2022年1月8日土曜日

『言論統制というビジネス/新聞社史から消された「戦争」』里見脩

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新潮選書
2021年8月発売



★★   同盟通信社のことが知りたい



昨年の春に刊行された小栗虫太郎『亜細亜の旗』を読んだ時、巻末外編の中に「この長篇が執筆されるきっかけとして同盟通信社からの斡旋があったのではないか?」という二松学舎大学の                           山口直孝、それを受けて「同盟通信社の編集局文化部が虫太郎に小説の依頼をしたのでは?」という本多正一、このふたりの推論が挙がっていた。                               本日取り上げるこの『言論統制というビジネス』には残念ながら新聞小説への言及は無いが、                    その同盟通信社の成立ちを軸に論じられており、戦後になって新聞人が「満州事変や盧溝橋事件以降ずっと、我々は言論封鎖を軍部に強いられ挙国一致な報道をせざるをえなかった」などと                          被害者ヅラして語った証言とは裏腹に自主的国策協力が実は行われていた事実なんかがガッツリ                     焙り出されていて興味深そうな一冊だ。戦時下において新聞連載された探偵小説を読み解く際に今後参考になるかもしれないので、これは書き留めておこうと思った。


 

                   

 


本書を読みながら、うなずいた箇所 ⤵ 。

 

 現代の日本人は「戦争はもういやだ」と言うけれど、                                         それはあくまで太平洋戦争が悲惨極まりない負け戦に終わったからであって、                               戦勝したなら、国民は愛国心の名のもとに反省も無くひたすら喝采するであろうこと。                        〈(銀) 戦争をすればたとえ自国が勝っても、戦場で命を落としたりダメージを受けて一生をフイにする兵士(=国民)はワンサカ発生するというのに。                                 探偵小説に見られるその格好の例が江戸川乱歩の「芋虫」に登場する廃人・須永中尉。〉

 

 戦後は真実とは異なるデタラメを捏造してまで日本をディスる事を社是としている、                       (一応左派の代表とされる)あの朝日新聞でさえ戦前は拡大路線をワッショイ報道していた          という事実。                                                            〈(銀) 本書9596頁に載っている朝日が実施した戦勝イベントのなんと多いことよ。〉

 

 

 

戦争/天変地異/大事件が起これば大衆は速報を渇望する。                                    今はネットやテレビがあるけれど、戦前の大メディアとなれば、                                  (ラジオ局は日本放送協会しかなかったので)やはり日刊の新聞が頼り。                              あさま山荘や上九一色村オウム本部に警察が突入した時テレビがずっとそれを流していたのは、                       通常の番組より観る人が断然増えるからで、戦前の場合も日本が外地に侵攻して毎日激しい戦いを繰り返せば、そりゃ国民はこぞって新聞を読むに決まっている。                                           第一次大戦時ドイツを悪だと報道した英ロイター通信の巧みな情報戦によってドイツは負けて                   しまったと振り返る独逸軍人もいるぐらい、国にとって戦時中の情報管理は重要なものであり、                        また新聞社にとって戦争は収益を生む又とないビジネス・チャンスだった。

 

                    

 

満州事変の頃から我が国における言論統制の蠢動は始まっていて、                                      対内外のプロパガンダ機関として陸軍が昭和11年に発足させたのが同盟通信社。                           その中心にいたのが本書の主人公ともいえる古野伊之助という人物だ。                                こう書くと古野はメディア・サイドの東條英機みたいに思われそうだが、                             財政が楽ではない地方紙が存続できるよう、あの手この手と画策したのは彼だった。                 甲賀三郎「支倉事件」における重要な登場人物のモデルでもある読売の正力松太郎が利益最優先主義なのに対し、古野は理想を最優先とする策士で、全国紙の人間から相当嫌われてたみたい。

新聞というものは紙の調達が出来なくなったら即アウト。                                軍部と繋がる事で紙やインクの配給を途絶えさせない、つまりどんなに日本が物資難で困っても                      新聞の発行を一日たりともストップせずに済んだのはこの人のおかげだそうな。                            一概に古野や同盟通信社を戦争協力のキーマンと批判するのは如何なものか、と著者・里見脩は問いかける。

 

 

 

当時の全国紙は毎日/朝日/読売。 そして各地に地方紙が様々散らばっているという状況。                      日中戦争が始まって国内によりキナ臭さが増してくると全国紙と地方紙の競争は激化し、                    全国紙に買収されてしまう地方紙もあった。                                      昭和13年に内務省によって新聞統合は着手されていたが、                         昭和16年になると政府は一県一紙令をより強制的に通達する。                             とはいえ一度に〝せーの〟でそれが出来る筈もなく、                                    一番最初に一県一紙が完成した県は昭和1410月の鳥取。                               一番最後は昭和1711月の新潟と北海道。数年がかりでなんともご苦労な事よ。                                                  東京・大阪そして広島だけは特例で複数紙の共存が許されたが、全国紙でも例えば毎日だったら『東京日日』と『大阪毎日』を『毎日新聞』に題字統一させられて、現在に至っている。

 

                    

 

探偵小説がらみの話もしておこうか。戦時下に新聞連載され長い間埋もれていたが近年書籍化              された小栗虫太郎「亜細亜の旗」と横溝正史「雪割草」については、                           当Blog 2021年4月の記事にて詳しく特集した。                               この二作が一番最初に掲載された地方紙は今のところ『京都日日新聞』と見られており、                                     「雪割草」が昭和156月11日~12月31日まで連載して完結。                                             次いで「美しき暁」(=「亜細亜の旗」)が昭和16年1月1日よりスタートし、                                           全245回分あるところを同年6月30日179回をもって打ち切られている。

 

 

上記にて述べた一県一紙新聞統合が完成した年月を一覧表にしたものが本書230頁~231頁に                    載っていて、京都府を見てみると昭和174月に『京都新聞』一紙化が完了している。                         どこの都道府県でも地方紙同士でどう統合するか、ああだこうだと揉めるのは当り前で、                           古野伊之助が統合交渉に出向いた県の逸話が載っているが、京都のぶんは無かった・・・残念。                      京都の場合だと昭和10年以降では府内久しぶりの統合で、『京都日日新聞』と『京都日出新聞』がくっ付いて『京都新聞』になった訳だが、「美しき暁」(=「亜細亜の旗」)の連載を途中で                             打ち切らねばならないほど混乱していたのだろうか? それとも作者虫太郎の都合?

 

 

それからまた「雪割草」の書籍化底本に使用された地方紙は、                                         現在同作の掲載が判明している新聞の中で最も連載開始が遅かった『新潟毎日新聞』。                         この新聞は昭和168月にそれまで敵対していた『新潟新聞』と合併して『新潟日日新聞』へ              改称。翌1711月には『新潟県中央新聞』『上越新聞』とも合併させられて、                                   ようやく本書231頁に載っている『新潟日報』の形へと辿り着く。あ~、めんどくさ。


                    


という感じで、もうちょっと突っ込んだ内容つまり同盟通信社の編集局文化部は具体的にどんな業務をこなしていたのか、みたいな事が細かく載っていれば万々歳だったけれど、                              この本は新聞に連載される小説の事まで語り尽くすスペースは無いのだからやむを得ない。                       でもまあ、同盟通信社を知るとっかかりとしては上出来か。                               他にも同盟通信社に関する文献はあるみたいなんだが、ワタシ的には地方紙へ連載小説を売込む エージェント業を行っていた池内祥三の大元社と同盟通信社を繋ぐ線を教えてくれる本があればサイコーだけど、そんな気の利いた資料はなかなかないだろうなぁ。

ともあれ、戦前日本のメディア論に興味のある人にとっては良書なのではないでしょうか。




(銀) 他に電通の悪口とかも書きたかったし、『名張人外境ブログ2.0』で江戸川乱歩からの             書簡を受け取っていると紹介されていた城戸元亮の事も書きたかったのだが、                              ダラダラ長くなりそうなので、その辺はバッサリcutした。                               いつもの探偵小説関連本と勝手が違い、どういう切り口で本書について書くべきか、                         すぐにピシッと頭の中が整理できず、この記事は書き終えるまでに少々手古摺ってしまった。