「待てよ。あの本が出た90年代って春陽堂は江戸川乱歩や横溝正史の文庫本でバリバリ言葉狩りしてたよな。この名作再刊シリーズ〈探偵CLUB〉は山前譲が解説を書いているから今迄言葉狩りは無いものだとてっきり思い込んでいたけど、光文社文庫「幻の探偵雑誌」シリーズも編集部がこっそり語句改変をやらかしてたし・・・。」
そんな虫の知らせがしたので、水谷準の著書はこのBlogでもまだ取り上げてなかったのもあり『殺人狂想曲』を題材にテキスト・チェックしてみる事にした。
表題作の中篇「殺人狂想曲」(昭和6年6月から半年間『朝日』に連載された時の原題は「翻倒馬殺人譜」)。翻倒馬と書いてファントマ、元ネタはスーヴェストル+アラン。実に荒っぽい翻案の上に荒っぽい終わり方。
次も中篇の「闇に呼ぶ声」(昭和5年10月より半年弱『朝日』に連載された時の原題は「心の故郷」)。恋人を倖せにするため北海道から出稼ぎで東京へ出てきた主人公の青年がいきなり与太者に半殺しにされて記憶喪失になり、その後悪人に救われ裏の世界で生きるが今度は獄窓の人に・・・というムチャクチャな悲哀小説。
最後の「瀕死の白鳥」は解説によれば初出誌が不明との事。乱歩や戦後の橘外男のような美女が誘拐される猟奇ものなので、初出誌が『朝日』で見つからなかったのであれば、同じ博文館雑誌の『講談雑誌』や『文藝倶楽部』にて水谷準ではない別の名で書いているのかもしれない。いずれも『新青年』とは客層が異なる大衆向け雑誌だけど、あれだけ幻想メルヒェンを書いていた準がよくこんなディスポーザブルな小説を臆面もなく書き飛ばしたもんだ。
さてテキスト・チェックの話に戻ろう。こんな場合は同じ本の旧い版に目を通してみなければ言葉狩りされている箇所を見つける事はできない。よって昭和7年の春陽堂文庫版初刊本『殺人狂想曲』(私の所有しているのは昭和14年発行22版)を紐解いてみる。すると・・・
行方不明になった前中国大使(✖) 2頁10行目
行方不明になった前支那公使(〇)
まるで狂気の沙汰としか思われん(✖) 11頁12行目
まるで気狂ひ沙汰としか思はれん(〇)
人はただ言葉を失うしかない (✖) 12頁6行目
人はたゞ無言の唖となつてしまふ (〇)
「ぼく、ぼく、そんなんじゃない」(✖) 16頁14行目
「僕、僕、気狂ひぢやない」 (〇)
あの子は気の毒な母を持った哀れな子供です (✖) 34頁15~16行目
だれが一時的に発作を起こさなかったと言えましょう
あの兒は狂人を母に持った哀れな子供です (〇)
誰が一時的に發狂しなかつたと云へませう
酷すぎる。「殺人狂想曲」の前半だけでこんなに見つかるとは。他の二篇でも改悪箇所はあるのだが、キリがないからここに載せるのはこれだけにしておく。この調子で言葉狩りオンパレード、それに加え昔の旧漢字を現行漢字にするだけならまだしも、「様」とか「僕」とか開く必要の無い漢字までひらがなに開きまくり。こんな校訂でよく再刊などしたものだ。
気狂い/発狂/白痴/唖/聾/満洲/支那、この手のワードがオリジナル・テキストに含まれる作品を再発している昭和50年以降の春陽文庫は × となる訳だが、それでなくとも(もっと以前から春陽堂が行っていた)漢字を無意味に開く校訂が、この〈探偵CLUB〉シリーズでも遠慮なしに実行されているので、テキストとして使いものにはならんことがよく解った。
乱歩でさえ過去の著書において信用できないテキストの本が存在する事実を知ることができたのは、林美一が河出文庫『珍版・我楽多草紙』でわかりやすく例を挙げて警告していたからであって、さすがに乱歩の次に本の流通量が多い横溝正史は注意していたけれど、それ以外のあまり有名ではない戦前探偵作家の再発本に対しては「まさか、そんな事はあるまい」とたかをくくっていたかもしれない。改めて言う。春陽堂書店の戦後のテキストは全く信用できん。
(銀) 水谷準の戦前の春陽堂文庫には『殺人狂想曲』ともう一冊『都魔』というのがある。この本の表題作「都魔」も『文藝倶楽部』に昭和5年8月から半年ほど連載していた時のタイトルは「虹の彼方へ」だった。こんなにも単行本収録時にタイトルを変えるという事は、準にとってやっぱりこれらの作は自分の会社の雑誌の埋め草的なやっつけ仕事として書いていたのだろうか。
平成になって藤原編集室が国書刊行会から〈探偵クラブ〉シリーズを出す時、その頃はまだ健在だった準に「昔の幻想メルヒェンものを揃えて一冊出したい」と打診をしたら「旧作について、それを再び見ることを好ましく思いません」とすげなく断られたという。本書『殺人狂想曲』が出るのはその数年後の話で、藤原編集室が作る本だったら語句改変などされなかっただろうに、ただでさえ自信作ではないと思われる上、こんな校訂を施した『殺人狂想曲』を晩年の準がもし読んでいたならどれだけ不愉快だっただろうかと、私は暗澹たる気持ちになるのであった。