2021年9月19日日曜日

『女妖』江戸川乱歩/横溝正史

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九州日報
1930年7月13日~7月23日掲載



⑮ 「疑問の家」(1)~(10)




【注意!】現在、連続企画としてテキストの異同を中心としたこの長篇の検証を行っていますが一部のネタバレは避け難く、「覆面の佳人」(=「女妖」)の核心部分を知りたくないという方は、本日の記事はなるべくお読みにならない事をお勧め致します。

 

 

【この章のストーリー・ダイジェスト】

 

▲ 「疑問の家」(1)~(10

 

春日花子とお兼が姿を消したのは又しても千家篤麿の仕業かと案じる成瀬珊瑚子爵と牛松だが、自分達が警察に追われている立場であるのも忘れて巴里市中を探し回り、篤麿の腹心である大場のヤサを牛松が突き止める。以前、庄司三平に夜の運河へ投げ込まれた牛松を救った密輸入船の親分がかくいう大場で、そのまま旧篤麿邸の使用人に牛松をあてがったのも大場だった。

日が暮れて、家の二階の窓に一人の男と二人の女の影が映る。二人の女のうち、一人はお兼だと牛松は確信。子供に呼びにやらせた成瀬子爵が到着するまで身を潜めていると、庭の隅に黒装束の怪しの者が侵入している事に気付き、牛松は一抹の不安を覚える。

 

 

成瀬子爵がようやく到着した時、窓の明かりが消え女の絶叫が響き渡った。敵の動きが何も無いのを確認して、家の中へ踏み込む子爵と牛松。すると先程絶叫が聞こえた二階の部屋の中では、お兼が革椅子に縄でキリキリ縛りあげられた挙句、短刀で心臓を刺されて死んでおり、春日花子の姿は其処になかった。一度はお兼を殺めようと過ちを犯しそうになった牛松だが、彼女の無惨な最期を見て号泣。その場に姿を現した蛭田紫影検事はとうとう仇敵の成瀬子爵を見つけて薄笑いを洩らす。


                        

 

以下は疑問の家」の章にて、春陽文庫(上段)と『九州日報』(下段)のテキストが明らかに一致しない箇所を拾い出したもの。

 

 

A  『九州日報』マイクロフィルムは(4)=第150回/昭和5717日分が欠号。

    (8)=第154回/同年721日分は本作該当部分が破損して複写不可との事。

    (10)=第156回/同年723日分では二段組になっている該当部分の上段左端一行が

      欠落している。

 

 

B   パリ郊外の空き邸(やしき、とルビあり)で(春)  42611行目

       巴里郊外の空屋敷で           (九)

 

 

C   過ぐる日の(春)  4274行目

     過ぎる日の(九)

 

 

D   そう弱音を吐くようじゃ頼もしくありませんぜ(春)  4279行目

         さう弱音を吹く様ぢや頼もしくありませんぜ (九)

 

 

E     いすか(傍点あり)の嘴(はし、とルビあり)

              と食い違うんじゃな(春)  42712行目

       いすか(傍点あり)の嘴(くちばし、とルビあり)

                と喰違ふんぢやね (九)


                       


F    へえ、いったいだれですかねえ(春)  4287行目

    へゑ、一體誰ですねゑ。   (九)

 

 

G     あまりに意外過ぎるようである (春)  42913行目

         あまりに意外に過ぎるやうである(九)

     

 

H   しかしその娘というのはすでに、

              だれかに殺されてしまっている。(春)  43011行目

         然しその娘といふのは春巣街で誰かに殺されて了つた事は、

              君も知つての通りである。   (九)

 

 

I    陰へ回っては恐ろしい悪巧みをしていることなど(春)  4314行目

       影へ廻っては恐ろしい悪企みをしてゐる事など (九)

 

 

J      一種の偏執狂 ― そうだ、あの女は一種のパラノイアだ。

    世の中にまたこれほど恐ろしいものはないからね(春)  4321行目


    一種の氣違ひ ― さうだ、あの女は一種の氣違ひだ。

    世の中に又、氣違ひ程恐ろしいものはないからね(九)

    言葉狩りするにしたって、春陽文庫もよくここまで言葉をでっちあげられるもんだ。


                      

    

K    手分けして二人の行方を              (春)  43310行目

      手別して(〝手〟→〝て〟のみルビあり)二人の行衛を(九)

   

 

L        お兼は何も関係ないじゃありませんか  (春)  43314行目

      お兼は何も関係はないぢやありませんか。(九)



M    彼ら自身が警察から捜索されている(春)  4349行目

          彼自身が警察から捜索されてゐる (九)

          子爵と牛松ふたりの事だから、これは春陽文庫が正しい。

 

 

N    目の当たりに見てよく知っている(春)  43815行目

        目のあたり見てよく知つてゐる (九)

        この次の行で、牛松が忍び込んでいる家を〝千家篤麿の邸内〟だと書いているが、

          表面上ここは大場の家じゃなかったっけ?

 

 

O    彼はひらりと身軽に庭へ飛び下りる (春)  43917行目

          彼等はヒラリと身輕に庭へ飛び下りる(九)

          これも 同様、『九州日報』のほうが間違っている。


                      

 

P    ふむ、じゃ、いよいよここは千家篤麿の隠れ家(春)  4407行目

    ムフ、ぢや、いよいよ此處は千家篤麿の隠れ家(九)    

 

 

Q   聴き耳を立てていたが(中略)いっそう二人を不安にした(春)  44112行目

         聽き耳たてゝゐたが(中略)いつそ二人を不安にした  (九)

 

 

R   辺りは闃(げき)として生物のいる気配さえない        (春) 4425行目

     邊(あたり)は げき(傍点あり)として生物のゐる氣配さへない(九)

     闃(げき)とは、静まりかえったさまを表す漢字。

 

 

S   眠ってでもいるのだろう (春)  44410行目

     眠つてゞもゐるのだらうか(九)

 

 

T   その人間は身動きもしないで(春)  44412行目

   その人形は身動きもしないで(九)


                       

 

U   だれか ― だれかそこにいるんです(春)  44415行目

       誰が ― 誰が何處に居るんです。 (九)

      

 

V   身動きできぬように椅子に縛りつけて(春)  44610行目

   身動きも出来ぬ様に椅子に縛りつけて(九)

   

 

W      ノブに手をかけたとみえる            (春)  4515行目

       把手(はんどる、とルビあり)に手をかけたと見える(九)

 

 

X   春巣街の噂も、あなたはあくまでも知らぬ存ぜぬと(春)  45314行目

   春巣街の噂もあなたは、あくまでも知らぬ存ぜぬと(九)

   前後の文脈からして〝春巣街の噂も〟とするのはちょっと変。

   作者が原稿を書いた時には〝春巣街の時も〟と書かれていたのではなかろうか。

 

 

Y   偶然とは思われなくなりますよ(春)  4544行目

   偶然と思はれなくなりますよ (九)


                        


本日の記事にupした挿絵は、腕を包帯で吊っている千家篤麿の仏頂面。彼はロシアの貴族という設定なので、髭をたっぷり蓄えていらっしゃる。前章までの内容をしっかり把握しておられる方にはわざわざ詳しく説明をする必要も無いし、篤麿が腕を吊っていない描写よりは吊っている描写のほうがフェアと言えばフェアなんだが、最後まで引っ張るべき謎に対してヒントを与え過ぎの感あり。


                       

                     

この章に出てくる千家篤麿の手下・大場は、⑦「犯人は?」の章にちょっと出て来た大場仙吉とおそらく同一人物の筈。仙吉という下の名前を、作者は忘れてしまったとみえる。その大場の初登場シーンをもう一度プレイバックしてみると、報告のため篤麿邸にやってきた乞食姿の大場を召使いの黒人・安公(実は成瀬子爵の変装)が出迎える場面では、互いに「仙吉兄貴」「禿鷹の安」と呼び合うほどあたかもつきあいが長そうな書き方がされていて。



⑫「恐怖の別荘」の記事で指摘したとおり、成瀬子爵が安公として篤麿の邸に雇ってもらってから日数がまだ殆ど経っていない筈なのに、⑦「犯人は?」(3)における大場と子爵扮する安公の、お互い昔からよく知っているような会話は不自然。もうねえ、横溝正史がキャラクターの相関関係をしっかり固めておかずに書き飛ばすから、こんな事になってるんだよ。そしてそれ以上に、ありえない最大のミスを正史は本章の中でやらかしてしまう。


                      


虫も殺さぬ木澤由良子が裏でやってきた悪事を千家篤麿が大場に話して聞かせる本章の冒頭で、春日龍三の下手人は由良子である事が(とても雑に)読者に知らされるのだが、ここで今一度、⑩「過去の影」の章(9)をよ~く読み返して頂きたい。作者の筆のみならず⑪「打續く惨劇」の記事にupした挿絵でさえ、龍三氏の部屋の窓から逃走してゆく曲者の姿が本来の下手人・由良子に目撃されている様子を露骨に描写してしまっているではないか!これはアカンやろ。



さらに、篤麿邸に春日花子ともう一人拉致されていた女性が由良子だった事も明らかになるのは大変結構なんだけどさ、花子の場合はあれだけ篤麿も厳重に監禁していたのに、なんで女ルパンでもない由良子がやすやすと逃げ出せたのか?ハンパなくあっちこっちで破綻してますなあ。





(銀) 本作を各地方新聞へ売り込んだ池内祥三に関して、戦後の第三次『大衆文芸』バック・ナンバーに池内の追悼特集を載せている号が見つかったので、少し情報を得る事ができた。この人は明治29年生まれだそうだから江戸川乱歩より二歳年下、横溝正史より六歳年上。昭和45年に亡くなっている。



昭和2年夏、池内が編集担当していた(第一次)『大衆文藝』が終刊。そこで彼は連載小説を地方新聞へ配信する文芸通信社「大系社」を立ち上げる。大系社は戦前だと昭和19年まで継続していて、正史の「雪割草」小栗虫太郎「亜細亜の旗」の他にも国枝史郎「犯罪列車」甲賀三郎「怪奇連判状」etc、多方面に池内が関わっている可能性が非常に高くなった。大系社は敗戦で一旦休止するがすぐ再興。池内の晩年まで存続したと云う。


⑯へつづく。