2021年2月20日土曜日

春陽文庫『蠢く触手』を再調査すること

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前回の記事で、春陽文庫が90年代に出した名作再刊シリーズ〈探偵CLUB〉のテキストは全く信用できないシロモノだと書いた。となれば210日の記事にした同シリーズの一冊である『蠢く触手』もそのまま見逃しておく事はできぬ。本当ならば初刊本と春陽文庫を両方並べて逐一比較すべきなんだが、それだとかったるいので1932年に出た新潮社「新作探偵小説全集」の『蠢く触手』初刊本を速読、水谷準『殺人狂想曲』だけでなくこの作品もテキスト比較を行う。じっくり時間をかけてはいないので、もしかしたら見落としがあるかもしれんが読者諒せよ。 

 

上段は春陽文庫版『蠢く触手』のテキスト

下段は新潮社版初刊本『蠢く触手』のテキスト(○)

私が気になった箇所をピックアップしたのがこちら⤵ 


A

いまごろは奴ら無茶苦茶に走っているよ(   902行目

今頃は奴等盲目滅法 めくらめつぱふ  とルビあり)に走つてゐるよ  (○)

 


B

気狂い自動車のように走るぞ()         1064行目

狂人(❛ きちがひ ❜ とルビあり)自動車のやうに走るぞ(○)

 


C

お米の奴ずらかったかもしれないよ(下線部に傍点あり)    11015行目

お米の奴つらかったかもしれないよ(下線部に傍点あり)(○)

 


D

いや、ぼくは案外総監辺りのきんたまを(下線部に傍点あり))    1877行目

いや、僕は案外總監あたりの睾丸を(❛ きんたま ❜ とルビあり)(○)

 


E

そこには何かの秘密がされていのであろうか              21711行目

そこには何かの密が❛ ぞう とルビあり)されていのであらうか (○)

 


F

舶来乞食か狂人としか    ()  24313行目

舶来乞食か、狂人としか (○)

 


G

部屋へ入るなりすぐ腰を屈めて ()   34614行目

部屋へ這入るなりすぐ、せむしのやうに腰を踞めて(下線部に傍点あり) (○)

 


H

ソノ夜ハ気違イニナルホド        42413行目

ソノ夜ハ氣チガイニナルホド  (○)

 

 

元々『蠢く触手』は『殺人狂想曲』ほど言葉狩りされそうなワードを含んでいないのもあって、それほど語句改変されている感じは無い。いわゆる言葉狩りといえそうな改変は Aがヒットするのみで、Bは言葉を変えていても結局は同じことだし、Fとはなぜか書き換えがされていない。水谷準『殺人狂想曲』とは違う人間が担当しているのは明らかだが、それにしても同じシリーズの本なのにどういうルールで校訂・校正をしているのか私には理解できぬ。



初刊本における岡戸武平の文章は相当急いで書いたのか、変な言い回しっぽいところが頻出するため C や E は新潮社版のほうが間違っているように見えなくもない。春陽文庫はそれを正しく(あるいは現代風に解りやすく)書き直している様子が伺えるけれど、オリジナルのテキストを忠実に再現するという意味で、こういう余計な事をしてはイカンのではないか?

 

 

先日『蠢く触手』の記事を書いた時は、駄作とはいえ珍品だし「文庫で読めるように再発してくれてありがとう」的な理由で満点を付けたけれど、名作再刊シリーズ〈探偵CLUB〉の実態をこれだけ曝した以上、★5つのままにしておく訳にはいかない。よって2月10日の記事の評価は大幅な減点に変更させて頂く。春陽堂のテキスト問題をしつこく検証したおかげで、奇しくも今野真二が上梓した『乱歩の日本語』(2020年6月18日の記事を参照)がいかにトンチンカンであったか誰にでもよくわかる形でプレゼンできたのは怪我の功名だった。




(銀) つらつら考えるに、名作再刊シリーズ〈探偵CLUB〉十八冊中十六冊は戦前の春陽堂文庫(最初は日本小説文庫という名称だった)で出されたものだから、私のようにテキスト改悪が嫌なら戦前の本で読めばいいし、また現行本や安価に買える古書で手軽に読める作品もある。「蠢く触手」とて他の〈探偵CLUB〉収録作と比べるとレアな方だが、それでも初刊本以降昭和前半に三度再発されている。

 

 

もっとも悩ましいのは江戸川乱歩・横溝正史名義で出された『覆面の佳人』。この長篇だけは〈探偵CLUB〉で初めて単行本化されたものなので、春陽文庫のテキストが正常なのかを確かめるには戦前の新聞連載分コピーを入手し、読みにくい文字を追ってみるしか方法が無いのだ。

 

 

はあ~、誰か『覆面の佳人』を原題の「女妖」に戻してもいいから、語句改変の無い100%信じられるテキストで再発してくれんかのお。