2022年9月15日木曜日

『松本清張推理評論集1957-1988』松本清張

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中央公論新社
2022年7月発売




★★★★★   清張は好きじゃなくても
                 この本は読む価値がある




❆ 私のBlogで扱っているような探偵小説、そして私のBlogではまず扱わない社会派推理小説、この二つのビミョーな関係について松本清張が大なり小なり言及している評論/エッセイの類いを一冊に纏めた、今迄ありそうでなかった単行本が上梓された。私のように清張/社会派推理小説が全く好きではない人間にも改めて発見を与えてくれるし、これを読んだからって清張派に乗り替える・・・なんてことはまず無いにせよ、中央公論新社のGoodな企画には拍手を送りたい。

 

 

 

❆ ミステリに必要な要素としてつねづね清張が口にするのは〝人間描写〟〝犯罪動機の追求〟〝現実感〟〝社会性〟なのだが、「荒唐無稽でリアリティの無い作品はお呼びではないけれども自分だってトリックをないがしろにしている訳ではない」と言わんばかりに幾つかのトリッキーな自作のアイディア(もちろん作品名は伏せてある)を披露したりもしている。それらのトリックは(当り前だが)探偵小説でも十分活かせるものだ。


江戸川乱歩、はたまた恩人である木々高太郎に敬意を払っているのは想定内ながら、決して文章が上手いタイプとはいえず、清張にとっては批判の対象だとばかり思っていた甲賀三郎の短篇を「ある意味では好きだった」と述べているのは意外。我々は清張がなんでもかんでも日本探偵小説を否定的な目で見ているように捉えがちだけど、ミステリに対して彼なりに真っ当な事を考えていたのは、本書を読めばよくわかる。

 

 

 

❆ もっとも、清張と社会派推理小説がシーンの中心に祭り上げられた1950年代の後半頃には、横溝正史の存在を無視しているとかなんとか、荒正人にケンカを売られていたりもしていて。


私は清張の書いたものを逐一細かく読み知ってはいないから、この本へ拾い上げるべき内容の清張評論に取りこぼしがないか断言はできないが、本書を読む限り横溝正史の名はわずかに出てはきても、その頻度は他の戦前探偵作家に比べるとかなり少なく、うがった見方をすれば正史を認める言動といったものは、あまり存在してなさそうな気配が漂う。
(ここにはよく知られたる、清張がそれまでの探偵小説を「お化け屋敷」と揶揄したエッセイは収録されていない)
はてさて実際のところ、清張は正史のことをどう見ていたのだろう?

 

 

 

清張は北九州の出身(広島生まれ説もある)。貧しい育ちにコンプレックスを持っていたのか、自分を〝田舎者〟だと語っている。40歳を過ぎて作家デビュー、先輩にあたる国内探偵作家達に比べたらかなりの遅咲きであり、まさしく絵に描いたような苦労人といっていい。作家になってからは「もう東京都内にしか住みたくない」と述べてもいる。


地方出身の人には、その田舎臭さが嫌で嫌で一度そこから抜け出したらもう二度と戻りたくないと思う人も少なからず存在する。金田一耕助長篇で描かれる鬱陶しい田舎の因習に搦め捕られた世界観が、例の日本刀や釣鐘を使う作り物めいたトリック以上に肌に合わなかったのか、または単純に清張からすると正史は所詮乱歩の二番煎じとしか受け取れなかったのか、あるいはそれ以外に何か特別な理由があって正史には触れることをしなかったのか、つい下衆の勘繰りをしたくなるワタクシ。

この両名には不思議な共通項がある。正史は友人こそ多いけれど病気持ちゆえに外出できる機会がかなり制限され、一方の清張は宿痾みたいなハンデは無かったが、下戸だし友人と呼べる人もいなかった。状況こそ違えど余計な人付き合いをしなくていいぶん、二人は創作に専念することができたのだ。

 

 

 

❆ 本書は清張に対する偏見をなにかと矯正してくれるものの、私が一番共感を覚えたのは「日本の創作推理小説を不振にしたのは、皮肉にもこの小説の熱心な支持者である〈鬼〉に一半の原因があると思っている」という一文である。


このBlogでもたまに使う表現だけど、探偵小説に取り憑かれた人々のことを昔から〝探偵小説の鬼〟と呼んだりする(この場合の鬼とは作品を執筆する側の探偵作家を示しもするし、はたまた読者を示したりもする)。清張が〝探偵小説の鬼〟たちの何がいったい日本のミステリをダメにしたと思っていたかは本書をゆっくり読んで頂くとして、読者側の〝探偵小説の鬼〟たちが持つ或る種の幼児性というものは時代が下るにつれ益々悪い方向に増長し、90年代の後半に発生してきた所謂モノマニア的な、その本がいずれ市場から無くなった時の値上がりを期待して探偵小説本を買い込むといった、なんとも心根の腐った連中ばかりに成り下がってしまった。


こんな輩は清張のファン層には全く見られない訳で、それを思うと私は清張ファンが少し羨ましくなる時がある。(清張研究家の郷原宏や藤井淑禎にはシンパシーの欠片も湧かないけど)

 

 

 

 

(銀) 21世紀になって22年経つが、探偵小説と違って松本清張や社会派推理小説の好きな人々によるマニアックな蠢動がいまだ一向に表面化してこないのは何故だろう。私はそれでも別に困りはしないけれど、そんなものなのかな。まあ世の中には清張の熱心なファンはきっと存在していると思うが、みうらじゅんがその片鱗をチラ見せする程度で、社会派推理小説というジャンルが再び注目されることは、まだしばらくの間は無いような気がする。



でも、探偵小説オタクみたいな卑しい人種が発生するぐらいなら、今の状態のほうが健全でいいのかもしれない。なんたって探偵小説のギョーカイはどんだけテキストが誤字脱字だらけでも、作り手も買い手も一向に危機感を抱かない老害ばかりだからね。




❛ 清張は横溝正史を全く認めていなかったのか疑惑 ❜について少々触れてみたが、そういえば美輪明宏がかつて「横溝正史は肥溜めの臭いがするから嫌い」てな発言をしたという話がある。この発言は放送メディア上で発せられたものなのか、あるいは活字メディア上で発せられたのか、不勉強にて私は知らない。どうして美輪さんがそんな正史批判をしたのか、私なりに推論は持っているけれど、この発言がなされたメディアが特定できた時にまた改めて書きたいと思っている。