2025年1月17日金曜日

『怪奇探偵ルパン全集③虎の牙』ルブラン(原著)/保篠龍緒(譯)

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平凡社
1929年5月発売



★★   知名度は高いが出来はイマイチ




「虎の牙」・・・子供の頃、初めて手にしたのは言わずもがな南洋一郎ポプラ社版。昔はフツーに面白く読めたもんだが、年齢を重ね大人向けの本で再読するたびガッカリ感が増してゆく特異な作品である。フランスの発表順では「三十棺桶島」の次になっているけど、アメリカから映画化を前提に新作をオファーされ、英訳テキストで本国より数年早く発表している関係上、実質的な初出は「ルパンの告白」の次作に該当するんじゃなかったかな?「813」→「水晶の栓」→「ルパンの告白」・・・さしものルブランも疲弊していたのか、敵役に強烈なオーラが備わっておらず、全体を通して無駄な贅肉が多い。

 

 

従来どおりアトラクティヴなシーンは健在。そのくせ物語のテンポが良くないし、北アフリカ・モーリタニアにルパンは自分の帝国(!)を持っているのだが、或る人物を救うべくその帝国をフランス政府へ差し出す壮大な取引など、重箱の隅をつついて楽しむのが好きな本格一辺倒の人からすれば度を越したスペクタクル。加えて「ルパンの民族主義が許せないッ!」と批判する声もあるらしく、この辺がアルセーヌ・ルパンの世界にのめり込めるか否か踏み絵になっているんだろうね。

 

 

なんにせよ本作の場合、活劇長篇の熱気を左右する御都合主義が理想的な相乗効果を生み出せていないのが大きな欠点。捕えられたドン・ルイ・ブレンナが脱獄トリックも無いまま「開けろ、胡麻(セザーム)!」と呟いているだけですぐに獄から出してもらって簡単にバラングレー総理大臣と交渉することができたり、終盤における犯人との対決でも古井戸に落ちたあと絶体絶命のピンチをあんな風に脱出できたり、どうも底が浅くて興醒めする。近い将来、良質な新訳が読めるようになるのか全く不透明だけど、一度保篠龍緒訳の呪縛からスッパリ脱却してみたいよ。




                    


 
 
前に「水晶の栓」を取り上げた際、同じ保篠龍緒の訳したルパン本でも新版が出るたびテキストに手が加えられているか、検証を行いたいと述べた。よってここでは戦前(昭和4年)刊行された平凡社版『虎の牙』(怪奇探偵ルパン全集第三巻)と、戦後(昭和23年)刊行された三木書房版『虎の牙』『呪の狼』を比較してみようと思う。保篠訳「虎の牙」は大正時代から『虎の牙』と『呪の狼』二冊セット販売が定番ゆえ、昭和4年刊平凡社版のように一冊で出されるケースは非常に珍しい。








その平凡社版三木書房版の章題はコチラ。

 

【昭和4年 平凡社版】(本書)         【昭和23年 三木書房版】

  警視總監室                 警視總監室/『虎の牙』

  呪はれた人々                                     呪はれた人々/『虎の牙』

  死の寶石                                         死の寶石/『虎の牙』

    林檎の歯型                                           林檎の歯型/『虎の牙』

  鐵扉                                                     鐵扉/『虎の牙』

 

  紫壇杖の怪人                                    紫壇ステツキの怪人/『虎の牙』

  沙翁全集第八卷            シエークスピア全集第八卷/『虎の牙』

  骸骨小屋                   骸骨小屋/『虎の牙』

  ルパンの激怒                                         ルパンの激怒/『虎の牙』

  秘密の告白                                           秘密の告白/『虎の牙』

 

  大瓦解                     大瓦解/『虎の牙』

  救けて吳れ                       救けてくれ/『呪の狼』

  大爆發                     大爆發/『呪の狼』

  呪の男                                           呪の男/『呪の狼』

  二億圓の遺產相續者             二億圓の遺產相續者/『呪の狼』

 

  エベールの報復                エベールの報復/『呪の狼』

  開けろ!胡麻                 開けろ!胡麻/『呪の狼』 

  皇帝アルセーヌ第一世                            皇帝アルセーヌ第一世/『呪の狼』

  穽がある!氣を付けろ                           穽がある!氣をつけろ/『呪の狼』

  フロレンスの秘密                                   フロレンスの秘密/『呪の狼』

 

  さらばよ!ルパンの名                             さらばよ!ルパンの名/『呪の狼』

 

 

〝沙翁〟を〝シエークスピア〟に変更したり、三木書房版『虎の牙』『呪の狼』は上段に示した章題だけでなく、本編においても一部の漢字表記を調整しているぐらいしか平凡社版との違いは無い。要するに平凡社の紙型をダイレクトに流用するのではなく、旧テキストをベースにしつつ戦後になって表現の仕方が変化した言葉のみ手を加えているらしい。従って三木書房版の制作に保篠龍緒は関与していないと判断していいだろう(平凡社版三木書房版を一字一句すべてチェックしてはいないので、万が一異同があったらそれは私の見落としである)。奥付にちゃんと「星野」印が押されており、三木書房版は海賊版ではない。





ルブランマニアでも保篠マニアでもない私は、戦後のルパン本は殆ど持っていない。戦前の版に対しこういう訳文比較を行うのであれば、三木書房版よりあとに出たもの(例えば日本出版共同版「アルセーヌ・ルパン全集」/鱒書房版「ルパン全集」/三笠書房版「ルパン全集」/日本文芸社版「ルパン全集」)を用いたほうが、異同を発見する確率はアップしそう。
 

 

 

(銀) 昭和4年の「怪奇探偵ルパン全集」を担当した平凡社の編集者は古河三樹松。戦後になり自ら三木書房を立ち上げ、往年のルパン本を蘇らせたのも彼の仕事。『月の輪書林 古書目録9 特集古河三樹松散歩』にルパン絡みの思い出話でも載ってないか、数年ぶりに目を通してみたが残念ながら無かった。

 

 

 

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