2022年4月20日水曜日

『映画論叢59』

NEW !

国書刊行会
2022年3月発売



★★★★    森卓也が小林信彦を・・・




本号に鈴木義昭が寄稿している「布村建追悼」は『映画秘宝』があのような末路を迎えなければ本来あちらに載っていたのではないか。鈴木は『映画秘宝』の常連ライターだったし。

この『映画論叢』は今は亡き『彷書月刊』に似たサイズで、最近の映画は扱わない方針を打ち出している訳でもなかろうが、バックナンバー一覧を見ても、日本の元号でいう昭和以前の国内外映画に思い切り特化した誌面作りがなされている。強いて言えば、国書刊行会の取引規模自体が洋泉社とは異なるため、入荷する書店が限られているのが難点か。『映画秘宝』のようなカラーページは無く、中身の佇まいも『彷書月刊』っぽい。





今まで『映画論叢』を読みたかったけど買うのをずっと我慢していたのは、湯浅篤志による探偵小説関連映画についての記事が一冊の単行本になった時にまとめて読みたかったから。
(もっとも、氏が「そのうち単行本を出します」なんて発言しているのを確認した訳でもなく、本当に単行本化されるのか定かではない)
本号ではアルセーヌ・ルパン・シリーズの翻訳者として知られる保篠龍緒に関連した戦前の映画三本について触れており、その対象作品はこちら(☟)

 

 

♣ 『茶色の女』(昭和2年公開)

原作:モーリス・ルブラン   脚色:星野辰男(保篠龍緒の本名)

監督:三枝源次郎       出演:南光明ほか

 

♣ 『紅手袋』(昭和3年公開)

原作:保篠龍緒         脚色:大島十九郎

監督:川浪良太         出演:玉木悦子(=環歌子)ほか

 

♣ 『妖怪無電』(昭和4年公開)

原作:保篠龍緒         脚色:木村恵吾

監督:木村次郎         出演:美濃部進(=岡譲司)ほか

 

 

どの映画もフィルムは現存してなさそうで鑑賞できないのが残念とはいえ、当時の活字メディアを丹念に調べ、情報を拾い集めてくれているのは有難い。湯浅の専門は探偵小説だから他の記事と並べたら氏の書くものだけ浮いてしまわないかな・・・と懸念していたが何の遜色もなく本誌のカラーに溶け込んでいる。どんなに時間がかかっても構わないから、一連の記事は是非一冊の書籍にまとめてほしい。


 

 

 

それほど湯浅篤志の記事を読むのを我慢していたくせに、何故今回『映画論叢』を買ったのかというと、アニメーション/映画をはじめとしたエンターテイメント研究で知られる森卓也の寄稿「或る作家の横顔 尾張の幇間」が掲載されているから。この記事、盟友だとばかり思っていた小林信彦に対し、どうにも不穏な発言に満ちていて、正直戸惑わざるをえない内容なのである。おおまかに整理すると要旨はこんな感じ。

 

 

何かの対象を評する時、自分(小林)の考えだけでは不安だから森に感想を聞き「森卓也もそういっていた」という連帯感の安心を得る為に、しょっちゅう小林から(時には乱暴な形で)意見を求められてきた過去に対する不快感

 

それ以外にも、森が苦々しく感じてきた小林の言動の数々

 

小林を否定的に見ているらしい人々(淀川長治/石上三登志/佐藤重臣/明石家さんま/古今亭八朝/永六輔/山藤章二)の例

 

 

 

私は森卓也の著作を殆ど読んだことがなく、その存在は小林信彦著書の中で確認してきただけ。一方、小林の著書はほぼ全て読んできた。だからハッキリ言えるのだけど、老舗和菓子屋の長男として生まれた小林はハンパなく気位が高い。俗な言い方をすると大抵の場合において〝上から目線〟。だって臆面もなく「芸の筋がよいタレントを、うまくエスカレーターに乗せる ― それがぼくの趣味であった。」(要するに、タレントが成功できるように自分が導いてやる、という意味)と言っちゃう人だ。世の中、植木等や谷啓のような寛大なオトナばかりじゃないのだし、こういう小林に反感を持った者はきっといただろう。

でも我々読者がそんな小林の困った欠点も知った上で彼の本を読んできたように、森卓也もそういう小林の部分を承知の上で付き合ってきたとばかり思っていたけど、どうも今回の文章を読む限り最近何か突発的なきっかけで怒りが爆発したんじゃなく、以前からずっと抑えに抑えてきたものが噴出してしまった、そんな気配がする。   

 

 

 

森の文章を読んで私の頭をよぎったのは、『ヒッチコックマガジン』の時代に変に芸能界に染まってしまった小林は、(稲葉明雄が心配したとおり)不幸だったかもしれないということ。そのおかげで読者はずいぶん楽しませてもらったけれど、芸能界の人ってすべからく腹の中で「自分は一般庶民よりはるかに偉い」と思ってるからねえ。小林も華やかなTV業界の一員になってしまって、知らず知らずのうちに元々持っていた高慢さがいつしかあまり好ましくない形で増長し、こんな事態を招いてしまったか。

 

 

 

例えばビートルズ論争。
あれも小林に『ミート・ザ・ビートルズ』の誤りを伝えたのが仮に井原高忠のような、明らかに小林が自分より格上だと思っている人から云われたのであれば、小林も大人しく聞き入れていたと思う。それがたまたま松村雄策という小林より知名度の低い人物だったがために、自分よりも格下の存在だと蔑んだ結果、「半狂人」なんて発言をしてしまった。松村の指摘を受け入れるにしろ受け入れないにしろ、もっとマシな対応の仕方があったはず。この言い方は明らかに小林のほうが悪い。

格下に見ている人間に対して居丈高な態度を取る癖は、若い頃のみならず脳梗塞で倒れるまでは『文春』連載でも少なからず見受けられた。中野翠を下に見ているのはわかっていたが、まさか森卓也にもそこまで・・・。

 

 

 

小林が昭和7年生まれで森が昭和8年生まれ。二人ともぼ同学年といえるし、卒寿を迎える直前にある。年齢的にこんな事でいちいちキレていては、世間体以前の問題で健康によくない。なんでまた森卓也が急にこんな文章を世に発表したのかさっぱりわからないけれども、九十歳の罵り合いなど見たくはない。小林はこんな森の発言なんて知らなくていいし、森にしても言いたい事は山ほどあるだろうが、できれば刀を鞘に収めてくれるのを願う。

 

 

 

 

(銀) 森卓也の文章を普段読んでいないから、彼の筆致というものが詳しくわからない。ただいくら怒気が混じっているとはいえ、話の論旨があっちこっちフラフラしているように感じる。それが単に高齢のせいなら、まだいい。本来の森ならもっと整然とした文章を書きそうなのに、ここではそう見えないのが少々気にかかる。twitter中毒の果て、アタマがプッツン状態になってバチが当たればいい老害野郎は世間にいくらでもいるが、森と小林にはそうなってもらいたくない。



ちなみに「レッツゴー三匹」の表記でも別にいいんじゃないの?と思ってたら、ネットでググると「レツゴー三匹」とばかり出てくる。この件はやっぱし森が正しいのか・・・。