2025年1月30日木曜日

『カナリヤ殺人事件』ヴァン・ダイン/瀬沼茂樹(訳)

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角川文庫
1961年5月発売



★★   トリックの創造以外、問題ありまくり




〝・・・・マーカム君、そんなロマンティックな犯罪学的な考え方をして、君をまよわせたもうなよ。また雪の中の足跡にあまりに近づいて、熱心につつきたもうなよ。君を、まよわすこと、この上なしだからね。君はあまりにこの邪悪な世界を信用しすぎているよ。それにあまりにまじめすぎるよ。僕は君に警告するね。どんな馬鹿な犯人だって、君の巻尺や測経器(ママ)におあつらえむきに、自分の足跡を残しておく奴なんか、ありはしないとね〟

~本書 第二章「雪の中の足跡」より(瀬沼茂樹・訳)

 

 

「カナリヤ殺人事件」歴代翻訳者はこちら。
 
平林初之輔  平凡社版「世界探偵小説全集19」        昭和5年刊

瀬沼茂樹   新樹社 「ぶらっく選書9」         昭和25年刊

  〃        早川書房「HPM 135」           昭和29年刊

井上勇    東京創元社版 「世界推理小説全集32」    昭和32年刊

    〃      創元推理文庫                          昭和34年刊

瀬沼茂樹         角川文庫(本書)                      昭和36年刊

日暮雅通         創元推理文庫~SS・ヴァン・ダイン全集   平成30年刊

 

 

こうしてみると訳書の数でいえば、(現時点では)瀬沼茂樹のものが一番多い。
【本書あとがき】の中で瀬沼は次のようにコメントしている。

 

平林初之輔の抄訳を引き継ぎ、ぶらっく選書では完訳を目指し、学友・金子哲郎の助力をあおいだ。その際、使用した底本はGrosset & Dunlap版。

 

ぶらっく選書~ポケミスにおいて不徹底だった箇所に対し、本書(角川文庫版)は全編にあたって悪訳・誤訳を正した他、用語を平易にするよう努めた。

 

後発の井上勇訳も参照した。原作者(ヴァン・ダイン)の付註の他には極力割註を避け、本文におりこんで読み易くした。

 

後発の翻訳者が他者の手掛けた先行訳書を参考にすることは決して珍しくないけれども、自らの「カナリヤ殺人事件」が三度目の刊行になるとはいえ、後追いの井上勇訳書をも参照するなんて謙虚な姿勢だな~と思っていたら、瀬沼より井上のほうが三つ年上なばかりか、翻訳者としてのキャリア・スタートも瀬沼に比べ井上はだいぶ早かった。あとwikipediaを見て気付いたのだが、井上勇も同盟通信社(☜)に勤めていたとは知らなんだ。今後彼に関する資料や訳書をもう少し注意して見ていきたい。

 

 

フィロ・ヴァンス(本書ではこう表記されている)長篇第二作。本作については大抵、
 日本のドラマにさえ散々パクられてきた密室偽装トリック、
 ✕✕✕✕を用いたアリバイ・トリック、
 ポーカー・ゲームによる容疑者たちの心理洞察、
この三点が議論の中心になる。現代の一般読者に子供騙しだと冷笑されるのトリックだが、発表時、のhow toを知った読者は絶対「おお~」って驚嘆した筈。ハンス・グロス文献からの頂きだったにせよ、百年も前、つまり1927年(昭和2年)の話であることに留意しなきゃいかんぜよ。もきっと物的な推理対象だけじゃ物足りず、もう一手ダメ押しすべくヴァン・ダインはこんなシーンを終盤に挿入したんだと思う。

 

 

旧世紀のクラシックな佇まいを好む私でさえ批判したくなる本作の問題点は、トリック等を全部とっぱらった物語の部分が絶望的につまらないところ。語り手=ヴァン・ダインの存在が100%空気状態であってもさほど気にはならないが、全体の半分以上を占めるフィロ・ヴァンス/マーカム検事/ヒース(本書の役職表記は警部)のやりとりに人間味や温度が殆ど感じられないため退屈。主人公のヴァンスがひたすら皮肉/気取り/イヤミしか口にしていないように映ったら、読者にシンパシーや親近感は生まれ得ない。時代の趨勢を考えれば、謎の提示をこのレベルまで実践できたことは評価に値する。でも面白くないものは何度再読しようがやっぱり面白くない。

 

 

フィロ・ヴァンス長篇は第七作「ドラゴン殺人事件」以降、低調になっていったと誰もが云う。読み物としての出来で言えば、二作目の「カナリヤ殺人事件」だって褒められたものではない。瀬沼茂樹訳だから不満なのではなく、原作そのものに至らぬ点が多過ぎ。


 

 

(銀) 海外古典ミステリの新訳本が発売されると「旧訳はつまらなかったのに、以前とは比べものにならないぐらい劇的に面白くなった!」、そんな感想をよく見かける。訳の向上は間違いなくあるだろうが、サクラによる誇大広告でないとも限らないし簡単に信用するのは危険。自分の目で読み比べて確かめるのが一番。







2025年1月26日日曜日

『思考機械【完全版】第1巻』ジャック・フットレル/平山雄一(訳)

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作品社
2019年5月発売



★★★★  分厚くて扱いづらいけど、これは読んでおくべき





オーガスタス・S・F・X・ヴァン・ドゥーゼン教授。思考機械と呼ばれる男。
前にも紹介したとおり(☜)、「十三号独房の問題」はミステリ・ファンなら一度は読んでおかねばならない不朽の名作。シャーロック・ホームズの時代を彩るエキセントリックな探偵でありながら、どの国も思考機械シリーズの全貌を十分把握できていなかったとは意外だし、史上初の全作完全収録書籍がmade in Japan、こりゃスゴイ。細かい書誌データ調査/それに基づく本の編纂、そんな内向きの作業って、毎日毎日「ヤフコメ」「X」で誰かを集団リンチするのが三度の飯より好きな、陰湿で暗い日本人にわりかし合ってるのかも。

 

 

発表順にソートした作品配列もポイント高し。下記のとおり、国内の既刊単行本に未収録だったものはマークを付けて紹介している。過去の単行本にセレクトされなかった作品がワンランク質の落ちる作品だったのか、あるいはそうでもないのか、各自分析してみるのも一興。

 

 

「十三号独房の問題」

「ラルストン銀行強盗事件」

「燃え上がる幽霊」

「大型自動車の謎」

「百万長者の赤ん坊ブレークちゃん、誘拐される」

 

「アトリエの謎」

「赤い糸」

「〝記憶を失った男〟の奇妙な事件」

「黄金の短剣の謎」

「命にかかわる暗号」    

 

「絞殺」

「思考機械」

「楽屋〝A〟号室」

「黄金の皿を追って」

「モーターボート」

 

「紐切れ」

「水晶占い師」

「ロズウェル家のティアラ」

「行方不明のラジウム」

 

 

「十三号独房の問題」はもとより冒頭まず最初の五篇あたり、銀行内の金庫爆破や✕✕による幼児拉致といった奇想天外な犯罪を見せつつロジックの筋道は一本通っているところがキャッチー。その後しばらく地味な事件が続き、中篇「黄金の皿を追って」を境に再び盛り返してくる。前半の『ボストン・アメリカン』掲載作と後半の『サンデー・マガジン』掲載作では与えられた紙面のキャパシティに幾分差異があったのか、尺の長さもさながらストーリーの組み立て方に変化が見られ、微妙な演出の違いを楽しめるのもgood。

 

 

私みたいに、旧いattitudeを活かした訳文を好むユーザーもいれば、反対にひたすら読みやすさを求めるユーザーもいる。そのいずれにも平山雄一の翻訳は対応できていると思う。一つ不満があるとすれば電報の文章。「百万長者の赤ん坊ブレークちゃん、誘拐される」における次の箇所を見て頂こう。

 
りんデオトコノイバショトアカンボウノテガカリハッケン
- ほてるニソッコクコラレタシ はっち
 

これはヴァン・ドゥーゼン教授の友人である新聞記者ハッチンソン・ハッチが送ってきた電報で〝りん〟=〝リン〟というのは作中に出てくる地名のこと。つまりリンで探していた男の居場所と行方不明になった赤ん坊の手掛かりを発見したから、即刻ホテルに来てもらいたいとハッチは思考機械に伝えているのだ。

 

 

日本における電報の文字は今でこそヴァリエーションがあるけれども、昭和以前は〈カタカナ〉しか使われていなかった。日本語の場合、リンという外国の地名、ホテルという単語、ハッチという外国人の名前を〈カタカナ〉以外の文字で表記することはまず無い。しかしここでは、昔の日本人の慣例を意識して全ての文字を〈カタカナ〉にするのではなく、少しでも伝わり易くするため、本来〈カタカナ〉でしか表せない言葉を〈ひらがな〉に置き換えたものと思われる。ただこうすると文章の見映えが悪くなるのも事実。





はっちはともかくりんほてるまで〈カタカナ〉表記にしてしまったら読みづらいのではないかと訳者が考えるのは至極もっともであり気持ちはよく解る反面、ここは思い切って〈カタカナ〉で通すべきだし、なんならその部分だけ別のフォントに変えるのも一つの手だった(編集担当者は絶対嫌がるだろうけど)。日本語ならではの悩みだが、全編スマートに作られているこの本の中で唯一スマートじゃない電報文の箇所(他の作品にもこの〈ひらがな〉表記は見られる)、実に惜しい。なにしろ500頁を超える厚さゆえ、寝転んで読むのは面倒だが、その煩わしさを我慢するだけの価値があることは保証する。

 

 

 

(銀) 版元にはまだ在庫が余っているのか、楽天ブックスで年二回(だったかな?)行われる謝恩価格本セールの際、平山雄一の手掛けたミステリ関連書籍はかなりのお手頃価格で販売されている模様。私の知る限り、謝恩価格といっても大抵の単行本には帯が付いており、綺麗な状態だからダメージの心配は無用。未読の方は中途半端に古本で探すぐらいなら、このセールを積極的に活用して頂きたい。中には謝恩価格本をせっせと仕入れて売り捌く古本屋もいたりするが、その売値には仕入れ時の価格にマージンが乗っかっている訳で、だったら楽天ブックスから直接購入したほうが出版社のプラスにもなる。

 

 

 

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2025年1月19日日曜日

『怪船の恐怖』浅原六朗

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むさし書房
1949年12月発売



   表層的でしかない少年怪奇探偵小説




龍膽寺雄や浅原六朗が名を連ねる〝新興芸術派〟って、反プロレタリアを志向する集団みたいに云われてなかった?佐左木俊郎なんかプロレタリア臭、出しまくりじゃん。どういうこと?私もまだまだ昭和初期文学の修業が足りないようだ。モダニズム小説でも悲惨小説でも、自分の感性に合うならジャンルは問わない。ただ、純粋に面白い!と思える作品、なかなか無いんだよね。

 

 

浅原六朗の仙花紙本『怪船の恐怖』は中篇二作を収録している。如何せん江戸川乱歩「少年探偵団」シリーズを矮小化したも同然のジュヴナイルゆえ魅力に乏しく、わざわざBlogの記事にする必要も無かったんだけど、中途半端に手を付けてしまったからには気力を振り絞って(?)書き上げよう。(「記事にしようかな」と思いつつ、どうにも面白くなくてボツにしたジュヴナイルは今迄にも数点ある)




「恐怖の怪屋」

二七の縁日で遠山敬三ら中學生達が遭遇した片眼の占者。その男の不気味な託宣が現実となり、敬三の友人・佐藤吉哉は武蔵野の洋館へ足を踏み入れたまま、行方がわからなくなってしまう。男は敬三「俺にはな、お前たちのような少年が必要なのだ。」とうそぶくものの、吉哉だけでなく沖島博士の令嬢・美代子まで標的にされる理由が見えてこない。

 

 

ストーリーを牽引する探偵がいないぶん、悪のキャラをどう立たせるか、そこがポイント。片眼の怪人の場合、生身の正体は謎だけど、老人にも若く美しい女にも化けられるらしい。ここまで風呂敷を広げた以上、吉哉達を拉致した目的ぐらい語らせるべきなのに、場当たり的なエンディング数行の説明で片付けちゃダメよ。その上、最後の見せ場を作ることも無く、怪人はいつの間にか姿を消してしまってドロン。これじゃ読者は納得しないゾ。

 

 

「怪船の恐怖」

「恐怖の怪屋」より更に尺は短め。科学界の権威・重村博士、その息子・一郎が怪博士ゾルレンと闘う物語。「恐怖の怪屋」共々目に付く欠点は、ジュヴナイル探偵小説っぽい要素を表面的に継ぎ接ぎしているところ。どれだけ怖そうな場面やアクション・シーンを繰り出しても、悪人の成し遂げたい野望がしっかり伝わらないんじゃ読み物として失格だろう。 

 

 

浅原六朗は少なからず少年少女小説を手掛けており、たまたまその中にジュヴナイル探偵小説と名の付くものがあるだけで、特段ミステリに関心を抱いていたとは考えにくい。小説家としての力量を語れるほど私は浅原の作品を知っている訳ではないけれど、探偵小説を書くのであれば、最低限どのような点を押さえておかねばならないのか、その理解が欠如しているのでは・・・と思った。とにかく乱暴に書き飛ばしている感アリアリ。





(銀) こういう箸にも棒にも掛からぬジュヴナイルを過剰に持ち上げて騒ぐのは森英俊や小山力也(古本屋ツアー・イン・ジャパン)みたいな、いわゆる〝転売ヤー〟だけ。浅原六朗を研究している方、及び熱心なファンならともかく、普通に見識のある大のオトナが涎を垂らして喜ぶ本ではありません。 

 

 

 

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2025年1月17日金曜日

『怪奇探偵ルパン全集③虎の牙』ルブラン(原著)/保篠龍緒(譯)

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平凡社
1929年5月発売



★★   知名度は高いが出来はイマイチ




「虎の牙」・・・子供の頃、初めて手にしたのは言わずもがな南洋一郎ポプラ社版。昔はフツーに面白く読めたもんだが、年齢を重ね大人向けの本で再読するたびガッカリ感が増してゆく特異な作品である。フランスの発表順では「三十棺桶島」の次になっているけど、アメリカから映画化を前提に新作をオファーされ、英訳テキストで本国より数年早く発表している関係上、実質的な初出は「ルパンの告白」の次作に該当するんじゃなかったかな?「813」→「水晶の栓」→「ルパンの告白」・・・さしものルブランも疲弊していたのか、敵役に強烈なオーラが備わっておらず、全体を通して無駄な贅肉が多い。

 

 

従来どおりアトラクティヴなシーンは健在。そのくせ物語のテンポが良くないし、北アフリカ・モーリタニアにルパンは自分の帝国(!)を持っているのだが、或る人物を救うべくその帝国をフランス政府へ差し出す壮大な取引など、重箱の隅をつついて楽しむのが好きな本格一辺倒の人からすれば度を越したスペクタクル。加えて「ルパンの民族主義が許せないッ!」と批判する声もあるらしく、この辺がアルセーヌ・ルパンの世界にのめり込めるか否か踏み絵になっているんだろうね。

 

 

なんにせよ本作の場合、活劇長篇の熱気を左右する御都合主義が理想的な相乗効果を生み出せていないのが大きな欠点。捕えられたドン・ルイ・ブレンナが脱獄トリックも無いまま「開けろ、胡麻(セザーム)!」と呟いているだけですぐに獄から出してもらって簡単にバラングレー総理大臣と交渉することができたり、終盤における犯人との対決でも古井戸に落ちたあと絶体絶命のピンチをあんな風に脱出できたり、どうも底が浅くて興醒めする。近い将来、良質な新訳が読めるようになるのか全く不透明だけど、一度保篠龍緒訳の呪縛からスッパリ脱却してみたいよ。




                    


 
 
前に「水晶の栓」を取り上げた際、同じ保篠龍緒の訳したルパン本でも新版が出るたびテキストに手が加えられているか、検証を行いたいと述べた。よってここでは戦前(昭和4年)刊行された平凡社版『虎の牙』(怪奇探偵ルパン全集第三巻)と、戦後(昭和23年)刊行された三木書房版『虎の牙』『呪の狼』を比較してみようと思う。保篠訳「虎の牙」は大正時代から『虎の牙』と『呪の狼』二冊セット販売が定番ゆえ、昭和4年刊平凡社版のように一冊で出されるケースは非常に珍しい。








その平凡社版三木書房版の章題はコチラ。

 

【昭和4年 平凡社版】(本書)         【昭和23年 三木書房版】

  警視總監室                 警視總監室/『虎の牙』

  呪はれた人々                                     呪はれた人々/『虎の牙』

  死の寶石                                         死の寶石/『虎の牙』

    林檎の歯型                                           林檎の歯型/『虎の牙』

  鐵扉                                                     鐵扉/『虎の牙』

 

  紫壇杖の怪人                                    紫壇ステツキの怪人/『虎の牙』

  沙翁全集第八卷            シエークスピア全集第八卷/『虎の牙』

  骸骨小屋                   骸骨小屋/『虎の牙』

  ルパンの激怒                                         ルパンの激怒/『虎の牙』

  秘密の告白                                           秘密の告白/『虎の牙』

 

  大瓦解                     大瓦解/『虎の牙』

  救けて吳れ                       救けてくれ/『呪の狼』

  大爆發                     大爆發/『呪の狼』

  呪の男                                           呪の男/『呪の狼』

  二億圓の遺產相續者             二億圓の遺產相續者/『呪の狼』

 

  エベールの報復                エベールの報復/『呪の狼』

  開けろ!胡麻                 開けろ!胡麻/『呪の狼』 

  皇帝アルセーヌ第一世                            皇帝アルセーヌ第一世/『呪の狼』

  穽がある!氣を付けろ                           穽がある!氣をつけろ/『呪の狼』

  フロレンスの秘密                                   フロレンスの秘密/『呪の狼』

 

  さらばよ!ルパンの名                             さらばよ!ルパンの名/『呪の狼』

 

 

〝沙翁〟を〝シエークスピア〟に変更したり、三木書房版『虎の牙』『呪の狼』は上段に示した章題だけでなく、本編においても一部の漢字表記を調整しているぐらいしか平凡社版との違いは無い。要するに平凡社の紙型をダイレクトに流用するのではなく、旧テキストをベースにしつつ戦後になって表現の仕方が変化した言葉のみ手を加えているらしい。従って三木書房版の制作に保篠龍緒は関与していないと判断していいだろう(平凡社版三木書房版を一字一句すべてチェックしてはいないので、万が一異同があったらそれは私の見落としである)。奥付にちゃんと「星野」印が押されており、三木書房版は海賊版ではない。





ルブランマニアでも保篠マニアでもない私は、戦後のルパン本は殆ど持っていない。戦前の版に対しこういう訳文比較を行うのであれば、三木書房版よりあとに出たもの(例えば日本出版共同版「アルセーヌ・ルパン全集」/鱒書房版「ルパン全集」/三笠書房版「ルパン全集」/日本文芸社版「ルパン全集」)を用いたほうが、異同を発見する確率はアップしそう。
 

 

 

(銀) 昭和4年の「怪奇探偵ルパン全集」を担当した平凡社の編集者は古河三樹松。戦後になり自ら三木書房を立ち上げ、往年のルパン本を蘇らせたのも彼の仕事。『月の輪書林 古書目録9 特集古河三樹松散歩』にルパン絡みの思い出話でも載ってないか、数年ぶりに目を通してみたが残念ながら無かった。

 

 

 

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2025年1月11日土曜日

『五匹の子豚』アガサ・クリスティー/桑原千恵子(訳)

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ハヤカワ・ミステリ文庫
1977年2月発売



★★★★  後発の版では〝らい病〟が〝不治の病〟に改変




 アミアス・クレイル

画家。芸術家肌ゆえ常識の欠落したところがあり、女に惚れやすい。

 エルサ・グリヤー

アミアスの絵のモデル。アミアスからの求愛をまともに受け入れ、彼の新妻になることを望んでいる勝気な娘。アミアスを取り巻く人々の目を何も気にしていない。

 カロリン・クレイル

アミアスの貞淑な妻。肉親には異母妹のアンジェラ・ウォレン、アミアスとの間に出来た一人娘カーラがいる。自分をなおざりにして結婚するとうそぶく夫と愛人の無軌道ぶりに動揺しつつ、気丈に振舞う。

 

 

夫アミアスに毒の入ったビールを飲ませ殺害した容疑により、終身刑を科せられた妻カロリン。その彼女も判決の一年後、獄中で死亡している。それから十六年・・・幼い頃カナダに暮す親族のもとへ遠ざけられ、両親の暗い過去を知らずに育った二十一歳のカーラ・ルマンションは今、現実と向き合わざるをえない状況に置かれていた。成人になり初めて読む母からの手紙には自分の潔白を伝える毅然としたメッセージが・・・。カロリンの冤罪を晴らすべく、カーラはエルキュール・ポアロに調査を依頼する。

 

 

マザー・グース系に属する作品だが私の関心はそこには無く、特筆すべきはやはり幾人もの登場人物による手記を繋げてストーリーを進行させるウィルキー・コリンズ「月長石」(☜)のやり方を更にもう一歩押し進めた構成だろう。事件が現在進行形で動いているならともかく、ポアロは十六年も昔の情報を拾ってゆくしかない訳で、十名の関係者と接見、そのうちクレイル夫妻をよく知る次の五名には報告書まで書かせている。かくも地味なプロットにありながら読者の興味をどう引っ張っていくかがクリスティーの腕の見せ所。


フィリップ・ブレイク/アミアスの親友
メレディス・ブレイク/フィリップの兄
エルサ・グリヤー/現在はディティシャム卿夫人として上流階級の生活を送っている
セシリア・ウィリアムズ/当時、アンジェラの家庭教師としてクレイル家に雇われていた女性
アンジェラ・ウォレン/現在は考古学者


古い本格長篇だと退屈な事情聴取を延々見せられがち。江戸川乱歩なんかはよく「最後には凄いカタルシスを得られるから、そこに至るまでなんとか辛抱して読んでみてほしい」と戦後の読者に語っていたものだ。しかし、「五匹の子豚」はポアロが自分の目で現場を調査できないハンデが全然マイナスになっておらず、過去のシンプルな愛憎劇だけでこのクオリティーに仕上がっているのが見事。喩えて言うなら、ゴテゴテした具材は何も使っていないのに、なぜか食欲をそそってやまぬ中華粥のよう。


                   



ポアロは両手を拡げて、しかたがない、というような身振りをした。彼は行こうとしたが、またひと言いった。
「ちょっとしたことをもうひとつうかがいたいのですが、よろしゅうございましょうか?」
「なんですの?」
「あの事件の少し前に、あなたは、サマセット・モームの『月と六ペンス』をお読みになりませんでしたか?」
アンジェラは驚いてポアロをじっとみた。




桑原千恵子の訳は2020年代でも十分読み易いものだし、誤訳や省略さえ無ければ新訳に頼る必要は無い。ただし、同じ桑原訳とはいえ問題のある版が存在している点については触れておかねばなるまい。なぜ上段にポアロとアンジェラの会話を引用したかというと、「月と六ペンス」と「五匹の子豚」の間には見逃すことの出来ない関連性があるからだ。私の手元にある桑原千恵子訳ハヤカワ・ミステリ文庫は昭和56年(1981年)63012刷の版で、211ページを開くと、こんな一文が見られる。(下線は私、銀髪伯爵によるもの)


アンジェラは、最後の悪口をわめきたてながら、寝床に駆けだして行きました。それは、第一に、アミアスをこらしめてやるといい、第二に、死んじゃったらいいのに、第三に、らい病にかかって死んだらいいきみだ、


大衆が本を読まなくなった21世紀と違い、クリスティの時代には大抵の西洋人がモームの代表作に慣れ親しんでいたことだろう。その「月と六ペンス」に出てくる画家のストリックランドは、家族を放り出し気の向くまま絵画の創作に没頭するも、晩年には〝らい病〟に冒される。初めて「五匹の子豚」を読んでからというもの、クリスティは本作のアミアスとストリックランドを(イメージ的に)ダブらせ、解る人には解る目配せを送っているんだな、と私は解釈してきた。当然、昭和56年以降に出回った新しい版の『五匹の子豚』は読んだことがない。

 

 

ところが風の噂によると、元々あった〝らい病にかかって〟の部分が〝不治の病にかかって〟に改変された桑原千恵子訳ハヤカワ・ミステリ文庫があるというではないか。ネット上にも複数のレポートが上がっており、誤情報とは考えにくい。あいにく改変版の実物を手に取ってはいないけれど、〝らい病の三文字がいつ頃消去されたのか気にかかる。桑原訳をそのまま採用しつつリニューアルしたクリスティー文庫、すなわち2003年の版だろうか?それとももっと前の話か。




こんなくだらない自主規制を断行したがために、「月と六ペンス」の内容を知らぬまま「五匹の子豚」を読んだ人は、どうしてポアロがアンジェラに「あなたは、サマセット・モームの『月と六ペンス』をお読みになりませんでしたか?」と問いかけたのか、無粋な説明が差し込まれていないこともあって余計に意味が通らなくなってしまった。〝らい病とあるからこそ「月と六ペンス」が連想できるのに、いくらアンジェラがアミアスに激昂しているとはいえ、〝不治の病〟に変えちゃっても特に問題無しと判断した早川書房編集部は国語の勉強を一からやり直したほうがいい。





改めて付け加えるまでもないが、2010年に山本やよいの新訳で出し直されたクリスティー文庫『五匹の子豚』も普通に〝らい病〟表記ではなくなっているそうだ。改変されていない「五匹の子豚」を読みたければ、最初に桑原千恵子訳が単行本になった旧ポケミス 、そして本日紹介した昭和56年(1981年)12刷以前のハヤカワ・ミステリ文庫版を探すべし。もしかしたら13刷以降でも〝らい病〟表記がまだ生きている版はあるかもしれない。買う前にまずは奥付をチェック。

 

 

 

(銀) 桑原千恵子の訳は読み易いと書いたものの、彼女のミステリ翻訳件数は非常に少ない。田村隆一より二歳年上だそうで、1950年代にポケミスの訳者として名を連ねていたが、それ以外にはどんな仕事をしていたのか不明。



 


2025年1月7日火曜日

『腐肉の基地』大河内常平

NEW !

同光社出版
1961年5月発売



★   進駐軍内部の暴露小説




長篇「腐肉の基地」の主人公・中鳥恒雄が新たに着任する職種は進駐軍施設警備のガードマン。それは若かりし大河内常平の経歴そのまま。中鳥の勤務先につき作中には米軍フアースト・キヤバルリイ・デイビジヨン(第一師団司令部)としか書かれていないものの、昭和20年代の状況を考えると南青山じゃないかな。物語後半には霞町(現在の麻布)も出てくるし、そう大きく外れてはいないと思う。

 

 

過去の大河内関連記事では好意的な感想を述べてきたが、こればっかりは遺憾ながらワースト・ランクにカウントせざるをえない駄作としか言いようがない。

近年復刊された伝奇ものみたいに創造の自由度さえ高ければ、思いもよらぬ奇想の羽根を広げてストーリーを暴走させられるぶんリーダビリティも生まれよう。だが本作は占領する側(米兵)とされる側(進駐軍に雇用されている日本人)、双方の醜さを暴露する一種の実録小説っぽい側面を持ち合わせている。普通の日本人が知り得ない進駐軍の暗部を抉り出している点で、一定の存在価値はあるのかもしれない。然は然り乍ら、実体験から得たリアリティを前面に出そうとも一個の探偵小説として成立させられなければ読む側はシンドイ。

 

 

進駐軍が邦人を雇用する仕事といっても色々あるみたいで、昔の資料を見ると通訳・交換手などの事務系、荷役・雑役を受け持つ技能工系、コックその他を含む家族宿舎要員があったらしい。中鳥恒雄のガードマンは技能工系に属する。貞操観念なんてとっくの昔に失くしてしまったズベ公は米兵に媚を売りつつ、ある者はメイドになり、又ある者はモータープール(軍の車両施設・待機所)における個室付きタイピストとして雇われ、爛れた日々を送っている。その一方、米軍から出た物資をこっそり横流しする副業に忙しい日本人男性もいたり。

 

 

話は序盤、色目を使って米兵に飼われようとする水島啓子の兄・政太郎が謎の自殺を遂げるも、基地内で調査しそうな人物が誰も出てこないため盛り上がりもせず盛り下がりもせず、のっぺりとしたまま進行。終盤になりモータープール地区班長・曽根井勇が毒殺、さらにずっと何者かに付け狙われていた奥田君子の飼っているスピッツまでも青酸カリを飲まされ、絡みあった真相がなんとなく明らかになって終わる。改めて言うけどミステリとしての妙味は殆ど無い。

 

 

「腐肉の基地」単体の評価は★一つ。しかし本書には短篇「危険な壁」も収められており、これは『大河内常平探偵小説選 Ⅱ』に「坩堝」という雑誌発表時のタイトルで収録されていたもの。「腐肉の基地」と比べ、こちらは読む価値があるので、今日の総評価はおまけして★2つ。

 

 

(銀) 戦争に負け、ヤンキーに犬コロ同然の扱いを受ける日本人。同じ米兵が相手でも、反論ひとつできずヘコヘコするばかりの男とは対照的に、オンリイ/パンパンとなって甘い汁を吸うべく身体を差し出すしたたかな女。大河内常平の悪趣味ぶりは今に始まったことではないが、「腐肉の基地」の場合、読み終えてスッキリする内容には程遠く、余程のゲテモノ好きでもない限りお薦めはしない。


 

 

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2025年1月3日金曜日

『非小説』黒岩涙香

NEW !

春陽堂書店  日本小説文庫
1934年6月発売



★★★★★  大筋以上に、
       小ネタを活かした伏線の回収が素晴らしい




この文庫に序文を寄せているのは明治文学研究者・柳田泉。
今回取り上げる黒岩涙香長篇「非小説」への批評と共に、こんな事を彼は語っている。

 

 数ある涙香物のうち、これがmy favorite

 「非小説」のネタはコリンズと思われるも、肝心の作品を特定できていない

 「非小説」の内容はコリンズ「白衣の女」と似通っている

 

柳田はウィルキー・コリンズ「カインの遺産」(「The Legacy of Cain」)を元ネタと見込んでいたようだが、「非小説」の原作は今もまだ解明されていない様子。そもそも「カインの遺産」自体、商業出版物としてちゃんと邦訳されてないみたいだし。それならばと海外のwebサイトを検索、「The Legacy of Cain」の粗筋を調べてみたものの、「非小説」に繋がる要素なんて無いじゃん。やっぱ「カインの遺産」説はガセか・・・。

 

なら、何を根拠に柳田はコリンズなど持ち出したのだろう?まあ「白衣の女」はコリンズの代表作には違いないけど、そこまで「非小説」と内容似通ってるかなあ。些細な設定/作中の雰囲気なら時代を鑑みて共通点はあるかもしれない。でも「非小説」の美点はコリンズに通ずるロマンティシズムもさながら、流し読みしていると見落としてしまいそうなミステリ的小ネタの輝きにあると思うのだ。

 

                   

 

アクティブかつ義侠心に富む安野田露人は毎夕新聞の探訪者(明治期はニュースのネタを取ってくる係を探訪、そのネタを書き起こす係を記者と呼び分けていたという)。本作が『都新聞』に連載されたその翌年(明治26年)、この世に生を享けた井﨑能為はのちに探偵作家・甲賀三郎となり、堀井紳士殺しの裏に潜む謎を追うだけでなく不幸な村原恵美子・恒子母娘を救うため本業そっちのけで悪漢と対峙することも厭わぬ「非小説」の主人公に刺激を受けて、同じ職業の探偵役・獅子内俊次を創造したものと私は想像する(安野田は獅子内ほど短気な性格に非ず)。

 

 

今日はこの長篇を褒めまくるつもりでいるが、序盤の掴みだけ見れば正直そこまでキレキレとは言い難い。「第一篇 表面の事實」の幕開け、夜のゼラルド街を徘徊していた安野田露人が助けを求める叫び声に気付いて事件の第一発見者に・・・なんていうのは古典ミステリにありがちなきっかけで平凡だし、1/3ほど話が進行したあと時間軸が一旦過去に遡り、村原恵美子が現在の苦境に陥った背景を綴る「第二篇 裏面の事實」にしても、極悪人・ドクトル枝村が霧島次郎をネチネチ強請り窮地に追い込むくだりは、やや鈍重。ずっとこの調子が続いていたら★4つ止まりでもおかしくなかった。

 

 

話を再びオープニングに戻すと、堀井紳士が死んでいるその室内には血が流れているにもかかわらず、彼の死体にそれらしき外傷が無く、しかもその死体が現場から消失するとあって、この後トリッキーな真相が待ち受けていたり、(涙香長篇のわりに)推理・謎解きが楽しめるかもしれない期待を抱かせてくれるのも、また事実。そうそう、忘れちゃいけない。安野田には後輩探訪員のQが付いていて、手堅いサポートぶりを見せるのだけど、もうひとり重要な協力者がいる。剛情でおちゃめな少女・お曾比だ。凄惨な拷問を受けても揺るがない安野田とお曾比の強い絆で胸熱になりたければ、前半にて二人の信頼関係が徐々に築かれてゆく過程を見逃すべからず。



                   
 
 

このような下地があって「第三篇 露見の事實」に突入、安野田がドクトル枝村の経営する狂癲病院へニセ患者としてお曾比を潜入させるに至り、物語は一気にヒートアップ。よくある動きの無い本格長篇のように、途中まで我慢させられたあと解決の快感を味わうストーリーではないにせよ、「第三篇」以降の手に汗握る展開こそ「非小説」の真骨頂。

 

 

上段にて触れた〝ミステリ的小ネタ〟についても書いておかねばなるまい。まず堀井紳士の部屋に落ちていた短銃に、訳あって安野田は小刀で〝堀〟の字を刻み付けておくのだが、これが終盤の法廷シーンを迎えて犯人の逃げ道を塞ぐ大きな意味を持ってくる。さらに村原恒子を見初めて結婚を申し込む堀田十次郎は眼病を患い、めくら同然の身になるのだが、十次郎の目を見えなくさせた設定がこれまた巡り巡って判決の行方を左右するのである。

 

 

もう一つ、私が最も評価したいのは戸籍改竄トリック。村原恵美子の昔の婚約履歴を上書きした怪人物がいて、そいつは元の記載を墨塗りした上から同じ名前をまた書き込んでいる。改竄するなら当然別の人物の名前を上書きしてしかるべきなのに、そこには思いもよらぬ意図が隠されていて、ここ好きだなあ。本作が黒岩涙香自身のオリジナルでないなら尚の事、この戸籍改竄トリックを考え付いたのは誰なのか、その原作者を私は知りたい。





いや、この出来栄えなら柳田泉のみならず、若かりし頃の野村胡堂や江戸川乱歩が夢中になって読むのもむべなるかな。こんなに波瀾万丈で面白い小説を、原文テキストが文語体で難し過ぎるとか、〝唖〟だの〝気狂い〟だの不適切なワードが頻繁に出てくるからとビビって復刊しないのだから、令和の出版人の知性は地に落ちている。






(銀) なぜ涙香は「非小説」と名付けたのか、疑問に思ったことはありませんか?本作のエンディングで安野田露人は毎夕新聞の主筆へ送りたる書信にて〝余(安野田のこと)の執筆中なる非小説(堀井紳士變死事件の顛末)と同時頃に出版さるべく〟と 述べており、要するに安野田がこの事件を実録として書き記すという意味合いから、涙香は「非小説」なるタイトルを考案したのであろう。ウィルキー・コリンズに「非小説」という作品は無いそうです。

 

 

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