2019年2月には半藤一利の本書『B面昭和史』が平凡社ライブラリーに入り、7月には小林信彦の『アメリカと戦いながら日本映画を観た』が朝日文庫にて復刊された。(後者は以前ちくま文庫にて『一少年の見た〈聖戦〉』のタイトルで出ていたもの)
この二冊、それぞれスタイルは異なっても両者の言わんとすることはまったく同じ。少年時代の彼らにとって人の営みがのんびりして豊かだった戦前の東京。それも日本が中国~米英と戦争をおっぱじめたことで、日本人同士なのに人々の生活は「軍部・政府の検閲・強制」や「特高の監視」に自由を奪われてゆく・・・。
昭和5年生まれの半藤と昭和7年生まれの小林。山手線の東側に実家があり共稼ぎの両親に育てられカラっとした悪ガキとして駆け回っていた半藤と、和菓子屋のボンボンとして生まれ神経質で内向的な小林。半藤の『15歳の東京大空襲』『昭和史』などを読んで小林は自分の体験にとても近いシンパシーを感じたと言う。「複雑な昭和史をまるで講談のような面白さで語っているので、ずっと年長の人だと思っていた。」と語る小林信彦の半藤一利評はそのまま、時にはユーモラスに読み易く構成された本書の魅力をも的確に示している。
更にこの『B面昭和史』では、教科書に載っているような歴史的事件がメインだった『昭和史』といささか視点をずらして、当時の(ブルジョワではない庶民目線な)東京市民の息遣いを自然に現代の読者にも運んでくる。戦争の旗色が悪くなって、有楽町の日本劇場(今のマリオン?)をはじめ本土・満洲・中国・南方の占領地にまで超巨大な「撃ちてし止まむ」の精神高揚ポスターが貼り出されていたなんて事も本書を読んで知った。
NHKがよく制作する前世紀をテーマとしたドキュメンタリー番組に見られるような、よぼよぼになった当事者を発言者にして下手な番組作りをされるよりも、軽快な半藤節を文字で読むほうがずっと面白い。世界平和をおちょくれる時は本当に世の中が平和なのだ。子供達に〈日本=悪〉のイメージを植え付け、何の関係もない世界各地にいわゆる慰安婦像を立てまくる韓国人は日本と友好を保つつもりなどさらさら無く、中国共産党は中華思想を言い分にして世界中で行っている野蛮な侵略を止める気もこれまた無し。日本を見れば総理自ら森友・加計に学術会議と、メディア格好の餌になるようなネタをわざわざ提供し続けている。愚かな事よ。
(銀) それを目当てで買った訳ではないが、本書の中に戦前の日本探偵作家の名前が出てくる箇所がある。
NHK、というよりも日本人って「なんでこんなにセンスの無いドキュメンタリー番組を作るのだろう?」と思う事がしょっちゅうある。本文で書いた以外にも、例えば当時の旧いフィルムと写真だけで映像を構成すればいいのにすぐ三文芝居の再現ドラマを入れ込んでみたり、ナレーションもベテランのアナウンサーだけに語らせとけばいいものを何かというと俳優やタレントを使いたがる。時代錯誤も甚だしい演出の紅白歌合戦がいまだに続いているぐらいだし、テロップまみれでなければ最早成立させられない日本のTVには将来ドキュメンタリー番組のセンスが向上する希望なんて全く持てないのであった。