2021年9月29日水曜日

『女妖』江戸川乱歩/横溝正史

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九州日報
1930年8月4日~8月14日掲載



⑰ 「剥がれた假面」(1)~(10/最終回)




【注意!】現在、連続企画としてテキストの異同を中心としたこの長篇の検証を行っていますが一部のネタバレは避け難く、「覆面の佳人」(=「女妖」)の核心部分を知りたくないという方は、本日の記事はなるべくお読みにならない事をお勧め致します。

 

 

【この章のストーリー・ダイジェスト】

 

▲ 「剥がれた假面」(1)~(10

 

狂える千家篤麿は強い酒を呷りつつ、蛭田紫影検事によって木澤由良子の魔手から救われた筈の春日花子を捕らえ、自分の言いなりになるよう脅迫していた。どうしても「Yes」と言わない花子に痺れを切らした篤麿は、奇妙な寝台の上に身動きできぬよう縛り付けられている成瀬珊瑚子爵の息の根を止めるべく、スイッチを押す。

天井から徐々に徐々に下りてくる巨大な樫の天蓋・・・その天蓋が寝台をすっかり覆い隠してしまう時、横たわっている者には窒息という死が訪れるのだ。この凄惨な状況に耐えかねて、花子はとうとう篤麿に屈服してしまう。


                        

 

以下は剥がれた假面」の章にて春陽文庫(上段)と『九州日報』(下段)のテキストが明らかに一致しない箇所を拾い出したもの。

 

 

A   黄昏の色が深く濃く  (春)  4814行目

   黄昏の色が、深く濃ゆく(九)

 

 

B     まったく度外れて不調和な立派なもの(春)  48110行目

     全く度外れて不調和に立派なもの  (九)

 

 

C   横になっているなどという暢気な光景ではない。  (春)  4821行目

       横になつてゐるなどといふ暢氣な光景ではないのだ。(九)

 

 

D     まるで狂ったような、物凄い輝きがめらめらと (春)  4828行目

         まるで氣違ひのやうな、物凄い輝きがヂロヂロと(九)

 

 

E   千家篤麿は自棄にぐいと酒を呷った。(春)  48214行目

   千家篤麿はやけにぐいと酒を呷つた。(九)

   〝やけに〟→〝自棄に〟と受け取っていいのか微妙。


                      

  

F       わたくしはもう死にそうです。(春)  48412行目

   あたしはもう死にさうだ。  (九)

   上品で育ちの良い花子は〝死にさうだ〟なんて言わなそうだけど、

  このまま採用するほうがいいのか、書き換えるほうがいいのか微妙。

 

 

G   花子の絶望が合図ででもあったかのように     (春)  48515行目

       花子の絶望の聲がそれの合圖ででもあつたかのやうに(九)

     

 

H     篤麿はさも残忍な微笑を洩らすのであった。    (春)  4865行目

       篤麿はギロリとさも殘忍な微笑を漏らすのであつた。(九)

 

 

I    片っ端から撃ち殺してやろうというように身構えた。(春)  4882行目

         片つ端から撃殺してやらうと言ふやうに身構へした。(九)

 

 

J    そう言うと、彼はピストルを左に持ち替え  (春)  48917行目

         さう言うと彼は、ピストルを左の手に持ち換え(九)


                      

   

K   花子はもはや、辺りを構う心の余裕さえなかった。(春)  4917行目

   花子は最早あたりを構ふ心の餘裕もなかつた。  (九)

   

 

L       勇気ある方はついてきてくださいよ(春)  49213行目

   勇氣のある方はついて来て下さいよ(九)

 

 

M   二、三の警官がその後ろから入っていった(中略)

     それに、いつ千家篤麿が逃げ帰ってくるかもしれないというので(春) 4936行目

       二三の刑事がその後から入つて行つた(中略)

     それに何時千家篤麿が逃げて歸つて来るかも知れぬといふので (九)

 

 

N   定まらぬ足取りでこちらへ近づいてくる    (春)  49317行目

     定まらぬ足どりで、此處(ここ)へ近づいて来る(九)

 

 

O   近づきつつあることを示していた。(春)  4945行目

         近づきつゝあることを示してゐる。(九)


                       

 

P    ひと塊の人びとの前を、何も気づかぬように (春)  49411行目

    一かたまりの人々の前をも、何も氣づかぬげに(九)    

 

 

Q     蒼白な顔にはばらばらと頭髪が乱れ(春)  49510行目

         蒼白な頭にはバラバラと頭髪が亂れ(九)

         あの横溝正史が〝頭にはバラバラと頭髪が亂れ〟などという、

         素人みたいな文章を書くものだろうか?

 

 

R   ぼくは一人ではありませんよ(春)  4961行目

     僕一人ではありませんよ  (九)

       春陽文庫が〝ぼく〟の後に〝は〟を付ける意味がわからん。

 

 

S   おれもあいつのために酷い目に遭わされて(春)  4967行目

     俺もあいつの為にはひどい目に遭はされて(九)

 

 

T   充分枝道に気をつけてきたのですが・・・(春)  49612行目

   充分枝道を氣をつけて来たのですが・・・(九)


                        

 

U       まだまだ人の知らない抜け道が(春)  4979行目

         まだまだ人の知らぬ抜道が  (九)

      

 

V   千家篤麿はもはや逃げたり隠れたりは決していたしませんわ(春)  4995行目

   千家篤麿は最早逃げたり隠れたり決して致しませんわ   (九)

      

 

W   いや、彼も口が利けない。  (春)  5012行目

    いや、彼も口がきけないのだ。(九)

    この後『九州日報』では〝意外な言葉であるためであらうか。〟の次に、

    〝それとも、浪子の言葉が眞實であるためだろうか。〟と続くのだが、

    この一行を春陽文庫は抜かしてしまっている。

 

 

X    あの人に何が言えますものか。(春)  5018行目

      あの人は何が言へますものか。(九)


  

Y    人びとはどよめきながら    (春)  5021行目

    人々はざわざわとどよめきながら(九)


                      

 

Z1   浪子はその結果いかにとばかり (春)  5051行目

     浪子はその結果を如何にとばかり(九)

 

 

Z2   やがてそれが蝗(いなご、とルビあり)のように (春)  5058行目

     やがて、それが蝗(ばつた、とルビあり)のやうに(九)

       〝バッタ〟を漢字で書くと〝飛蝗〟。

 

 

Z3    言うまでもなく成瀬子爵と春日花子  (春)  5067行目

    言ふ迄もなくそれは成瀬子爵と春日花子(九)

 

 

Z4    いっそう彼ら二人を疲れさせたのだった。(春)  50610行目

    一層彼等二人をつからせたのだつた。  (九)

 

 

Z5    いや子爵ばかりではなかった。(春)  50712行目

    いや子爵ばかりではない。  (九)

    本来なら〝子爵〟ではなく〝蛭田〟とするべきところを間違えてしまったため、

    その後に続く文章とは意味が通じなくなってしまった。



                        

   


当時の連載媒体である『九州日報』も、初めて本作を書籍化した春陽文庫も、最終章に至るまでテキストが安定して一致する事はなく、全ての章ごとにおこなってきたテキスト比較も AZ26項目に収まるよう削ぎ落せる異同は削ぎ落してきたつもりだったが、ラストとなる今回の記事では4項目も超過してしまった。


 

 

 千家篤麿の正体についてはかなり早い段階からバレ気味であったが(いまさら伏せる必要もないだろうけど、一応ここでは千家篤麿の名で呼ばせてもらう)、最終章を迎え、遂に化けの皮が剥がされる。

彼もまた河内兵部の血族のひとりで、春巣街の死美人を殺したのは遺産相続の邪魔になるからだと綾小路浪子に喝破されるのだが、証拠立てて追い詰められるでもなく、かといって本人がすべて自白する訳でもなく、180回近くも連載しながら、完結して読者がハッキリ納得できた篤麿の企みといったら、かつて求愛を拒絶され逆恨みもしたけれどやっぱり春日花子のことがLOVE♡、そして自分から花子を奪った成瀬子爵だけは絶対許せん、というその二点しかない。                             

 

 


 これまで誰の仕業だったのか不明だったいくつかの謎でさえも、
最終回に至って、取って付けたように作者が事後報告するだけ。そりゃないぜよ。 


安藤婆さん殺しは白根辯造の、白根辯造殺しは木澤由良子の手によるものだったと作者は云う。だが、そもそも白根辯造はどのようなバックボーンを持つ人物だったのか、春日龍三を強請る場面の他には、辯造というキャラについて描かれている箇所が全然無いから安藤婆さんを殺害する目的がさっぱりわからないし(当時は牛松が犯人だと疑われていた)、由良子が辯造を殺す動機も曖昧。

龍三氏を人殺しの罪に陥れて苦しめるのが目的だったのなら、もっと後の場面で、綾小路浪子に春日家へ連れてこられて父と娘としてやっと対面できたのに、愛情のある態度を示してくれなかった龍三氏を由良子は怒りに任せてその晩暗殺してるじゃん。結局龍三氏を殺してしまうのだったら、なにも罪を着せてわざわざ龍三氏を苦しめるために、恨みの対象ではない白根辯造を殺す必要は無かったんじゃないの?


 

 

 なんと、瀬子爵が貧民窟である春巣街まで出向いていった理由までもが矛盾していた。
①「雪中の惨劇」③「古びたる肖像畫」⑬「奔 馬」の章を、もう一度見て頂きたい。



③「古びたる肖像畫」の章で綾小路浪子がホテルの一室を訪ねた時、
名越梨庵伯爵に扮していた成瀬子爵はイライラした調子でこう洩らしている。

「それはいままでたびたび言っているじゃないか。あの晩、倶楽部から帰ろうとすると、
見知らぬ無頼漢のような男が来て・・・」

この発言は①「雪中の惨劇」の章での子爵のセリフとも一致する。
「ぜひ会って話したい事がある」という死美人からの手紙を渡されたから __ だった 。ただ、その見知らぬ無頼漢というのは子爵の味方である浪子に信用されている牛松であって、彼は子爵を罠に嵌めて殺人犯に仕立てたい千家篤麿の手先では決してない。篤麿が死美人を殺して、その罪を成瀬子爵になすり付けるのであれば、子爵を春巣街へ誘い出す人間が牛松だと筋が通らなくなる。



さらに⑬「奔 馬」の章になると、
成瀬子爵が春巣街へ行った理由について今度は綾小路浪子が木澤由良子に対し、こんな事を口にする。

「子爵にお訊ねしても、本当のことをおっしゃいません。しかしその様子を見ると
(中略)やはり花子さんのためだったのです。」

え? それって龍三氏と花子の為に子爵が死美人に会って説得しようとしたっていう意味?
春日龍三って舞踏会の日に白根辯造に強請られるまでは、自分の先妻である死美人が実は生きていたなんてちっとも知らなかった筈なのに、死美人がカネ目当てで龍三氏とヨリを戻そうとしてフランスに帰ってきたことをどうして龍三氏よりも早く成瀬子爵が知っているのか、まるであべこべ。 



いわゆる朝令暮改じゃないけれども、作者・横溝正史のアタマの中では、
あらゆる設定が日に日に変わっていってしまったらしい。



(銀) 最終回、綾小路浪子と成瀬子爵の妙な雰囲気は何なんだ?
もしかして浪子は、春日花子と付き合う前の成瀬子爵の元カノだったのか。


以上で、全17章の検証完了。
残るは春陽文庫版『覆面の佳人』の評価をはじめとする本作の総括をしたい。
次回につづく。