流れる「Cops And Robbers」「Running Shot」「Bacon,Ham,And Scrambled Eggs」「Fugitive」といった一連の曲も映像に溶け込み、観る人の印象に強く残る。




(小林信彦によれば)クレージー・キャッツの映画「クレージー大作戦」について荻昌弘は、〝クレージー・キャッツの映画っていうのは、七人でやる必然性のない話が多いんですよ。その点で、うまく行っていると思いましたがね。〟と述べたそうだ。「あぶ刑事」もそれに近い問題を抱えている気がしてならない。映画を作るたびに捜査課のメンバー達はすっかり〝おフザケ〟一発芸要員にされてしまって、あれじゃ居ても居なくても一緒。TV1stシリーズとそれ以外のものとの埋められないギャップの要因はここにある。

 

 

脚本を担当してきた大川俊道や柏原寛司あたりは、私なんかに言われなくたって、この辺の問題はきっとわかっているに違いない。その証拠に、大川は「X」で〝「悪夢」の時の薫が一番良かった〟とつぶやいていたし、柏原が脚本ではなくオリジナルのノベルス本『あぶない刑事 1990』で近藤課長(中条静夫)定年退職間際の事件を執筆したのも、初期の「あぶ刑事」に回帰したい気持ちの表われとは言えまいか。すっかりチンドン屋みたいになってしまった薫とナカさん(ベンガル)を見せられるたび、ドン引きしてしまうのは私だけではないと思う。







(銀) 最新作『帰ってきた あぶない刑事』は、もう横浜で100%撮影できなくて、地方でのロケも多いんだってね。それって富良野で「北の国から」を撮れないようなものじゃん?TV1stシリーズが素晴らしいのは、いつの間にか失われてしまった港町ヨコハマの風景がたっぷり楽しめるから。あの頃、大黒埠頭もベイブリッジもランドマークタワーもまだ完成していないし、山下公園前のバーニーズ・ニューヨークは影も形も無かった。まさかBUND HOTELが壊されて、その跡地にドンキが立つとは・・・。





現在はどんな風に変貌したのか詳しく知らないが、「あぶ刑事」が始まった頃の横浜はオシャレで華やかなイメージがある反面、銀星会(初期「あぶ刑事」でヨコハマを拠点に活動していた暴力団)のような組織がいてもおかしくない一郭は確かに存在していた。シャブや拳銃の取引が行われていそうなうらぶれた酒場・フーゾク街、さらに倉庫街や米軍跡地なんかもあって、陽と陰のコントラストが魅力的な、「あぶ刑事」には不可欠な街だった。






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