2024年9月1日日曜日

『僧正殺人事件』ヴァン・ダイン/宇野利泰(訳)

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中公文庫
1977年8月発売



★★★★★   どの訳者で「僧正」を読むか




戦前におけるヴァン・ダインの人気が高かったため、昭和の頃は多種多様な本が出ていた。ましてや彼の代表作として一、二を争う「僧正殺人事件」となると、翻訳者の顔ぶれも様々。以下、括弧内は初版刊行年を示す。

 

 

武田晃         改造社(昭和5年)

                                  新樹社/ぶらっく選書02(昭和25年)

              HPB 176(昭和30年)

 

井上勇         世界推理小説全集17/東京創元社(昭和31年)

            創元推理文庫(昭和34年)

            世界名作推理小説大系11/東京創元社(昭和35年)

 

中村能三        新潮文庫(昭和34年)

 

宇野利泰        世界推理名作全集7/中央公論社(昭和35

            世界推理小説名作選/中央公論社(昭和37年)

            中公文庫(昭和52年)*本書

            嶋中文庫グレート・ミステリーズ(平成16年)

 

鈴木幸夫        角川文庫(昭和36年)

            旺文社文庫(昭和51年)

 

平井呈一        世界推理小説大系17/東都書房(昭和38年)

            世界推理小説大系7/講談社(昭和47年)

            講談社文庫(昭和51年)

 

日暮雅通        集英社文庫 ~ 乱歩が選ぶ黄金ミステリーBEST10(平成11年)

            創元推理文庫 ~ SS・ヴァン・ダイン全集(平成22年)

 

 

全集の端本もあるとはいえ、こんなに選択肢が多いと、初めてヴァン・ダインを読もうと思っている人は、(古書も対象とするのであれば)どの訳者のものを選べばいいか、迷ってしまうかもしれない。もちろん入手しやすいのは日暮雅通が新しく訳し直している近年の創元推理文庫版。しかし新訳だと、わかりやすさを重視しすぎて訳文から味わいが失われたり、最悪の場合、和爾桃子のように言葉選びがなってなくて、作品の世界観をぶちこわされることもありうる。

 

 

ここに列挙した「僧正殺人事件」訳書を全部制覇している訳ではないので、イチ推し!とまでは言わないものの、今日はこの中から中公文庫版の宇野利泰訳をピックアップした。中央公論社の流れで世界推理名作全集→世界推理小説名作選→中公文庫と来て、この三種の宇野訳『僧正』は手直しの入っていない同一テキストなんじゃないかとニラんでいる。本書・中公文庫版には宇野による5ページ分の解説はあるが、世界推理名作全集版あるいは世界推理小説名作選版、どちらのテキストを底本にしているとか何も書かれていないため、断言はできないけれど。

 

 

同じ宇野訳でも嶋中文庫は、言葉狩りの度が過ぎて『人形佐七捕物帳』で作品ごと削除してしまった悪例があるから/クリックしてリンク先を見よ)、テキスト確認はしていないが、グレート・ミステリーズ版はお薦めしない。集英社文庫版(乱歩が選ぶ黄金ミステリーBEST10)もしかり、刊行の時期的に言葉狩りが盛んな年代なんで注意は必要。とりあえずアドルフ・ドラッカーの〝せむし〟を、「僧正」のwikipediaみたいに〝脊椎が彎曲異常〟だなどと表記していたら即アウト。

 

 

古書として世界推理小説名作選版(このシリーズは共通してオモテ表紙が赤のチェック柄にデザインされている)と中公文庫版の『僧正』はあまり見かけないような気がする。いずれにしても宇野訳は読み易い。この前、当Blogでも記事にした中公文庫版『スミルノ博士の日記』(☜)の宇野訳がしっくりきたなら、本書もきっとフィットする筈。宇野訳『僧正殺人事件』のサンプルとして、文章をひとつ紹介しておこう。

 

6   それは私よ、雀がいった   四月二日 土曜日 午後三時


〝「狂人の仕業だよ」とヴァンスは、いつになく真剣な表情で言明した。「それもただの気ちがいじゃない。おれはナポレオンだ、などと考えこんでいるやからとはわけがちがう。あまりにも頭脳が偉大すぎて、正気をそのまま、人智のゆるすかぎり、倒錯の世界にもちこんでしまった男だ。いいかえれば、彼の肉体そのものを、四次元世界の型式としてしまったわけだ。」


(中公文庫『僧正殺人事件』 112ページ15行目)

 

この部分、アナタがお持ちの『僧正』ではどんな風に訳されていますか?

 

 

 

(銀) 本作の内容に関して一言触れるとするなら、大詰めでのファイロ・ヴァンスのあの行為はドラマティックではあるけれど、人道的には賛否両論あるだろうね。一人また一人、不気味な粛清を続ける僧正。その隠されたる動機を推理しながら読むのが醍醐味。




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