♯ 「雪原の謀略」が角書きどおりの防諜探偵小説であるのを知ってもらうには、オープニングの数行を御覧頂くのが手っ取り早い。
支那事變に入つてから既にさうであつたが、殊に大東亞戰爭が勃發してから、我國の情勢が急激に變貌した。新聞もこの例に洩れず、殊に社會面の如きは面目を全く一新した。すべてが大東亞戰を勝ち拔く爲の一點に集中したのである。
昭和日報の記者獅子内俊次の仕事も亦一變した。最早單なる殺人事件の追求や、特種爭ひや、讀者の興味を唆る記事の作成ではなくなつた。彼の主なる仕事は防諜であつた。國民に防諜に對する關心を起させ、防諜に關する知識を興へ、進んで實際の防諜に當る事であつた。かうした仕事は彼の先天的の探偵手腕と膽力と機敏による爲であり、之まで「姿なき怪盗」その他いろいろの探偵事件に成功し、殊に最近「印度の奇術師」事件で、敵性スパイ國を殲滅した才能を認められたのによるものであつた。
♯ 「印度の奇術師」並びに「雪原の謀略」の初出は書き下ろしか、それとも連載か、現在でもまだ判明していない。とはいえ上記のとおり獅子内俊次直近の事件は「印度の奇術師」だったと書いてあるし、さしあたり「雪原の謀略」を獅子内俊次第六番目の長篇と見做しても問題はなかろう。
第五長篇「印度の奇術師」は東京市民の若い女性がモンペ+火事頭巾姿で防空訓練に励んでいるシーンから幕が上がる。同じくその第一章にて獅子内の上司である「昭和日報」の尾形編集長が〝日本に対して英国が資金凍結を行っている〟と語っており、日米が一発触発の危険な状態にあるのはハッキリしていた。それが「雪原の謀略」では遂に大東亜戦争勃発、容易ならぬ戦時体制の中で獅子内は活躍しなければならない。東京市民がモンペ+火事頭巾姿で防空訓練をやり始めたのはいつだったのか、しっかり精査していないので曖昧だけれども、作品の中に描かれている当時の日本の状況から「印度の奇術師」及び「雪原の謀略」の執筆時期を考察してみると、次のような流れになる。
昭和12年10日 日本、防空法施行
昭和16年7月 英国、在英日本資金を凍結
昭和16年11月 日本、防空法改正
この頃、甲賀「印度の奇術師」執筆開始?
昭和16月12月 日米開戦
昭和17年4月 米国B25機、初めて日本本土を飛来空襲
(のちの大空襲とは違い、この頃はまだ軽いジャブ程度の攻撃だった)
昭和17年6月 甲賀、日本文学報国会事務局総務部長に就任
昭和17年8月 『印度の奇術師』、今日の問題社より刊行
この頃、甲賀「雪原の謀略」執筆開始?
昭和18年10月 『雪原の謀略』、大道書房より刊行
「雪原の謀略」に着手するのはもう少し早い昭和17年前半の可能性もある。より細かくテキストを追っていけば更なる手掛かりが見つかるかもしれないが、今日は時間が無いので執筆時期調査はここまで。タイトルに〝雪原〟と入っているのは獅子内がシベリアとか極寒の大陸へ潜入するからではなく、信州方面が舞台になるのがその理由。国と国がキナ臭くなる前に相手の国へ忍び込み、非常時になったら間諜として暗躍を開始する者のことを甲賀は本作の中で〈残留スパイ〉と呼んでいる。ネットで調べてもヒットしないのだが、これって甲賀の造語?
♯ 獅子内俊次シリーズ長篇は当初から本格テイストでなくアクティヴなスリラーだったのが幸いしたのか、こうして国家の情勢により獅子内が敵対する相手の毛色は変わっても、小説のノリ(groove)はそんなに変わらない感じがする。獅子内にしても尾形編集長にしても戦時下だからといってキャラ変させられる憂き目は回避できたようだ。本作で獅子内を退場させるつもりなど甲賀には毛頭なかったろう。それだけに、戦争が終わったあと再び獅子内の活躍を楽しむことができなかったのは探偵小説読者にとって痛恨の極みなり。
(銀) 獅子内俊次シリーズ長篇のすべてが手放しで高評価できる内容とは限らない。本作も「姿なき怪盗」と肩を並べられる出来かといえば、それは難しい。とはいうものの、敵役はスパイなれど犯罪色は残っているので、日本探偵小説における戦時下の長篇としてみるならそんなに悪くもない(昭和17年~20年の間に日本の探偵作家が書いた長篇を思い出してほしい)。さすがに★5つは控えたけれど、甲賀が好きなのでこの本には愛着がある。
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