2023年9月2日土曜日

『芙蓉屋敷の秘密』横溝正史

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春陽堂書店  日本小説文庫(探偵小説篇)
1936年11月発売



★★★★   博文館在籍時のモラトリアム作品




専業作家として独り立ちする以前、博文館編集者だった時代の横溝正史作品を読むと、小器用さこそあるけれど、登場人物の色付けまではまだ手が回ってなさそうな感じはする。「芙蓉屋敷の秘密」の探偵役・都築欣哉は子爵の次男坊にあたる実に家柄の良い青年で、由利・三津木コンビや金田一とは全然共通項が無い。作者はこの青年私立探偵がピンと来なかったのか、都築欣哉の事件がシリーズ化されることはなかった。余談はさておき、この本の収録作品を発表順に並べ変えてみると、若かりし正史の興味の矛先がぼんやり見えてくる。





 「裏切る時計」  大正15年2月/『新青年』発表 

これのみ博文館入社前の作。入社法学士を経て貿易商に勤務と、順調なコースを歩んでいた河田市太郎だったが、景気悪化に伴い不正事業に手を染める。しかも交際相手の山内りん子にすっかり厭きてしまって殺害。話の主軸はアリバイ崩壊、そこに皮肉な勘違いを一枚噛ませている。






 「富籤紳士」  昭和2年3月/『週刊朝日』発表

千人もの縁遠そうな未婚女性たちが会員登録している〝富籤結婚倶楽部〟。彼女らが一枚百圓の富籤を買い、それによってプールされる十萬圓に対し、十二枚の當り籤が用意される。運良く當り籤を引いた女性はパートナーとなる男性だけでなく、分配金まで与えられる奇妙なシステム。高砂屋のお主婦によって並河三郎は男性パートナー十二人のうちのひとりに推薦されるが・・・なんということもないコント風の内容。





 「ネクタイ綺譚」  昭和2年4月/『新青年』発表

同じくコント風。〝元来、黄色といふものは、あまり人に好かれない色である。〟という一文があるけれど、昔の人の感覚かしらん?もしくは正史自身の趣味?






 「双生兒」  昭和4年2月/『新青年』発表

江戸川乱歩作「双生兒」に挑戦するかのように同じタイトルかつ似た素材で書かれた短篇。初出時には〝A sequel to the story of same subject by Mr. Rampo Edogawa〟の一文が添えられていたが本書では省略されている。妻が自分の夫になりすました別の男と閨房を共にする恐怖がメインなれど、六年後に発表される「鬼火」の主役である代助と万造のいがみ合いを思い起こせば、本作の双生兒/尾崎唯介・徹の影をどことなく引き摺っているように見えなくもない。






 「赤い水泳着」  昭和4年8月/『アサヒグラフ』発表

正史は鎌倉住まいだったのもあって、この頃海辺を舞台にした作品がチラホラ見られる。文中に出てくる〝 崎〟は当然〝稲村ケ崎〟のことだろう。「ネクタイ綺譚」でもそうだったが、色や視覚の趣きはずっとのちの長篇「仮面舞踏会」でも健在。







 「芙蓉屋敷の秘密」  昭和5年5~8月/『新青年』発表

満を持して(?)ホームグラウンド『新青年』に続きものの本格を書くも、習作の域は抜け出せてないかな。前述の「双生兒」とは異なる視点で別人への成りすましに興味を抱いており、その傾向は翌々年の「塙侯爵一家」まで引き摺っている。






 「カリオストロ夫人」  昭和6年5月/『新青年』発表

これまた別種の成りすまし。火遊びから手を引いた画家・城信行青年に対する志摩夫人の復讐を小酒井不木だったらよりリアルな手術描写で表現したのかもしれないが、本作の正史はファジーで幻想チックな怖さに仕上げている。ここでもベッドの中で城信行が相手の異変に気付く点など「双生兒」の残滓あり。






 「女王蜂」  昭和6年5~7月/『文学時代』発表

説明するまでもなく、月琴島や大道寺智子とは何の関係もない別作品。「芙蓉屋敷の秘密」以上に、こちらの或る登場人物のほうが「塙侯爵一家」の人間すり替えに近くなっている。次の箇所が本書終盤では伏字に。
上段は『横溝正史ミステリ短篇コレクション ⑤ 殺人暦』テキスト。下段は本書テキスト。



 その刃物が痩せた腹上をすうと滑るごとに

        ↓

 その刃物が✕✕✕✕上をすうと滑るごとに





 真っ赤な線が縦横無尽に刻まれて

        ↓

 ✕✕な線が縱橫無盡に刻まれて





 矢庭に男の唇に武者ぶりついた

        ↓

 矢庭に男の✕✕✕✕✕✕いた





 霧のように飛び散った真っ赤なものの中で

        ↓

 霧のやうに✕✕✕✕✕✕✕✕の中で






(銀) お伝えしたように本書収録作品の中で成りすまし/傀儡ネタが次々出てくるが、本書の企画を春陽堂から依頼された正史が意図的にそういうものを多くセレクトしただけなのか。それとも、この時期の創作意識からしておもいっきりそっち方面に振れていたのか。正史の深層心理や如何に





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