2025年2月4日火曜日

『グリーン家殺人事件』ヴァン・ダイン/延原謙(訳)

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新潮文庫
1959年3月発売



★★★★  プロットが力負けせずにトリックを受け止めている




かつて「美味しんぼ」で読んだネタだが、例えば二種のハンバーガーがあったとしよう。
 極上のハンバーグ + 肉に対してクオリティーが全く釣り合っていないパン
 格下の材料を使ってはいるが、食感のバランスは取れているハンバーグとパン
この二つを食べ比べてみると、不思議にのほうが旨く感じるそうだ
前回記事にした「カナリヤ殺人事件」など、まさに物語(=パン)が貧弱だったおかげで、
トリック(=ハンバーグ)を活かしきれず全体の印象はすこぶる悪かった。



                  🏺



課題を克服すべくヴァン・ダインも一念発起したのか、それまでとは比べものにならないぐらい第三長篇「グリーン家殺人事件」は完成度がアップしている。ウェット&ドライの起伏を鮮やかに使い分けられるほど器用じゃないし、中には彼の作風に拒否反応を示すユーザーもいるから、そういった意味では客を選ぶ作家である。でもコレと次の「僧正殺人事件」、歴史に名高いこの二作を受け付けないのであれば、その人は残念ながらクラシック本格ミステリには縁が無かったと諦めて頂くしかあるまい




父祖の代からの黴くささがにじみだして、内もそとも色あせた大きな家はがらんとして、じめじめと煤けだち、穢ならしい河水にすそを洗われた手入れのわるい庭をひかえて、まるでお化(ばけ)でも出そうじゃないか。しかもそのなかにはそろいもそろって不健全でおだやかならぬ六人の家族が、毎日おもしろくもない顔をつきあわせて四分の一世紀も暮さなければならない - 
それが死んだトバヤス・グリーンの倒錯した好みなんだ。そして六人はくる日もくる日も太古の毒気のただようあの家のなかに ― 実力がないのか踏切るだけの勇気に欠けているのか、家を出て自活の道を選ぼうとはしないで、安易な生活のうちに、たがいに憎しみあい、不平をならしあい、嫉妬しあい、怨みあい、罵りあい、神経をすりへらしているのだ。

~本書 第七章「ヴァンスの説明」より(延原謙・訳)




毎度おなじみレギュラー陣ではなんといってもフィロ・ヴァンスの鼻持ちならない理屈っぽさが整理され、だいぶ風通しが良くなった。対するに捜査される側、すなわちグリーン家の顔ぶれを見渡すと、シベラ(次女)やレックス(次男)は悪態をつくことで一家の仲の悪さを曝け出し、中風を患い不具者同然のトバヤス・グリーン老夫人(チェスタ/ジュリア/レックス/シベラ/アダの母)ときたら、ザ・被害妄想な上にヒステリック。こうなるとマーカム検事/ヒース部長刑事、そしてヴァンスの三人は彼等をなだめ賺しながら事情聴取するしか手立てが無く、押され気味なその構図が陰惨なムードの中でなんとなくおかしい。





とめどなき連続殺人ゆえ、常に事件は変動しており、話がダレそうなエアポケットも無い。ミステリ好きな人にとって必修科目みたいな長篇だから数回読み返している方も多かろうが、作者の意図する煙幕/伏線を再確認して楽しむのもまた良し。ミステリに関する情報の伝播量が昭和世代よりはるかに多い現代の若いビギナーは最終章に辿り着く前段階、第二十章「第四の惨劇」における毒物混入のくだりを読んで「おや、コイツ怪しくね?」と感付くかもしれないが、そこはそれ百年前の本格長篇ですから。



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延原謙の「グリーン家殺人事件」翻訳本が刊行されるのは戦後になってからのこと。それまでは平林初之輔訳「グリイン家惨殺事件」を収めた博文館版『世界探偵小説全集24 バン・ダイン集』しか流通していなかった。よって戦前の読者は「グリーン家」といえば平林の訳を思い浮かべるだろうし、昭和10年以降に生まれた人は延原謙、あるいは井上勇の訳でこの長篇を初めて読んだものと思われる。

 

 

延原謙 「グリーン家殺人事件」訳書一覧

新樹社     ぶらっく選書7   昭和25年刊

新潮社     探偵小説文庫    昭和31年刊

〃             新潮文庫(本書)    昭和34年刊

 

 


基本的に延原の訳文は読み易くて好きなのだけど、この新潮文庫版に関しては〝風邪〟を〝風〟〝昼食〟を〝中食〟などと表記していて校正の甘さが目に付く。邦訳に限らず戦後の探偵小説本は国内作家の作品でもテキスト上の漢字をやたら開きまくっているため、逆に私はひらがなの多さがフィットしない。本書でも延原は〝まゆね〟という言葉をちょくちょく使用しているのだが何故漢字で〝眉根〟と表記しないのか理解に苦しむ。
 

 

 

(銀) 延原訳「グリーン家殺人事件」が新潮社から二冊刊行されているけれども、その際先行したぶらっく選書版の訳に手を入れているのか、あるいはそのまま流用しているのか、本書には言及が無かった。「グリーン家」の原作自体には★5つ献上したかったが、先程も述べたように、本書の訳文には気になるところが多々あったので★一つマイナス。 

 

 

 

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