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八千代書院
1947年5月発売
★★★ 復刊するなら選りすぐりの短篇集にするか
あるいは長篇「キリストの石」か
この人、昭和初期にはもう甲賀三郎の家に書生扱いで弟子入りしていて意外に日本探偵小説史への登場は古い。しばらくすると雑誌『ぷろふいる』編集長を務め、戦後には病死した甲賀三郎の全集刊行にも尽力している。九鬼が生前に発表した自著は(その多くが時代小説とはいえ)数十冊にものぼるというのに、今世紀に入って彼の探偵小説が一冊の本として復刊されることは一度も無く、アンソロジーに時々セレクトされるだけ・・・・といった状況。
昭和22年に出たこの『戦慄恐怖 怪奇探偵小説集』は戦前/戦後発表の短篇が混在。殺人方法に機械的ギミックを取り入れた「緑の女王」や、数ある豹助シリーズの一発目となる「豹助、町を驚かす」には師・甲賀三郎の影響が少し伺えるのが微笑ましい。だが本書に収められている短篇は多少荒っぽくても光るものがあればよかったのだが、コクが無いというのか読み終わったあと作品の残像が頭に残らなかった。
「神仙境物語」は北アイルランドの王家を舞台にした童話のような小品。「崩れる幻影」は一人の女性の自死を取り巻く男達の心理闘争。「三色菫」、この作にはA一號という名のスパイが登場することから、『ぷろふいる』昭和9年5月号より九鬼澹 →左頭弦馬 → 杉並千幹 → 戸田巽 → 山本禾太郎 → 伊東利夫というメンバーで書かれた連作小説「A1號」のうち、九鬼が担当した第一回〈密偵往来〉を改題したものだと思われる。
九鬼澹の場合、『ぷろふいる』あるいは甲賀三郎関連しか話題にならず、彼自身の作品の評判がちっとも聞こえてこないというのは探偵作家としてダメだということなのだろうか?いや、でも戦後の「キリストの石」(=「女と検事」)を古本で読んだ時そこまでつまらなくはなかった記憶があるし、あの辺の長篇、もしくは中短篇の一番よさげなものばかりを厳選した新刊本を一冊出して、改めて世に問うてみてもいいと思うけどね。
ただ、九鬼澹の長篇探偵小説の中には昭和10年代の防諜スパイ小説や昭和30年代のアクション・スリラーみたいなものも含まれるので、注意は必要。鮎川哲也『幻の探偵作家を求めて』の中で九鬼は「小栗虫太郎の短篇を代作したことがある」なんてショッキングな発言をしていて。それがどの作だったのか鮎川は作品名を明らかにしないまま亡くなったため、今も真相は藪の中だ。『「新青年」趣味』あたりでどの虫太郎短篇が九鬼の代作だったのか、アンケートを取ってみるのも面白い。え、私はどれだと思うかって? ム~、思い当たる作品が全然無いわい・・・。
(銀) 今日の記事に取り上げた『戦慄恐怖 怪奇探偵小説集』は、薄っぺらくて質の悪い仙花紙本だったから読んだ後の印象があまりよくなかったのかもしれない。新刊本で読んだらだいぶ景色が変わるかも。この本、普通の仙花紙本より文字のフォントが大きいのも好みじゃなかったしな。とはいえ本の再校をするのが面倒だなどと言う奴の同人出版なんかで復刊してもらいたくはないが。
九鬼澹というのは彼の最も旧いペンネームで、九鬼紫郎/三上紫郎と名乗っている時もあった。本名は森本紫郎。当Blogのラベル(世間のブログでいう〝タグ〟のこと)にはどの名前を使うか考えたが、彼が作家デビュー時に使った九鬼澹の名を登録する事にした。今後、九鬼紫郎や三上紫郎名義の本を取り上げる際にもラベルは九鬼澹としているので読者諒セヨ。
「豹助、町を驚かす」で始まった豹助シリーズ。豹助は「曙感化院」収容者のひとりで〝をかしなことに十五六の少年にも見えるし、獨特なデコ額や別個の生物のやうな兎耳を見てゐると二十すぎの若者とも思へる〟探偵小説が飯よりも好きな元・浮浪少年らしい。このシリーズも全部発表順に集めた本で読んだらどう映えるのか、気にかかる。