2022年1月2日日曜日

『江川蘭子』

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博文館
1931年5月発売




★★★★★   ジョセフィン・ベーカー風の挿絵を描いた英太郎は
          江川蘭子の本質を最も理解していたのかも



 

『新青年』に対し以前のような頻度で積極的に書いてくれなくなった江戸川乱歩をなんとか引っ張り出すために編集部サイドは〝複数作家による連作リレー小説〟を企画。「一回目だけなら、まさかイヤとは言うまい」とほくそ笑む森下雨村は乱歩の逃げ道を塞ぎ、トップバッターとして書かせる奇襲戦法に出た。本書には大正15年の「五階の窓」と昭和5年の「江川蘭子」、この二中篇が収録されている。乱歩が亡くなってからは誰もが忖度無く感想を述べているように、内容に統一感が無いため、どうにも褒められぬ作品ではあるのだが、そこをできるだけマジメに考察してみようというのが新春一発目のテーマだ。

 

 

 

「江川蘭子」

江戸川乱歩 → 横溝正史 → 甲賀三郎 → 大下宇陀児 → 夢野久作 → 森下雨村

 

連作にまで自分の筆名を主人公の名に織り込む暴挙からして、乱歩の〝我が世の春〟たる強気な姿勢(それとも、単なる天然か?)が伝わってくる。「陰獣」の時に森下雨村は「乱歩君もたいした自信だねえ」と横溝正史に漏らしたそうだが、「江川蘭子」というタイトルを見て、果して雨村はどう思ったことやら。

 

 

一番手を任された乱歩が設定した江川蘭子の性格付け。たとえ後続の作家がどのようにでも展開できるようなエンディングで終わらせてはいても、悪の要素に満ち満ちた存在として生まれ育った出自だけは不動。この乱歩の回で見落としちゃいけないのは成長した江川蘭子には悪女としてのビューティエロスが備わっているだけではなく、貧困の中から生まれた黒人女性でジャズ・シンガーであり踊り子としても当時米国の異端だったジョセフィン・ベーカー的アクティヴな側面も持たされている点だ。竹中英太郎の描くヴィジュアル(挿絵)の江川蘭子も、本書の函及び扉ページの絵を見ると、それを意識しているのがわかる。(余談だがブライアン・フェリーも「Limbo」のプロモーション・ヴィデオにてジョセフィンの世界観を再現していた)



                                          
              
ジョセフィン・ベーカー

 

 

しかし、横溝正史以降の後続作家が蘭子のジョセフィン・ベーカー的な面をすっかり消し去ってしまう。これは痛手だった。濃厚な主人公を据えたのだから人間関係がややこしそうな秘密結社など持ち出したりせず、唯シンプルに蘭子が跳梁跋扈する物語を執筆作家全員で塗り固めとけばOKだったのに、謎の枝葉を下手に加えようとして「五階の窓」よりも話がギクシャク。

甲賀三郎の回で発生する黄死病なんて唐突過ぎてストーリーのプラスにちっともなってないし、また夢野久作の回で、本来常に傍若無人であらねばならない蘭子がブルブル怯えて動揺するようではこの連作は死んだも同然。二番手の横溝正史が枝葉の少ない展開に整理した上で次にバトンタッチしていれば・・・。

 

 

以前の記事で、江川蘭子みたいに悪の因子を持たされた子供の成長を大下宇陀児が自作「魔人」で描いている例に注目してみた。でもよくよく考えてみたら、江戸川乱歩だって後年同じような素材を使って長篇を書いているではないか。「大暗室」だ。幼少期の大曾根龍次には、小さい頃の江川蘭子を凌ぐ冷酷さが備わっていた。そういえば魔術師奥村源造や怪人二十面相の遠藤平吉同様に、蘭子も曲馬団で軽業師としてのワザを磨いている。これじゃまるで、曲馬団は悪人養成学校だ。



「江川蘭子」と「大暗室」の間には「黒蜥蜴」という女賊ものがあり、初期の乱歩短篇「お勢登場」のヒロインお勢は黒蜥蜴=緑川夫人のプロトタイプだと云う人もいる。江川蘭子の場合は同じ名前のキャラが「人間豹」に引き継がれて出てくるが、人間の心が1ミリも無い悪魔の申し子として世に送り出されたのは大曾根龍次のほうだった(2020年6月27日当Blog記事を見よ)その意味では「江川蘭子」で書き切れなかった復讐戦を、乱歩は「大暗室」にて無事やり遂げたとも言える。

 

 

 

「五階の窓」

江戸川乱歩 → 平林初之輔 → 森下雨村 → 甲賀三郎 → 国枝史郎 → 小酒井不木

 

本書では後半に収録されているが、『新青年』発表はこちらのほうが先。モダーンな帝都のビルディング街、迫りくる不況による企業の人員カットという当時の風潮を取り入れつつ、電気商会のビルからセクハラ社長の転落死が発見され、その謎を警察そして新聞記者 探偵小説家が追うストーリー。

 

 

「江川蘭子」と違って各回の仕上がりにデコボコ感は無く、その点はまだマシ。一応犯人探しと動機の推理がテーマになってはいるが、日本の探偵小説がまだ中~長篇ぐらいの長さの本格物に対応しきれてない。「江川蘭子」執筆メンバーの中でバランスを崩しそうなのは夢野久作だったし「五階の窓」だと乱歩嫌いの国枝史郎がそうなりそうなところだが、意外と流れに溶け込んでいる。国枝の次のラスト担当が大好きな(?)小酒井不木だったのも幸いした。本作のビル転落死ネタを、アリバイ工作を強化して後年自分用に使ったのは横溝正史。作品名は言わずともお分かりだろう。

 

 

 

「江川蘭子」も「五階の窓」も、竹中英太郎の挿絵で彩られたこの博文館版(口絵が八枚もあり『新青年』発表時の挿絵とは別物)で読むからその奇書ぶりが味わえるのであって、フツーの読者には勧めにくい。実際この二作は90年代に春陽堂より文庫化されているが、『江川蘭子』では〝黒ん坊〟〝氣違ひ〟〝あひの子〟といったワードが言葉狩りされるといった春陽堂安定のテキスト改悪作業があちこちに施されて、相も変わらずせっかくの再発が台無し。本日の記事の満点進呈は英太郎の仕事に対してであって、決して作品には非ず。

 

 

 

(銀) 乱歩以外に「五階の窓」「江川蘭子」の二作どちらにも参加しているのは雨村と甲賀。上に書いたとおり、『新青年』のこの二つのリレー小説はあくまで乱歩ありきの企画だったから博文館の人間で『新青年』の編集に関わっていた雨村と正史はともかく、それ以外の面々は書いててもあまり面白くはなかったろうな。とはいえなんだかんだでこういった連作ものは戦後まで続けられたのだが。