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興亞文化協會
1941年2月発売
★★ これも彼の歴史の一部
元来、海野十三のSFないしSFミステリーの問題点は、
〝科学恐怖の夢〟が卑俗な生物学的な恐怖感の次元にとどまり、
それがより次元の高い文明批評にまで昇華されなかった点にある。
このような思想性の欠如は、海野十三をやがて完全な軍国主義の宣伝者へと追いやることになるのである。
~ 権田萬治『日本探偵作家論』/「秘められた科学恐怖の夢=海野十三論」より
軍国主義の宣伝者か・・・。同世代の探偵作家達がここまで深入りしなかった国策協力も、海野十三は純真な人ゆえ真剣に日本を憂い、今では眉を顰められそうな小説を書きまくった。それがプロパガンダであろうと面白く読めさえすれば一向に構わない。だがいくら作者が海野十三とはいえ、面白味の無いものまで無責任に持ち上げ騒ぎ散らかすほど私も莫迦ではないつもり。本書『パナマ影に怖びゆ』は防諜/国威高揚、あるいは戦場における日本精神、そんな色合いの作品ばかり並んでいる。
小説以上に「作者の言葉」のアジテーションが読んでいてツラい。全文紹介したいのだけど四頁に及ぶため、要旨のみ御覧頂く。
✷ 自分(=海野)は昭和十四年頃、小説家は自国の高度国防国家建設に重大なる一役を努めなければならないと認識するに至った。
✷ 「非常時局だけにしか役に立たぬ文学作品は文学ではない」などと言う文学者は、どこの国籍の人かと疑う。馬鹿野郞!
✷ 今、日本は支那大陸ですらケリが付いていないのに某々大国(=英米のこと)とも非常に危うい戦争を始めなければならない。この先五年十年の間、発表される作品は非常時局に役立つものであるべきだし、そうでない作品は如何に文学的香気が高くとも遠慮せらるべきである。
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「海鷲、海へ戾る」「奥地偵察日記」「戰はまだこれからだ」は死と隣り合わせな日本兵の奮闘を描き、「パナマ、影に怖ゆ(ママ)」はアメリカがアルゼンチンの汽船を撃沈させてしまって両国がモメている間、秘密裡に日本がパナマ運河へ海底砲台を作っていたという、なんとも虫のいい話。「或る機密寫眞事件」「血に染つた石油傳票」は日本国内に潜入しているスパイの暗躍を描いたサスペンス・スリラーで、前述三篇に比べるとまだ読みどころはある。「幽靈飛行機」はソ連兵を主役に据えた秘密軍用都市の物語。生きている人間の死亡広告を出し周囲の目を欺くなど悪くないアイディア、探偵小説に活かさなかったのがもったいない。
戦時下日本の亡霊みたいな海野作品をことさら評価しなくてもいいとは思うが、そういった昔の常識/価値観/道徳観を無かったことにしてしまう御都合主義こそサイアク。例えば昨年末刊行された河出文庫版『盗まれた脳髄/帆村荘六のトンデモ大推理』を見て、私は開いた口が塞がらなかった。今まで(少なくとも探偵小説関連の書籍において)河出書房新社が偽善チックな言葉狩りをやらかすなんて思ってもいなかったからね。ところが新保博久による編者解説欄にはこう記してあるではないか。
Not to buy
「盗まれた脳髄」は、たとえば114ページ7行目が初出では「阿弗利加(アフリカとルビあり)の土人なんて、日本人に比べて頭脳は頗る劣等なんだらうが、人種にもよりけりで、何故阿弗利加土人なんか使つてゐるのだらうね」などと、帆村が誤った偏見に基づく発言をしているが、当時の平均的日本人の認識なのか、物語の効果上、作者は誤謬と承知で帆村に言わせているのかともかく、作者が特に過激な人種差別主義者だと誤解されかねないのを防ぐため、この一篇は全体に表現の和らげられた春陽文庫版に従った。
~ 河出文庫版『盗まれた脳髄/帆村荘六のトンデモ大推理』 351ページ17行目
平成時代に言葉狩りのみならず不要な改変を加えオリジナル・テキストを破壊してしまった春陽文庫版『赤外線男』所収「盗まれた脳髄」を採用したこの文庫の114ページ7行目にある帆村荘六のセリフは次のように表記されている。
「なぜアフリカの人なんか使っているのだろうね」
他にも、この一文の直前に出てくる〝黒ン坊〟が〝黒人〟になっているだけでなく、ポリコレとは何ら関係の無い単語の文字遣いさえあちこち変えられており、当Blogで度々申しているように一連の春陽文庫版「探偵CLUB」シリーズは最も底本に使ってはならないテキスト改悪本なのだ。「海野が過激な人種差別主義者だと誤解されかねない」とか、いかにもそれっぽい理由付けしているが何のことはない、抗議集団の襲撃が怖いばかりか彼らを納得させる労力を惜しんでるだけだろ。
「盗まれた脳髄」の原文は令和の今、許される表現ではない。しかしこんなポリコレ改変ばかり繰り返していたら昔の小説の復刊は成立しなくなる。誠意を持って原文どおりのテキストを復元したいのなら、光文社文庫版『肌色の月』所収「金狼」(☜)で日下三蔵がやっていたように、長文の断り書きを作成したりして抗議集団を納得させればいいじゃないか。日下でさえ旧い小説の復刊に際し語句改変の無いよう毎回努力しているのに、新保博久は一体何をやっているのか?もちろん一番タチが悪いのは抗議集団であり、ポリコレに対して急に弱腰になってしまった現在の河出文庫編集部だがな。
おまけに366ページでは、クソみたいな春陽文庫「探偵CLUB」版テキストを使っておきながら、「本文中、今日では差別的と目されかねない表現がありますが、執筆の時代背景と作品の価値を鑑み、原文のままとしました。」だってさ。どこが原文どおりなの?JAROに通報しなくちゃ。
軍国主義信仰に人種差別表現。それはあの時代の創作物だったら別に探偵小説・SFでなくたってありえる話。海外ミステリも例外ではなく、ホームズ物語も人種差別だとイチャモン付けられるシーンはある。映画「風と共に去りぬ」が黒人差別と標的にされ、配信停止になっている状況を大いに納得している人は世界人口のうち果たしてどれだけいるかね?そういう訳でテキスト改悪に日和った河出書房新社の本など買う価値無し。『盗まれた脳髄』の購入でドブに捨てた1,210円、龜鳴屋のある石川県へ再度寄付する為に使っとけばよかった。
(銀) 昨年後半、質の悪い海野十三の新刊本が出回り、中でも河出文庫版『盗まれた脳髄』に辟易したのもあって、前回今回と海野の記事を書いた。だいたい海野のトリビュート本ならまだしも、なんで海野個人の著書に筒井康隆のパスティーシュを紛れ込ませなきゃならんのか?物故作家の旧い作品を原形どおりのテキストで復刊する気の無い奴らは(出版社勤めのサラリーマンもフリーの人間も)旧いテキストの校閲とは全く関係の無い分野へとっとと去って頂きたい。
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