⑫ 「恐怖の別荘」(1)~(13)
【注意!】現在、連続企画としてテキストの異同を中心としたこの長篇の検証を行っていますが一部のネタバレは避け難く、「覆面の佳人」(=「女妖」)の核心部分を知りたくないという方は、本日の記事はなるべくお読みにならない事をお勧め致します。
【この章のストーリー・ダイジェスト】
▲ 「恐怖の別荘」(1)~(13)
以下は「恐怖の別荘」の章にて春陽文庫(上段)と『九州日報』(下段)のテキストが明らかに一致しない箇所を拾い出したもの。
A だんだん近づいてくるにつれて(春) 327頁10行目
段々近づいてる来につれて (九)
『九州日報』は〝近づいて来る〟とすべきところを、〝来〟と〝る〟が逆の誤植に。
B 自分にはつれなかった男だが(春) 329頁12行目
自分には無情(〝むじょう〟と書いて〝つ〟とルビあり)れなかつた男だが(九)
C 細い肩に纏っているショール (春) 332頁5行目
細い肩にまとうてゐるショール(九)
D 舞踏会のあった夜起こった、あの恐ろしい事件(春) 335頁3行目
舞踏會のあつた夜起(おこ、とルビあり)した、あの恐ろしい事件(九)
E 自分があの恐ろしい罪を犯したのか (春) 335頁5行目
自分があの恐ろしい犯罪を犯したのか(九)
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F その罪を被(かぶ)せられているのか(春) 335頁 6行目
その罪を被(き)せられているのか (九)
G 自分の生命を取りに来るのではないだろうか(春) 335頁16行目
自分の命を取りに来るのではないだらうか (九)
H いまにもガラスが壊れそうである(春) 337頁2行目
今にもガラスが毀れさうである (九)
I そっと錠を外した(春) 337頁 7行目
そつと鍵を外した(九)
J 見るも醜い黒人に姿をやつして (春) 338頁11行目
見るも醜い黒ん坊に姿をやつして(九)
黒人に対して〝醜い〟だの〝無気味〟だのと、昔の人の偏見は酷い。
R&B好きの私からしたら、こんな偏見が未だに残っているという事が信じられない。
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K 下へさえ下りればもうこちらのもの(春) 339頁6行目
下へさへ降りればもうこちらのもの(九)
L わたくし恐ろしいことなんか少しもありませんわ(春) 339頁8行目
あたし怖ろしいことなんか少しもありませんよ (九)
M 眼前に開けた暗闇(春) 340頁14行目
眼前に展けた暗闇(九)
N 篤麿は急いで床から飛び出すと(春) 345頁3行目
篤麿は急いで外から飛び出すと(九)
篤麿も就寝タイムだったようなので〝外から〟というのは明らかに間違い。
O 駆け寄ってその扉を開いた (春) 345頁5行目
かけて寄つてこの扉を開いた(九)
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P ボタンを押すと書棚が静かに動いて (春) 346頁7行目
ボタンを押せば、書棚が静かに動いて(九)
Q しなやかに縮んでいくではないか (春) 348頁10行目
しなやかに縮んで行くのではないか(九)
R 篤麿はあっとばかりに跳び退いた (春) 348頁12行目
篤麿はあつとばかりに跳起(はねお、とルビあり)きた(九)
S 風のように穴の向こうへ消えていった(春) 348頁16行目
風の様に孔の向ふの方へ消ゑて行つた(九)
この地下通路シーン、『九州日報』は〝穴〟ではなく〝孔〟と表記している。
T 失神した花子の耳もとで大声で叫んだ(春) 352頁4行目
失神した花子の耳許で大聲に叫んだ (九)
失神した事になっている花子が、
9行目では「あッ、あたし・・・」と言葉を発している。
例によって春陽文庫では〝あたし〟が〝わたくし〟になってるし。
U 窓から半身を乗り出すようにして (春) 353頁11行目
窓から半身(はんしん、とルビあり)乗り出すやうにして(九)
春陽文庫にはルビが無いが〝はんみ〟と読ませたかったのだろう。
V まだよく呑み込めないように(春) 354頁15行目
まだよく嚥み込めないやうに(九)
W 無念や彼らはまたしても(春) 357頁1行目
残念や、彼等は又しても(九)
X 大地も揺るがすばかりの音響 (春) 359頁3行目
大地も揺(ゆる)がんばかりの音響(九)
Y 敵味方ともに廊下へ投げ出された (春) 359頁4行目
敵味方共に廊下の上へ投げ出された(九)
Z その計画を横から破ろうとしているのだ (春) 359頁14行目
その計畫を横から打ち破らうとしてゐるのだ(九)
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最初のうちは頭を抱えて悩んでいた成瀬珊瑚だが綾小路浪子にハッパをかけられたのか、別人のような活躍ぶりで恋人の花子嬢をついに救出し、いよいよ物語も先が見えてきた。それはいいとして、この章は謎の要素がだいぶ明かされる代わりに突っ込みどころも沢山。⑦「犯人は?」の章でちょっと触れたけれども、千家篤麿周辺の設定には問題が多くてさぁ。
▲ 「犯人は?」の章にて初めて描写された花子の幽閉部屋というのは、本邸の離れにある古城のような昔の建物とは書いてあったけれど、いつの間にか本章では、窓から地面までの高さが十数尺もある位置になっている。安公、いや成瀬子爵は危険を冒してその高い外壁を縄梯子で登るぐらいなら、今迄召使いとして花子に食事を運んできていたのだから屋内から助けに行けばいいのに。この部屋の鉄の扉の鍵は常に篤麿が管理しており、食事を運ぶ際にも常に監視されていて、子爵単独では勝手に鍵を持ち出せなかったのかしらん。
▲ 別荘地であるこの村に千家篤麿が移り住んでから、まだ日が浅い。成瀬子爵が篤麿の棲み処はこの邸だと知ったのは、篤麿と花子を乗せた馬車を尾行した時。子爵は警察のお尋ね者として追われている身なのに、ムチャして黒人に化けたとはいえ、よくもまあいきなり信用されて篤麿に雇ってもらえたな。
(銀) 本作について、もっともリアルな情報を後世に残してくれたのは岡戸武平。その内容は春陽文庫の解説でも紹介されている。小酒井不木の助手だった岡戸武平は、不木の死をきっかけに『小酒井不木全集』を編集する事となり、同じ昭和4年の8月博文館に入社、『文藝倶楽部』編集長・横溝正史のもとで働き始める。『不木全集』の版元は博文館ではなく改造社だったのに、二つの仕事をよく両立できたものだ。8月といったら『北海タイムス』で正史が「覆面の佳人」の連載を開始して三ヶ月経った頃か。
ここに本作が含まれていなかったのは残念。というのは、横溝正史が一人で書いたにしては本作の文章はあまりに杜撰だし、「博文館の中で岡戸武平も書くのを手伝っていたのでは?」と秘かに疑っていたからである。新潮社の書き下ろし全集とは言うまでもなく「蠢く触手」の事なり。
正史の本作執筆は遅れがちだったそうで、博文館に出社すると先ずは本作に取り掛かる。その様子を眺めていた岡戸武平は、正史がノートに控えなども取らずドンドン続きを書いていくものだから「頭のいい人だナ」と感心したらしいが、正史とてまだ若く遊ばずにはいられない20代だし本業の編集仕事もあるから、腰を据えて本作に取り組まなかったのが惜しまれる。
⑬へつづく。