2021年6月10日木曜日

翻訳者・江戸川乱歩の謎

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(一)名義貸しではなく、乱歩自身で翻訳した作品とは?





いっそ海外ミステリ翻訳者として活動するプランを、大乱歩は一度も考えなかったのだろうか?四年のブランクを経た戦後の新作は少年もの「青銅の魔人」の連載が開始される昭和241月、大人ものになると翌昭和253月の「断崖」まで待たなければならない。天皇の玉音放送以降、「新作が書けない・・・」と乱歩が思い始めるのはいつ頃なのか知る由もないが、この時期こそ翻訳に手を染めてみるには絶好の機会だった筈。


                   

 

江戸川乱歩の翻訳といっても名義を貸しているだけで実際書いたのはどれも第三者、そんな常識が刷り込まれていたものだから長い間〝乱歩自身の翻訳〟については気に留めなくて当り前、という感じだったし、正直言って真剣に考える事もなかった。図々しくも江戸川乱歩について大概の事は知っているつもりでいたが、よくよく自問してみたら〝乱歩自身の翻訳〟について曖昧にしか理解していない自分に気が付いた。バッタもんの訳ばかりの中で乱歩が自分の手で翻訳したと信じられるものはいくつあるのか?注意して乱歩著書を再読すると、例外と言えそうな作品が三つ存在している。



   「黒い家」エラリー・クイーン     昭和2167月  『旬刊ニュース』

   「赤き死の仮面」EAポオ                   昭和2411月   『宝石』

   「魔の森の家」カーター・ディクスン  昭和317月     『EQMM



このうち、乱歩生前の著書に収められたのは ① のみ。
『海外探偵小説作家と作品』における【クイーン】の項を読むと、
『旬刊ニュース』の編集者が「一つ抄訳をしてもらいたい」と言ってきたので、
「私自身原作の半分ぐらいに抄訳し(中略)四回に亘って連載した。」と書いてある。
(ここで「私自身」と乱歩が述べている事を、次回の記事まで覚えていてほしい)

① は春陽堂版江戸川乱歩全集第15巻『化人幻戯』(昭和30年刊)に、
初出時の「黒い家」から原作どおりのタイトル訳へと改めた「神の燈火」として収録。
春陽堂版全集の巻末解説は中島河太郎が担当していて、
この巻の中で乱歩による ① に対してのコメントは無し。その後、春陽堂版全集のテキストを再利用したと思しき昭和30年代の春陽文庫/江戸川乱歩文庫16『三角館の恐怖』にも ①(「神の燈火」)は収録されていた。

 

 

昭和40年に乱歩が亡くなって、そののち出された二度の講談社版全集しかり、
乱歩著書において暫くの間これらの翻訳ものは陽の目を見る機会が巡ってこず、
次に読者の前に姿を現すのは、江戸川乱歩推理文庫第47巻『海外探偵小説作家と作品3』(平成元年刊)。この巻にボーナス・トラック的な扱いで ①と③ が収められる。

ここで江戸川乱歩推理文庫第65巻『乱歩年譜著作目録集成』でもいいし、
光文社文庫版江戸川乱歩全集第29巻『探偵小説四十年(下)』でもいいのだが、
その二冊に載っている「江戸川乱歩作品と著書年度別目録」を見て頂きたい。
 ①と③ は各発表年度冒頭の【小説】欄にしっかり記されているのに、どういう訳か ② だけは(江戸川乱歩推理文庫に収録されなかったばかりか)この目録からも漏れていた。
こういうデータに細かい乱歩が記載漏れをするなんてありえるかな?

また江戸川乱歩推理文庫を編纂する際に、中島河太郎は ② の扱いをどう考えていたのだろう?江戸川乱歩推理文庫で初期に配本された巻のカバー袖に記載されているその後の収録予定を見ると、第46巻は当初『黄金虫』(原作ポー)収録と告知されていたので、そこに ② も予定されていた可能性はある。結局のところ収録内容が変更され、「黄金虫」なりポーの巻自体が収録予定から外された時に ② も道連れになって消去されてしまったか。


                    

 

話は前後するけれど、生前最後の桃源社版全集には「翻訳は載せない」と明言してあるから仕方ないとして、江戸川乱歩推理文庫からまた少し年月が過ぎ、平成15年に配本が開始された光文社文庫版江戸川乱歩全集の時には、前回の江戸川乱歩推理文庫の終盤の巻に入っていた随筆の類いで、こちらに入らなかったものがいくつかあったのは至極残念だった。その漏れた随筆の巻き添えを食って、という訳でもなかろうが、光文社文庫版全集で翻訳ものは一切スルーされている。想像するに監修者の山前譲と新保博久は編集部の意向もあって、桃源社版全集と同じく自作に限定する方針を選んだのかもしれない。

 

 

21世紀まであと数ヶ月、ノストラダムスの大予言が外れたと安堵したら、今度は2000年問題を人々が不安視していたその頃、乱歩研究の救世主として中相作が『名張人外境』を開設、その後の氏の活躍ぶりは今更述べ立てる必要もあるまい。その中相作が ② をまごう事なき乱歩自身による翻訳だとする言説を披露したのが平成10年刊の『江戸川乱歩執筆年譜』。氏はこの本の21~22ページにて、乱歩名義「赤き死の仮面」を九行サンプルとして提示し「例外的に乱歩自身の訳だと考えて差し支えないと思われる」と記した。

この時はまだ光文社文庫版全集が発進する五年前だったから、あの全集に入れようと思えば十分可能だったのにそれはなされず、乱歩訳「赤き死の仮面」が初めて単行本に収録されるのは、藍峯舎の豪華本第一弾として世に放たれた『赤き死の假面』(平成24年)。初出から実に63年もかかったのだ。読んでみると原文がもともと修飾的美文調であるせいか、①~③の中では最も乱歩の体臭が伝わり易いテキストになっていて、これを「本当に乱歩が訳したの?」と疑う余地は無いように感じる。これが今迄なぜ乱歩全集に一度も収録されなかったのか、むしろそっちのほうに首を傾げてしまう。


                     

 

藍峯舎『赤き死の假面』は限定発売ゆえあっという間に売り切れてしまったけれど、乱歩の訳文なら『怪談入門 乱歩怪異小品集』に収められているし、解説部分だけなら中相作『乱歩謎解きクロニクル』で読む事が可能。①と③は現行本に入っていないため、古書で江戸川乱歩推理文庫第47巻『海外探偵小説作家と作品3』や春陽堂版江戸川乱歩全集第15巻『化人幻戯』、あるいは初出誌を探す必要がある。そんなこんなで今日は①~③の収録書籍を再確認してみたが、私の頭の中に渦巻く乱歩翻訳に対する疑問は依然として消え去ってくれないのだった。


 

 

(二)へつづく。