2020年8月25日火曜日

『佐左木俊郎探偵小説選Ⅰ』佐左木俊郎

NEW !

論創ミステリ叢書 第124巻
2020年8月発売



★★★    虐げられし者たちの抵抗




同じ内容の小説でもどういう訳か現行本で読むより、年季の入った旧仮名時代の古書で読むほうが、面白さ二~三割増しに体感する。戦前の本は総ルビだったり、味わい深い装幀が施されていたり、字をぎゅうぎゅう詰めに組んだ現代の本と違い、ゆったりした文字組みにされているので不思議と作品から受ける印象が大きく違う場合も多い。となると時にはその小説の真価を見誤ることだってありうるのではないだろうか?



                   



長篇「狼群」に向き合うのは新潮社「新作探偵小説全集」初刊本(昭和8年)を入手した時以来 だから、もう何年ぶりになるだろう。今回再読してみて、「あれっ、こんな話だったっけ?」というのが正直な感想。もう少し探偵小説として読みどころがあるものと思い込んでいたが、あれこそ初刊本の魔力だったか?


 

房総の田舎で代議士が危険分子集団に襲撃される事件が発生。そして危険分子の中には、代議士と同じ党派の衆議院議員 青堀周平宅の使用人・瑞沢嘉知雄も加担しているのでは・・・・と見られている。元々瑞沢家は素封家で、嘉知雄の父は青堀周平の面倒を見ていたのだが、事業を躓かせた為に零落。父母を亡くし天涯孤独の身になった嘉知雄は青堀家の下男同様に成り果ててしまっていた。


 

瑞沢嘉知雄は本当に危険分子の一味なのか? また青堀周平の娘・洋子との恋愛はどうなるのかという要素はあるけれど、彼をこの物語の主役とするには無理があるし、物語の大筋は危険分子対警察との争闘であって、個人主義に基づく探偵小説のポリシーにはどうもそぐわない。

 

                   

 

もうひとつの長篇「恐怖城」も、基本的にその問題点は一緒。森谷牧場の令嬢・紀久子には男前の婚約者 松田敬二郎がいる。両親を紀久子の父・森谷喜平に滅ぼされ、今では犬のように牧場でこき使われている高岡正勝は、幼馴染で本来自分の嫁になる筈だった紀久子のことだけはどうしても他人に奪われたくない。そんな中、紀久子が誤って正勝の妹・蔦代を射殺してしまう。紀久子の弱みを握ってしまった正勝は自分の欲望を果たす為に喜平を殺害し・・・。

 

                   

 

結局「狼群」も「恐怖城」もストーリーの中で犯罪こそ起こっているが、根底にあるのは〈富める者に対する貧しき者の抵抗〉、それが全てではないのか。私は戦前の農民小説って他にどんな作品があるのか不勉強で知らないけれど、もしかしたら人間と大地の営みをポジティヴに描いているものだってあるだろうし、農村を題材にしたものが貧者の鬱屈した小説ばかりという訳でもなかろう。


 

であればこの二長篇は、戦前の社会派ならぬ格差小説とでも言うべきか。佐左木俊郎は文壇の中ではプロパーなプロレタリア作家のグループに入れてもらえなかったと解題には書いてあるし、かといって探偵小説の在り方からもかなり逸脱しており、実に奇妙なポジションにあるのは否めない。幸いにして今後取り上げる予定の正木不如丘などに比べたら、佐左木のほうが読者を惹きつける筆力は勝っている。「熊のいる開墾地」のような短篇のほうがまだ長篇よりも探偵趣味が感じられるし、次回配本『Ⅱ』は短篇集になるのでどれだけ挽回できるか?





(銀) なんで「恐怖城」ってタイトルを付けたのだろう? 作中に一言も出てこないし、それを象徴するものさえ何もない。サブタイトルの「復讐双曲線」のほうがよっぽど内容に合っているのに。


 

盛林堂書房での本書通販分には特典ペーパーが付いており、それを買った知人に聞くと、「土方正志の〈『佐左木俊郎探偵小説選』全二巻の刊行に至るまで〉っていう文章が一枚のA4用紙両面に印刷されてるだけで、こんなのだったら送料無料の通販サイトから買えばよかった」と怒っていた。



今回の佐左木の巻は、実は東北の出版社・荒蝦夷からの刊行が予定されていたのだが、震災等の影響で論創ミステリ叢書に委ねることになったとある。だからなのかもしれないが、この叢書は特別な理由が無ければ底本は初出を採用するのがルールなのに、「熊の出る開墾地」は英宝社版『佐左木俊郎選集』のテキストを使っているのは如何なものか。




本書の校正は横井司がやっていて、論創ミステリ叢書の総監修から外れてもこんな作業までしなくちゃならないんだなと少し気の毒になる。でも飛鳥高の巻といい、浜田知明ではなく横井が校正すれば誤植が無いのだから、今回その点だけは良かった。