2019年10月5日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿
●ルブランはルパン第一作「アルセーヌ・ルパンの逮捕」が世に出る前から非ミステリというか 心理小説みたいなものに拘り、圧倒的にそっちのほうでのサクセスを求めていた。ルパンとは 金を稼ぐための手段だったのだ。伝記というと、主人公が最初の成功を掴むまでの雌伏の時代は華やかさが無いので、ブレイクする処までは我慢して読むような場合もあったりする。 「ある女」「死の所産」などの非ミステリ小説は今後も日本で翻訳される事はないだろうから そのアウトラインだけでも知りたいのだけど、あの「青い鳥」で有名なメーテルリンクの恋人 だったルブランの妹ジョルジェットの流転のほうが著者ドゥルワールからすると重要らしくて。
●昨年出たドゥルワール著『ルパンの世界』(水声社/発売から1年しか経っていないのに、 もう流通が無い!)はガイドブック風でもなければ、ルパン物語の各エピソード・キャラクターを掘り下げたりシャーロキアンっぽく事件の時間軸を検証したりするような内容でもなかったので私は梯子を外されたような読後感を持ったものだ。
彼の日本で二冊目となる本書はそこまでの肩透かしは無かったけれど、ルブランのことをやたら〝フランスのコナン・ドイル〟って表現しているんだよねぇ。こういうのってイギリス人に対するフランス人のコンプレックスがあったりするのかね?
●なにゆえルブランはルパン物語にシャーロック・ホームズを登場させる愚行に走ったのだろう?(それも一度ならず) ホームズが会話の中で先達の探偵ルコックをクサしているシーンがあってルパンもあの程度にしておけば何も問題はなかったのに、エルロック・ショルメスなんて名前だけ変えたって後の祭りだし、ホームズのみならずワトソンまで酷い扱いをされている。そりゃあ ドイルだって抗議もするだろうし、世界中のシャーロキアンを敵に廻す必要はなかったのに。
本書を読むと、そんな事しなくたって当時ルパンは十分世界で人気を博していたのがよく解る。でもドイルからの抗議とか都合の悪そうなところをドゥルワールはサラっと回避していて、あと著者はフランス人ミステリ作家(ボアゴベやガストン・ルルー)に最低限の言及はあれどミステリ自体にはそれほど広く関心を持っていない人のように思えた。
●翻訳担当の小林佐江子のあとがきによると、ルブランに関して残存する資料はかなり少ない 状況下で本書は執筆されたという。それが事実なら、このルブラン伝がかなりの労作であるのは否定しない。ただなぁ、本書と『ルパンの世界』を読む限りでは私の読みたいルパン~ルブランに関する評論は論創社が出した『戯曲アルセーヌ・ルパン』の評論部分のほうがしっかりツボを 付いていた気がするけどなあ。
今度は日本人が腰を据えて書いた最新のルパン評論が読みたい。 でもその前に、まずは詳細な解説・註釈・初出挿絵を付けた大人向け決定版ルパン全集を出さんことにはどうにもならんじゃろ?
(銀) 「ジャック・ドゥルワールこそ世界屈指のルパン研究家」みたいに聞いていたが、『ルパンの世界』はさして深くもない事の列挙ばかりでガッカリした。その余波で本書を見る目も若干厳しくなったかもしれない。
『8・1・3の謎』(2020年6月15日up)でも書いた事だが、日本におけるルパン・ファンクラブ「ルパン同好会」って何故もっと読者層を広げようとする努力をしないのだろう? シャーロキアンの前例を挙げれば長沼弘毅が60年代にホームズ研究書をの執筆を開始、 それを発展させるべく小林司・東山あかね夫妻が70年代の末から長沼を引き継ぐように研究書を出し続けると共に日本シャーロック・ホームズ・クラブの運営にも尽力した。
あそこまでやるのは無理としても、ルパン研究者だってもう少しやり様があったのでは? 住田忠久は某所で「いくら提案してもアルセーヌ・ルパンに関する本の企画を出版社が受け入れてくれない」と怒っていたが、本当に日本の出版社はルパン~ルブランにはちっとも興味を示さないのだろうか? マンガとして私は全然面白いと思わないが、森田崇が『怪盗ルパン伝 アバンチュリエ』を頑張っているのもアルセーヌ・ルパンのファンを増やしたいからでしょ。
小学校の図書室にジュブナイル本が揃えてある程メジャーな存在でありながら、 ルパン~ルブランはコナン・ドイル/江戸川乱歩と違って固定客が付きにくい。それは、
1. 主役が怪盗だから?
2. 国内におけるルパン研究者の努力が足りないから?
3. 認知度は十分あるけれど、小説としてもミステリとしても深みが足りないから?
4. ルパン三世が浸透しすぎて、もう日本人は腹一杯になってしまったから?
その理由を考えるとすれば、こんなところしか思い浮かばない。2を問うのは酷な気もするけど、いずれにせよ難題ではある。