2023年9月14日木曜日

映画『Der Hund Von Baskerville』(1929)

NEW !

Flicker Alley  Blu-ray/DVD
2019年2月発売



★★★★  サイレント末期のドイツ映画「バスカヴィル家の犬
  




イギリスとドイツは第一次世界大戦において敵国同士であり、結果屈辱的な負け方をしたのはドイツのほう(その反動がヒトラー/ナチスの台頭に繋がる)。シャーロック・ホームズ晩年の事件「最後の挨拶」でも、イギリス侵略を目論むドイツ側のスパイ/フォン・ボルクはホームズによってみじめに捕獲されてしまう。つまり第一次大戦後のドイツ人からすれば「なにがなんでもイギリス憎し」となって不思議じゃないのに、敵国の英雄シャーロック・ホームズの映画を制作しているのは非常に興味深い。韓国人や中国人だったらまず考えられないことだ。




1929年。世の中ほとんどトーキーに変わろうかというサイレント末期に公開されたドイツ映画「Der Hund Von Baskerville(バスカヴィル家の犬)」。監督・脚本はRichard Oswald
これ、フィルムは疾うの昔に失われてしまったとばかり思われていたところ近年ポーランドより奇跡的に発掘。その昔ヨーロッパの映画館で実際観た人達は年齢的にもほぼ生存していないだろうし、100年の時を超えて現代に蘇った幻の作品が観られるのは嬉しい。




【 仕 様 】

北米盤   NTSC/リージョン・フリー


Blu-rayDVD二枚組

(内容は同一なれど注意点あり。下段 【ボーナス・コンテンツ】欄を参照。)


字幕:   英語

 

 

【 キャスティング 】

シャーロック・ホームズ役のCarlyle Blackwellはアメリカ人俳優。シドニー・パジェットの挿絵っぽい風貌ではないものの名探偵の佇まいとしては悪くない。どの配役にも不満は無いが、唯一あるとすればGeorge Seroff演じるワトソン。彼が道化っぽく演出されてしまうのは(イヤだけど)仕方ないにしても、この人だけ背が低い上に口髭さえ無いので若いカルロス・ゴーンみたいに見えてしまう。




 シャーロック・ホームズ(Carlyle Blackwell)




 ワトソン、荒地に怪しい人物のシルエットを発見





【 内 容 】

ムードたっぷりの無声モノクロ映像と陰鬱な音楽とが題材にピッタリ合っているのがイイ。それだけに前半部分、ホームズとワトソンがヘンリー・バスカヴィルと初対面した後、ヘンリー卿ワトソンがバスカヴィル邸に入るまでのフッテージが悲しいかな欠落しているため、そこだけはスチールと字幕を用いた説明になるのが惜しまれる。

 

原作の主要登場人物でこの映画に出てこず省略されてしまっているのはレストレード警部とカートライト少年。なぜかフランクランド老人は冒頭シーンのバスカヴィル邸内でチャールズ・バスカヴィル卿やモーティマー医師と一緒に姿を見せるだけで、後半ワトソンとの絡みは無い。これから観る方のために詳細は伏せてはおくが、おおむね原作に準拠しているとはいえ映像化にありがちな改変はやっぱりある。問題の魔犬は原作に倣って犬に燐を塗っている設定らしいが、その燐光の怪しさは画面から感じ取れない。本当に犬に燐など塗ったら可哀想だから仕方ないか。




    深夜、邸内を忍び歩くバリモア




  このシーンがあるだけで〝良し〟としよう





【 ボーナス・コンテンツ 】

実はRichard Oswald監督、本作に先立つこと十五年前(1914年)に公開された同じタイトルの映画「Der Hund Von Baskerville」でも脚本を担当。その時の監督はRudolf Merinert。当然出ているのはすべて1929年版とは別の役者。こちらも本盤に収録されているけれども(ただしBlu-rayのみ)、原作の設定を借りているだけでホームズと真犯人のあの人とが化かし合うコメディ・スリラー。1929年版のように原作の味わいを活かした正統派スクリプトにしてくれればよかったのに、1914年版は文字通り只のおまけと割り切って見るしかない。



残り二つのボーナスはショート・ドキュメンタリー。

Arthur Conan Doyle and The Hound of the Baskervilles

Restorling Richard Ozwald’s Der Hund von Baskerville

 

 


歴史的価値を鑑みて★4つ。1929年版のフッテージがすべて揃っていたら満点にしたかも。






(銀) なんせドイルがまだ生きている時代の映画ってのがポイント。本盤に収録されているふたつの「Der Hund Von Baskerville」、どちらにも銅像や胸像の裏側に〝あの人〟が隠れてバスカヴィル邸内を覗き見るシーンが出てきたり、またバスカヴィル邸に忍び込むための秘密通路があったり、原作に無いことを私はしてほしくないんだけど、Richard Oswaldはそういうのが好きみたい




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2023年9月11日月曜日

『讀切小説第一集』九鬼澹ほか

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讀切文庫
1948年1月発売


★★      いろいろやってる九鬼澹



  
 月報サイズで50頁弱。カストリ雑誌の類なんだろうけれども短篇が四作しか載っていない。そのうち二作は九鬼澹のもの(ひとつは三上紫郎名義)なので、純然たる単行本ではないものの九鬼澹の著書扱いとして取り上げてみることにした。この二作は彼の著書あるいは各種アンソロジーにも未収録なのではないか。終戦後の印刷物にありがちな、非常に文字が読み取りづらいのが難。





「盗まれた貞操」三上紫郎

画家・佐川冬夫は省線のガード下で夜の女に声を掛けられる。それは五年前、絵のモデルとして出会ったマキだった。その頃冬夫は己の若さを制御できず、無理に酒で酔わせてマキを犯してしまい、以来彼女は失踪してしまっていた。特にフックがある訳でもなく、淡々とした話。




「姿なき探偵」九鬼澹

三條元侯爵の息子・三條高麿は映画女優・夕顔カホルに送った一通のラブレターを取り戻してもらうべく、敏腕女探偵WHの事務所を訪れる。しかし、その女探偵は一切姿を見せず送話管を通してしか会話できないシステムになっていて、後日彼女はあるものを夕顔カホルへ贈物するよう高麿に指示してきた。タイトル/内容からも、これなら探偵小説と見做してよかろう。手紙を取り返すのがテーマだからといって、ポオ「盗まれた手紙」やドイル「ボヘミヤの醜聞」をトレースしている訳ではない。





最初は以下の二名も知られていない九鬼澹の変名かと疑った(とかく彼にはペンネームが多いのでね)。別人であれ、荒木田潤の名には思い当たるふしが無く、どういう人だか全くわからん。安藤静雄はこの本(?)の編集者として奥付にクレジットされており、ネットで調べて見ると、昭和10年以降に詩集を出したり小説を書いている〝安藤静雄〟という人が存在しているようで同一人物と思われ、九鬼とは別人だと断定してもよさそう。




「肉体の夜」荒木田潤

そろそろ四十に届きそうな民江だが、夫の伯太郎は六十近いのもあってか夫婦の営みを求めても不能に近く、彼女はイラついている。そんな時、民江は伯太郎の会社の社員で自分と年が近い菅原と二人きりになるチャンスができたのをいいことに、飢えた欲望を満たそうとする。もし書き手が探偵作家ならば、強引に艶笑ミステリ扱いしていいのかもしれないが、ちょっとしたオチがあるばかりの読物でしかない。




「魔都東京」安藤静雄

シベリアから復員してきた櫻井粧太郎は東京駅に着いたばかりだというのに自分の荷物をかっぱらわれてしまい、自分を〝人間賣物〟とアピールしてふらつくより他になかった。そこに現れた一人の紳士が「買はうじゃないか」と声を掛け、粧太郎を銀座のある一角の地下室へと連れてゆく。なんだか先日記事にした関川周『忍術三四郎』(☜)みたいだが、ここから先は全然違って目まぐるしい展開に。






♠ 昭和23年の九鬼澹は2月から始まる雑誌『仮面』(戦後版『ぷろふいる』の後身)の編集に忙しい筈なのに、いろんな事やってますな。そういえば、以前紹介した九鬼の『戦慄恐怖 怪奇探偵小説集』(下段にある関連記事リンクを見よ)は八千代書院からリリースされた本で、雑誌『仮面』も版元は同じ八千代書院。ではこの『讀切小説』も八千代書院となにか関係があるのかと思ってしまうが、単に湊書房と藤田書店の広告が見られるばかり。




湊書房は九鬼が刊行に尽力した『甲賀三郎全集』の版元。一方の藤田書店は安藤静雄と関わりが深かったようで、二人それぞれ伝手を辿って広告を打ってもらったのかも。この頃九鬼はかもめ書房の雑誌『小説』の編集もやってなかったっけ?

 

 

 

(銀) 九鬼の『探偵小説百科』をペラッと開いてみたが、九鬼のキャリアそのものが作家としても編集者としても細かい部分でよく解らないところがあるし、あれを書くより自分史を一冊の本にしてくれたほうが私は有難かった。




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2023年9月10日日曜日

『日本幻想文学事典』東雅夫

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ちくま文庫  日本幻想文学大全
2013年12月発売



★★★★   東雅夫は「伝奇ノ匣」に匹敵する本を
                  もう作れないのだろうか?
  



調べものをする際に限らず、何度となく読み返してきたリファレンス・ブック。名だたる日本の探偵作家達も〝幻想文学〟のフィールドから照射した作品がリストアップ。私にしてみれば本書のチャーム・ポイントは準・探偵作家あるいは非・探偵作家の項。




曲亭馬琴だったら「三七全伝南柯夢」広津柳浪なら「変目伝」「黒蜥蜴」菊池寛なら「翻訳/猿の手(WW・ジェイコブズ)」大泉黒石だと『血と霊』『眼を探して歩く男』牧逸馬「白仙境」って具合に、普通のヒョーロンカが拾わなそうなところをrecommendしている。良し悪しはともかく、もしミステリ関連ガイドだったら高木彬光の項で「黒衣の魔女」と並んで「ラブルー山の女王」「ビキニの白髪鬼」を推すなんて、まず有り得ないもんね。




東雅夫の編纂した学研M文庫「伝奇ノ匣」シリーズは脳味噌をとろけさす麻薬のようなgood itemだった。あれが終わってからというもの、彼の仕事はどれも無難な大物文豪作家ばかりになってしまって、「伝奇ノ匣」シリーズが放っていた深海魚の如きほの暗くも美しい燐光を感じさせる本は出せていない。長い長い下り坂からなんとかしてもう一度這い上がってほしいと思いつつ、東雅夫の中では文豪作家に対する興味のほうが本流で、もしかしたら「伝奇ノ匣」シリーズはイレギュラーだったのか・・・最近そんな諦めさえ胸に抱くようなった。




本書に選び抜かれている各作家の顔ぶれを改めて点検してみれば、やっぱりメジャーで大家な作家の項はなにげに多い。そこには一部のマニアや好事家にウケるよりも、幻想文学読者の裾野を広げたい意志のほうが強く表れている。レアもの復刊にしか目が向かない人間に限って仕事ができなかったりするし、ミステリ・オタにありがちな「内容なんかどーでもいい、珍品にこそ価値がある!」なんて考えて生きている奴らとは違って、きっと東は真面目な人なのだろう。だから古書価がベラボーに高い作家の復刊とかでなく、素直に自分がイイと思えるものに向き合って本を作っているのかもしれない。




ただね・・・そうは言っても、ここ数年東雅夫が編纂した本に魅力を感じるかといったら、残念ながらそれはない訳で。自分がtwitterをやらないから、普段彼が何を考えどういう事を発信しているのか全く知らないのだが、長らく抱いてきた東への期待は憎むべき私の錯覚だったか?





(銀) 〝ここ数年東雅夫が編纂した本に魅力を感じるかというと残念ながらそれはない〟と書いたが、彼の名誉のために明言しておく。魅力を感じないのはセレクトされる作家/作品のテーマ性であって、一冊一冊の作りそのものは改めて申すまでもなく、よく出来ている。だから私はもどかしいのだ。東が論創社や盛林堂書房周辺の輩のような雑な仕事しかできないのならバッサリ見限ってしまえるけれど、決してそうじゃないのだから。




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2023年9月7日木曜日

『忍術三四郎』関川周

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文芸評論社
1956年1月発売


★      結末欠落
  



 大事なことなんで初っ端から書いておこう。この『忍術三四郎』、大詰めに近付いたところでいきなり話が終わってしまって結末が解らないという、実にフザけた本なのだ。これについては北原尚彦がネットに書いているが、落丁云々ではなく元からそういう風になっているらしい。





本書刊行の数ヶ月前に監督:小沢茂弘/主演:波島進で『忍術三四郎』は映画化されており、それで何かしらの煽りを食った?だとしても、これはないよな。本作は二年後に『乳房祭』という別のタイトルで十頁程度のエンディングを加えて再発されているそうで、そちらは未読。ていうか、ちゃんと結末が収録されていれば読む価値があるかと言うと、単にグダグダしているだけのイカモノ小説でしかなく、昔『忍術三四郎』を初めて読んで以来、「『乳房祭』を探し出して、どうしても結末を知りたい!」なんて思ったことがない。

 

 

 病身で寝たきりな恋人ルミの治療費を捻出すべく、主人公・女々良三四郎は自分自身を十萬円で売ろうと首からビラをぶら下げて繁華街を歩く。そこで出会った謎の怪老人・由駄は金を提供する代わりに、三四郎を時間限定で透明人間にする実験の材料にしてしまう。三四郎と由駄老人の間にはそれなりの信頼関係ができ、老人自らの透明化も目的にしているので、とかく拘束されてはいるが三四郎は決して囚われの身ではない。まず、この曖昧なユルさからしてどうだろう?

 

 

ルミには沙美という姉がいて、彼女たちの父・川端誠之進は隠棲こそしているが元は立派な政界人だった。かつて誠之進の秘書として仕え、今では得体の知れぬ政治結社の黒幕にのし上がっている黒矢亀造が党首として誠之進を迎えたいと度々訪ねてくるも、誠之進は固辞。その後、誠之進は娘たちの前から姿を消してしまう。この黒矢亀造が悪役として据えられている上、背後にもうひとり黒矢を操るキャラもいて、しっかりプロットを組み立てていれば面白くなりそうな要素はなくはない。

 

 

 ところが肝心の女々良三四郎、由駄老人に透明人間化されて、〝忍術使い〟としてスーパーマンやバットマンのように黒矢亀造一味と戦うのかと思いきや、すぐ酒に酔ってしまうばかりか主役なのにちっとも活躍の場が回ってこない。むしろ〝忍術使い〟としてのアクションを見せるのはルミのそばにいる浮浪児・甲助のほう。これでは誰が主役なのか、よくわからん。

 

 

他にも章題を見ると、或る登場人物の過去に秘密が隠されていそうだけど、肝心の結末が載っていないものだから、それも分からず終い。参考までに映画もソフト化はされてないが、そちらの結末はどうなってるんだろうね(ま、どうでもいいか)。関川周は昭和15年にデビューした作家で、最初のうちはイロモノ作品など書きそうな気配はなかった。昭和30年代には『ドヤ街』とか風俗ミステリみたいなものも発表しているが、『忍術三四郎』は彼の中でも最大の珍作であり、駄作だろうなあ。

 


 

(銀) 例によって今後、盛林堂書房が北原尚彦や森英俊あたりと組み、「エンディングありの『忍術三四郎』完全版!」などと言って『乳房祭』を復刊したりすることがあるかもしれない。本当につまらないんで、ムダに金を失わないようご用心。




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2023年9月6日水曜日

『推理文壇戦後史〈Ⅰ〉』山村正夫

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双葉文庫
1984年4月発売


★★★★★   復刊するすると論創社が吹聴しながら
               口だけで終わってしまったもの




『推理文壇戦後史』シリーズは単行本で〈Ⅰ〉~〈Ⅳ〉まで刊行されたけれど、その後双葉文庫に入る際〈Ⅳ〉だけは文庫化されなかった。山村正夫が直に接してき探偵作家ひとりひとりの項を立てて一冊の本にしたのが『わが懐旧的探偵作家論』だとすると(最下段の関連記事リンクを見よ)、こちらは年度を追って個人の話題に捉われる事なく探偵小説界に起きたトピックについて著者の視点や体験を交えながら書き連ねた、業界ドキュメンタリーとも呼べる内容。





本書〈Ⅰ〉にて語られている事柄のうち、それほど有名でもないネタを拾っておくと、戦後に様々なグループが生まれた中で阿部主計/二宮英三/渡辺健治(ママ)/中島河太郎/萩原光雄/古沢仁/楠田匡介らの集まりは辛辣な批評というか悪口を臆面もなく発していたので、「青酸カリグループ」という物騒な名称が付けられたそうだ。





他にも〝あとむF〟と名乗る挑発的な探偵文壇時評を書く匿名者が現れ、探偵作家達にキツめの発言を投げかけた。その正体は木々高太郎。そういう発言をする者が業界内におり、しかもあの「抜打座談会」に象徴される本格派vs文学派対立の火種は続いていたから、高木彬光にとって大坪砂男だけでなく年長の木々も憎悪の標的になる。





それから先日このBlogで取り上げた島田一男『中国大陸横断〈満洲日報時代の思い出〉』(☜)に関する逸話もある。島田は敗戦後内地に戻ってくると『大陸情報通信』というガリ版刷りの地下新聞を発行、この新聞は五月蠅い検閲を無視して引揚者ニュースや進駐軍誹謗の記事を載せるため、たびたび進駐軍とバトルに。『満洲日報』の関係者が内地に引き揚げてくれば彼らの就職活動のために自分の生活は棚に上げて奔走した硬骨漢・島田一男が探偵小説に取り組むのは『宝石』創刊後のこと。





〈Ⅰ〉の後半は大坪砂男に関する項が多いので、大坪の読者は読んでおいたほうがいい。私にはたいして重要な活動ではないが、昔の探偵作家たちは嬉々として文士劇に興じることもあり、江戸川乱歩一座の内幕を記して本書はclose。こういうのを書き残すってのは文学座に居た山村正夫の趣味っぽい。






(銀) こちらのtwitterのスクショを見てほしい。
















これだけ論創社と日下三蔵は『推理文壇戦後史』シリーズを復刊すると言っておきながら、この話はすっかり無かったことにされている。発売を楽しみに待っていた人達は今頃どう思っているのか、一度でも考えたことがあるのか是非訊いてみたい。原稿データをほぼ仕上げ発売直前までこぎ着けている訳でもないのに、調子に乗ってユーザーを煽り立ててばかりいるからこのザマだ。




制作サイドが「論創ミステリ・ライブラリ」と呼んでいるシリーズの第一弾・鮎川哲也『幻の探偵作家を求めて【完全版】』の編集方針が疑義の念を抱くものだったために(私以外からの購入者からも)批判を浴び、すっかりつむじを曲げて彼らはこの企画を放棄した・・・と思っていたけれど、上に挙げた(三番目の)論創社が出したツイートを見ると、少なくとも2021年4月まではまだ『推理文壇戦後史』シリーズを出したい気持ちが一応残っていたのか。イヤ、おそらく口先だけだろうな。





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2023年9月4日月曜日

『挿絵画壇の鬼才/岩田専太郎』松本品子/弥生美術館(編)

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河出書房新社 らんぷの本
2006年1月発売



★★★   『岩田専太郎 探偵小説挿絵画集』を切望す
 



岩田専太郎イコール美人画あるいは時代小説の名挿絵画家、このパブリック・イメージに固定されすぎてはいないか?昭和時代に刊行された個人画集がそういうテーマばかりだった弊害もあってか、彼の絵の鑑賞については和風かつ叙情的な見方に偏ったまま現在まで来ている気がする。クールなmodernityが彼のセンスにあったからこそ、時代小説作品における挿絵もあれだけウケたのに。(例えば田中比佐良あたりのヤボったい挿絵と比べてみるといい)




影やホリゾントを活かしたシアトリカルで洗練の極みにあるそのタッチは時代小説以上に現代小説、特に謎や疑惑を内包する探偵小説こそjust fitするものだと私は考えてやまない。ところが、専太郎が探偵小説に提供した挿絵に特化した画集が制作されるどころか、新しい鑑賞姿勢やアイディアを口にする人からして誰もいない。例の創元推理文庫「乱歩傑作選」のいくつかの巻など専太郎の挿絵が収録されている本が無い訳ではないが、あれだけではなんとも物足りぬ。美麗でセンシティヴな探偵小説画集として纏められた彼の挿絵に向き合ってみたい。私と同じ思いの方はいませんかね?




✿    ✿    ✿    ✿    ✿    ✿    ✿




今は市場から姿を消してしまっているようだが、2006年に開催された「岩田専太郎展」のプログラムとして弥生美術館が尽力したこのムック本は一つのジャンルに偏向せぬよう、総体的な作りでそれなりに頑張っていると思う。だが如何せん、130頁弱のボリュームでもってマニアックな部分まで掘り下げるのはどうにも無理だし、巻末に専太郎が挿絵を描いた小説のリストが載っているが、それを発表媒体別に分類するのはいいとして、どういう訳か博文館の雑誌がノー・チェックだったり、これでは貧弱。探偵小説のジャンルだけで追ってみても、漏れている作品は沢山ある。




竹中英太郎には竹中労/竹中紫といった家族の献身的なパブリシティがあって、静かにニーズを生み続けてきた。知名度は英太郎よりも上な筈なのに、岩田専太郎には良いキュレーターがいないので、素晴らしい仕事の価値が正しく伝承されているとは到底言い難い。だからこそ英太郎の『百怪、我ガ腸ニ入ル』に匹敵する〝岩田専太郎探偵小説挿絵画集〟がどうしても欲しい。

 

 

 

(銀) 昔の挿絵原画は専太郎にかかわらず残存しているものは非常に限られてはいる。でも現代の複写・印刷技術を持ってすれば、原画はなくとも初出誌の挿絵をそれなりの解像度で美しく提供してみせる事は不可能じゃない。要はキュレーターの存在、そしてその人のやる気次第なのだが・・・。




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2023年9月2日土曜日

『芙蓉屋敷の秘密』横溝正史

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春陽堂書店  日本小説文庫(探偵小説篇)
1936年11月発売



★★★★   博文館在籍時のモラトリアム作品




専業作家として独り立ちする以前、博文館編集者だった時代の横溝正史作品を読むと、小器用さこそあるけれど、登場人物の色付けまでは、まだ手が回ってなさそうな感じはする。「芙蓉屋敷の秘密」の探偵役・都築欣哉は子爵の次男坊にあたる実に家柄の良い青年で、由利・三津木コンビや金田一とは全然共通項が無い。作者はこの青年私立探偵がピンと来なかったのか、都築欣哉の事件がシリーズ化されることはなかった。余談はさておき、この本の収録作品を発表順に並べ変えてみると、若かりし正史の興味の矛先がぼんやり見えてくる。





 「裏切る時計」  大正15年2月/『新青年』発表 

本作のみ博文館入社前の作。入社法学士を経て貿易商に勤務と、順調なコースを歩んでいた河田市太郎だったが、景気悪化に伴い不正事業に手を染める。しかも、交際相手の山内りん子にすっかり厭きてしまって殺害。話の主軸はアリバイ崩壊、そこに皮肉な勘違いを一枚噛ませている。






 「富籤紳士」  昭和2年3月/『週刊朝日』発表

千人もの縁遠そうな未婚女性たちが会員登録している〝富籤結婚倶楽部〟。彼女らが一枚百圓の富籤を買い、それによってプールされる十萬圓に対し、十二枚の當り籤が用意される。運良く當り籤を引いた女性はパートナーとなる男性だけでなく、分配金まで与えられる奇妙なシステム。高砂屋のお主婦によって並河三郎は男性パートナー十二人のうちのひとりに推薦されるが・・・なんということもないコント風の内容。





 「ネクタイ綺譚」  昭和2年4月/『新青年』発表

同じくコント風。〝元来、黄色といふものは、あまり人に好かれない色である。〟という一文があるけれど、昔の人の感覚かしらん?もしくは正史自身の趣味?






 「双生兒」  昭和4年2月/『新青年』発表

江戸川乱歩作「双生兒」に挑戦するかのように同じタイトルかつ似た素材で書かれた短篇。初出時には〝A sequel to the story of same subject by Mr. Rampo Edogawa〟の一文が添えられていたけれど、本書では省略されている。妻が自分の夫になりすました別の男と閨房を共にする恐怖がメインだが、六年後に発表される「鬼火」の主役である代助と万造のいがみ合いを思い起こせば、あれは本作の双生兒/尾崎唯介・徹の影をどことなく引き摺っているように見えなくもない。






 「赤い水泳着」  昭和4年8月/『アサヒグラフ』発表

正史は鎌倉住まいだったのもあって、海辺を舞台にした作品がこの頃チラホラ見られる。文中に出てくる〝 崎〟は当然〝稲村ケ崎〟のことだろう。「ネクタイ綺譚」でもそうだったが、色や視覚の趣きはずっとのちの長篇「仮面舞踏会」でも健在。







 「芙蓉屋敷の秘密」  昭和5年5~8月/『新青年』発表

満を持して(?)ホームグラウンド『新青年』に続きものの本格を書くも、習作の域は抜け出せてないかな。前述の「双生兒」とは異なる視点で別人への成りすましに興味を抱いており、その傾向は翌々年の「塙侯爵一家」まで引き摺っている。






 「カリオストロ夫人」  昭和6年5月/『新青年』発表

これまた別種の成りすまし。火遊びから手を引いた画家・城信行青年に対する志摩夫人の復讐を小酒井不木だったらよりリアルな手術描写で表現したのかもしれないが、本作の正史はファジーで幻想チックな怖さに仕上げている。ここでもベッドの中で城信行が相手の異変に気付く点など「双生兒」の残滓あり。






 「女王蜂」  昭和6年5~7月/『文学時代』発表

説明するまでもなく、月琴島や大道寺智子とは何の関係もない別作品。「芙蓉屋敷の秘密」以上に、こちらの或る登場人物のほうが「塙侯爵一家」の人間すり替えに近くなっている。次の箇所が本書終盤では伏字に。
上段は『横溝正史ミステリ短篇コレクション ⑤ 殺人暦』テキスト。下段は本書テキスト。



 その刃物が痩せた腹上をすうと滑るごとに

        ↓

 その刃物が✕✕✕✕上をすうと滑るごとに





 真っ赤な線が縦横無尽に刻まれて

        ↓

 ✕✕な線が縱橫無盡に刻まれて





 矢庭に男の唇に武者ぶりついた

        ↓

 矢庭に男の✕✕✕✕✕✕いた





 霧のように飛び散った真っ赤なものの中で

        ↓

 霧のやうに✕✕✕✕✕✕✕✕の中で






(銀) お伝えしたように、本書収録作品の中には成りすまし/傀儡ネタが次々と出てくるが、本書の企画を春陽堂書店側から依頼された正史が意図的にそういうものを多くセレクトしただけなのか。それとも、この時期の創作意識からして、おもいっきりそっち方面に振れていたのか。正史の深層心理や如何に





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