2023年8月23日水曜日

『真田十勇士』柴田錬三郎(原作)石森章太郎/すがやみつる(まんが)

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学習研究社
1975年7月発売(第2巻)



★★    マンガはこの先も復刻されなさそうだけど
          NHK人形劇の映像はやっぱりもっと観たい




前回のつづき、というか〝おまけ〟。
NHK連続人形劇が「真田十勇士」を始めるので、学研はそれにタイアップした描き下ろしマンガを売り出そうと考えた。ここからは、あくまで私の想像。

八犬士も十勇士も、言ってみれば歴史上の戦隊もの。戦隊もののマンガで真っ先に思い付くのは「サイボーグ009」、〝そうだ石森章太郎先生にお願いしよう!〟でも売れっ子の石森にこの仕事を引き受けられる余裕はとても無い。ならば石森のアシスタントで、三年前【石森章太郎(原作)】クレジットのもと『仮面ライダー』シリーズの作画を担当、正式デビューを果たしていたすがやみつるに描いてもらえばいいじゃないか。ストーリーの叩き台はNHKから番組台本を回してもらうかして、とりあえずキャラクターデザインのみを石森、それ以外すべての執筆はすがやにやってもらおう。

そんな感じで「真田十勇士」コミカライズ企画が始まったとみても不自然ではなかろう。

 

 

すがやみつるの『真田十勇士』を読むと、皮肉にも柴田錬三郎原作の良いところと悪いところがより浮き彫りになってくる。「新八犬伝」にはそれぞれの犬士ごとにわりかし知名度のあるエピソード(例えば女田楽師に化けた犬阪毛野が果たす父の仇討ち等々)があって、物語全体の流れもなんとなく掴みやすい。しかし「真田十勇士」は真田家の流転/豊臣vs徳川の睨み合いこそすぐ頭に浮かぶわりに、十勇士ひとりひとり大衆によく知られているエピソードが無い。「猿飛佐助の活躍譚って何だっけ?」と訊かれてハッキリ答えられる人がどれぐらいいるだろうか。

 

 

いや、なにも「真田十勇士」に見るべきところ無しと言ってるのではない。序盤で佐助の師匠・戸沢白雲斎を暗殺する地獄百鬼は柴田錬三郎作品にふさわしい妖気漂う悪役キャラで、のちのちまで物語に絡んできたりする。ただ十勇士の顔ぶれを見ると、立川文庫の時に存在していた海野六郎/根津甚八/望月六郎の三名は柴田錬三郎版「真田十勇士」では出てこなくて、その代わり高野小天狗/呉羽自然坊/真田大助が設定された。主役の佐助をはじめ三好清海/高野小天狗/霧隠才蔵/穴山小助には見せ場が多く持たされているからいいものの、残りの五名(筧十蔵/由利鎌之助/為三入道/呉羽自然坊/真田大助)は若干存在感が薄い。八犬士ほど全員に均等感が無いのは瑕瑾。十人って多すぎるのかも。

 

 

そういった弱点に加え、「真田十勇士」は当時の人形劇映像が「新八犬伝」以上に残っていないから尚更苦しい。その結果、読者が十勇士個々の印象的なエピソードを想起しにくいため、(前回の記事で紹介したノベライズ本『真田十勇士』にもやや同じ印象を感じたのだが)特にすがや版『真田十勇士』は話が超特急すぎてシバレンが人形劇のために創作したストーリーの味わいがガッツリと出しきれてないような感触が残るのだ。コミカライズなんてどれもそんなもんだし、まして本書はターゲットが小学生なんだから、改めて指摘するほどでもないんだけどね。

 

 

逆にマンガ版の良いところは、華やかさをグッと抑えて作られた辻村ジュサブローの人形に寄せることなくPOPに全キャラクターがデザインされているので、人形劇だと忍者にしては神経質そうで明るさが感じられなかった佐助が本書ではいかにも主役らしくハジけて描かれている点かな。作品全体を俯瞰するとシリアス6:コメディ4。巻頭ページがカラーだったりカバー裏面にも見る箇所があったり、子供向けにしてはよく出来ている本だと昔は思った。


                    

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ノベライズ本『真田十勇士』が一度だけでも集英社文庫より復刊されたその陰で、すがやみつる『真田十勇士』は意外にその存在を知られてないのか、カルトな需要に留まっているようにも見える。古書市場に全八冊セットで出ると結構な値が付いてしまうし、だから私は(たとえノスタルジー込みであっても)復刻を望んでいたのに・・・。ここまで来てしまうと、もう再発は実現しなさそう。

 

 

これも想像にすぎないが、十勇士というだけあって、本来学研サイドはすがやみつる『真田十勇士』を全十巻で完結させたかったのでは?日本放送出版協会版ノベライズ本が全六巻のところ全五巻で終わってしまった影響はこちらにもありそうで、本作の終盤はとんでもなく駆け足に終わる。真田家全滅ではいくらなんでも悲惨すぎるとNHKが危惧したか、人形劇では佐助たちが豊臣秀頼を蝦夷地(北海道)に逃がして終わるけれど、あの中途半端な終わり方も良くなかった。

 

 

真田幸村を題材に選んでしまった以上、〝滅びの結末〟にならざるをえないのは最初から解っていたこと。だったらどんなに悲惨なエンディングであれ十勇士は全員、主の幸村と共に討死して終わるべきだったと私は思う。





(銀) ノベライズ本もコミカライズ本もあまり良い評価にできなかったけれど、それは「新八犬伝」と比較しての話であって、このあとの連続人形劇「笛吹童子」「紅孔雀」「プリンプリン物語」「三国志」より「真田十勇士」が劣っているなんて言うつもりは毛頭無い。



これでもし近い将来「真田十勇士」の映像がドバッと発見され、それを我々が手軽に観られるような状況になったなら、今回抑えめにした評価はドカーンと跳ね上がるかもしれない。




■ NHK連続人形劇 関連記事 ■












2023年8月22日火曜日

『真田十勇士〈全五巻〉』柴田錬三郎

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日本放送出版協会
1975年5月発売(第一巻)



★★★    「新八犬伝」ほどウケなかった理由





大成功を収めた「新八犬伝」の次にNHK連続人形劇が企画したのは「真田十勇士」(昭和5052年)。「八人の犬士達がひとりひとり姿を現わして主君のため活躍する話がウケたことだし、今度は十人の勇士で行ってみよう」、スタッフの胸の内はそんなところだったんじゃないかな。「新八犬伝」と共通しているのは勇者の集結、そして前作に引き続いての辻村ジュサブロー人形制作。それ以外の面では一見同じような時代ものであれ、受ける印象はだいぶ違っていた。




「新八犬伝」のオリジナルである『南総里見八犬伝』が江戸時代から大衆に読み継がれてきた古典だったのに対し、「真田十勇士」の起源はややファジーで明治末期の立川文庫だと云われている。それなりに戦後の日本人に認知されてはきたが、「真田十勇士」には『南総里見八犬伝』ほど鉄板の原作がある訳ではなかった。柴田錬三郎に白羽の矢が立ったのは、彼のそれまでの著書の中に『真田幸村』『猿飛佐助』があったからだと思う。

 

 

TVで人形劇になった「真田十勇士」を当時の私はこんな風に観ていた。

〝悪くないんだけど、『新八犬伝』に比べると音楽(メイン・テーマ/挿入歌含む)も人形たちの表情も語り手のノリも渋すぎるし地味になっちゃったなあ。主人公・猿飛佐助の性格からしてナイーブというか内向きだし。〟

〝八犬士が仕える里見義実は名君なのに、真田幸村と十勇士が命を捧げる豊臣家の実質的な主であるオバハン(秀吉が死んだあとの物語終盤、このポジションに来るのは淀君)はヒステリーなだけで、秀頼は幼過ぎてとても徳川家康には太刀打ちできん。こんな豊臣家に忠誠を誓ったってバッド・エンディングにしかならないじゃん。〟

愚かな主(淀君)のために徳川家と戦うなんて、あの頃番組を観ていた子供達には共感を得にくかったんじゃないの?最後に勝つのは悪(=徳川)なのだから。

 

 

「新八犬伝」は最初から馬琴の原作を石山透がすべて再構築して脚本を手掛け、前に紹介したノベライズ本『新八犬伝』(下の関連記事リンクを見よ)では坂本九・名調子の下支えである石山透の脚本を損なわないよう、重金碩之がうまいこと文章に置き換えていた。でも「真田十勇士」の場合、この記事で取り上げているノベライズ本の作者は柴田錬三郎になってはいるが、彼は番組の脚本まではタッチしていない。ノベライズ本『真田十勇士』には前述の重金碩之のような代筆者がいたなんて情報こそ無いけど、シバレン自ら執筆したかどうか100%は信用できぬ。もっともこの記事の左上にある書影を見てもらうと〝私が書き下したこの本によって、ストーリーが展開しているのです。 柴田錬三郎なんてキャッチ・コピーが帯に刷り込まれており、微妙なことこの上ない。

 

 

ノベライズ本『真田十勇士』は平成28年に集英社文庫から復刊されたとはいえ、カバー表紙に辻村ジュサブローの人形写真をまったく使っておらず、当時の視聴者がすぐに気付くほど目に留まるような装幀ではなかったため、実にマズい再発だった。翌平成29年角川文庫から出た再々々発のノベライズ本『新八犬伝』は一応買ったが、集英社文庫版『真田十勇士』はあまりにも売り方がお粗末ゆえ買う気が起こらず。だからこの記事で紹介しているのは元本の日本放送出版協会版なのである。

 

 

日本放送出版協会版『真田十勇士』全五巻のほうなら手放しで褒められるかと言えばそうでもなく、日本放送出版協会版『新八犬伝』は挿絵の代わりに番組劇中のスチール写真をふんだんに文中に取り入れていたので、のちのちヴィジュアル面で記憶を辿るのに非常に役立った。それが『真田十勇士』になると、巻頭口絵として劇中のカラー写真を4ページ載せてはいるものの、文中の図版はジュサブロー氏の手になる簡素な挿絵に変更されてしまっている。う~、コレじゃないんだよ。図版の見せ方はノベライズ本『新八犬伝』を踏襲してほしかったのに。

 

 

いま手元にある当時刊行された日本放送出版協会版『真田十勇士』帯の広告文を見ると、【全六巻】と印刷されている巻もある(これも記事左上の書影を見よ)。全六巻?てことは実際五巻で完結してるから一冊早めに打ち切ったのか?このあたりの事情も池田憲章が健在だったら明らかにしてくれたかもしれないのだが、どういう理由によるものなのか私にはわからない。番組そのものは別に打ち切りで終わってはいないもんね。

 

 

 

(銀) 当時リリースされた連続人形劇「真田十勇士」公式本と呼べるものはここで紹介した日本放送出版協会版ノベライズ本全五巻/人形を接写した写真集『辻村ジュサブロー作品集 真田十勇士』に加えて学研から発売されたコミカライズ本(マンガ)がある。そちらも本日まとめてお見せするべく予定していたが、Blogを書いている時間がなくなってしまったので次回に繰り延べ。本日これまで。

 

 

  NHK連続人形劇/柴田錬三郎 関連記事 ■ 

 

『新八犬伝』石山透

★★★★★  新たにTV第86話が発見されたらしい !!  (☜)

 

『辻村寿三郎作品集 新八犬伝』

★★★★  『新八犬伝』と『真田十勇士』では人形の表情に大きな違いがある  (☜)

 

『第8監房』柴田錬三郎

★★★  どう贔屓目に見ても〝傑作〟ではない  (☜)





2023年8月20日日曜日

時代考証や内容を全く無視したカバー絵を纏わされたジュヴナイル本の数々

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テキスト入力もろくにできないのに、打ちあがったテキスト・データを再チェックして見返す事さえせず、読めたものではない本を乱発している連中、そしてそんなゴミみたいな本をありがたがる程度の低いユーザーが棲息していることは度々お伝えしてきましたね。一方で、この十年に亘り、昔の少年少女小説を復刊するのはいいけど、その作品の内容及び発表された時代をまるで考慮していないカバー絵を着させて本を出す輩なんてのもいるんです。



どういう絵かといえば、俗に言うラノベ絵/マンガ絵みたいな感じ。十代や二十代前半の若い子なら、こんなタッチでファンジンだったり同人誌を作ってしまうのも仕方ない。しかしこれからお見せする本の装幀のサジェスチョンを行っているのは、いかにもアニオタ然とした加齢臭漂う五十代以上のオッサンやジイサン。別にね、ラノベだろうがアニメだろうが各自その世界の中でハマって楽しむぶんには誰も文句は言わない。されどいくらジュヴナイル作品とはいえ、彼らのヴィジュアル趣味を探偵小説の復刊にまでゴリ押しするのはいかがなものか?もっともこういうのってミステリ・SF以外の小説でも顕著なんだろうけど。

 

 

そんなオッサンやジイサン達のイタイ感覚によって近年復刊されてきたジュヴナイル本の書影を見てもらう。言っとくけど以下紹介している小説が発表されたのは今から半世紀以上も前、大正~昭和前期にかけての話である。それを踏まえた上でこれらの書影を御覧になってアナタはどう思いますか?



『少年科学探偵』小酒井不木
(真珠書院/パール文庫/2013年刊)



『あらしの白ばと』西條八十
(河出書房新社/2023年刊)



『西條八十集 人食いバラ 他三篇』西條八十
(戎光祥出版/少年少女奇想ミステリ王国1/2018年刊)



『怪魔山脈』西條八十
(盛林堂ミステリアス文庫/2018年刊)



『あらしの白ばと 赤いカーネーションの巻』西條八十
(盛林堂ミステリアス文庫/2015年刊)



『怪星の秘密 森下雨村空想科学小説集』森下雨村
(盛林堂ミステリアス文庫/2017年刊)




『シャーロック・ホームズ ジュニア翻案集』北原尚彦/編
(盛林堂ミステリアス文庫/2022年刊)





テキスト入力後のチェックが全然なされていない本だけでなく、こっち方面にも盛林堂書房及びあの店にズブズブな顔ぶれが深く関わっており、たいていの方は「またこいつらか」と思われたでしょうね。





(銀) 盛林堂書房が自主制作本の販売を始める前は、角川やポプラ社が先頭切ってこういう勘違いなカバー・デザインを推進していた。その一例を下のリンクからどうぞ。






■ 時代考証を無視したカバー絵のジュヴナイル本 関連記事 ■











2023年8月19日土曜日

『乱歩の軌跡~父の貼雑帖から~』平井隆太郎

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東京創元社
2008年7月発売



★★★★★  『貼雑年譜』から派生したファミリーヒストリー




この本もリリースされてから十五年。時の過ぎるのは早いもんだ。本書の解説にて『新青年』研究会の浜田雄介は、

〝ホームページ『名張人外境』で進行中の中相作「江戸川乱歩年譜集成」は、『探偵小説四十年』と『貼雑年譜』を再検討しつつ、歴史の中の乱歩を克明に描き出す試みである。〟

と紹介している。当時『名張人外境』でチラ見せこそしていたけれど、2008年といえば「江戸川乱歩年譜集成」の書籍化はまだまだ先の見えぬ状態であり、中相作は書斎に籠って粛々と作業を続けていた。




その「江戸川乱歩年譜集成」のコンセプトに影響を与えている文献のうち、筆頭クラスに値する一冊がこれ。江戸川乱歩こと平井太郎の長男・平井隆太郎が昭和53年から配本開始された第二次講談社版『江戸川乱歩全集』月報にて連載したエッセイ「乱歩の軌跡~父の貼雑帖から」を単行本化したもの。同じ東京創元社の『貼雑年譜 完全復刻版』を意識したデザインになっていて、こういう所有するのが嬉しい気分にさせてくれる造本の書物は最近めったに見かけなくなった。

 

 

ブックデザインが『貼雑年譜』を思い出させるのも当然で、このエッセイは立教大学の社会学部教授だった平井隆太郎が父の遺した『貼雑年譜』を叩き台にして書いている(平井家門外不出の『貼雑年譜』が商品化されるなど、乱歩が他界して十年ちょっとしか経っていないあの時点ではまだ誰も想像だにしなかった)。氏の職業柄、その文章はくだけた感じではなく、自分の思いを過剰に吐露することも控えユーモア・レスでカチッとしているが、本書には写真がいっぱい収められ、ヴィジュアル面も充実。 




私は乱歩がチャランポランだったは全然思っていないけれど、若い頃の乱歩はひとつの定職に落ち着くことができずコロコロ仕事を変えたり、あるいは家族を放り出して放浪の旅に出る事も多かったから、乱歩言うところのデカダン志向に平井家の人々は迷惑を蒙っていたんだろうなあと想像していたのだが、本書113ページで平井隆太郎は、

 

〝身内から見た父は、もともと至っての正直者、掛値なしに誠実な人柄の持主であった。〟

〝父は決していわゆる怠け者でも不誠実漢でもなかったのである。〟

 

と断言している。下段はまだしも上段のこの言、いくら隆太郎氏が昔気質の人ゆえ家長であった父を尊重するのは当り前だとしても、前述のような乱歩の振る舞いを身近に見ていながら、ここまで肯定的に語っているのは注目に値する。どんなことがあろうとも平井家の主・太郎の存在は我々が想像する以上に重いものだったようだ。

 

 

なんだかんだいって乱歩が世間に明るみにしてほしくなさそうな事は、ここでの隆太郎エッセイのみならず乱歩の妻・平井隆子も絶対口にすることはなかった。

私などは鳥羽造船所以来の旧友であり最初の平凡社版『江戸川亂歩全集』が出る頃まで常に乱歩の近くにいた井上勝喜や二山久の話(つまり彼らが乱歩と別れた後の行く末)、あるいは平井家において最もいかがわしそうな、謎に包まれた存在である乱歩の弟・平井通の人となりを詳しく知りたいのだけど、ここらへん触れてはならぬ平井家のタブーなのか、あるいはそれほど関心もなかったのか(隆太郎氏からしたら叔父なんだからそんなことはないか)、母・隆子がそうだったように、隆太郎氏もエッセイの中で私が「おおっ!」と喰い付きそうな逸話は一切書き残していない。

 

 

二十一世紀に入って、乱歩に関する平井家の取材窓口は隆太郎氏からその息子・平井憲太郎氏へ引き継がれた。そしていつか憲太郎氏にも生涯を終える日が来たならば、生の江戸川乱歩を知る平井家の人は絶えるのである。

 

 

 

(銀) 本書しかり『探偵小説四十年』にしても『貼雑年譜』にしても、江戸川乱歩とその家族が遺してくれた貴重な資料を、どんな評論家やマニアとも比べものにならないほど誰よりも有効活用し、乱歩研究に役立ててきたのは中相作をおいて他にはいない。前回の記事の『江戸川乱歩年譜集成』完成を祝って本書を取り上げてみた。






■ 江戸川乱歩 関連記事 ■


















2023年8月15日火曜日

『江戸川乱歩年譜集成』中相作(編)

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藍峯舎  江戸川乱歩リファレンスブック4
2023年7月発売



★★★★★  webサイト『名張人外境』の歩んできた長い道のり

 

 

朝起きたら、何はなくともまず最初に『名張人外境』へアクセス、それが私の日課。最近のブログ形態になり更新頻度が低下してしまったけれど過去の『名張人外境』はなんらかの用事で中相作が家を空けている場合を除き、日々あたかも新聞のように熱っぽく情報発信がされていたものだ。HPのプラットフォーム・カラーが黒ベースだった最初の頃はBBS(今ではノスタルジックな言葉)が盛んな時期で、『名張人外境』のBBS「人外境だより」も常に賑わいを見せていた。おしなべて世界中同じ状態だろうが、長く続いてきたHPであってもBBSはある時期を境にすさまじいスパムの的になってしまって、『名張人外境』も例外ではなく「人外境だより」だけは現在見返すことができないのが寂しい。



既刊の『江戸川乱歩リファレンスブック』三冊(=『乱歩文献データブック』『江戸川乱歩執筆年譜』『江戸川乱歩著書目録』)そして『子不語の夢』『乱歩謎解きクロニクル』と、中相作が手塩にかけた乱歩研究書にはいずれも新鮮な驚きがあった。個人的には例えば『江戸川乱歩執筆年譜』を読んでいて、てっきり乱歩が快調に執筆しているとばかり思っていた「魔術師」後半や「黄金仮面」の中盤以降と、どうにも袋小路に入り込んでいるようにしか見えない「盲獣」の連載が足並み揃えて同時進行していた事実を、誰にでも見やすいフォーマットで示された時のことなど強く印象に残っている。 

中相作が現れる前、世間に流布していた島崎博による乱歩年譜(昔の角川文庫の巻末に載っていたアレです)も熟読はしていたつもりだったが、『名張人外境』の提示する執筆年譜は丁寧かつユーザーライクで、何事につけ江戸川乱歩に対し見えていなかったものを見えるようにしてくれる、それこそが人外境主人の仕事の素晴らしさだといっても過言ではない。



『江戸川乱歩リファレンスブック』三番手の『江戸川乱歩著書目録』リリースから二十年の時を経てようやく完成した『江戸川乱歩年譜集成』。人はきっともうひとつの『探偵小説四十年』だと讃えるだろうし、ボリュームからして重厚なので「中相作の最高傑作!」と激賞するに違いない。長年待ち侘び遂に届けられたこの書物をまず一度最後まで読み終えたあと、不思議に今までの中相作の乱歩研究書に感じた衝撃とは異なり、雨の日も風の日もたゆまず更新されてきたいくつもの『名張人外境』のエントリや情報が脳裏によみがえってきて、なんとも言えぬ懐かしさを噛み締めている自分がいることに気がついた。

 

 

「あ、このフラグメントはたしかあの時追求されていたな~」とか「いろいろ中氏は逡巡されていたっけ、この一件はこんな風に結論付けたんだ」とか、記憶力の悪い私でも二十年間ずっと見続けてきた『名張人外境』のエントリの数々を意外と覚えているもので。この特別な感覚は毎日じっくり『名張人外境』に接してきた人間特有のものなんだろうけど、二十年の年月が私をそうさせるのか新たな発見を見つけてワクワクする以上に、今日まで『名張人外境』がsurviveしてきたその結晶が『江戸川乱歩年譜集成』なんだなあと、そんな感慨深い思いでいっぱいになる。


 

 

とかしんみり語っているが、中相作が編纂した書物を一遍読んだぐらいで理解した気でいるのは甘い甘い。どうせ再読するたびに「あれっ?」と気づかされるネタがその都度浮上してくるのがいつものパターンなんだから。『乱歩文献データブック』『江戸川乱歩執筆年譜』『江戸川乱歩著書目録』の三冊は刊行後アップデートされた内容をネットの『名張人外境』で見ることもできるけれど、『江戸川乱歩年譜集成』だけはフィジカルの本書を読むしか手段がない。本書もやっぱり何度も何度も何度も何度も手に取る長い付き合いになるであろう。

 

 

 

(銀) ここに来て中相作は〝乱歩じまい〟を口にしている。個人としてはありえない程の投資や労力を費やしているところを離れてずっと見てきたので、そろそろ乱歩研究や名張における乱歩関連の諸問題から自由になってもらいたいと思う。でも氏の性格を考えると、たとえ『名張人外境』の更新が一切なくなってしまっても名張の乱歩関連問題だけは死ぬまでやり続けるのではなかろうか。とにかく中相作には元気でいてもらいたい。心からそう願う。




■ 中 相作 関連記事 ■







『子不語の夢/江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』



『伊賀一筆/第1号』



『乱歩謎解きクロニクル』中相作

★★★★★  乱歩という巨大な騙し絵の謎を解き明かす  (☜)





2023年8月14日月曜日

『ガールフレンド/伊藤人誉ミステリ作品集』伊藤人誉

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盛林堂ミステリアス文庫
2023年7月発売



★    主人公のギャンブルまみれなだらしなさ




伊藤人誉もこれまで存在を知られていなかったところに龜鳴屋が先鞭をつけ、限定少部数ながら何冊かの本を世に送り出したことで一部の人の興味を引くようになり、それを見たあざとい盛林堂書房周辺の連中が追随して新刊を出すパターンは先日の倉田啓明と同様。異なる点といえば、読めたものではないテキスト入力を施した本をばら撒いてきた善渡爾宗衛が今回は絡んでおらず(まあきっと裏で協力しているに違いないけど)、善渡爾のレーベル東都我刊我書房ではなくて盛林堂の店主・小野純一による盛林堂ミステリアス文庫の一冊として制作。善渡爾の代りに日下三蔵が深く関わっており、相変わらずウサン臭さは漂っているが。



「一  たてがみのある女」

「二  女は夜来る」

「三  面をかぶった女」

「四  女をゆすれ」

「五  鍵と女」

 

「あとがき」

 

 

〝一話完結エピソード〟が五篇並び、それぞれ発表誌はバラバラみたいだし、形としては短篇集扱いになるのだろう。すべてメイン・キャラクター滝田行雄が登場、彼の境遇は薄ぼんやり連続していると思われる。作者があとがき」で語っているように選び抜いた言葉とその配置の仕方など、文章にこだわりを持って書いているのは読んでいてもはんなりと伝わってくる。しかし私がどうにも閉口するのは滝田行雄がどんな女でもあわよくば一発ヤリたいだけの男で、一応働いてはいるみたいなんだが常に描かれているのは競輪にのめり込むシーンという〝煮しめたような小市民感〟。明瞭にユーモア調を選択していないぶんサスペンスは織り込みやすいはずだけど、このビンボー臭さはイヤだな。

 

 

次々出会う女たちと滝田とののっぴきならぬ〝モメ事〟がストーリーの根幹。〝犯罪〟と呼ばず〝モメ事〟と表現している点からして、本書に見られるサスペンスの特徴がどれだけ日常範囲のドメスティックなものか察して頂けるだろう。彼女らは『ガールフレンド』という書名から想像したくなる身綺麗な存在とは全然違って、例えば三十過ぎの毛深くてあから顔の粗野な女医だったり、まだ正式に前夫と離婚してもいないのにダラダラ滝田の遊びの相手になっている中井晋子だったり、吃音かつ兎口で冴えぬ男の細君・高段マサ子だったり、皆なにかしら泥臭さを纏っている。「一 たてがみのある女」に登場する畑中幸恵だけ唯一まともだが、ふらふらしてばかりのC調な滝田が幸恵と結ばれる・・・てなことは無い。

 

 

〝のほほん〟とした空気が流れているのは三橋一夫っぽくもある。そういえば日下三蔵が推していて中間小説みたいな趣きが流れているところなど共通点は多いかも。龜鳴屋が勧めるものなら素直に受け入れもできるが、盛林堂と日下がやれ「伊藤人誉の著書は激レア」だの、「『ガールフレンド』の元本(東京出版センター版)には遭遇する機会がない」だの、古本乞食を釣らんとするセリフをちらつかせるので不快感しか湧かない。それしか言うことはないのか?龜鳴屋とは対照的な心根をもつ連中の標的にされた物故作家はまことに不幸なり。

 

 

 

(銀) 伊藤人誉のこの文章の感じって、小沼丹が好きだった久世光彦がもし生きていたら喜びそう。それは私も理解できるけれど、色川武大じゃあるまいし本書における滝田行雄の競輪狂いには辟易。最近とみに、従来よく知られている日本探偵作家そっちのけで「これってミステリの範疇なの?」と思われるような作家や作品を「これこそミステリである」と押し切って売り出す新刊が多い。この傾向しばらく続きそうな気がするが、なんだかなあ。



■ 非探偵作家 関連記事 ■


『月を消せ』藤澤桓夫  ★★  タイトルの意味を知ってコケた  (☜)






2023年8月12日土曜日

『写真が語る銃後の暮らし』太平洋戦争研究会

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ちくま新書
2023年6月発売



★★    先日の甲賀三郎記事について補足

 


毎年のことだが、八月半ばのNHKは大東亜戦争関連番組の放送に忙しい。
そいつに便乗するが如く、本日は日本の夏にふさわしい(?)新書に関する話。



7月5日にupした甲賀三郎『雪原の謀略』の記事(☜)の中で私は「東京市民がモンペ+火事頭巾姿で防空訓練をやり始めたのはいつだったのか?」と書いた。甲賀の長篇「印度の奇術師」を読むと、獅子内俊次の上司である『昭和日報』の尾形編集長が〝英国が日本に対し資金凍結を行った〟と口にしているので、「印度の奇術師」の執筆が開始された時期を昭和16年夏以降とする見立ては動かしようがない。

それはともかく、本土空襲を想定して国が〝防空訓練〟を厳しく民衆に課すようになったのは、英米と険悪な状態になり「防空法」を改正した昭和16年あたりだっけ?とテキトーに考えていたため、あの頃の女性たちがモンペ+火事頭巾姿になって〝防空訓練〟をやり始めた正確な時期はいつだったのか、それとなく気になっていた。

 

 

「印度の奇術師」はいつ執筆されて、初出は単行本書下ろしなのかそれとも発表誌があるのか、明らかになっていない。作中に書かれている当時の物情からある程度の範囲を割り出すべく本を開くと、その冒頭シーンは東京市民の若い女性がモンペ+火事頭巾姿で〝防空訓練〟をしているところから始まっている。

しかし「防空法」なるものが最初に制定されたのはもっと前、横溝正史が「真珠郎」を書き上げ六人社版の単行本を出した昭和12年だ。それを機に、どうやら東京市だけでなく各地でも〝防空演習〟が盛んに実施され始めたらしい。ネットで〝防空訓練〟と検索すると〝防空演習〟が次々ヒットしてくる。「印度の奇術師」に書かれている〝防空訓練〟と、昭和12年の「防空法」施行に沿って行われるようになった〝防空演習〟はほぼ同義とみていいようだ。


 

 

さて。戦前の日本の写真を新書のカタチで提示してみせた光文社新書『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』がメディアでかなり話題になったせいか、本書『写真が語る銃後の暮らし』も、本来のモノクロ写真を使用しているとはいえ、対象にしている年代は昭和の幕開けから敗戦までだし、似たような路線の作りでヴィジュアル重視なところは好ましい。昭和12年~15年までのドキュメントが載っている本書第二章「国家総動員」の111ページにはこのような写真がある。




 

 









如何だろう?「印度の奇術師」冒頭で描かれていた〝防空訓練〟を行う女性達の姿に非常に近いように思えるのだが、写真下にあるキャプションを見てわかるとおり、これは昭和13年に東京・日比谷公園で実施された〝防空訓練〟に参加しているモンペ姿の女性を写したもの。このようにして、東京の女性がモンペ+火事頭巾スタイルで〝防空訓練〟を本格的にやらされ始めたのは、日米が開戦した昭和16年以降ではなく、やはり「防空法」施行後からだった事が改めてヴィジュアルでも確認できた。

 

 

小林司/東山あかね『シャーロック・ホームズ解読百科』を読み倒してきたせいか、無闇矢鱈に蔵書ばかり増やして何の知識も得ないでいるより、既に持っている本を再読したり、小説の中に記されている文章からもう一歩突っ込んで、紙背に隠れている情報を知る作業のほうが楽しいなと、ふとそんな事も感じた八月の夜であった。

 

 

 

 

(銀) 半藤一利『B面昭和史 1926 ➤ 1945』(平凡社ライブラリー)には日本探偵作家の名が見られたが、この『写真が語る銃後の暮らし』でも昭和モダンのアイコンとして、江戸川乱歩と夢野久作の名前が挙げられている箇所がある(36ページ)。

 

 

掲載されている数々の写真を眺めるのはいいのだけれど、本書の帯(裏面)に「いまは、新しい戦前なのか」なんて陳腐な惹句があったり、中身の文章にも左派っぽい傾向が雑に表出していてセンスがなさすぎ。現内閣へのアンチテーゼを発散している本は巷に溢れているけど、誰も彼もどうしてこんな手垢の付いた表現しかできないのかね?リベラル支持は結構だが、手法があまりに幼稚で、そこにインテリジェンスは皆無。日本人の一番苦手なものって政治なのかも。 

 

 

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