目次はこちら。
◆ 絵考えのいろいろ
◆ 年代記ものの珍版「色道混雑書」
◆ 新潟・神奈川くるわ物語
◆ 幕末大地震の摺物ラッシュ
◆ 安政コロリ流行の瓦版づくし
◆ コロリのがれのお礼参りに「東海道中尻から毛」
◆ 吉原細見・明治から大正へ
◆ 錦輝館の記念活動大写真
◆ 全集にもれた林芙美子の『滝澤馬琴』
各章題を御覧になって、「このblogにヒットしそうな題材は馬琴だけじゃん」とブーたれているそこのせっかちなアナタ、話はまだ途中である。本日のハイライトはその次の三つの章。
◇ 知られざる乱歩の禁書『蜘蛛男』
◇ 乱歩の『蜘蛛男』補記
◇ 乱歩の『蜘蛛男』補記の補記
◆ 絵考えのいろいろ、絵解き
今でこそ光文社文庫版『江戸川乱歩全集』のおかげで本来あるべき初期テキストでの乱歩小説の読書が可能になり、どんなヴァリアントがあるのかも手軽に知る事ができるけれど、それまでは生前最後の乱歩全集であり作者自ら校訂した桃源社版『江戸川乱歩全集』こそが決定版テキストだと世間は思い込んでいた。しかしそうではなかったのだ。戦前の新潮社版『江戸川亂歩選集』の際すでに活字の世界は自主規制まみれになっていて、戦時下の日本人には不適切だ!と難癖を付けられた箇所がごっそり削除の憂き目に逢っているのだが、その中途半端なテキストは晩年の乱歩自身による校訂をもってしても完全に元には戻らぬまま、平成の『江戸川乱歩推理文庫』に至るまでズルズル使われ続けてしまった。
乱歩の没後、この問題点を即座に指摘した林美一は早かった。本書では「蜘蛛男」の削除箇所を中心に、「緑衣の鬼」「何者」「人間豹」「黒蜥蜴」「魔術師」「湖畔亭事件」の削除の対象となった文章の例を挙げて読者に注意喚起を促している。「孤島の鬼」の場合は該当部分を示そうにも量が多すぎるってんで簡単に済ましてるのだろう。
本書の指摘を読むと削除理由なんて実にバカバカしいものだ。エロ表現に対する当時の過剰反応とか、戦時下での軍批判が槍玉に挙げられるのは時代的にわかるとしても、〝真赤な寒天みたいにドロドロした血の池には胴体のない人形の首が、鯉の様に大きく口を開いて、苦しい呼吸を続けていた。〟(「蜘蛛男」)というこの程度の残虐表現ごときまで神経質になってるのは林同様ワタシも理解に苦しむ。その他、〝聖徳太子が〟の前に元々あった〝畏れ多い例えだけれど〟の十文字排除や「黄金仮面」の登場人物・美子姫の〝姫〟を戦後の本ではdeleteしてしまった事による弊害に関しての提言はさすが歴史のプロフェッショナル・林美一ならでは。
『珍版・我楽多草紙』の存在を教えてくれたのはもちろん中相作のwebサイト『名張人外境』。リンクを張っておくのでこちらも見てもらいたい。
『名張人外境』 前人未踏の夢 第一章 「定本江戸川乱歩全集」 ☜
こういった事に目ざとく気が付いて我々読者に教えてくれるのは、貪るように乱歩を読み込んだ経験を持つ林美一や中相作のような人達だからできるのであって、いまだに「自宅の土蔵を乱歩は〝幻影城〟と呼んでいました〟なんてどこにも根拠の無いでたらめを垂れ流し続ける立教大学関係者とか、乱歩を好きな気配がたいして伝わってこない大学人からは絶対発信されない貴重な情報だ。
ひとつ注意を。〖◇ 乱歩の『蜘蛛男』補記の補記〗は文庫化の折に追加された章ゆえ初刊本の有光書房版には載っていない。必ず河出文庫版を、と書いたのはそのためである。戦後世に出た春陽堂版『江戸川乱歩全集』、桃源社版『江戸川乱歩全集』、それから第一次講談社版『江戸川乱歩全集』、第二次講談社版『江戸川乱歩全集』、講談社版『江戸川乱歩推理文庫』と五連続、そのいずれにも林がガッカリさせられる様子が克明に書いてある。250頁強のうち乱歩に関する章は40頁にすぎないが、それでもこの文庫は持っておく価値あり。
(銀) 林美一が本格の推理小説を書きたくて仕方がなかったと洩らしているのは意外だった。乱歩とは面識があったのだが如何せん乱歩が江戸軟派文献蒐集家であるため、そっち方面の用事で手紙をもらうことが多く、乱歩本のテキスト問題について直接問い質す機会を逸してしまったらしい。林へ乱歩の訃報を送ったのは弟・平井通だった。