2025年1月3日金曜日

『非小説』黒岩涙香

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春陽堂書店  日本小説文庫
1934年6月発売



★★★★★  大筋以上に、
       小ネタを活かした伏線の回収が素晴らしい




この文庫に序文を寄せているのは明治文学研究者・柳田泉。
今回取り上げる黒岩涙香長篇「非小説」への批評と共に、こんな事を彼は語っている。

 

 数ある涙香物のうち、これがmy favorite

 「非小説」のネタはコリンズと思われるも、肝心の作品を特定できていない

 「非小説」の内容はコリンズ「白衣の女」と似通っている

 

柳田はウィルキー・コリンズ「カインの遺産」(「The Legacy of Cain」)を元ネタと見込んでいたようだが、「非小説」の原作は今もまだ解明されていない様子。そもそも「カインの遺産」自体、商業出版物としてちゃんと邦訳されてないみたいだし。それならばと海外のwebサイトを検索、「The Legacy of Cain」の粗筋を調べてみたものの、「非小説」に繋がる要素なんて無いじゃん。やっぱ「カインの遺産」説はガセか・・・。

 

なら、何を根拠に柳田はコリンズなど持ち出したのだろう?まあ「白衣の女」はコリンズの代表作には違いないけど、そこまで「非小説」と内容似通ってるかなあ。些細な設定/作中の雰囲気なら時代を鑑みて共通点はあるかもしれない。でも「非小説」の美点はコリンズに通ずるロマンティシズムもさながら、流し読みしていると見落としてしまいそうなミステリ的小ネタの輝きにあると思うのだ。

 

                   

 

アクティブかつ義侠心に富む安野田露人は毎夕新聞の探訪者(明治期はニュースのネタを取ってくる係を探訪、そのネタを書き起こす係を記者と呼び分けていたという)。本作が『都新聞』に連載されたその翌年(明治26年)、この世に生を享けた井﨑能為はのちに探偵作家・甲賀三郎となり、堀井紳士殺しの裏に潜む謎を追うだけでなく不幸な村原恵美子・恒子母娘を救うため本業そっちのけで悪漢と対峙することも厭わぬ「非小説」の主人公に刺激を受けて、同じ職業の探偵役・獅子内俊次を創造したものと私は想像する(安野田は獅子内ほど短気な性格に非ず)。

 

 

今日はこの長篇を褒めまくるつもりでいるが、序盤の掴みだけ見れば正直そこまでキレキレとは言い難い。「第一篇 表面の事實」の幕開け、夜のゼラルド街を徘徊していた安野田露人が助けを求める叫び声に気付いて事件の第一発見者に・・・なんていうのは古典ミステリにありがちなきっかけで平凡だし、1/3ほど話が進行したあと時間軸が一旦過去に遡り、村原恵美子が現在の苦境に陥った背景を綴る「第二篇 裏面の事實」にしても、極悪人・ドクトル枝村が霧島次郎をネチネチ強請り窮地に追い込むくだりは、やや鈍重。ずっとこの調子が続いていたら★4つ止まりでもおかしくなかった。

 

 

話を再びオープニングに戻すと、堀井紳士が死んでいるその室内には血が流れているにもかかわらず、彼の死体にそれらしき外傷が無く、しかもその死体が現場から消失するとあって、この後トリッキーな真相が待ち受けていたり、(涙香長篇のわりに)推理・謎解きが楽しめるかもしれない期待を抱かせてくれるのも、また事実。そうそう、忘れちゃいけない。安野田には後輩探訪員のQが付いていて、手堅いサポートぶりを見せるのだけど、もうひとり重要な協力者がいる。剛情でおちゃめな少女・お曾比だ。凄惨な拷問を受けても揺るがない安野田とお曾比の強い絆で胸熱になりたければ、前半にて二人の信頼関係が徐々に築かれてゆく過程を見逃すべからず。



                   
 
 

このような下地があって「第三篇 露見の事實」に突入、安野田がドクトル枝村の経営する狂癲病院へニセ患者としてお曾比を潜入させるに至り、物語は一気にヒートアップ。よくある動きの無い本格長篇のように、途中まで我慢させられたあと解決の快感を味わうストーリーではないにせよ、「第三篇」以降の手に汗握る展開こそ「非小説」の真骨頂。

 

 

上段にて触れた〝ミステリ的小ネタ〟についても書いておかねばなるまい。まず堀井紳士の部屋に落ちていた短銃に、訳あって安野田は小刀で〝堀〟の字を刻み付けておくのだが、これが終盤の法廷シーンを迎えて犯人の逃げ道を塞ぐ大きな意味を持ってくる。さらに村原恒子を見初めて結婚を申し込む堀田十次郎は眼病を患い、めくら同然の身になるのだが、十次郎の目を見えなくさせた設定がこれまた巡り巡って判決の行方を左右するのである。

 

 

もう一つ、私が最も評価したいのは戸籍改竄トリック。村原恵美子の昔の婚約履歴を上書きした怪人物がいて、そいつは元の記載を墨塗りした上から同じ名前をまた書き込んでいる。改竄するなら当然別の人物の名前を上書きしてしかるべきなのに、そこには思いもよらぬ意図が隠されていて、ここ好きだなあ。本作が黒岩涙香自身のオリジナルでないなら尚の事、この戸籍改竄トリックを考え付いたのは誰なのか、その原作者を私は知りたい。





いや、この出来栄えなら柳田泉のみならず、若かりし頃の野村胡堂や江戸川乱歩が夢中になって読むのもむべなるかな。こんなに波瀾万丈で面白い小説を、原文テキストが文語体で難し過ぎるとか、〝唖〟だの〝気狂い〟だの不適切なワードが頻繁に出てくるからとビビって復刊しないのだから、令和の出版人の知性は地に落ちている。






(銀) なぜ涙香は「非小説」と名付けたのか、疑問に思ったことはありませんか?本作のエンディングで安野田露人は毎夕新聞の主筆へ送りたる書信にて〝余(安野田のこと)の執筆中なる非小説(堀井紳士變死事件の顛末)と同時頃に出版さるべく〟と 述べており、要するに安野田がこの事件を実録として書き記すという意味合いから、涙香は「非小説」なるタイトルを考案したのであろう。ウィルキー・コリンズに「非小説」という作品は無いそうです。

 

 

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