2023年8月12日土曜日

『写真が語る銃後の暮らし』太平洋戦争研究会

NEW !

ちくま新書
2023年6月発売



★★    先日の甲賀三郎記事について補足

 


毎年のことだが、八月半ばのNHKは大東亜戦争関連番組の放送に忙しい。
そいつに便乗するが如く、本日は日本の夏にふさわしい(?)新書に関する話。



7月5日にupした甲賀三郎『雪原の謀略』の記事(☜)の中で私は「東京市民がモンペ+火事頭巾姿で防空訓練をやり始めたのはいつだったのか?」と書いた。甲賀の長篇「印度の奇術師」を読むと、獅子内俊次の上司である『昭和日報』の尾形編集長が〝英国が日本に対し資金凍結を行った〟と口にしているので、「印度の奇術師」の執筆が開始された時期を昭和16年夏以降とする見立ては動かしようがない。

それはともかく、本土空襲を想定して国が〝防空訓練〟を厳しく民衆に課すようになったのは、英米と険悪な状態になり「防空法」を改正した昭和16年あたりだっけ?とテキトーに考えていたため、あの頃の女性たちがモンペ+火事頭巾姿になって〝防空訓練〟をやり始めた正確な時期はいつだったのか、それとなく気になっていた。

 

 

「印度の奇術師」はいつ執筆されて、初出は単行本書下ろしなのかそれとも発表誌があるのか、明らかになっていない。作中に書かれている当時の物情からある程度の範囲を割り出すべく本を開くと、その冒頭シーンは東京市民の若い女性がモンペ+火事頭巾姿で〝防空訓練〟をしているところから始まっている。

しかし「防空法」なるものが最初に制定されたのはもっと前、横溝正史が「真珠郎」を書き上げ六人社版の単行本を出した昭和12年だ。それを機に、どうやら東京市だけでなく各地でも〝防空演習〟が盛んに実施され始めたらしい。ネットで〝防空訓練〟と検索すると〝防空演習〟が次々ヒットしてくる。「印度の奇術師」に書かれている〝防空訓練〟と、昭和12年の「防空法」施行に沿って行われるようになった〝防空演習〟はほぼ同義とみていいようだ。


 

 

さて。戦前の日本の写真を新書のカタチで提示してみせた光文社新書『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』がメディアでかなり話題になったせいか、本書『写真が語る銃後の暮らし』も、本来のモノクロ写真を使用しているとはいえ、対象にしている年代は昭和の幕開けから敗戦までだし、似たような路線の作りでヴィジュアル重視なところは好ましい。昭和12年~15年までのドキュメントが載っている本書第二章「国家総動員」の111ページにはこのような写真がある。




 

 









如何だろう?「印度の奇術師」冒頭で描かれていた〝防空訓練〟を行う女性達の姿に非常に近いように思えるのだが、写真下にあるキャプションを見てわかるとおり、これは昭和13年に東京・日比谷公園で実施された〝防空訓練〟に参加しているモンペ姿の女性を写したもの。このようにして、東京の女性がモンペ+火事頭巾スタイルで〝防空訓練〟を本格的にやらされ始めたのは、日米が開戦した昭和16年以降ではなく、やはり「防空法」施行後からだった事が改めてヴィジュアルでも確認できた。

 

 

小林司/東山あかね『シャーロック・ホームズ解読百科』を読み倒してきたせいか、無闇矢鱈に蔵書ばかり増やして何の知識も得ないでいるより、既に持っている本を再読したり、小説の中に記されている文章からもう一歩突っ込んで、紙背に隠れている情報を知る作業のほうが楽しいなと、ふとそんな事も感じた八月の夜であった。

 

 

 

 

(銀) 半藤一利『B面昭和史 1926 ➤ 1945』(平凡社ライブラリー)には日本探偵作家の名が見られたが、この『写真が語る銃後の暮らし』でも昭和モダンのアイコンとして、江戸川乱歩と夢野久作の名前が挙げられている箇所がある(36ページ)。

 

 

掲載されている数々の写真を眺めるのはいいのだけれど、本書の帯(裏面)に「いまは、新しい戦前なのか」なんて陳腐な惹句があったり、中身の文章にも左派っぽい傾向が雑に表出していてセンスがなさすぎ。現内閣へのアンチテーゼを発散している本は巷に溢れているけど、誰も彼もどうしてこんな手垢の付いた表現しかできないのかね?リベラル支持は結構だが、手法があまりに幼稚で、そこにインテリジェンスは皆無。日本人の一番苦手なものって政治なのかも。 

 

 

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