昭和35年(1960年)の『日本の黒い霧』に続いて、翌年松本清張は『随筆黒い手帖』を発表。本日は最初に文庫化された時の中公文庫版を使って話を進める。
▼「推理小説の魅力」
推理小説の読者/日本の推理小説
言葉は選んでいるものの〝タンテイ小説は過去の産物だ〟と蔑視しているフシが伺えることは、あえて私が説明しなくたって、探偵小説の読者なら大方察知している筈。ロマン小説や中間小説がつまらなくなってきたので大衆は推理小説を手に取るようになったと前置きしつつ、若い頃どんなものを読んできたか、自分の読書体験を交えて先達探偵作家を評すると共に、坂口安吾と歩調を合わせるかのごとく(☜)、清張も本格ミステリの非現実ぶりに批判を浴びせている。では戦前の作品・作家に対し、どのような見方をしているのか、拾ってみよう。
〝日本の題材に、外国の密室トリックを応用したり、ハードボイルド風の行動を持ち込んでも不自然。〟
森下雨村/平林初之輔 ➤ 〝その名訳ほどには(創作は)面白くない。〟
江戸川乱歩 ➤ 〝「一寸法師」あたりから、いわゆる講談社の通俗雑誌に走るようになって、私の乱歩への傾倒は消滅した。〟(銀髪伯爵・注/「一寸法師」は新聞連載作品)
甲賀三郎 ➤ 〝人物が類型的だし、筋の設定もそのルパン式低俗さについていけない。〟
小酒井不木 ➤ 〝よく言えば書斎風、悪く言うと素人臭くて閉口。「恋愛双曲線」などは悪作である。〟(銀髪伯爵・注/「恋愛双曲線」ではなくて「恋愛曲線」)
その他、夢野久作は同郷のシンパシーもあってか、「あやかしの鼓」を引き合いに出して褒めている。また、小栗虫太郎のペダントリーを坂口安吾はボロカスに批判していたが、清張は意外に好意的。虫太郎に対するこの二人の評価の違いは研究に値するテーマかもしれない。こういった論旨を経て発せられるのが例の〝探偵小説を「お化屋敷(ママ)」の掛小屋からリアリズムの外に出したかった〟発言である。
▼「推理小説の発想」
小説と素材/創作ノート(一)/創作ノート(二)
この章は2005年に光文社文庫より復刊された江戸川乱歩/松本清張(共編)『推理小説作法』にも収録されている。本書の解説で権田萬治は「この章こそ『黒い手帖』の圧巻」と書いているけれども、私は清張の創作舞台裏には全然関心を持てなくて、逆に本章以外の部分に興味がある。
▼「現代の犯罪」
黒いノート/『日本の黒い霧』について/松川事件判決の瞬間
▼「二つの推理」
スチュワーデス殺し事件/「下山事件白書」の謎
▼「推理小説の周辺」
スリラー映画/楽屋裏の話
しかし清張って、(メディアからの要望なんだろうけど)フィクションでない現実社会の犯罪にいちいち口を挟むのが好きだなあ。これもリアリズムの表れかね?「現代の犯罪」の章では小松川女高生殺し/新興宗教殺人事件/新宿柏木若妻殺し/貨車強殺事件/向島通り魔事件/三鷹ピストル事件/高見家惨殺事件/等々、当時紛糾していた数々の事件の感想が書かれている。自分の創作小説とも地続きになる部分をさりげなく読者に示したかったのか、それともTVのコメンテーター風に一言発したかっただけなのか、清張ファンじゃないので私にはわからない。
『日本の黒い霧』を補足する随筆もあるけれど、私みたいに「一度は読んでおきたい」と思う人以外は、そこまで重きを置く必要はない。『松本清張社会評論集』よりは読みがいがあるけど、『松本清張推理評論集 1957-1988』には遠く及ばず、そんな感じかな。