2025年2月18日火曜日

『海底旅行』ジュール・ベルン(原著)/海野十三(編著)

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大日本雄辯會講談社 世界名作物語
1947年3月発売



★★★★  海野本人が執筆したと思しき翻訳本はどれ?




昭和時代のジュヴナイル本には著名作家の名前で発表しながら実は第三者に代筆させているものが少なからず存在していた。海野十三の著書にもヴェルヌ/ドイル/ウェルズ/チェスタトンの少年少女向け翻訳作品があるのだけど、これらを海野本人の仕事だと即断していいのだろうか?参考までに、「海底二万哩」を原作とする本書『海底旅行』を含む「世界名作物語」と題されたシリーズには江戸川亂歩(編著)の『鐵假面』も含まれているが、これが岡戸武平の代筆であることは以前紹介済みである(☜)

 

 

ヴェルヌ長篇『海底旅行』そしてホームズ短篇三作を収めた『まだらの紐』の海野訳初刊本は彼の生前に刊行されているからまだ良しとして、ウェルズ長篇『透明人間』とチェスタトンのブラウン神父短篇を幾つかセレクトした『影なき男』(のちに『名探偵ブラウン』と改題)が初めて本になったのは海野が逝去して八年後の昭和32年。まだ健在だった頃にどこかの雑誌へ発表していた可能性も無くはないとはいえ、そんな情報が載っている文献を読んだ覚えがない。というか海野の翻訳について詳しく論述している資料自体あったかどうかさえ思い出せない。ともかく『透明人間』と『影なき男』(『名探偵ブラウン』)を海野本人の訳と見做すには疑わしい点が多い。

 

 

以上の事を鑑み、海野翻訳作品四種のうち最も第三者の介入が無さそうに思える『海底旅行』を本日は紹介したい。『浮かぶ飛行島』と同様、写実風タッチの重厚な口繪・挿繪を提供しているのは樺島勝一。本書の冒頭には次のような序文が置かれているので見てもらいたい。この本では〝ヴェルヌ〟の発音を〝ベルン〟と表記している。

 

 

この物語について


本書は、フランスのジユール・ベルンの原作になる、海洋を主材にした空想小説である。
題名『海底旅行』が示すやうに、海底の魔人と呼ばれる謎の人物と、博物學者アロン博士とが、最新優秀をほこる潜水艦に乗つて、太平洋、インド洋、地中海、大西洋、南極海等の海底を縦横に探檢して廻るといふのがその内容である。この間、原作者ジユール・ベルンは、荒唐無稽な空想におちいることなく、あくまでも科學的考察にもとづいて、ゆたかな空想と、該博なる知識とをたくみにおりまぜつゝ、海洋の神祕と驚異を興味深く物語つてゐる。


諸君もすでに御承知の如く、海洋は全世界の陸地よりも、さらに廣大な面積をしめてゐる。しかもこの海洋は、領海三浬をのぞくほかは公海と呼び、いづれの國にも属することなく、航行も漁業も自由であつて、いかに文明の利器を活用して、海底から重要資源を開しようと、それは一向さしつかへのない、自由の世界である。

 

わが國は、肇國以来、海と共にさかえ、海と共に發展してきたが、今回、大東亞戦争の勃發するに及んで、さらにかゞやかしい飛躍が約束されている。

海國日本に生をうけたる者、何人といへども血潮の高鳴るを禁じ得ないであらう。また同時にわれ等にかけられた責任の重大さに粛然たらざるを得ない。

海、開けいくわれ等の海、無盡藏の富を海底に祕めた海、海はいたるところで、われ等の活躍を大手をひろげて待つている。

靑少年諸君、今こそ海に向かつて一大飛躍をなすべき時である。

私は本書が、多少なりとも、諸君の海にたいする理解を助け、親しみを增すことができれば、この上もないしあはせである。


昭和十七年三月      海野十三

 

 

戦前に翻訳された長篇の海外小説は大人向け子供向け問わず余計な部分を削ぎ落した抄訳になりがち。そもそも戦前とか戦後関係無く、常に子供向けの「海底二万哩」はそのようなエディット編集が行われてきた訳だが、それ以外にも本書を読むと、海野十三のクレジットが「訳」に非ず「編著」となっていることから分かるように、純粋な直訳ではなく当時の子供達に馴染みやすくするためアレンジを加えている形跡あり(そういえばネモ艦長の〝ネモ〟という名前を全て省略しているのは何故なのだろう?)。

 

 

例えば「饅頭」「カツレツ」「豆腐」といった昔の西洋人には縁遠い日本独自の食べ物がちょいちょい出てくるが、そんなのヴェルヌの原文にある筈が無い。なんせ戦争の激化であれだけ人気があった「のらくろ」でさえ本書の発売される前の年(昭和16年)には打ち切りを余儀なくされているぐらいだ。普段よく自作に織り交ぜていたユーモラスな表現をこの本では控えているように見せかけつつ、ちょっとだけ遊んでみたくなったのかもしれない。この「饅頭」やら「豆腐」なんていう記述が海野十三本人の執筆である証拠じゃないかな、と私はニラんでいる。

 

 

海野版『海底旅行』は戦後ポプラ社から何度か再発されてきた。それらは手元に無くテキストを確認できないけれど、本文そのものは時代に合わせて文字遣いを調整しているだけだと推測されるし、一番最後に出た『海底旅行』(「世界の名作 10」)も昭和43年の刊行であることを考えると、その頃はまだ言葉狩りが氾濫する時期ではないので〝、土人〟や〝めくら〟など目の敵にされそうなワードはそのまま生き残っているのではないか。但し上段にて御覧頂いた序文「この物語について」は戦争への言及がモロにあるため、戦後版では軒並み削除されているっぽい。





海野が亡くなった翌年(昭和25年)、木々高太郎編纂監修の名のもと東光出版社から「少年科学探偵小説 海野十三全集』というジュヴナイルの選集が発売され、そこには珍しく翻訳ものの「六つのナポレオン」「まだらの紐」「赤毛クラブ」が三篇分載ながら収められていた。だからドイル翻訳も海野本人の執筆に違いないと安易に断定するのは早計なれど、少なくともウェルズ/チェスタトンに比べたら可能性は高い。 

 

 
 
(銀) 今読んでも「海底二万哩」は面白い。ことに魚介類や鳥の料理がなんとも美味そうで、ノーチラス号には相当な腕前の調理師がいると思われる。その一方、近年絶滅危惧種指定されている儒艮(ジュゴン)を銛打ちするシーンもあり、本作が1870年に書かれた不朽の名作だということも忘れ「ジュゴンを殺すなんてけしからん!即刻その場面を削除しろ!」などと喚き立てる頭のおかしなエセ偽善者が出てこなければいいけどね。


 

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