2025年2月22日土曜日

『パナマ影に怖びゆ』海野十三

NEW !

興亞文化協會
1941年2月発売



★★   これも彼の歴史の一部





元来、海野十三のSFないしSFミステリーの問題点は、
〝科学恐怖の夢〟が卑俗な生物学的な恐怖感の次元にとどまり、
それがより次元の高い文明批評にまで昇華されなかった点にある。
このような思想性の欠如は、海野十三をやがて完全な軍国主義の宣伝者へと追いやることになるのである。

~ 権田萬治『日本探偵作家論』/「秘められた科学恐怖の夢=海野十三論」より

 

 

軍国主義の宣伝者か・・・。同世代の探偵作家達がここまで深入りしなかった国策協力も、海野十三は純真な人ゆえ真剣に日本を憂い、今では眉を顰められそうな小説を書きまくった。それがプロパガンダであろうと面白く読めさえすれば一向に構わない。だがいくら作者が海野十三とはいえ、面白味の無いものまで無責任に持ち上げ騒ぎ散らかすほど私も莫迦ではないつもり。本書『パナマ影に怖びゆ』は防諜/国威高揚、あるいは戦場における日本精神、そんな色合いの作品ばかり並んでいる。

 

 

小説以上に「作者の言葉」のアジテーションが読んでいてツラい。全文紹介したいのだけど四頁に及ぶため、要旨のみ御覧頂く。


 自分(=海野)は昭和十四年頃、小説家は自国の高度国防国家建設に重大なる一役を努めなければならないと認識するに至った。


✷ 「非常時局だけにしか役に立たぬ文学作品は文学ではない」などと言う文学者は、どこの国籍の人かと疑う。馬鹿野郞!


✷ 今、日本は支那大陸ですらケリが付いていないのに某々大国(=英米のこと)とも非常に危うい戦争を始めなければならない。この先五年十年の間、発表される作品は非常時局に役立つものであるべきだし、そうでない作品は如何に文学的香気が高くとも遠慮せらるべきである。



                   
 

 

「海鷲、海へ戾る」「奥地偵察日記」「戰はまだこれからだ」は死と隣り合わせな日本兵の奮闘を描き、「パナマ、影に怖ゆ(ママ)はアメリカがアルゼンチンの汽船を撃沈させてしまって両国がモメている間、秘密裡に日本がパナマ運河へ海底砲台を作っていたという、なんとも虫のいい話。「或る機密寫眞事件」「血に染つた石油傳票」は日本国内に潜入しているスパイの暗躍を描いたサスペンス・スリラーで、前述三篇に比べるとまだ読みどころはある。「幽靈飛行機」ソ連兵を主役に据えた秘密軍用都市の物語。生きている人間の死亡広告を出し周囲の目を欺くなど悪くないアイディア、探偵小説に活かさなかったのがもったいない。

 

 

戦時下日本の亡霊みたいな海野作品をことさら評価しなくてもいいとは思うが、そういった昔の常識/価値観/道徳観を無かったことにしてしまう御都合主義こそサイアク。例えば昨年末刊行された河出文庫版『盗まれた脳髄/帆村荘六のトンデモ大推理』を見て、私は開いた口が塞がらなかった。今まで(少なくとも探偵小説関連の書籍において)河出書房新社が偽善チックな言葉狩りをやらかすなんて思ってもいなかったからね。ところが新保博久による編者解説欄にはこう記してあるではないか。



Not to buy



「盗まれた脳髄」は、たとえば114ページ7行目が初出では「阿弗利加(アフリカとルビあり)の土人なんて、日本人に比べて頭脳は頗る劣等なんだらうが、人種にもよりけりで、何故阿弗利加土人なんか使つてゐるのだらうね」などと、帆村が誤った偏見に基づく発言をしているが、当時の平均的日本人の認識なのか、物語の効果上、作者は誤謬と承知で帆村に言わせているのかともかく、作者が特に過激な人種差別主義者だと誤解されかねないのを防ぐため、この一篇は全体に表現の和らげられた春陽文庫版に従った。

~ 河出文庫版『盗まれた脳髄/帆村荘六のトンデモ大推理』 351ページ17行目




平成時代に言葉狩りのみならず不要な改変を加えオリジナル・テキストを破壊してしまった春陽文庫版『赤外線男』所収「盗まれた脳髄」を採用したこの文庫の114ページ7行目にある帆村荘六のセリフは次のように表記されている。

「なぜアフリカの人なんか使っているのだろうね」

他にも、この一文の直前に出てくる〝黒ン坊〟が〝黒人〟になっているだけでなく、ポリコレとは何ら関係の無い単語の文字遣いさえあちこち変えられており、当Blogで度々申しているように一連の春陽文庫版「探偵CLUB」シリーズは最も底本に使ってはならないテキスト改悪本なのだ。「海野が過激な人種差別主義者だと誤解されかねない」とか、いかにもそれっぽい理由付けしているが何のことはない、抗議集団の襲撃が怖いばかりか彼らを納得させる労力を惜しんでるだけだろ。




「盗まれた脳髄」の原文は令和の今、許される表現ではない。しかしこんなポリコレ改変ばかり繰り返していたら昔の小説の復刊は成立しなくなる。誠意を持って原文どおりのテキストを復元したいのなら、光文社文庫版『肌色の月』所収「金狼」(☜)で日下三蔵がやっていたように、長文の断り書きを作成したりして抗議集団を納得させればいいじゃないか。日下でさえ旧い小説の復刊に際し語句改変の無いよう毎回努力しているのに、新保博久は一体何をやっているのか?もちろん一番タチが悪いのは抗議集団であり、ポリコレに対して急に弱腰になってしまった現在の河出文庫編集部だがな。




おまけに366ページでは、クソみたいな春陽文庫「探偵CLUB」版テキストを使っておきながら、「本文中、今日では差別的と目されかねない表現がありますが、執筆の時代背景と作品の価値を鑑み、原文のままとしました。」だってさ。どこが原文どおりなの?JAROに通報しなくちゃ。





軍国主義信仰に人種差別表現。それはあの時代の創作物だったら別に探偵小説・SFでなくたってありえる話。海外ミステリも例外ではなく、ホームズ物語も人種差別だとイチャモン付けられるシーンはある。映画「風と共に去りぬ」が黒人差別と標的にされ、配信停止になっている状況を大いに納得している人は世界人口のうち果たしてどれだけいるかね?そういう訳でテキスト改悪に日和った河出書房新社の本など買う価値無し。『盗まれた脳髄』の購入でドブに捨てた1,210円、龜鳴屋のある石川県へ再度寄付する為に使っとけばよかった。






(銀) 昨年後半、質の悪い海野十三の新刊本が出回り、中でも河出文庫版『盗まれた脳髄』に辟易したのもあって、前回今回と海野の記事を書いた。だいたい海野のトリビュート本ならまだしも、なんで海野個人の著書に筒井康隆のパスティーシュを紛れ込ませなきゃならんのか?物故作家の旧い作品を原形どおりのテキストで復刊する気の無い奴らは(出版社勤めのサラリーマンもフリーの人間も)旧いテキストの校閲とは全く関係の無い分野へとっとと去って頂きたい。





■ 昭和末期~平成時代の春陽文庫ポリコレ/言葉狩り 関連記事 ■

















2025年2月18日火曜日

『海底旅行』ジュール・ベルン(原著)/海野十三(編著)

NEW !

大日本雄辯會講談社 世界名作物語
1947年3月発売



★★★★  海野本人が執筆したと思しき翻訳本はどれ?




昭和時代のジュヴナイル本には著名作家の名前で発表しながら実は第三者に代筆させているものが少なからず存在していた。海野十三の著書にもヴェルヌ/ドイル/ウェルズ/チェスタトンの少年少女向け翻訳作品があるのだけど、これらを海野本人の仕事だと即断していいのだろうか?参考までに、「海底二万哩」を原作とする本書『海底旅行』を含む「世界名作物語」と題されたシリーズには江戸川亂歩(編著)の『鐵假面』も含まれているが、これが岡戸武平の代筆であることは以前紹介済みである(☜)

 

 

ヴェルヌ長篇『海底旅行』そしてホームズ短篇三作を収めた『まだらの紐』の海野訳初刊本は彼の生前に刊行されているからまだ良しとして、ウェルズ長篇『透明人間』とチェスタトンのブラウン神父短篇を幾つかセレクトした『影なき男』(のちに『名探偵ブラウン』と改題)が初めて本になったのは海野が逝去して八年後の昭和32年。まだ健在だった頃にどこかの雑誌へ発表していた可能性も無くはないとはいえ、そんな情報が載っている文献を読んだ覚えがない。というか海野の翻訳について詳しく論述している資料自体あったかどうかさえ思い出せない。ともかく『透明人間』と『影なき男』(『名探偵ブラウン』)を海野本人の訳と見做すには疑わしい点が多い。

 

 

以上の事を鑑み、海野翻訳作品四種のうち最も第三者の介入が無さそうに思える『海底旅行』を本日は紹介したい。『浮かぶ飛行島』と同様、写実風タッチの重厚な口繪・挿繪を提供しているのは樺島勝一。本書の冒頭には次のような序文が置かれているので見てもらいたい。この本では〝ヴェルヌ〟の発音を〝ベルン〟と表記している。

 

 

この物語について


本書は、フランスのジユール・ベルンの原作になる、海洋を主材にした空想小説である。
題名『海底旅行』が示すやうに、海底の魔人と呼ばれる謎の人物と、博物學者アロン博士とが、最新優秀をほこる潜水艦に乗つて、太平洋、インド洋、地中海、大西洋、南極海等の海底を縦横に探檢して廻るといふのがその内容である。この間、原作者ジユール・ベルンは、荒唐無稽な空想におちいることなく、あくまでも科學的考察にもとづいて、ゆたかな空想と、該博なる知識とをたくみにおりまぜつゝ、海洋の神祕と驚異を興味深く物語つてゐる。


諸君もすでに御承知の如く、海洋は全世界の陸地よりも、さらに廣大な面積をしめてゐる。しかもこの海洋は、領海三浬をのぞくほかは公海と呼び、いづれの國にも属することなく、航行も漁業も自由であつて、いかに文明の利器を活用して、海底から重要資源を開しようと、それは一向さしつかへのない、自由の世界である。

 

わが國は、肇國以来、海と共にさかえ、海と共に發展してきたが、今回、大東亞戦争の勃發するに及んで、さらにかゞやかしい飛躍が約束されている。

海國日本に生をうけたる者、何人といへども血潮の高鳴るを禁じ得ないであらう。また同時にわれ等にかけられた責任の重大さに粛然たらざるを得ない。

海、開けいくわれ等の海、無盡藏の富を海底に祕めた海、海はいたるところで、われ等の活躍を大手をひろげて待つている。

靑少年諸君、今こそ海に向かつて一大飛躍をなすべき時である。

私は本書が、多少なりとも、諸君の海にたいする理解を助け、親しみを增すことができれば、この上もないしあはせである。


昭和十七年三月      海野十三

 

 

戦前に翻訳された長篇の海外小説は大人向け子供向け問わず余計な部分を削ぎ落した抄訳になりがち。そもそも戦前とか戦後関係無く、常に子供向けの「海底二万哩」はそのようなエディット編集が行われてきた訳だが、それ以外にも本書を読むと、海野十三のクレジットが「訳」に非ず「編著」となっていることから分かるように、純粋な直訳ではなく当時の子供達に馴染みやすくするためアレンジを加えている形跡あり(そういえばネモ艦長の〝ネモ〟という名前を全て省略しているのは何故なのだろう?)。

 

 

例えば「饅頭」「カツレツ」「豆腐」といった昔の西洋人には縁遠い日本独自の食べ物がちょいちょい出てくるが、そんなのヴェルヌの原文にある筈が無い。なんせ戦争の激化であれだけ人気があった「のらくろ」でさえ本書の発売される前の年(昭和16年)には打ち切りを余儀なくされているぐらいだ。普段よく自作に織り交ぜていたユーモラスな表現をこの本では控えているように見せかけつつ、ちょっとだけ遊んでみたくなったのかもしれない。この「饅頭」やら「豆腐」なんていう記述が海野十三本人の執筆である証拠じゃないかな、と私はニラんでいる。

 

 

海野版『海底旅行』は戦後ポプラ社から何度か再発されてきた。それらは手元に無くテキストを確認できないけれど、本文そのものは時代に合わせて文字遣いを調整しているだけだと推測されるし、一番最後に出た『海底旅行』(「世界の名作 10」)も昭和43年の刊行であることを考えると、その頃はまだ言葉狩りが氾濫する時期ではないので〝、土人〟や〝めくら〟など目の敵にされそうなワードはそのまま生き残っているのではないか。但し上段にて御覧頂いた序文「この物語について」は戦争への言及がモロにあるため、戦後版では軒並み削除されているっぽい。





海野が亡くなった翌年(昭和25年)、木々高太郎編纂監修の名のもと東光出版社から「少年科学探偵小説 海野十三全集』というジュヴナイルの選集が発売され、そこには珍しく翻訳ものの「六つのナポレオン」「まだらの紐」「赤毛クラブ」が三篇分載ながら収められていた。だからドイル翻訳も海野本人の執筆に違いないと安易に断定するのは早計なれど、少なくともウェルズ/チェスタトンに比べたら可能性は高い。 

 

 
 
(銀) 今読んでも「海底二万哩」は面白い。ことに魚介類や鳥の料理がなんとも美味そうで、ノーチラス号には相当な腕前の調理師がいると思われる。その一方、近年絶滅危惧種指定されている儒艮(ジュゴン)を銛打ちするシーンもあり、本作が1870年に書かれた不朽の名作だということも忘れ「ジュゴンを殺すなんてけしからん!即刻その場面を削除しろ!」などと喚き立てる頭のおかしなエセ偽善者が出てこなければいいけどね。


 

   海外SF作家 関連記事 ■

 




 









2025年2月15日土曜日

『闇からの声』イーデン・フィルポッツ/井内雄四郎(訳)

NEW !

旺文社文庫
1977年3月発売



★★★★  ホテルの部屋に死せる少年の怯えた声が・・・




私にとって「闇からの声」の翻訳者と言えば井上良夫だが、ここでは彼の訳は採らず、昭和後期の井内雄四郎を選んでみた。井内は同じ旺文社文庫で『赤毛のレドメイン家』も手掛けている。本書カバーイラストは石垣栄蔵の仕事。

 

 

「闇からの声」 歴代訳書一覧 

(ジュヴナイル本は省略した)

 

井上良夫       大元社                                  昭和17年刊

  〃        新樹社「ぶらっく選書16               昭和25年刊

  〃        早川書房「HPB 243」                   昭和31年刊

荒正人        東京創元社版「世界推理小説全集13          昭和31年刊

  〃                 東京創元社版「世界名作推理小説大系8」          昭和36年刊

  〃                 東都書房版「世界推理小説大系15」               昭和37年刊

橋本福夫                創元推理文庫                                       昭和38年刊

荒正人                 講談社版「世界推理小説大系6」           昭和47年刊

井内雄四郎      旺文社文庫 (本書)             昭和51年刊

荒正人        講談社文庫                           昭和53年刊

 

 

〝ほら、あのあわれな子供の声のことですよ。わたしはあの謎の底を突きとめなくてはいけません。さもなければ、底がないのだと率直に白状し、子羊のようにすごすごと、降霊術師に降参するほかはない。やつらはすでにわたしが軍門に下ったと主張しているのです。なんでも、人の話では、あの裁判このかた、何十人ものひとびとが信者になったそうですよ。でも、わたしは信者に加わりたくはない ― わたしの中のあらゆる本能がそれに反対しているんです〟

 

 

神経質で病気がちなルドヴィク・ビューズ少年(=ルドー)は静養に訪れたオールド・マナー・ハウス・ホテルの自室で深夜、恐るべき悪魔の仮面を目にして ただならぬ恐怖を覚え、遂には死に至る。不幸なルドーは脳膜炎になってしまったのだけど、現代の医学データによれば脳膜炎の発症は外的なウィルスや細菌が原因だそうで、ルドーみたいな症例は可能性として実際に有り得るのか、それとも作者が話を盛っているのか、専門の医者に訊いてみたいところだ。

 

 

警察を隠退してオールド・マナー・ハウス・ホテルにやってきた主人公ジョン・リングローズは子供に対する残虐な仕打ちに深く烈しい憎しみを感じる男ではあるものの、トータルで見てバランスの取れた性格付けがなされており、我々読者は快活で優秀なこの元刑事をスムーズに受け入れることができる。ルドーの死が殺人だと確信したリングローズは偽名を使って関係者達の懐へ入ってゆくのだが、積み重ねたキャリアに裏打ちされた狡猾さと慎み深さ、更に誰からも好感を持たれる明るさをフルに活かして次々相手を攻略。

 

 

「闇からの声」といえば心理描写の面を褒め称える声が多い。ビューズ家の召使アーサー・ビットン/ルドーの姉ミルドレッドとの婚約を破棄された青年医師コンシダイン/象牙細工フェチの男爵バーゴイン・ビューズ(=ブルック卿)、この三人とリングローズとの対峙がスリリングに描かれ、その部分がしっかりしているからこそ、オカルトめいた事件が論理的に説明されてゆく流れも楽しめる。

 

 

オカルト要素、すなわちリングローズがホテルの室内で二度も耳にした(既に死んでいる筈の)ルドーが助けを求める声の謎については人によって意見が分かれるかな。エンディングを台無しにするほどではないにせよ、思わず膝を打ちたくなるアイディアとも言えず、微妙な真相でね。ただ、悪魔の仮面を用いて少年を恐怖の淵に追いやる企みしかり、機械仕掛けに頼った犯罪ではない。終盤におけるリングローズ対真犯人の対決シーンにしても、キャンティはともかくサンドウィッチの欺瞞はバレなかったのか?とか一言突っ込みたくなる要素もあるにはあるけど、目を見張るレベルのトリックさえ求めなければ十分満足できる作品と言えよう。

 

 

 

(銀) この前upしたヴァン・ダイン「カナリア殺人事件」とは対照的な本作。音楽の世界でも詞はすごく良いのに曲がもうひとつだとか、その反対に作曲/アレンジは素晴らしくても作詞がお粗末とか、両方とも超一級なミュージシャンはそう滅多にいるもんじゃない。ミステリの世界も同じで、トリック/物語ともに突出している作家となると数は相当限られてくる。



 


2025年2月12日水曜日

『映像の世紀バタフライエフェクト//ラストエンペラー溥儀~財宝と流転の人生』

NEW !

NHK総合
2025年2月放送



★★★★   皇帝失格




1987年の映画「ラストエンペラー」(監督:ベルナルド・ベルトルッチ)は史実どおりのドキュメンタリーに非ず、エンターテイメント性を重んじて、あれこれ脚色を加えた作品である。今回「映像の世紀バタフライエフェクト/ラストエンペラー 溥儀 財宝と流転の人生」がオンエアされたことで〝溥儀は運命に弄ばれた可哀相な皇帝〟という単純かつ一面的な見方を改めた人も多かったのではないだろうか。

 

 

「ラストエンペラー」の冒頭、ソ連の抑留地から政治犯として中華人民共和国へ送還されてきた溥儀(ジョン・ローン)はリストカットして自殺を図るが、実際の溥儀はかなりの小心者。死刑になることを最も怖がっており、毛沢東からも皮肉を言われているほど。





映画「ラストエンペラー」より
死を恐れる現実の溥儀に、こんな真似ができる筈もない





東京駅で溥儀(右)を出迎える裕仁天皇(左)
この場面は「ラストエンペラー」でも再現して撮影されたのに、
日本側から何らかの申し入れがあったらしく、
劇場版はおろか長尺版でさえ天皇のシーンは削除されたまま。
顔立ちと言動があまりノーブルに思えない点は二人とも共通している。
(現人神だか知らんが、戦争を止めるべくアクションを起こさなかった裕仁を私は全く評価していない)

 

 
溥儀が紫禁城から流出させた由緒ある宝物の少なからぬ物量には驚いた。どれもこれも怪人二十面相がヨダレを垂らして欲しがりそうなものばかり。この番組で紹介されたお宝はホンの数点にすぎないが、中国政府が現在その回収に躍起になっているとはいえ、いくら金を積もうと何処に行ってしまったのか分からぬ品々の回収はさすがに難しいと思われる。これだけ唯一無二の宝物を流出させておいて、溥儀は中国国内でとんでもない大罪人扱いされてないのか、他人事ながら心配になるね。





溥儀が流出させた膨大な宝物のうちの一部














まだ紫禁城に居た頃から、溥儀は留学費用を工面する目的などと言って、少しづつ宝物をちょろまかし生家へ移していた。その後も日本の富豪に名画「五馬図鑑」を売却したり、日本の敗戦が濃厚になり内地へ亡命しようとしてソ連軍に取っ捕まった時も保身のためお宝をばら撒いたり、皇帝とは思えぬ振舞いばかりしている。東京裁判における溥儀の無責任な弁明を聴いて呆れかえった日本人も、ようやく溥儀のチキンぶりを知ることに。





東京裁判での溥儀





満洲で撮影された溥儀の正妃・婉容
映画でも描かれていたように、この頃の彼女は阿片中毒状態。
哀れな末路を辿る婉容にとって溥儀は嫁ぐべき男ではなかった。





同情すべき点もあるものの、どう見ても愛新覚羅溥儀は人民の上に立つ器ではない。皇帝の座に戻りたくて日本軍に頼ったかと思えば、満洲國の立場が危うくなると変り身も早くスターリンに尻尾を振ったり、言っちゃあ悪いが何の誇りも持たぬ唯の人。ジョン・ローン演じる綺麗な顔のラストエンペラーはスクリーン上の幻影だったのだ。
  

 

 

 (銀) 今回の「映像の世紀バタフライエフェクト」は面白かった。今後、ひとりの人物にスポットを当てるのであれば、前人未踏の六十九連勝を成し遂げたがゆえ皇軍のシンボルに祭り上げられた戦前の大横綱・双葉山定次を特集してほしい。引退後に璽光村事件を起こしたりもして、彼の一生は溥儀よりはるかに奥が深い。

 

 

 

   愛新覚羅溥儀 関連記事 ■





 








2025年2月8日土曜日

『山本周五郎[未収録]ミステリ集成』山本周五郎

NEW !

作品社  末國善己(編)
2025年2月発売



★★   カバー絵だけはサイコー




戦後の『新青年』へ発表されたにもかかわらず探偵小説として「寝ぼけ署長」が話題に上る機会は非常に少ない。私自身「山本周五郎探偵小説全集」や「周五郎少年文庫」をいくら読んでも、ミステリのフォーマットに寄せているだけで、スピリット(奇想と言い換えてもいい)が伴っていないため、この人ならではの魅力を享受できずにいる。それゆえ、2000年以降リリースされた周五郎の本にまだ未収録だったレアものを頑張って末國善己が総ざらえしたと聞いても食指は動かなかったのだが、すごく好みのカバー絵に抗いきれず、つい本書を購入してしまった。

 

 

探偵小説やSFの場合〝奇想〟と呼べるアイディアがあればあるだけ読み手の記憶に残るし、逆にそれが無かったら印象はひたすら薄くなる。このジャンルの人ではない周五郎にそこまで求めるのは気の毒だけど、突き抜けた作品がひとつとして無いのは厳しい。彼の探偵小説を収めた一連の単行本同様、いやそれ以上に、今回の本は最後まで読むのが苦痛だった。

 

 

まず長篇などの連載物だが、冒頭の「少年ロビンソン」「新宝島奇譚」が至極ありきたりな冒険小説すぎて、いきなり出端を挫かれる。また軍事色の強い「鉄甲魔人軍」(春田龍介シリーズ)と「幽霊要塞」にしても、前述の二篇がトコトンつまらなかったせいか、その道連れでこちらのテンションは下がる一方。常々思うのだけれども、決して少なくはない数の探偵小説を執筆していながら、周五郎の描くキャラクターに個性が感じられないのは何故?

 

 

それに比べて短篇、特に大人向けの小説はいくらかマシ。ちょいとお下劣なページが多い『講談雑誌』に発表した「男でなかった男の恋」「H性病院の朝」「接吻を拒むフラッパー」は〝性〟を扱った内容で、大上段に振りかぶったアクション・スリラーより、こういうチマチマした日常を描いているもののほうに意外と味があるのではなかろうか。片やジュヴナイル系短篇には「魔ヶ岬の秘密」「幽霊飛行機」「火見櫓の怪」「深夜、ビル街の怪盗」「少女歌劇の殺人」「殺人円舞曲」が並び、中には小ぶりながらトリックを用いた作品も含まれ、探偵小説と銘打った面目は一応保てている。

 

 

本書収録作の初出誌は前段で述べた『講談雑誌』の他『少年少女譚海』『新少年』に限定されており、その版元は博文館。周五郎の探偵小説は博文館雑誌の一面を象徴しているとも言えよう。最初から予想していたとはいえ、本書はカバー絵(太田聴雨「星を見る女性」)の比類なき素晴らしさに小説が見合ってなくてガッカリ。やっぱり書店で中身を確認した上で買うべきだった。それでもここまで周五郎探偵小説を発掘した末國善己と、辛抱強く末國をフォローし続けてきた作品社に対しては「お疲れ様」と言わねばなるまい。
 
 

 

(銀) 冬場、暖房の入った自室でハードカバーの古書を読んでいると堅表紙がまるでイナバウアーのように反り返ってしまう。それが嫌なので、この時期は気を付けているのだが、ふと目を離した隙に、ベッドの上へ放り出しっぱなしにしていた本書はイナバウアー状態になっていた。新刊本でもそういう事が起こり得るからご注意を





■ 作品社 関連記事 ■





















2025年2月6日木曜日

『Philo Vance Collection』(映画「The Canary Murder Case」「The Greene Murder Case」「The Benson Murder Case」)

NEW !

KL Studio Classics   Blu-ray(1枚組)
2024年5月発売



★★★  映画版「カナリア殺人事件」「グリーン家殺人事件」
        「ベンスン殺人事件」




前々回、前回のヴァン・ダイン記事は本日取り上げるファイロ・ヴァンス映画ブルーレイの前座代わりに書き起こしたものゆえ、必要に応じ別ウィンドウを立ち上げるなど、お好みで参照して頂けたら幸いである。長篇「ベンスン殺人事件」「カナリヤ殺人事件」「グリーン家殺人事件」は原作の発表とほぼ同じ時期、本国アメリカ・パラマウントによって映画化されており、Kino Lorberがリリースしたこの北米盤ブルーレイ『Philo Vance Collection』はその三本を最新HDマスターにて収録。

 

 

ファイロ・ヴァンスを演じているのはウィリアム・パウエル。原作みたいにモノクル(片眼鏡)こそ掛けていないものの、様々なワードローブを着こなす彼の佇まい、醸し出す雰囲気は良い。相棒ヴァン・ダインは登場人物に設定されていない。主役を務めるウィリアム・パウエルの他、マーカム地方検事役のEH・カルバート、ヒース部長刑事役のユージン・ポーレットが三作全てに出演。

それではコンテンツをチェックしてゆこう。
原作発表の順番と映画公開の順番は一致しておらず、本盤でも映画は公開順に並べられている。シーンごとのチャプターは無し。

 

 

【 仕 様 】

字幕:英語

音声言語:英語

リージョン:A(日本のBDプレーヤーで再生可能)

パッケージ:スリップカバー入りトールケース

 

 

【 画 質 】

100点中80点といったところ。ネット上にupされているボヤけた映像に比べれば段違いのクオリティーだし、現在観ることのできるマテリアルとしては最高の状態と言っていい。ただ旧い素材なので劣化の激しいリールがあるらしく、その部分を完璧に修復しきれていない。コントラストの強弱もあと少し処理できていたら、より美しい映像になっただろう。35mmフィルムを用いて「カナリヤ殺人事件」「グリーン家殺人事件」は4Kスキャン・レストア、「ベンスン殺人事件」には2Kスキャン・レストアが行われているが、この中で一番ブライトな画質に感じるのは「ベンスン殺人事件」。薄暗いシチュエーションの場面が少ないからだろうか。

 

 

【 収録内容 】

 The Canary Murder Case」(=カナリヤ殺人事件) 80

原作発表:1927年 / 映画公開:1929

監督:マルコム・セント・クレア






三作通して言えることだが、ちょうど無声映画からトーキーへの端境期ということもあり、役者の喋るセリフは普通に録音されている反面、劇中の音楽は無く効果音も僅かしか入っていない。それゆえ戦前の映画を観慣れていない人には退屈で、少々ハードル高し。下手に褒めちぎって妙な期待を持たせないよう、その旨前置きしておく。

 

絞殺に至るまでの生きているマーガレット・オーデル嬢(カナリヤ)を回想ではなく現在進行形で見せているため、踊り子たちのレビュー・シーンが挿入され、それなりに華やか。本作の重要なポイント「密室偽装トリックアリバイ・トリックポーカー・ゲームによる心理洞察」のうち➋➌は再現できているけど、小道具を用いたのトリックは可視化されていない。あと小説では犯人自ら選択したあの結末だったのに、え、何それ?

 

 

 The Greene Murder Case」(=グリーン家殺人事件) 68

原作発表:1928年 / 映画公開:1929

監督:フランク・タトル






本格長篇をむりやり一時間前後の枠にまとめている訳で、どの作品もヴァンスお得意の衒学趣味を差し込んでいる余裕が無く、必要最低限なプロットを軸にストーリーは進行。とはいえ、ちょっとでも雪を降らせて侵入者の足跡に注意を向けさせたり、シベラの飼っている愛犬が省略されずに出てきたり、発生した事象一覧をヴァンスが書き付けているシーンも見せるなど、脚本家がヴァン・ダイン原作を活かそうと努力しているのはよく解る。ここにキャスティングされているレックスやアダ役の役者は小説の中でこちらが勝手にイメージするあの二人のヴィジュアルより整って見えるけれども、それはそれで悪くない(本作のアダも「カナリヤ殺人事件」のアリス・ラ・フォスも同じ女優ジーン・アーサーが担当)。

 

序盤から、グリーン家の人々が住んでいる邸の屋上を高い位置に組んだキャメラで捉えるカットが散見され、小説にはそんな屋上など描かれていなかったし何か意味が?と思っていたら、原作ラストにおけるカーチェイスの代りにグリーン家の屋上で・・・これ以上は自粛。

 

 

 The Benson Murder Case」(=ベンスン殺人事件) 65

原作発表:1926年 / 映画公開:1930

監督:フランク・タトル






原作三篇のうち「ベンスン殺人事件」が最も面白くない以上、映画の内容で比べても評価は低くなる。よって原作「ベンスン」の記事は今回書かなかった。読者諒セヨ。



 特 典

・三作品のオーディオ・コメンタリー(字幕無し)

・映画「Blackmail」予告篇

・映画「Lucky Jordan」予告篇

・映画「The Hour Before The Dawn」予告篇

(いずれもKino Lorberから北米盤ブルーレイ絶賛発売中)




画質が100点満点に近いか、あるいは「カナリヤ」「グリーン家」のエンディングが原作に準拠しているか、そのどっちか実践できていたら★4つにしたのだけれど、歴史的価値はともかく一本の映画として鑑賞するには集中力を要する。と言いつつウィリアム・パウエルのファイロ・ヴァンスで「The Bishop Murder Case」(=僧正殺人事件)が撮影されなかったのは残念。  

 

 

(銀) 本日紹介した三作以外にもヴァン・ダイン作品映画はあり、幾人かの男優がファイロ・ヴァンスを演じている。一部海外ファンの間では特に、ウィリアム・パウエルが主演ながら配給元がパラマウントではなくワーナー・ブラザーズであったため本盤未収録となった「The Kennel Murder Case(=ケンネル殺人事件)」(1933年)のブルーレイ化が待たれているようだ。

 

 

 

■  S・S・ヴァン・ダイン 関連記事 ■

 


 


 








2025年2月4日火曜日

『グリーン家殺人事件』ヴァン・ダイン/延原謙(訳)

NEW !

新潮文庫
1959年3月発売



★★★★  プロットが力負けせずにトリックを受け止めている




かつて「美味しんぼ」で読んだネタだが、例えば二種のハンバーガーがあったとしよう。
 極上のハンバーグ + 肉に対してクオリティーが全く釣り合っていないパン
 格下の材料を使ってはいるが、食感のバランスは取れているハンバーグとパン
この二つを食べ比べてみると、不思議にのほうが旨く感じるそうだ
前回記事にした「カナリヤ殺人事件」など、まさに物語(=パン)が貧弱だったおかげで、
トリック(=ハンバーグ)を活かしきれず全体の印象はすこぶる悪かった。



                  🏺



課題を克服すべくヴァン・ダインも一念発起したのか、それまでとは比べものにならないぐらい第三長篇「グリーン家殺人事件」は完成度がアップしている。ウェット&ドライの起伏を鮮やかに使い分けられるほど器用じゃないし、中には彼の作風に拒否反応を示すユーザーもいるから、そういった意味では客を選ぶ作家である。でもコレと次の「僧正殺人事件」、歴史に名高いこの二作を受け付けないのであれば、その人は残念ながらクラシック本格ミステリには縁が無かったと諦めて頂くしかあるまい




父祖の代からの黴くささがにじみだして、内もそとも色あせた大きな家はがらんとして、じめじめと煤けだち、穢ならしい河水にすそを洗われた手入れのわるい庭をひかえて、まるでお化(ばけ)でも出そうじゃないか。しかもそのなかにはそろいもそろって不健全でおだやかならぬ六人の家族が、毎日おもしろくもない顔をつきあわせて四分の一世紀も暮さなければならない - それが死んだトバヤス・グリーンの倒錯した好みなんだ。そして六人はくる日もくる日も太古の毒気のただようあの家のなかに ― 実力がないのか踏切るだけの勇気に欠けているのか、家を出て自活の道を選ぼうとはしないで、安易な生活のうちに、たがいに憎しみあい、不平をならしあい、嫉妬しあい、怨みあい、罵りあい、神経をすりへらしているのだ。

~本書 第七章「ヴァンスの説明」より(延原謙・訳)




毎度おなじみレギュラー陣ではなんといってもフィロ・ヴァンスの鼻持ちならない理屈っぽさが整理され、だいぶ風通しが良くなった。対するに捜査される側、すなわちグリーン家の顔ぶれを見渡すと、シベラ(次女)やレックス(次男)は悪態をつくことで一家の仲の悪さを曝け出し、中風を患い不具者同然のトバヤス・グリーン老夫人(チェスタ/ジュリア/レックス/シベラ/アダの母)ときたら、ザ・被害妄想な上にヒステリック。こうなるとマーカム検事/ヒース部長刑事、そしてヴァンスの三人は彼等をなだめ賺しながら事情聴取するしか手立てが無く、押され気味なその構図が陰惨なムードの中でなんとなくおかしい。





とめどなき連続殺人ゆえ、常に事件は変動しており、話がダレそうなエアポケットも無い。ミステリ好きな人にとって必修科目みたいな長篇だから数回読み返している方も多かろうが、作者の意図する煙幕/伏線を再確認して楽しむのもまた良し。ミステリに関する情報の伝播量が昭和世代よりはるかに多い現代の若いビギナーは最終章に辿り着く前段階、第二十章「第四の惨劇」における毒物混入のくだりを読んで「おや、コイツ怪しくね?」と感付くかもしれないが、そこはそれ百年前の本格長篇ですから。



                  🏺




延原謙の「グリーン家殺人事件」翻訳本が刊行されるのは戦後になってからのこと。それまでは平林初之輔訳「グリイン家惨殺事件」を収めた博文館版『世界探偵小説全集24 バン・ダイン集』しか流通していなかった。よって戦前の読者は「グリーン家」といえば平林の訳を思い浮かべるだろうし、昭和10年以降に生まれた人は延原謙、あるいは井上勇の訳でこの長篇を初めて読んだものと思われる。

 

 

延原謙 「グリーン家殺人事件」訳書一覧

新樹社     ぶらっく選書7   昭和25年刊

新潮社     探偵小説文庫    昭和31年刊

〃             新潮文庫(本書)    昭和34年刊

 

 


基本的に延原の訳文は読み易くて好きなのだけど、この新潮文庫版に関しては〝風邪〟を〝風〟〝昼食〟を〝中食〟などと表記していて校正の甘さが目に付く。邦訳に限らず戦後の探偵小説本は国内作家の作品でもテキスト上の漢字をやたら開きまくっているため、逆に私はひらがなの多さがフィットしない。本書でも延原は〝まゆね〟という言葉をちょくちょく使用しているのだが何故漢字で〝眉根〟と表記しないのか理解に苦しむ。
 

 

 

(銀) 延原訳「グリーン家殺人事件」が新潮社から二冊刊行されているけれども、その際先行したぶらっく選書版の訳に手を入れているのか、あるいはそのまま流用しているのか、本書には言及が無かった。「グリーン家」の原作自体には★5つ献上したかったが、先程も述べたように、本書の訳文には気になるところが多々あったので★一つマイナス。 

 

 

 

   S・S・ヴァン・ダイン 関連記事 ■